2021年9月20日 (月)

小川和佑先生八回忌のご命日

本日はわれらが恩師小川和佑先生のご命日です。
あれから満七年。はや八回忌になります。
あの日一緒にお見舞いに行った娘も今度の誕生日で三十歳になります。
生後十ヶ月で連れて行った山中湖でのゼミ合宿は1992年の今頃でした。
著著目録の編集が滞っています。早急に再開させます。
先生、ゼミのみんなを見守りください。
(仕事中の車中より)

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2021年8月25日 (水)

チャーリー・ワッツさんが……!

昨日、ロンドンの病院で、チャーリー・ワッツさんがお亡くなりになったという!
とうとうそういう日々がやって来るのだ。
これから続々と。

僕なんかが生まれた年にレコード・デビューし、それから60年近くもの長きに渡って、あのザ・ローリング・ストーンズの屋台骨を支え続けた偉大なるロック・ドラマーに哀悼の意を表します。
一つ年上のリンゴ・スターは、「神のご加護を」とツイートしているようですが、僕は日本風に、心より
ご冥福をお祈り申し上げます。                                                     
合掌

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2021年7月28日 (水)

ソフトボール日本女子金メダル・13年越しの2連覇万歳!

 きのうは東京五輪・ソフトボール日本女子の優勝に大興奮でした。一夜明けたきょうも、まだ興奮冷めやらずという感じです。
 きょうは休みをとっていました。というのは、きのうの決勝戦のチケットが取れていたからです。そうです、本来なら横浜スタジアムで歓喜の瞬間に生で立ち会えたはずだったのです。なかなか取れないといわれた五輪チケットの抽選に当たって、お金を振り込んだのは2年前です。
 決勝は、アメリカでの放映時間に合わせて夜の8時プレイボールという、日本の常識では遅い時間。野球より試合が早く終わるソフトボールでも、決勝なのでそのあとの表彰式を含めれば11時頃になり、スタジアムからの退場や横浜から帰ってくることを考え、翌日も休みをとっていたのです。それが、無観客に……。
 北京五輪での、あの「上野の413球」から13年。オリンピック開会式に先立ち、日本勢の先陣を切って始まったソフトボール。7月21日からの「オープニングラウンド」(予選リーグ)5試合と、きのうの「ゴールドメダルマッチ」(決勝)の計6試合、この快挙までの各試合、ポイントがいくつもあり、いいプレイの連発で、控えを含めてみなが活躍しました。
 レベルは違いますが(そりゃあまあ、当然のことながら)、僕もソフトボールをもう20年以上やっていて、一般社会人の都大会出場の常連になり、僕がプレイヤーとして活躍したわけではありませんが、東京一にも三度なっているチームに所属している身としては、各試合のビッグ・プレイを一つひとつ挙げたい気もありますが、それは各メディアの報道に譲ります。
 
ソフトボールだけでなく、今回のこの「東京」オリンピックでの日本勢の活躍は目覚ましいものがありますね。いや、思うような結果が出せなかった選手もいるでしょうが、とにもかくにも、この未曽有のコロナ禍の中、オリンピックが開催されて良かったと思います。賛否ありましょうが、このような素晴らしい選手たちの姿を観ることができ、本当に開催されて良かったと思います。

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2021年7月 9日 (金)

温泉薬師瑠璃殿の芭蕉句碑と花柳章太郎供養碑

◆北向観音の芭蕉句碑
 北原白秋「春風の駒」歌碑の左となりに、芭蕉句碑があります。
 松尾芭蕉は日本のあちこちを旅し、その句碑は全国至る所にありますが、この句碑に刻まれた句をこちらで詠んだということではないようです。
(参照:同じ信州の「旧軽井沢の芭蕉句碑」/「追分宿浅間神社の芭蕉句碑」)

 この碑は、安永3年(1774)に建立されたもので、揮毫は門人四千人といわれる加舎白雄(かや・しらお/元文3年1738-寛政3年1791)
 俳人・加舎白雄は、地元・信濃国上田藩の江戸詰め藩士加舎忠兵衛吉亨の次男で、江戸深川の生まれ。天明8年(1788)に芭蕉百回忌句会を催しています。

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観音の いらか見やりつ はなの雲

 この句は、芭蕉43歳の貞亨3年(1686)、江戸深川の草庵で寝ころびながら詠まれたとも、病に伏せて床の中で詠んだ句とも伝えられています。したがって、「観音のいらか」とは本来は北向観音のことではなく、浅草観音(浅草寺)の大屋根(現在はチタン製の瓦)のことです。「はなの雲」はその高く聳えるいらかと競うように空に広がる満開の桜を現わしているのでしょう。
 芭蕉の『更科紀行』はその翌々年の貞亨5年からで、8月に善光寺からの帰途、坂本宿から追分宿に至る間に、上田宿も通過しています。だからまるで縁がないというわけではありません。

◆花柳章太郎供養碑
 白秋歌碑の右手奥、瑠璃殿向かって右側に、斜に構えるような感じで花柳章太郎氏の供養碑が建っています。花柳章太郎といわれても、私などは名前しか知りませんが、戦前から戦後、昭和40年に急死するまで活躍した新派を代表する女形です。「賞太郎」といわれるほどたくさんの賞を受賞した人間国宝。
 以前の案内板の写真を見たら、
「当山に健康祈願し
舞台に専念出来た」

 とありました。役者にとっては職業病である白粉中毒に悩まされていたそうです。なにしろ美貌が売りでしたので。別所温泉の温泉薬師に祈願し、湯治したわけですね。

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北向にかんのん在す 志ぐれかな 

 俳句もよくし、女形の肖像レリーフの脇に、こんな句も添えられています。これも白秋歌碑と同じ昭和37年の建立で、発起人代表のひとりに川口松太郎の名が刻まれています。
 北向観音ゆかりの『愛染カツラ』の作者である川口松太郎とは親しい交流があり、急死する二日前に出ていた舞台の夜の部(つまり最期の舞台)は、川口松太郎作の『寒菊寒牡丹』でした。今際の際まで舞台のことを案じていたということです。

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2021年7月 4日 (日)

北向観音の温泉薬師瑠璃殿と北原白秋歌碑

 信州上田の別所温泉紀行(平成30年4月11日)のつづきです。

 北向観音の本堂から愛染カツラの木を背に少し西側へ行くと、けっこう切り立った崖を背に温泉薬師を祀った瑠璃殿があります。
天台宗別格本山 北向観音・常楽寺』の公式サイトによると、
「寛保二年(1741)湯川の氾濫によって薬師堂は流され、寛保四年から湯本講中で再建を計画したようです。そして今の建物は文化六年(1809)に湯本講中の積立金により再建されました。」
 ということですが、ご覧の通り、崖に張り出して造られた懸造(かけづくり)の建築が素晴らしいです。その瑠璃殿の足元に石碑がたくさん建っています。ここ北向観音には古くから多くの文人墨客が訪れていた証左といえますね。

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 そのなかでも真ん中にでーんと建っているのが北原白秋の歌碑です。
 白秋長男の北原隆太郎氏作成の年譜(『日本の詩歌 9 北原白秋』昭和43年2月・中央公論社刊)によると、「大正十二年 一九二三年 三十九歳
この年、信州大屋の農民美術研究所開所式後、妻子と別所温泉、碓氷嶺に遊び、
……」とあります。
 この時の妻は、かの元人妻・松下俊子でも、二番目の詩人・江口章子(あやこ)でもなく、三番目の妻・佐藤菊子です。長男隆太郎氏が満一歳を過ぎたころのこと。

観音の この大前に 奉る 絵馬は信濃の 春風の駒

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 この歌は、白秋没後の昭和24年6月に刊行された歌集『海阪(うなさか)』に収められています。歌集『海阪』は、白秋亡きあと木俣修氏が編集したものですが、作品の制作年代的には白秋の第五歌集という位置づけがなされています。大正12年3月から昭和2年6月までに発表された作品のうち、旅の歌を集成したもの。版元は実弟・北原鉄雄が経営するアルス。
「七久里の蕗」の項に、
「四月中旬、妻子を率て、信州別所温泉、古名七久里の湯に遊ぶ。滞在数日。宿所たる柏屋本店は北向観音堂に隣接す。楼上より築地見え、境内見ゆ。遠くまた一望の平野みゆ。幽寂にしてよし。」
 とあります。現在、歌集『海阪』は青空文庫で全編読めます。この「滞在数日」のうちに、「北向観世音の絵馬を観て詠める歌七十五首」をはじめ、『海阪』に収録されているものだけでも(私の数え間違えでなければ)161首も詠んでいるのでした。

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2021年6月 8日 (火)

今戸神社のリアル招き猫さま

 もう二週間がたってしまいました。5月25日の妻の誕生日に、浅草の今戸神社に参詣してきました。
 今戸神社は江東区の隅田川西岸、台東リバーサイドスポーツセンタの向かい側に鎮座します。今戸焼発祥の地、招き猫発祥の地、沖田総司終焉の地として知られています。まあ、招き猫発祥の地、沖田総司終焉の地に関してはそのほかにも諸説ありますが。

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 最近は何かというとパワースポットということが言われますが、こちらは「東京下町八社」の一社で、縁結びのパワースポットとしてちょっとした人気がありますが、なんといってもお猫様です。(わが家的には沖田総司もなんですが)
 境内に「会えたらラッキーというリアル招き猫」が出没するという噂。近所の野良猫らしいのですが、白ねこの〈ナミちゃん〉と名前が付けられています。会えるとは限らないらしいのですが、鳥居の写真を撮り、境内に入ると、いきなり出迎えてくれました。こりゃあ、ラッキー!

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 この〈ナミちゃん〉、2019年9月1日にもすでに話題になっていました(「ねこのきもちNEWS」)。来る6月15日にも、かの有名な岩合光昭さんの「世界ネコ歩き」(NHK-BSプレミアム)に出演するそうです。宮司の奥様が教えてくれました。この奥様、ちゃきちゃきの江戸っ子っぽい。

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「今戸焼発祥之地」と「沖田総司終焉之地」の碑の前を、悠然と歩いていきます。ちょうど夕方の散歩の時間だったようです。

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 いい顔してますね。〈ナミちゃん〉の名前の由来は、今戸神社の御祭神の「伊弉冉尊(いざなみのみこと)」からとのこと。これも宮司の奥様が教えてくださいました。

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2021年6月 1日 (火)

杉並の大宮八幡宮

 今戸神社の前に、これはその三日前の5月22日(土)、保護猫を見に永福町に行ったので、帰りに大宮八幡宮を参拝しました。この日は妻に加えて、娘も一緒でした。平成18年(2006)の元旦に初詣に来て以来です。

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 通り雨が降った後で、濃い緑の中、たいへん清々しかったです。荘厳な、いい空気を吸い込むことができました。

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浅草寺の五重塔とスカイツリー

 東京に緊急事態宣言が出ていて、不要不急の外出自粛が要請されているわけですが、一週間前の5月25日(火)は妻の誕生日で平日に仕事が休みになったので、ドライブに行ってきました。(こんなところで言うべきことではないのかもしれませんが……)
 4月10日の結婚記念日は、まん延防止なんちゃらでしたが、日帰り温泉は営業していました。三鷹の山本有三記念館を見学し、よみうりランドの丘の湯に入りに行ったのでした。この三度目の緊急事態では日帰り温泉はどこも休館。まあ当然といえば当然なんですが。それで、人があまり行かないところへ。
 目的地は台東区の今戸神社だったのですが、昼をどこでとろうかと迷っているうちに、浅草まで来てしまいました。こんな人がいない浅草は見たことがありませんでした。

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 花やしきも休館でした。しかしこちらはたまたま休館日(基本、火曜と木曜が休館)だっただけで、人数制限しながら営業はしているようです。
 人が異様に少ないとはいえ、それでもそこそこ参拝客がいるので、結局、店には入らず、花やしき前のハンバーガーと芋のスイーツをつまむだけで昼を済ませました。そして今戸神社へ。(以下つづく)

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2021年5月10日 (月)

短説「四十八年目の憂国忌に」西山正義

   四十八年目の憂国忌に
   
(――空白を埋めるための後付け短説)
            
西山 正義

 平成三十年十一月二十五日、日曜日の朝で
ある。本日はもちろん、一般には「三島事件」
より正確には「盾の会事件」と呼ばれる、い
やもっと正しくは「盾の会義挙」と言うべき、
盾の会隊長・三島由紀夫と同学生長・森田必
勝両烈士の殉節日である。
 あれから四十八年。といっても当時は小学
一年生で、リアルタイムにはっきり意識され
たわけではない。それから十年後、昭和五十
五年の「憂国忌」である。十七歳だった。
 この日を僕は一番大切にしている。しかし
毎年、何の行動もできないし、まことに遺憾
ながら、今では遠い日になっている。
 一昨日はこれも我が国にとって大切な新嘗
祭の日であった。この三日間、今年は金・土
・日で、久しぶりに三連休を取った。しかし、
「新嘗を祝ふ集ひ」に参列するためでも「憂
国忌」に出席するためでもなかった。ソフト
ボールの大会に行くためだった。
 地区大会ではなく、東京一を決める都大会。
それゆえ、本来ならもういいおじさんの僕が
出る幕はないのだが、祭日の一昨日は若手の
集まりが厳しく、FP(守備のみ)であった
がレフトでフル出場した。結果は、最後一点
差まで詰め寄ったが負けた。そんなわけで、
今日は試合はなく練習のみだが、これから着
替えて地元のグラウンドに行く。
 このところ、ジャン=ジャック・ルソーの
『孤独な散歩者の夢想』を読みはじめたり、
三一書房の『戦後詩大系』や大手拓次、三好
達治、谷川俊太郎の詩集を読み返したり、昨
日も急に思い立ってヘミングウェイの最初の
短編集『われらの時代(IN OUR TIME)』を
再読し始めたりしてはいるが、読むだけで、
書いてはいない。三島さん・森田さん自決の
日に、何とも情けない限りである。

ブログ:平成30年(2018)11月25日(日)~9:14
短説化:令和3年(2021)5月10日(月)11:30~14:30

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2021年5月 8日 (土)

短説「結婚三十年に」西山正義

   結婚三十年に
   (――空白を埋めるための後付け短説)
            
西山 正義

 平成三十年四月十日、西山正義と向山葉子
が結婚式を挙げて満三十年になった。媒酌人
は明治大学の恩師で文芸評論家の小川和佑先
生・節子さんご夫妻。私は大学を卒業したば
かり。桜満開の神田明神でのこと。
 入籍したのは二日前の四月八日で、満開の
桜に時ならぬ春の雪が降った日であった。私
の二十五歳の誕生日。「昭和」最後の春にな
った。それから三十年ということは、つまり
私も五十五歳になったわけだ。
 結婚記念日を祝う風習は英国発祥とのこと
だが、当初は五年、十五、二十五、五十、六
十年目の五回のみを祝っていたらしい。わが
国でも明治二十七年に明治天皇・皇后両陛下
が「大婚二十五年祝典」を執り行ったことか
ら、いわゆる「銀婚式」が大きな節目として
一般にも著名になったようだ。
 五年前、その銀婚式に、私の仕事が不安定
で遺憾ながら何もできないでいた。その上で
の三十年であるし、何も結婚記念日に旅行し
なければいけないわけではないが、五十もな
かばになり、子供二人も独立したので本来な
らもっと余裕があるはずで、ここは豪勢に奢
ってもいいところなのだが、如何せん私が不
甲斐なく、国内のそれも比較的近い所にしか
行けなかった。ただ正直言って、私が行きた
いと思うのはやはり信濃追分と軽井沢だけだ。
いやほかにも、熊野や出雲や高千穂には行き
たいと思うが、遠過ぎる。いや遠過ぎるとい
うより、第一の目的は、自身のホームページ
の「軽井沢文学散歩」の〈信濃追分編〉を作
りたいがためであった。
 それで、三十年目の結婚記念日を挟んで、
信濃追分~軽井沢をゆっくり散策し、念願の
万平ホテルに泊まり、さらに上田の別所温泉
と善光寺の宿坊に泊まってきたのである。


文学散歩:平成30年(2018)4月15日(日)「西向の山」
短説化:令和3年(2021)5月8日(土)12:00~13:00

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