2012年1月 1日 (日)

謹賀新年

謹賀新年
明けましておめでとうございます

元旦から仕事です。
文字通り駆け足で、氏神様にお詣りしました。

無病息災
幸多き一年でありますように!

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2011年12月31日 (土)

平成23年の大晦日

今年は何と言っても大震災の年でした。
個人的にも激震の年でした。
年末年始は仕事で、年越しの切り替えがうまくできていません。
両親の年賀状は早々に作ったのに、わが家のはまだです。
いつの間にか年の瀬という感じで、年賀状書きは年明けになります。

来る年(もう数時間後に迫っているわけですが…)はどんな年になるのか。
来年も子供中心になるのは間違えないでしょうが、何かひとつでも……。

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2011年12月12日 (月)

短説:作品「木枯らしの街」(井上たかし)

   木枯らしの街
 
           
井上 たかし
 
 鏡の前に立ったN博士は、自分の姿が写っ
ていないことを確かめ満足気に大きく頷いた。
 手を伸ばし実験台の上にあるビーカーを取
り上げる。と、どうだろう、ビーカーが空中
に浮いたまま静止しているではないか。
 次の瞬間ポトリポトン、床に広がる黒いシ
ミ、博士の目からあふれた嬉し涙である。
(ああ、やっと成功した)寝食を忘れ重ねた
努力と歳月、透明になる薬がやっと完成した
のだった。(…そうだ、一刻も早く彼に知ら
せなくては)研究に没頭出来るようにと惜し
みない援助を続け、研究室まで提供してくれ
た友人K氏の許へと博士は急いだ。
 広々とした芝生、大きな噴水のある前庭を
横切り、K氏の住む豪邸を訪れる。いつもな
ら慇懃な態度で出迎える執事も、そ知らぬ顔
でメイド相手に下らぬ冗談を云い合っていた。
(ふふ、やはり見えぬらしい)苦笑を浮かべ
博土はK氏の部屋に入る。むっとする暖房、
ソファに寄り添う二人の男女、ねぱつく会話。
「どうだい、彼の研究の進み具合は、あれが
完成すれば、私はまたまた大儲け……」
「ええ、もうすぐらしいわ、そしたらねえー」
 甘い鼻声でK氏にしなだれかかっているの
は博土の若い妻S子ではないか、そこで博土
は全てが読めたのだ。(おのれ、よくも今ま
で騙し続けてくれたな)こぶしを固め妻の顔
を殴りつけたのだが手応えがない、つるんと
顔をひと撫でしただけのS子。ワイングラス
片手に「少し暑くない」眩きながらバルコニ
ーの扉を開ける。どっと吹き込む木枯らしに
舞い上がる博士(しまった、透明になると重
力も失われるのだった)中空高く吹き飛ばさ
れながら博士はわめく(許さぬぞ二人とも…)
 幼稚園帰り、幼い娘が母を見止げて囁いた。
「ママ、風さん今日は怒ってるみたいな音ね」


〔発表:平成19年(2007)1月関西座会(第5回短説お年玉文学賞受賞)/初出:「短説」2007年4月号/〈短説の会〉公式サイトupload:2011.1.2〕
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2011年12月10日 (土)

重い作品集

すだとしおさんから、重い、重過ぎる作品集が届いた。
今日のお昼ころのこと。とてもすぐには読み飛ばせない。
中身もさることながら、その集を編集した父親の思いが重いのだ。
血の吹き出るような、いや、何と表現したらいいのか、感に堪えない。
これに対しては、やはり短説で応えるしかないだろうと思う。

先日ネット上で、久しぶりに太宰治の随筆を読んだので、
引き続き別のも読みたくなり、『もの思う葦』を再読している。
懐かしい、あの新潮文庫で。高校二年の時、
リアルタイムに「今月の新刊」で読んだのだった。
太宰のまとまったエッセイ集は文庫では初だったのではないか。
それにしても、文字が小さい!
当時はこれが普通だったのに……。

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2011年12月 8日 (木)

ボブ・ブラックの『労働廃絶論』を読む

縦書き文庫」をつらつら検索していたら、ボブ・ブラックという人の「労働廃絶論」という論考に出くわした。もうタイトルからして、大いに惹かれてしまった。
 冒頭からしてこうだ。

 人は皆、労働をやめるべきである。
 労働こそが、この世のほとんど全ての不幸の源泉なのである。
 この世の悪と呼べるものはほとんど全てが、労働、あるいは労働を前提として作られた世界に住むことから発生するのだ。
 苦しみを終わらせたければ、我々は労働をやめなければならない。

 まったくもって、共感してしまった。1985年に書かれたものらしいが、今まで知らないでいた。
 私が読んだこの「縦書き文庫」版には、翻訳者の氏名が明示されていないが、訳者の連絡先をたどると、「アナーキー・イン・ニッポン」というサイトを運営している一人のようだ。別に検索すると、『遊動社パンフレット2』として、高橋幸彦という人の訳で市販されている。税込みで200円+送料(NOT PILLAR BOOKS)。どうもその二つは同じ内容のようで、「縦書き文庫」版はこちら「アナーキー・イン・ニッポン」版はこちらで読めます。
 リベラル派は、雇用差別を終わらせるべきであると言う。
 私は、雇用を終わらせるべきであると言いたい。

 日本やアメリカを筆頭に、今の経済問題を集約すれば、とどのつまりは雇用の問題に行きつく。それをこのように言い切る。まったく痛快である。
 左翼は完全雇用がよろしいと考える。
 シュールレアリストを真似て言うと、―私はふざけているわけではない―私は完全失業がよろしいと考える。

 それではどうやって食っていくのかという議論は別にして、諸悪の根源は労働であると私も思う。しかしそれを実践するには、辻潤のように徹底的にやるしかなく、その行きつくところは緩慢なる自殺、つまり餓死ということになる。
 それでも、藤原わらびという詩人が、やはりこの論文を読んで、「失業者で詩を書き続けるのが私の理想です。そのために遊んでがんばります」と言うように、何かうまく折り合いをつける方法があるのではないかと、それが虚しいことでも、これからもいつも模索しづつけたいと思う。

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2011年12月 5日 (月)

牛島神社の撫で牛とスカイツリー

 昨日、仕事中にそばを通ったので、向島の牛島神社に立ち寄った。師走にしては暖かい快晴の日曜日ということもあって、そこそこ賑わっていた。
 牛島神社の由来などはこちらに詳しいが、文学的に言えば、ここは何よりも堀辰雄なのであった。
Sn3n0203
 ちょうどお昼すぎで、結婚式が行われていた。近くの浅草では人力車が走っていて、多くの観光客を乗せていたが、その人力車で新郎新婦と仲人もしくはご両親がパレード?してきて、本殿に参るところに遭遇した。
 ↓思わず、境内を掃き清める巫女さんを撮ってしまいました。Sn3n0204   Sn3n0207
 大鳥居の真っ正面に、でーんと東京スカイツリーが。↑(クリックで拡大)
 小川和佑先生の明大リバティアカデミーでの公開講座で、堀辰雄の幼年時代を訪ねる「隅田川畔フィールドワーク」でここを歩いたのは、もう八年前になるのでした。その時は、スカイツリーなど影も形もありませんでした。
 堀辰雄が愛した「撫で牛」↓
Sn3n0209

 おばあさんは私の家にくると、いつも私のお守(も)りばかりしていた。そうしておばあさんは大抵私を数町先きの「牛の御前(ごぜん)」へ連れて行ってくれた。そこの神社の境内の奥まったところに、赤い涎(よだれ)かけをかけた石の牛が一ぴき臥(ね)ていた。私はそのどこかメランコリックな目(まな)ざしをした牛が大へん好きだった。「まあ何んて可愛(かわ)いい目んめをして!」なんぞと、幼い私はその牛に向って、いつもおとなの人が私に向って言ったり、したりするような事を、すっかり見よう見真似(みまね)で繰り返しながら、何度も何度もその冷い鼻を撫(な)でてやっていた。その石の鼻は子供たちが絶えずそうやって撫でるものだから、光ってつるつるとしていた。それがまた私に何んともいえない滑(なめ)らかな快い感触を与えたものらしかった。……
          ――堀辰雄「幼年時代」(「青空文庫より」)

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2011年12月 1日 (木)

久しぶりに太宰治

 大学の先輩である「コロンブドール」氏のブログに「大菩薩峠 霊験あらたなり」が数回にわたってアップされている。その写真を見て、その自然の光景に「驚嘆」していた私に、太宰治の文章が飛び込んできた。
縦書き文庫」に新着エントリーされていた「貪婪禍」 である。初出は「京都帝國大學新聞」第三百十七号(昭和15年8月5日発行)。タイトルだけ見て、なんとなく予感があったので、読んでみた。太宰の文章を読むのは実に久しぶりだった。
 やっぱり太宰はすごい。いいなと思ってしまう。そしてドキリとさせられる。「フロべエルの嘆き」を引用しながら、次のように言う。

……私が旅に出て風景にも人情にも、あまり動かされたことのないのは、その土地の人間の生活が、すぐに、わかつてしまふからであらう。皆、興覺めなほど、一生懸命である。 溪流のほとりの一軒の茶店にも、父祖數代の暗鬪があるだらう。茶店の腰掛一つ新調するに當つても、一家の並々ならぬ算段があつたのだらう。一日の賣上げが、どのやうに一家の人々に分配され、一喜一憂が繰り返されることか。風景などは、問題でない。その村の人たちにとつては、山の木一本溪流の石一つすべて生活と直接に結びついてゐる筈だ。そこには風景はない。日々の糧が見えるだけだ。
 素直に、風景を指さし、驚嘆できる人は幸ひなる哉。

 この洞察、いや、感受性と言った方がいいだろうは、何かを突き刺すものがある。そして、哀しくなる……。

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2011年11月29日 (火)

はじめて「ブログネタ」に参加してみる

ブログネタ: Facebookデビューした? 参加数

 Facebookには今のところデビューするつもりはありません。mixiには参加していますが、Twitterもやっておらず、インターネットの各種コミュニティ・サイトも多種多様に増えていますが、もはや面倒くさい。Facebookも、その意義や面白みはなんとなく分かるし、使いようによってはいいものなのかもしれませんが、面倒が増えるだけなので、今のところ全くやる気なし。もともと実名で活動しているので、そのメリットもないし。

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2011年11月10日 (木)

短説「休みの日に」(西山正義)

   休みの日に
 
            
西山 正義
 
 ストーブを出した。急に寒くなってもいつ
でも使えるように。去年の灯油がまだ少し残
っていた。試運転すると、あの独特の匂いが
部屋を満たした。
 あれほど暑い暑いと言っていた平成二十三
年の夏もいつの間にか過ぎ、秋も深まりつつ
ある。恐ろしいスピードで月日が流れる。
 徹夜仕事明けの午後。妻は墓参りで仙台へ
行き、息子は高校の修学旅行で沖縄に行って
いる。娘は大学へ。授業が終わっても、サー
クルの活動で帰りは遅くなる。要するにお父
さん一人の午後なのだった。
 それが十月二十七日のことで、はや二週間、
立冬も過ぎた。十一月に入って暖かい日もあ
ったが、今朝はストーブを点けた。勤務のシ
フトが明日に延び、今日は休みになった。
 息子は野球部の「朝練」で早くから出掛け
た。娘も、つい最近始めたセブンイレブンの
アルバイトが早朝から三時間あり、帰宅する
なりすぐに大学へ向かった。
 その娘だが、あさって十二日、二十歳にな
る。娘が生まれたのは、義父が六十歳で突然
亡くなった、その二ヵ月後だった。あれから
二十年。初めて対面した産院の部屋。生まれ
た頃の写真を見、その頃のこと、そしてそれ
からのことを思えば、月並みだが「感無量」
という言葉しか思い浮かばない。
 娘が生まれ、まだ小さい頃に、将来、こう
もしたいああもしたいと思い描いたこと、そ
の何パーセント出来ただろうか。娘が高校生
ぐらいになったら、格好いいオヤジとして美
術館巡りなどをしたいと思っていたものだ。
 いま二十歳を迎えるにあたり、尤もらしい
訓戒を垂れる気はないが、何か特別なことを
してやりたい。そう思うが、妙案が思い浮か
ばない。いずこも同じ親心があるばかりだ。

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2011年10月27日 (木)

未定稿(ストーブを出した)

 ストーブを出した。急に寒くなってもいつでも使えるように。去年の灯油がまだ少し残っていた。試運転すると、あの独特の匂いが部屋を満たした。
 あれほど暑い暑いと言っていた今年の夏もいつの間にか過ぎ、秋も深まりつつある。恐ろしいほどのスピードで月日が流れる。
 徹夜仕事明けの午後。妻は用事で実家に行き、息子は修学旅行で沖縄に行っている。娘は大学へ。授業が終わっても、サークルの活動で帰りは遅くなる。
 要するにオヤジ一人の午後なのだ。……
(つづく予定)

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