2020年2月15日 (土)

玉川碑の梅が満開

 今度は妻とではなく母と散歩に行きました。まずは小田急線の狛江駅へ。駅ビルの喫茶店でランチして、駅近くの泉龍寺弁財天池の周辺を散策。
 それから狛江市立古民家園(通称「むいから民家園」)を見学して、西河原公園へは寄らずに、水神様から多摩川の五本松のところの河原だけ覗き、玉川碑(多摩川の万葉歌碑)へ。紅白の梅が満開でした。

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 桜もいいですが、梅は香りがいいですね。ほのかに匂うというようなものではなく、相当にいい香りが周辺に漂っていました。

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2020年2月 8日 (土)

つげ義春「散歩の日々」の野川をめぐって

 鉄は熱いうちに打てというわけで、感興が冷めぬうちに、1月29日から2月4日にかけてこのブログに書いた「『散歩の日々』の祇園寺~虎狛神社へ」を大幅に増補のうえ再構成して、まずは2月6日に、
つげ義春「散歩の日々」の野川をめぐって(その一)-國領神社~野川~祇園寺」、
 そして本日さきほど、
つげ義春「散歩の日々」の野川をめぐって(その二)-佐須神明宮~虎狛神社~野川」を
『西向の山』サイト本編にアップしました。
 長年地元に住んでいて今更ながらですが、よく晴れた暖かい冬の日の散歩を記憶にとどめておきたいと思った次第です。

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2020年2月 4日 (火)

『散歩の日々』の祇園寺~虎狛神社へ(4)

 さて、祇園寺通りから佐須街道に入り、三鷹通りを越えて、武蔵野市場の方へ進みます。佐須街道の南側、野川を渡る少し手前(東側)に、虎狛(こはく)神社があります。

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 崇峻天皇2年(西暦589年)8月に、大歳御祖神(オオトシミノヤノカミ)を勧請して創建されたという非常に古い由緒ある神社です。といっても地元のみぞ知るマイナーな神社です。大歳御祖神は農業の神様で、のちに穀物の神様である倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)が合祀されています。

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 つげ義春の「散歩の日々」に即していえば、祇園寺にしても虎狛神社にしても、ヒントにしたモデルではあっても、作中の絵は実際とは異なっています。おそらく意図的に構図や配置を変えているのだと思われます。虎狛神社のカットも鳥居や常夜燈、門柱の配置も縮尺も異なります。
 いやまあ、そんなことはどうでもいいので、

  神社では、労務者風の
  男が博奕をしていた。

  地面に線をひき、
  銭を投げ、その線に
  近い者が勝ちで、線を
  越えると失格のようだ。

 という雰囲気は、現在でも濃厚にあります。

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 実は、1月29日に一人で来た時に、二本の謎の線を引いておいたのです。誰かがそれを見つけて、「あっ、こらだ!」とびっくりする人がいたら、それは間違いなくつげ義春ファンですね。
 その三日後の2月1日に妻と散歩しにきたら、その線は残っていました。「あっ、これは!」とびっくりしたのは、つまり自作自演なんですが、妻と実際にこの遊びをしてみました。やってみると意外に難しいものでした。二勝二敗ということにしておきました。
 その線は残しておきました。誰か感動してくれないかしら?

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 神社の裏手は真冬でもこんなに樹々が鬱蒼と茂っています。あまり武蔵野ぽっくない木も生えています。

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 佐須街道の又住橋からの野川の眺め。向こうに跨っているのは中央フリーウェイです。左に見えるのが武蔵野市場。こうして再び野川に出て、土手の道を下流に向かって柴崎、国領方面に戻ります。

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2020年2月 1日 (土)

『散歩の日々』の祇園寺~虎狛神社へ(3)

 今日もよく晴れて、二月に入ったとは思えないような温かさでしたので、つげ義春の「散歩の日々」の散歩コースを辿ってきました。今回は妻も一緒です。もちろん藤原マキさんでも「モモちゃん」でもありませんが、雰囲気は似ているかも?
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 今日は国領神社には寄りませんので、品川通りから野川の道へ。京王線をくぐり、甲州街道の柴崎と国領の間ぐらい、調布警察署があるあたりにかかる馬橋から見た野川です。緑の網は「柴崎バッティングセンター」です。最近はあまり行っていませんね。今日は土曜なので少年たちでいっぱい。
 なかなか虎狛神社に辿り着けないのですが、祇園寺をもう一度デジカメで撮ってきました。Dscn4354_360
 境内入口の右左に安置された石仏。ちょっと大陸っぽい雰囲気ですね。

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 (伝)板垣退助植樹の松
 明治42年9月12日、祇園寺で当時住職だった中西悟玄によって、秩父事件など自由民権運動の犠牲者を弔う追悼集会が開かれたそうです。それに参列した「板垣死すとも、自由は死なず」の板垣退助が記念に植樹したと伝えられるアカマツです。

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 向かい側の佐須神明宮もデジカメで改めて。
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 その裏手の畑に流れる用水路です。
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(つづく)

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2020年1月31日 (金)

『散歩の日々』の祇園寺~虎狛神社へ(2)

 実のところ、この「散歩の日々」のG寺は、あくまでもG寺であり、深大寺でも祇園寺でもなく、実際マンガに描かれたお寺のカットはどちらでもありません。
 ただ、構図こそ違え、祇園寺境内の本堂に向かって右手にある「閻魔堂」によく似た御堂が右側に描かれています。まあ、モデルとしてはやはり祇園寺でしょう。「J」ではなく「G」だし。

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 祇園寺の向かい側(東側)に佐須神明宮があります。この一角だけは令和になった現在でも武蔵野の雑木林の風情を残しています。
 狐か狸が出てきそうですが、実際、調布・三鷹・小金井あたりから西の多摩地区には狸がけっこういて、夜中急に道路を横切ったりしてびっくりさせられます。民家の垣根から覗いている狸と目が遭ったこともあります。

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 左奥にちらっと見える畑をめぐって細い用水路が流れています。この近辺では信じられないようなきれいな水が流れていて、何年か前の夏に来たとき、おそらく天然と思われるヌマエビがいて感動しました。たしかメダカもいました。それも養殖品種のヒメダカではなく、天然もののいわゆる黒メダカが。
 昔は天然のメダカなんか日本全国どこでも見られたのですが、今では激減しています。しかしそのメダカよりさらにヌマエビは汚染に弱く、農薬などが流入するとメダカよりも先に死滅してしまうそうです。つまり、ヌマエビがいるということは相当にきれいな証拠なのでした。

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 佐須神明宮の解説は上記案内板をご参照ください。(クリックすると拡大されます)
 祇園寺通りは柏野小学校正門のところで佐須街道にぶつかります。それを西側に左折し、三鷹通りを越えて、武蔵野市場の方へ行くと虎狛(こはく)神社に出ます。例の三百円をスル所ですね。

(つづく)

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2020年1月29日 (水)

『散歩の日々』の祇園寺~虎狛神社へ(1)

 つげ義春の「散歩の日々」(『COMIC ばく』創刊号・昭和59年6月)を真似て、三百円だけポケットに入れて散歩に出ました。
 昨日は未明から雪まじりの雨で、一日を通じて冷たい雨が降り続け、深夜には風も強くなり荒れた天候でしたが、今日は一転、19℃近くまで気温が上がり四月中旬並みの陽気。ということで、午後からウォーキングを兼ねて散歩に出たのでした。
 まずは国領神社へ。近頃では「千年乃藤」で少しは知られるようになりましたが、地元の小さな神社です。ここへは用事があって来ました。つげ漫画とは関係ありません。

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 参拝し、社務所へ。氏子の世話人のひとりになっているので、節分祭の福豆の申込みを取りまとめて持ってきたのでした。
 国領神社は甲州街道の新道(国道20号線)に面していますが、その甲州街道を北側に渡ると調布市立八雲台小学校があり、その東側から北の方へ同柏野小学校まで続いている道が祇園寺通りです。

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 祇園寺通りの野川の橋を渡ります。上が上流(三鷹方面)、下が下流(世田谷方面)を望んだ図です。
 今はもちろん冬枯れていますが、季節には見事な桜並木になります。三月下旬か四月の頭に抜き打ちにライトアップのイベントが行われますが、この辺りがその中心(だったか折り返し点だったか)になります。

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 つげ義春の「散歩の日々」で、

  昨日はG寺までちょっと
  遠回りして、野川に沿って
  往復七キロも歩いてきた。

 というG寺ですが、東京調布市でG寺といえば誰もが深大寺を思い浮かべると思いますが、このG寺は祇園寺ではないかと思われます。
 湧き水を飲んだという描写や地理的には深大寺でもいいのですが、真冬の平日でも常に一人や二人は参拝者がおり、門前には有名な「深大寺そば」の店やみやげ物屋が何軒も並んで営業していて、この作品の主人公が行きそうな場所としては規模が大きくメジャーすぎる感があります。

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 天台宗のお寺。虎狛山 日光院 祇園寺。
 作者その人を思わせる主人公が、G寺の湧き水を飲み、ついでに参拝し、「どうかお金が儲かりますように」などと祈るのですが、「しかもお賽銭を上げなかったのだから虫がよすぎたかな……」と「ふっ ふふ ふ」と思い出し笑いなどします。そのG寺です。

(※この稿、散歩しながらスマホで撮ってきた写真も含めて再編集します。今日はここまで)

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2020年1月26日 (日)

ソフトボール・チームの総会&新年会

 今日は未明から雨になり、7時半の時点でも降っていたので、健全育成の小学生ソフトボールの練習は中止にしました。
 土曜日は例によって仕事を早めに切り上げて、退社したのが午前2時45分。それから家に帰り、風呂に入ったりして寝たのが4時すぎ。日曜の雨は本当は恨めしいのですが、今日の雨天中止は正直言ってほっとしました。中止の連絡を入れてもうひと眠り。
 雨は上がりましたが、グラウンドが使い物にならないので、自分たち(大人)のチームの練習も中止に。しかし今日は、午後3時からチームの定期総会と新年会があります。
 今日は女房が入っている女子チームも新年会ですが、こちらは朝(いつもの練習時間から)総会をして、新年会はみな主婦なのでランチです。もう帰ってきました。そして居眠り……。

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忍者ホームページのサーバーがダウン

 ちょっと前にアクセスしようとして初めて気づいたのですが、僕が作っている文芸サイト「西向の山」の予備用と「短説の会公式サイト」で使っている『忍者ホームページ』がアクセス不能になっていますね。
「このページは動作していません」
 という初めて見たかもしれないような警告が出ました。
「aikotoba.jp」ドメインだけのことなのか、忍者ホームページすべてなのか不明ですが、「NINJA TOOLA」の管理ページも「このサイトにアクセスできません」になってしまいます。ということは、サーバー自体がダウンしているわけですよね。
 しかしそれが、数時間前からならば一時的なダウンとも考えられますが、もし数日前からとなると、もしかして深刻な事態が発生しているのか?
 4日前の22日にはアクセスできていたような気がしますが、それ以降は不明。どうなっているのだろう。

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2020年1月 8日 (水)

令和2年(2020)に『地獄の黙示録』を見て

 映画『地獄の黙示録』を見た。今さっきの話である。NHKのBSプレミアムで。言わずと知れたベトナム戦争を素材にしたフランシス・フォード・コッポラ監督の戦争映画の傑作(というか怪作といった方がいいかもしれない)である。
 その〈REDUX〉版。すなわち、2001年に53分間の未公開シーンが追加された『地獄の黙示録 特別完全版』である。もちろんこれは邦題で、原題は“Apocalypse Now”の〈Redux〉である。
 北米で初公開されたのは1979年の奇しくも8月15日。日本では昭和55年(1980)2月23日に公開された。僕が最初に見たのはそのロードショーであるから、17歳になる少し前で、高校1年から2年になる前の春休みである。
 昭和54年から55年といえば、僕が生涯のなかで最もへんてこりんな時期で、一番ぶっ飛んでいたころでもあり、何よりも暇さえあればギターを抱えていて、変な詩を書いては、曲作りとバンド活動に熱中していたころだ。
 当時の高校生はハード・ロックに夢中で、少し変わったところではプログレ派があり、一方ではフォーク派もいたのだが、世にはすでにパンク・ロックも出現していたころだ。僕はパンク系ではストラングラーズにはまっていたが、一番好きだったのは、当時少し廃れた感のあった60年代のロックであった。すなわち第一にビートルズがきて、第二にローリング・ストーンズがきて、キンクス、ザ・フーなどなど、そしてアメリカのバンドでは、なんといってもドアーズが大好きであった。その流れでストラングラーズというわけであるのだが、そしてこの映画、ドアーズの「ジ・エンド」が大々的にフューチャーされていて、「ジ・エンド」で始まり「ジ・エンド」で終わるわけで、すでにその前年の16歳のときにこの曲に衝撃を受けていた僕としては、この映画を見逃すわけはないのであった。
 さらに、川をさかのぼる最初の方のシーンで、ラジオのリクエストという設定でローリング・ストーンズの「サティスファクション」がノリノリでかかり、慰問で来た「プレイメイト」のバニーガールのお姐さんが挑発的なダンスを踊るシーンでは「スージーQ」が
生バンドで演奏されるのである。それだけで大興奮である。
 もう一つ音楽が効果的に使われているのは、これはたしか映画の宣伝でも印象的に使われていたと思うが、ヘリコプター部隊が爆撃するシーンでかけるワグナーの「ワルキューレの騎行」であろう。これには、三島由紀夫がからんでくる。後年知ったところによれば、コッポラ監督の妻エレノアの回想録によると、コッポラは撮影中よく三島由紀夫の『豊饒の海』を手に取っては構想を膨らませたという。ここでも、またしてもミシマである。
 今見ると、「ワルキューレの騎行」をオープンリールでけるあたりが時代を感じさせるわけだが、この映画では音楽や文学作品がいたるところで細かくメタファーに使われている。
 高校生の時、映画館の大スクリーンで見て、その映像の迫力に圧倒され、これは問題作だとは思ったが、正直に言えば、よく分からなかった、というのが素直な感想である。そりゃあそうだろう、ベトナム戦争のことなどよく知らないのだから。それでも、まだ僕ぐらいの年代までは、ベトナム戦というものがすぐ近くで起こっていたということぐらいは知っていた。しかもその雰囲気を多少なりとも“肌で”感じていたおそらく最後の世代であろう。
 以来、テレビでやるたびに、たぶんすべて見ていると思う。調べてみると、以下の通り。
・日本テレビ『水曜ロードショー』1982年3月31日
・テレビ朝日『日曜洋画劇場』1984年6月3日
・テレビ東京『木曜洋画劇場』1989年4月6日
 見るたびに、少しは分かった気になるが、本当に理解しているのかモヤモヤ感はなお残っていた。今回の〈REDUX〉版(特別完全版)は初めて見たかもしれない。(今回放送されたものは、2015年8月14日と2016年4月1日にNHK-BSプレミアムで放映されたものの再放送であろう)。日本初公開から40年、16歳の少年も56歳のオジサンになった。なんだかやっと少しはクリアになったような気がした。しかし、これは壮大な深刻ぶった「マンガ」のような気がしないでもない。
 だが、それにしてもだ。21世紀も20年近く過ぎた2020年になった現在でも、アメリカは(いやアメリカだけでなく)これと同じようなことを中東でやっているという驚愕の事実! そして、もはや日本も対岸の火事ではないのである。
 空爆って、空襲を受けた側からすれば、どう考えたって、ありえねぇだろうに、それが今この現在でも行われているというのはもう悪夢としか言いようがないし、狂気そのものだ。それがカーサ大佐が最後に呟く「恐怖」ということなのだが、文学的修辞ということでは済まされないことなのである。……

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2020年1月 5日 (日)

年賀状

 やっと年賀状を書きました。
 今年はもうデザインは既成のものを利用しました。が、一人一人(一枚一枚)コメントは手書きしました。宛名も久しぶりに手書き。水に強いインクを手に入れたので、ボールペンやサインペンなどではなく万年筆で書きました。
 宛名はセーラー万年筆の顔料インク「極黒」、コメントはプラチナ万年筆の「クラシックインク」のフォレスト・ブラックを使用。後者は年月とともに色が変わっていく(酸化して黒ずんでいく)そうです。

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