2009年12月22日 (火)

鈍化現象

 ハンス・カロッサや堀辰雄の『幼年時代』をあげるまでもなく、多くの作家がその幼年から少年時代の思い出を書き残している。若年のころの記憶(実際の体験というよりは脳裏に刻み込まれた原風景)は、その人生に決定的な影響なり影なりを与えるであろうから、ものを書く人間なら誰しも書き留めておきたくなるものなのだろう。
 ただしそれは、実際の体験を忠実に再現したいという場合もあるかもしれないが、幼年から少年時代特有のある甘やかな、一種の見果てぬ夢みたいなものを加味したり、自己の体験として直接的にではなく、虚構の中で登場人物に仮託してひそかに書き留めておくという場合もあるだろうし、あるいはもっと文学作品として実験的な試みを試す方法である場合もあるだろう。が、いずれにしろ、書かずにはいられないモチーフであるだろう。
 あの、幼年から少年時代のほろ苦くしかし妙に甘やかな空気というものは一体なんだろう。おそらくそれは観念が勝る以前の、直接五感に刺激を感じたまさに官能的な体験であるからであろう。
 ところが、そうした記憶を折に触れて思い出したり、幼年・少年時代を切なくも甘く感傷的に反芻するのも、せいぜい二十代のなかばか終わりごろまでで、四十五も過ぎれば、もはやどうでもよくなってします。昔の友人や昔を知る人に会うと、今でも多少は恥ずかしいことでも、もはや苦笑の領域でしかない。
 それは、年とともに感受性が磨滅したためだろうか。それとも、それが大人になるということだろうか。どちらにしても、かつて“その頃”にはそうなるのを強烈に拒否し、そういう人間を最大限に否定していたのに。
 なぜこんなことを思ったかというと、前回書いた新宿の地下特設催事場での古本市で、105円だったので壇一雄の『わが青春の秘密』を“ついでに”購入していたのだが、それを今日読み始めたからだ。今年後半はまったく本が読めないでいた。今も集中して読めず、飯島耕一の『萩原朔太郎』、大谷晃一『評伝 梶井基次郎』、富士正晴『贋・久坂葉子伝』などをチャンポンで読みながら、今日の気分はこちらだったのだ。
 収録作品の初出はわからないが、昭和51年4月新潮社刊の初版本。奥付の裏のページには、壇一雄遺作長編!『火宅の人』本年度読売文学賞受賞の広告が載っている。没後三ヶ月後の出版である。享年は六十三歳。
 つまり何が言いたいかというと、若いころの未刊行作を本にしたというのではどうもなく、比較的晩年の作品なのだろう。まだ最初の章を読んだだけなのだが、よくもこんなにつぶさに幼年時代を思い出せる、そして書こうと思うものだと正直羨ましくなったのだった。もちろん、雑誌社からそういう依頼があったのだろうし、職業作家としてその注文に応えただけなのかもしれないが。あるいは、六十前後になったら、また違うものなのか。
 幼年時代はおろか、少年時代も何か遠いものになってしまっている。もっとも多感だった十五から十八。自分の子供が、今まさにその年代になったのに、(うちの子供が二人とも全然ませていなく年よりも幼い感じがあるせいかもしれないが)、今大変な時期にあるという思いにも至らず、何か大切なものを失ってしまっているという思いに駆られるのだ。もっと悪いことには、しかし、それを切実には感じていないという、まさに精神の鈍化!

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2009年12月 9日 (水)

実に久しぶりにノートに万年筆で書く

 先日、久しぶりに定時で職場を上がり、早く帰宅できると思ったのだが、新宿の乗り換えで連絡通路を通らずにたまたま別のルートを使ったら、地下街の特設催事場で古本市をやっており、ちょっと覗くつもりが二時間近くも道草を食ってしまった。
 その折購ったうちの一冊を読み始めた。今日も定時で上がれたのだが、人身事故で電車が遅れたり、寝過して先の駅から引き返してきたりでそれ程早い帰宅ではなくなってしまったのだが、それでも早い方で、しかし逆に早いがために娘にパソコンを占領されていたので、久しぶりに二階の自室(これが普通の二階ではなく、一度勝手口から外に出て外階段で行かなくてはならない)に籠って本を読み始めたのだった。
 その本とは、飯島耕一の『萩原朔太郎』(昭和50年・角川書店刊)。本の内容とは関係なく、久しぶりに詩人論を読んでいると、やはり小川和佑先生に思いが行き、そしてやっぱり文学っていいなあという思いに駆られた。そして、思いはまた戻るのだ。どうして、それだけに浸っていられないのか――。

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2009年11月 9日 (月)

〈短説の会〉公式サイト移転

 11月5日から6日にかけて、〈短説の会〉公式サイトのサーバーとして、Lycos Japan/Tripodから引き続き利用してきたinfoseek/iswebのホームページの仕様が変わり(最上部に余計な検索バーが追加された)、Internet Explorer 8で閲覧すると、レイアウトがとんでもなく崩れることになりました。Firefoxではこの現象は見られませんが、当サイトに限ったことではないようです。
 それで、急遽サーバーを乗り換えました。当面は併存させますのでどちらでも構いませんが、レイアウトが崩れるようなら、↓でご覧ください。
〈短説の会〉Official Web Site
移転先URL:http://tansetsu.aikotoba.jp/

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2009年11月 1日 (日)

短説:作品「待って」(川嶋杏子)

   待って
 
            
川嶋 杏子
 
「また来ておくれ」
 ばあちゃんは何回もそう言っていた。次の
日から毎日道の方を見ていた。
 あのお姉さんはもう来ない。僕は思ってい
た。僕の母さんのように。もう決してあの知
らないお姉さんはここへは来ない。お姉さん
はやがてお嫁に行き、男の子を産んでよその
男と駆け落ちする。僕の母さんのように。
 母さんはやがてばあちゃんのようになる。
 黙って炊事をし、しゃがんで洗濯をし、庭
先へ出ては通る人を呼び止める。
 誰が来ても同じ話を、今日もあしたも同じ
話を、やがて誰も居なくなっても話し続ける。
 風に向かって。音に向かって。
 僕は母さんの事をあまり憶えていない。僕
はこのままでいい。
 ばあちゃんは言っている。
 誰にも人生は有るのだよ。誰の人生もそう
変わりはしない。ブラスマイナスゼロだよと。
 始めは身の上話だった。話の中身はだんだ
ん変わって行った。でも誰の人生も同じって、
本当にそう思っているかどうかは分からない。
 僕はやがて大人になって街へ出て行く。
 僕はもっと大人になってばあちゃんの所へ
帰って来る。そして僕は考え続ける。
 誰か女を不幸にしなかったかと。
 ばあちやんはもう待つこと自体が生活にな
って、自分が何の為に庭先から道を見ている
のか分からない。でも僕にはその方がよかっ
た。来ない人を待つのは辛かろうから。
 お姉さんは気まぐれに寄っただけ。通りが
かりに、ただ話しかけられたから。
 でも時々思う。またあのおばあさんと話し
たい。また行きたいと思っているかもしれな
い。けれどそれは多分お姉さんが不幸だから。
 お姉さんはもうここへ来なくていい。

〔発表:平成17年(2005)7月上尾座会/初出:「短説」2005年10月号/WEB版初公開(追悼)〕
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2009年10月21日 (水)

「短説」休刊のお知らせ

(遅ればせながら、重大な発表をブログにもアップします)
 
■雑誌としての体裁を整えた月刊『短説』は、昭和62年(1987)2月に行われた座会の「作品綴り」を冊子にまとめ、3月号と表示したのに始まります。その際、第1回から17回までの座会の各「作品綴り」と、それとは別に発行した季刊『短説』2冊をあわせて、通巻20号としました。以後月刊化したのが今日の月刊『短説』でした。
■以来、22年間、発行が大幅に遅れたり、合併号になることはあっても、休むことなく発行し続けてきました。その時々に応じて、同人の何人かが編集や校正に加わったり、平成15年の7月号以降は数人の同人による編集担当制度を導入してきましたが、発刊以来常に最終的な編集作業は芦原修二氏の双肩にかかっていました。それどころか、発送等の雑務まで一手に。
■その限界についに突き当りました。芦原修二氏の健康上の問題です。平成21年7月21日付けで、芦原修二氏より全会員に向けて、短説の会として印刷物制作の中止が発表されました。現時点で月刊『短説』は、平成21年3月号(通巻281号)でその発行がストップしています。(4月号はゲラ刷りまで完成。6月号の年鑑特集号も編集作業は進んでいましたが……)
■しかし、もともと月刊『短説』は、座会(それも東京座会)の「作品綴り」でした。各人から提出されるB5版一枚一枚の束。それに三位選と座会要約。たとえ雑誌の形はしていなくとも、現在も存続している各座会の毎月の「作品綴り」がある限り、それで良しとも考えられます。時代も変わり、現在ではインターネットというツールもあります。むしろ原点に戻ったと思えば。

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2009年10月 3日 (土)

川嶋杏子さんご逝去

 人は誰もが死ぬ。そしてその日はいつ来るかわからない。それが明日であってもおかしくはないのだ。そうは理解していても、死はいつでも突然だ。
 ショックで、言葉がありません。芦原さんも「慟哭と言うべきでしょうか」と嘆く。
 十月一日の夜、短説の会代表の芦原修二氏より、件名に「訃報」とただ二文字あるメールが届きました。それを以下にそのまま転載させていただきます。
--------------------
上尾座会川嶋杏子様のこと
 
 上尾座会の宮禮子様より本日朝、速達をいただきました。
 上尾座会の同人川嶋杏子様の訃報を伝えるお手紙でした。お手紙の内容をそのまま転記し皆様にお知らせいたします。
 
前略 ごめんください
突然このようなお手紙をさしあげますのは私たちにとって悲しく悔しく残念なことでございます
 川嶋杏子(川嶋文代)さんが九月二十四日
      お亡くなりになりました
 昨二十九日 告別式でした
 故人のご遺志だそうでして無宗教の式でした 音楽とお花でお見送りいたしました
九月の連休の終わりの日に村上さんより電話がありました 川嶋さんのお嬢さんから
「しばらく休みます」と電話があったそうです
「ゆっくり休んでまた出席して下さるといいわね」
二人で案じつつ一縷の望みを託しました
その翌日の夜の訃報でした
昨年の夏手術を受けられたようですが くわしいことはお話しになりませんでした
  ただスリムな体型がますます痩せられるのを皆で案じて居りました
六月の座会が最後でした
きっとまだ書いておきたいことがあったはずよと誰からともなく出ました
それを秘めたまま 逝ってしまわれたことが 私たちにとって残念でなりません
葬儀の日程や場所の連絡をいただくのに少し手間どりまして先生へのご連絡が報告になってしまいましたこと お詫びいたします
  九月三十日         上尾座会 宮禮子
 芦原修二 先生
 
 以上の通りです。まことに残念です。私もご葬儀には参列したいと思いましたが事情を理解し、納得いたしました。川嶋さんの近作にはまことに心打たれるものがあって、傑作ぞろいと感じておりました。折から私も体調をこわしておりまして、生前お目にかかれるチャンスを逃しておりましたこと、本当に申しわけなく残念に思います。
 ご冥福を心からお祈りもうしあげます。
 
 ここで6月の上尾座会に出されていた川嶋さんの最後の作品をご紹介します。
 
   
 
             川嶋 杏子
 
 むつき、きさらぎ、やよい、うづき、さつ
き、みなつき、ふみつき、はつき、せふてん
ばー、のべんばー……
 海には鍵がかかっていた。有刺鉄線の向こ
うは防風林だ。昔、この防風林で友人を見失
った。男性だった。恋人だったかもしれない。
それきり彼は見つからない。防風林は結構深
く、なかなか海辺へ辿りつけない。
 波の音だけが聞える丈の低い松林。ふと気
づいた。彼を見失ったのではない。ここで、
彼と別れたのだ。
 何故だったろう。親が反対したか。どちら
かが不実を働いたか。一方的にふられたのだ
ったか。最後が一番当たっているように思え
た。何年か経ち彼を訪ねた時、彼はすでに結
婚していた。
 昔貰ったラブレターを思い出す。
「一生妻と思うって言ったじゃない」でもそ
れはおかしい。もし恋して結婚するなら、そ
んな書き方はしない。妻と思うも何も「妻」
なのだから。結婚出来なくても、という意味
だったのか。それは男の逃げ口上か、或いは
本当のロマンであったか。
 こんなふうに、思いも記憶もささらほさら
になってしまっては。もう生きている価値も
無いような気になる。
 宣告されたわけでもなかったけれど、「も
う死ぬから」と会いに行けばいいのか。
 昔会いに行った時、彼にはもう子が生まれ
ていた。女の子で、彼の名の一字をとった名
で呼ばれていた。
 彼の名が思い出せない。この酸素マスク、
はずしてちょうだい。
 最後に貰ったラブレターは、最後の方が英
語になってしまって意味が分からなかった…
おくとーバー、でぃせんばー……
 
 
 以上です。最後の作品を読んでの感想をきいていただきたかった。私はその月の座会が休みで、お目にかかれなかったのはまことに残念。しかしこの作品、記憶の彼方へ行方不明にになっていく人生の思い出が、ユーモアと重ねて見事に描き出されていて、なんとも見事なものです。川嶋さん、貴女の人生「じつにすばらしいものでしたね」……私どもは心がけて、御作品の集成を試み、発行したいと考えています。いましばらく時間をください。
   芦原 修二 拝

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2009年9月22日 (火)

ビートルズとソフトボール

 09.09.09から二週間、平均すれば一日一枚のペースで新たに封を切り、BEATLESを聴きまくっている。
 十二歳の頃からもう何度も繰り返し繰り返し聴いてきた音源だが、ヘッドホンを大音量にして聴くと、今まで聴いたことがないような音まで聴こえてくる。本当に、それさえあればいいという気分になってくる。
 世間では19日から五連休。僕は土曜は休みではないが、それでも四連休。シルバーウイークだか何だか知らないが、どこにも出かけず、家ではただひたすらビートルズ三昧。
 あとは野球とソフトボール。20日は軟式野球の秋季大会三回戦に、ソフトの練習。今日もソフトの遠征での合同練習。明日もソフトのPTA大会の応援。この連休は僕にとってはソフトボール・ウイークだ。
 ビートルズが聴けて、ソフトボール・野球が毎週出来れば、それで幸せ、というのが僕の現状だ。しかし、ビートルズを聴いていると、僕のもうひとつの原点を思い出さずにはいられなくなってくる……。

 創作……

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2009年9月11日 (金)

他には何もいらない

ちょっといいヘッドホンを買った。
これでBEATLES三昧だ。
それだけで幸せって感じ。

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2009年9月 9日 (水)

半年ぶりに

 長い沈黙を破るには今日しかないだろう。THE BEATLESの公式アルバムのデジタル・リマスター版BOXセットが全世界同時発売された。
 そのカウントダウンはテレビでも報道されるほどだったらしいが、僕は当然の如く予約注文し、今か今かと待っていたのだが、発売前日に届いた。前日に届いていいのかと思ったが、考えてみれば、そうでなければ、9月9日午前零時に手にすることはできないのだ。
 マニアとしては当然「モノ・ボックス」をチョイスすべきなのだが、両方は同時に買えないので、迷った挙句、公式楽曲全213曲(217テイク)が網羅されたステレオ版を購入した。
 リマスターされてもやはり初期のものはモノ・ミックスの方が断然いい。音が一つの塊となって迫ってくるから。ただステレオは、個々の楽器の音が聞き分けやすいという利点はあるが。

 それはそうと、たしかに今日は記念すべき日ではあるが、しかしそれと「長い沈黙を破る」こととどう関係するのだろうか。それは僕個人の極めてパーソナルな思いで、傍からはどうでもいいことなのだが、“あの時”もやはりビートルズのまさかの新曲“Free as a Bird”がリリースされた年だったのだ。
 しかし、あれから14年は、やはりちょっと長過ぎた……。

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2009年3月 3日 (火)

短説:作品「選考」(向山葉子)

   選 考
 
            
向山 葉子
 
 まだ予定時刻にはなってはいなかった。控
室のドアを開けると、少年たちの放つ水草の
ような匂いが流れ出てくる。
 彼は静かにドアを閉めると、一人一人に缶
ジュースを配って歩く。着古した背広姿の彼
を、多分だれも『その人』だとは気づいては
いない。彼の瞳は少しも騒がない。パイプ椅
子に腰かけて、時折菓子をすすめながら、穏
やかに少年たちの行動を見つめている。
 たとえほんの少しでも自分に自信がなけれ
ば、ここにはいないはずの少年たちなのだ。
その自身がどこから発するのか。写真だけで
はわからない。一人一人の空気を感じ取るひ
ととき。彼はこの時間が一番好きだった。
 時刻になった。係員がドアを開けて入って
くる。そして彼に一礼するとこう告げるのだ。
「この方が当事務所の社長です」と。一斉に
少年たちの表情が固くなる。
 そして彼は結果を告げる。「そっちのキミ
ね。あとの人はお帰りになっていいですよ」
 選んだ子は、待っている間もずっと怒った
ような顔をしていた。二重の切れ長の瞳の光
に力があった。その視線に出会うと、胸の辺
りから股間にかけて熱い疼きが走るのだった。
その表情は、彼の正体がわかっても変わらな
かった。
「キミ、ちょっと笑ってみてください」
「笑えません、今は」
「キミが笑うとね。きっとみんな、胸がきゅ
っとくると思うんですね。怒ったようなその
顔、いいですよ」
 少年は強い光を放つ黒々とした瞳で、彼を
見つめた。唇の形もいい。彼は思った。少し
厚ぼったいのが、南方の異国の少年のようで。
背があまり高すぎないのもいい。彼が強張っ
ている少年の背中を、すっと触った。


〔発表:平成13(2001)年3月・短説の会創立15周年記念全国大会(埼玉県嵐山町)「天」位入賞作品/初出:「短説」2001年4月号/再録:2001年7月号「月刊TOWNNET」通巻320号/西向の山」upload2002.11.30
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