2019年3月17日 (日)

鉄塔

鉄塔

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2019年2月 9日 (土)

寒い土曜日の午後に詩を

 土曜日の午後、東京も大雪になるかもという予報でしたが、今のところなんとか雪にも雨にもならず持ちこたえているという空模様、一言、ただただ寒い。凍てつく寒さですな。家の掃除とか、書類整理とか、何もする気になりません。空は明るいので、今のうちに外で体操し、ウォーキングでもすればいいのでしょうが……。妻は、所属する朗読の会の先生が司会をするというある講演会に出かけていきました。
 そんなわけで、ストーブの前で猫と一緒に横になりながら、つれづれに開いた本が『日本の詩歌24』(昭和51年3月・中公文庫)でした。(BGMはビートルズに変更)
 この巻には、丸山薫・田中冬二・立原道造・田中克己・蔵原伸二郎が収録されています。私にとっては黄金の巻ですね。詩のアンソロジーはそれこそ枚挙に暇がないほどたくさんありますが、中央公論社の元は『日本の歴史』や『世界の歴史』などと同じ造本の箱入りの単行本で出たこのシリーズは、平成が終わろうとしている現在でも質・量ともに最良のアンソロジーといえますね。
 ついでに書き添えておくと、編集委員は伊藤信吉・伊藤整・井上靖・山本健吉。この巻の「詩人の肖像」は大岡信。「鑑賞」は坂本越郎。年譜付。立原道造と棟方志功のカットが入ります。
 その104頁に栞が挟んであって、それは単に以前の読み挿しを意味してあったのですが、そこに掲載されていた詩をあらためて読んで、心が打ち震えました。

    くずの花     田中冬二

  ぢぢいと ばばあが
  だまつて 湯にはひつてゐる
  山の湯のくずの花
  山の湯のくずの花

                    黒薙温泉

  何という詩情であろう。ただこれだけの言葉なのに。言ってみれば、ある情景をそのまま叙述しただけのようにもみえるが、なんと深い人生がそこにあることか。
「この無念無想の静寂境をとらえるため、省略を重ねて、この形にするまでには、作者は苦吟数年を要したという。けだし作者にとって会心の作」とは坂本越郎氏の鑑賞。
 初出は、昭和3年『パンテオン』第四号で、田中冬二の第一詩集『青い夜道』(昭和4年12月・第一書房)に初収録されました。
 はじめて読んだ二十歳そこそこのころは、その良さがたとえ分かったとしても頭で理性的にしか理解していなかったでしょうね。自分自身がまさにこの「ぢぢいと ばばあ」になって、しみじみと心に沁み込んできたというわけです。
 そんなことを書いているうちに、やはり雪が降ってきました。降り続けば積もりそうな気配の雪です。明日ソフトボールの練習があるのですが……。

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2019年2月 2日 (土)

信濃追分文学散歩メモ(2)

 前の記事で、油屋は「この時はまだ旅館として営業していました」と書いたのは誤りでした。
 私のホームページの掲示板は滅多に書き込みなどないのですが、2007年7月27日に「追分油屋、休業中、心配」というタイトルで、(追分、軽井沢、立原、堀・・・ファンより。)というまったく未知の方から書き込みがあり、油屋はこの年2007年の4月から休業中とのことです。
 ですので、私が先輩の五十嵐正人さんご一家と行った2007年7月9日(つまり前の記事の写真を撮った日)の時点では、すでに休業中だったのですね。
 この年以降、私は軽井沢から遠ざかってしまいましたが、油屋のホームページはその後もしばらく生きていて、「設備の修繕、改装工事の為 休業中」ということになっていました。が、実際には経営破綻していたわけで、改修は行われず、そのまま旅館としては廃業になったのでした。
 しかし、2012年に「油やプロジェクト」というNPO法人が発足し、油屋旅館の建物保全と有効活用を目的に「信濃追分文化磁場 油や」として再生されました。
 その趣旨を記したパネル看板が、入口の石垣の脇に建てられています。(クリックすると拡大画像に飛びますので、ちょっと光が映り込んでいますが内容が読めると思います)。ホームページではテキスト化する予定。

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2019年2月 1日 (金)

信濃追分文学散歩メモ(1)

 ということで、ホームページ「西向の山」「軽井沢文学散歩」の〈信濃追分編〉の後半を作成するためのメモとして、その素材となるべく写真や草稿をアップします。

 いきなり個人的なことになりますが、信濃追分の旅館「油屋」は、私にとって神田神保町のカフェ「ラドリオ」とともに最も思い入れの深い青春の場所です。受験勉強や卒論を書くための避暑として長期滞在したことがあるというわけではありませんが。
 旧中山道追分宿の脇本陣であった油屋は、昭和12年(1937)11月18日に隣家からの火災により焼亡しています。翌年、小さな街道をはさんだ向かい側、すなわち現在の場所に移転のうえ新築し、営業を再開しました。

 それから約70年後の平成19年(2007)7月9日に訪問した時の写真がこちらです。

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 この時はまだ旅館として営業していましたが、一時期休業していた後、現在は、「信濃追分文化磁場 油や」として再生されています。下は平成30年4月9日撮影。

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2019年1月30日 (水)

平成最後の年の最初の投稿

 このところ、何かにつけて「平成最後の」というフレーズが言われている。その平成最後の四か月のうち、もう一ト月が早くも終わろうとしている。月末になって、平成最後の年の最初の投稿をする。

 27日の日曜日、所属するソフトボール・チームの定期総会があった。メンバーの変動などにより、4~5年周期でチーム体制の変革を強いられるのだが、今年はその年に当たる。新しい体制について話し合って帰ってきたら、大学は異なるのだがともに小川和佑先生のゼミナールで学んだ後輩のM君からメールが入っていた。
 M君は国語の教師で、国語教育の実践を論文にまとめていて、今回は詩の創作指導をソネットで行い、そのモデルとして立原道造の「はじめてのものに」を使うそうなのだが、それで、〈注〉や〈参考文献〉の取り扱いで、今では入手困難な初出の表記の確認はどうすればいいのかということと、〈底本〉には何を使ったらいいのかという質問だった。
 彼は大学での専攻は近世だったので、近代文学の研究について教えてくださいということだった。昼間はソフトボールの練習で、久しぶりに若い人たち(それもまだ大学を卒業したばかりやまだ一年生の子もいて)が多く参加したこともあり、当初予定より時間も延長し、五十の人間には結構ハードな練習をし、そのまま市民センターの会議室で総会をたっぷり2時間かけて行い、その後居酒屋に飲みに行った。そして帰ってきて、そのメールを読み、野球の練習着のまま着替えもせず、風呂にも入らずに、長い返信を書いた。
 スポーツの世界からいきなり文学の世界へ。やっぱり文学に飢えているのか。僕だって本当の専門家ではないので、改めて調べながら、一所懸命返信を書いた。結局、返信のメールを送信したのは日付を跨いでいた。
 しかし、近代文学の研究方法のこと、立原道造のこと、改めて僕自身にとっても勉強になった。それで、ずっと気にかかっている懸案がまた浮上したわけだ。

 それは、ホームページ「西向の山」にアップしている「軽井沢文学散歩」の「信濃追分編」の続きである。昨年8月10日に堀辰雄文学記念館のところまで制作したのだが、その後、信濃追分の一番のメインである旧脇本陣の油屋旅館と分去れの常夜燈や石碑群がまだ未完成なのだ。未完成というより、まだ手が付けられていないのだ。
 M君から立原道造のこと、小川和佑先生のこと、いろいろ思い出させてくれたので、夏から止まっている作業を再開しようと思う。いきなりホームページに完成版をアップしようとすると、なかなか手が付けられないので、次回からこのブログにその素材となる写真や文章をまずはメモのような形でアップしようと思う。平成最後の「仕事」として、信濃追分文学散歩は完成させておきたいので。

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2018年12月28日 (金)

歌舞伎の世界展

歌舞伎の世界展
西武池袋本店・7階(南)催事場に来ています。

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2018年12月 4日 (火)

12月の暖かい夜

風呂上がりに
夜の庭
出てみたら
夏の終わりの匂いがする
もう師走だというのに

(全国366地点で12月の最高気温を観測
一部では史上初の師走の夏日を記録)

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2018年11月25日 (日)

四十八年目の憂国忌に

 おはようございます。朝からブログを書くのは久しぶりです。
 本日はもちろん、三島由紀夫・森田必勝両烈士の義挙記念日であります。あれからもう四十八年です。この日を僕は一番大切にしていました。遺憾ながら、過去形です。いや、むろん今も大切にしていることには変わりはないのですが……。
 一昨日はこれも大切な日で、新嘗祭の日でした。この三日間、今年は金・土・日で、久しぶりに三連休を取りました。しかし、「新嘗を祝ふ集ひ」に出席するためでも、「憂国忌」に出席するためでもありませんでした。
 ソフトボールの大会に行くためでした。今年最後の大きな大会で、地区大会ではなく東京都の大会ですが、それゆえ、本来ならもういいおじさんの僕などが出る幕ではないのですが、若手のサポートのつもりで待機していました。
 祭日ではあっても日曜ではない一昨日は、メンバーの集まりが厳しく、守備だけのFPでしたが、レフトでフル出場しました。結果は、最後一点差まで詰め寄りましたが負けました。そんなわけで、今日は試合はなく、練習のみですが、今日もこれから地元のグラウンドに行きます。
 ジャン=ジャック・ルソーの『孤独な散歩者の夢想』を読みはじめたり、『戦後詩大系』や大手拓次、三好達治、谷川俊太郎の詩集を読み返したり、昨日も急に思い立ってヘミングウェイの最初の短編集『われらの時代(IN OUR TIME)』を再読し始めたりしてはいますが、まあ言ってみればそれまでで、三島さん・森田さん自決の日に、何とも情けない限りです。

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2018年11月24日 (土)

ルソーの『孤独な散歩者の夢想』を読みはじめる

 ジャン=ジャック・ルソーの『孤独な散歩者の夢想』を読みはじめた。こんな世界的な古典の名著を五十五歳になって初めて読むのである。
 娘の部屋にあったのだ。青柳瑞穂氏訳の新潮文庫が。それを見つけて、ちょっと手に取ってみて、これは今読むべきものだと直観したのだった。それは正しかった。まったくの偶然で、たまたまに過ぎないのだが、本の方から必然的に目の前に現れたような幸運な出会いというものがある。読書の醍醐味であるが、そうした出会い方で出会えたときというのは、不思議なことにいつも間違いなく、何ものかをもたらす質の高い読書になるのである。
 十五歳の夏に、これもたまたまタイトルに惹かれて読んだ二冊の本がきっかけとなり、突然読書に目覚めた。以降、中学の終わりから高校時代にかけて、僕のバイブルになったのが新潮文庫の解説目録である。(岩波文庫や講談社学術文庫、社会思想社の現代教養文庫などに目が向くようになったのはもう少しあとで、高校の終わりころからである)。
 今でも持っているのだが、一九七八年版の新潮文庫の解説目録は、ほとんど〝愛読書〟といってもよく、読むべき本にその重要度に応じて☆だの◎だの○だのといくつかの記号を使い分けて印をつけ、読了すると蛍光ペンでマーキングしていた。
 そのリストに、当然のことながらジャン=ジャック・ルソーの『孤独な散歩者の夢想』も含まれていた。当時の認識では、ルソーといえば、トマス・ホッブズやジョン・ロックなどと並ぶ、哲学や思想といってもどちらかというと政治学的、社会学的な方面の哲学者、思想家という認識しかなく、いや、十五歳のときはそれすらなく、(そういう認識を得るのは高校で世界史や政治経済の教科書でその名前に接してからであろう)、おそらくこれもまたそのタイトルとほんの短い解説文に惹かれて印をつけていたのであろう。
 しかし、四十年間、実際に手に取って読むことなく今日に至ってしまったわけだが、これはむしろ正解だったかもしれない。
 この書のタイトルはフランス語の原題そのままで、付け足しも省略もないが、より内容に即した恣意的なタイトルをつけるとするなら『年老いた孤独な散歩者の夢想』とでもすべきものである。〈孤独な散歩者〉というところに魅力を感じたわけで、それに〈年老いた〉とか〈老年の〉とかあるいは〈中年過ぎの〉とかいった形容詞がついていたらどうだったであろう。
 四十年間読まずにいたわけだが、むしろ良かったと思う。この書は、五十歳を過ぎて読まないと、実感としては理解できないであろうから。

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2018年11月16日 (金)

『戦後詩大系』全四巻(本体&函および月報)

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