短説「“最後”の運動会」(西山正義)
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“最後”の運動会 |
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今日、いい言葉を聞いた。
私にとってはやはりショックというか、身に詰まされるというか、やはりそうだよなというような……。
娘と二人で昼食を食べていた。NHKのBSプレミアムの再放送で「古代ポンペイの真実」というのをやっていた。終わりの方をちょっと見ただけなのだが、そこで紹介された言葉。古代ローマ人が石碑か何かに残したという言葉。
狩りをし 風呂に入り
ゲームをし 笑う
それが人生だ
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・きょうの昼すぎ、バイクで走っていて、春の匂いを感じた。
バイク(正確にはスクーター型の原動機付自転車)で通勤するようになって、いきなり冬になった。通勤時間は、行きも帰りも、夜明け前から早朝にかけてである。この冬の寒さは身に沁みている。
・それが少しやわらいだ。今年も春はやっぱりやって来る。
もの凄いスピードで時が過ぎ去るのを感じる。それを少しでも押し留めておきたいと思っている。が、もはや絶望的だ。しかし、矛盾するようだが、冬から春へ、時は確実に流れている、そう感じるのはいいものである。
・娘が語学研修でフランスへ行った。一ヶ月はそれなりに長いように感じていたが、もう明後日には帰ってくる。
その間のことを、もっと書こうと思っていたのに。
娘のことばかりではなく、入れ替わりに、息子のことも。娘が出発した直後に、グローブを新調した。それに絡むエピソードなど……。
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とにかく、メモしておく。
・本が読めなくなっている。それはもうここ数年来の傾向であるが、その状況は年々悪化している。
理由は二つあると思う。その一つは、そしてそれが根本的な原因だと思うのだが、もはや新しい情報による刺激に、精神が耐えられなくなっているから、本能的にそれを避けようとしているのだろう。
それ以前に、知的好奇心が圧倒的に減衰している。何か致命的なような気がする。
・それで読むのは、昔読んだ本だ。新しい本は読めない。
昔読んだ本でも内容をすべて覚えているわけではないし、今読み返せば、思いもよらね新しい発見や新たな刺激を受けることもあるだろう。しかし、それはある程度の予想がたち、そういうことがあっても、それもまた想定内に収まる。いや、収まるような本を選んで読んでいるわけだ。
・昨年十二月一日に「貪婪禍」というエッセイを再読して以来、再び太宰治が気になりだしている。
そして懐かしい新潮文庫の『もの思う葦』を読み始めたのだが、何んと二ヶ月かかって読めたのはようやく半分ほどだ。解説を含めて265頁の136頁目まで。
その135頁から2頁の随想「一つの約束」は、小説創作の秘密と裏側と真理と本質と意義を、これ以上ないというほど明解にかつ美しくわかりやすく感動的に語られている。
・「日本浪曼派」に発表されたアフォリズム集である表題作から最晩年の「如是我聞」まで、49篇のエッセイが納められた新潮文庫版『もの思う葦』は、奥野健男が責任編集したものであるが、出た当時、全集以外の流布本で太宰治の随筆がまとまって読めるものがなかったので、たいへん画期的な本であった。
初版の発行日は、昭和55年9月25日。その初版を持っているのだが、まさに「今月の新刊」ほやほやで買ったのだった。十七歳の秋である。太宰熱がもっとも盛んだった頃だ。
・思えば、新刊を楽しみに待つということもなくなってきている。
当時だってすでに太宰の死後32年が経っていて、(ということは、ちょうど三十三回忌ということもあったのかもしれないが)、何かまだリアルタイムだったような気がする。のだが、それは現時点から遡ってみたときの錯覚であろうか。
しかし、何んと言っても、「昭和」だったのだ。
・昨年十月下旬から勤務している会社の所在地は三鷹で、太宰の墓がある禅林寺は目と鼻の先である。何かの縁であろうか。
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娘の旅立ち |
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今年は何と言っても大震災の年でした。
個人的にも激震の年でした。
年末年始は仕事で、年越しの切り替えがうまくできていません。
両親の年賀状は早々に作ったのに、わが家のはまだです。
いつの間にか年の瀬という感じで、年賀状書きは年明けになります。
来る年(もう数時間後に迫っているわけですが…)はどんな年になるのか。
来年も子供中心になるのは間違えないでしょうが、何かひとつでも……。
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木枯らしの街 〔発表:平成19年(2007)1月関西座会(第5回短説お年玉文学賞受賞)/初出:「短説」2007年4月号/〈短説の会〉公式サイトupload:2011.1.2〕 Copyright (C) 2007-2011 INOUE Takashi. All
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すだとしおさんから、重い、重過ぎる作品集が届いた。
今日のお昼ころのこと。とてもすぐには読み飛ばせない。
中身もさることながら、その集を編集した父親の思いが重いのだ。
血の吹き出るような、いや、何と表現したらいいのか、感に堪えない。
これに対しては、やはり短説で応えるしかないだろうと思う。
先日ネット上で、久しぶりに太宰治の随筆を読んだので、
引き続き別のも読みたくなり、『もの思う葦』を再読している。
懐かしい、あの新潮文庫で。高校二年の時、
リアルタイムに「今月の新刊」で読んだのだった。
太宰のまとまったエッセイ集は文庫では初だったのではないか。
それにしても、文字が小さい!
当時はこれが普通だったのに……。
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「縦書き文庫」をつらつら検索していたら、ボブ・ブラックという人の「労働廃絶論」という論考に出くわした。もうタイトルからして、大いに惹かれてしまった。
冒頭からしてこうだ。
人は皆、労働をやめるべきである。
労働こそが、この世のほとんど全ての不幸の源泉なのである。
この世の悪と呼べるものはほとんど全てが、労働、あるいは労働を前提として作られた世界に住むことから発生するのだ。
苦しみを終わらせたければ、我々は労働をやめなければならない。
リベラル派は、雇用差別を終わらせるべきであると言う。
私は、雇用を終わらせるべきであると言いたい。
左翼は完全雇用がよろしいと考える。
シュールレアリストを真似て言うと、―私はふざけているわけではない―私は完全失業がよろしいと考える。
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