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2003年3月28日 (金)

永遠の少女・詩人堀内幸枝さん

 先日、詩人の堀内幸枝さんから電話があった。氏からの電話はいつも突然だが、忘れた頃に、必ずと言っていいほど電話や便りがあり、もう十年近くこうした付き合いが続いている。
  はじめてお目にかかったのは昭和六十二(一九八七)年の冬だったと思う。もう十六年前だ。僕は学生だった。昭和文学会の学会報告が東京学芸大学であり、小川和佑先生が珍しく宮沢賢治について講演した時だ。学会終了後、同大学の大久保典夫教授の研究室で、後輩の井本節山君や向山葉子などと一緒にはじめて紹介され、談話したのだった。
  その後、平成五(一九九三)年の夏には、小川先生のゼミ合宿で山梨の一宮(詩集『村のアルバム』の“市之蔵村”)へ行き、詩人本人の案内で堀内幸枝文学紀行をしている。この時は本当にお世話になった。

 

 今回の用件は、関西の出版社から出ている詩マガジン「PO」の次号「特集 ふるさと」に、堀内さんが寄稿を求められたのだそうだが、そこへ、かつて明大の小川和佑ゼミナールで出した(実際に小冊子の形にまとめたのは堀内さん自身)『堀内幸枝詩集 研究論集』の一部を転載しても良いかということだった。
  当時の学生の論文を二つばかりそのまま転載したい。それで、本人の承諾を得るべく連絡したのだが、連絡がとれない。僕から連絡とれないかということだった。しかし遺憾ながら、堀内さんがご指名の二人は、僕とも音信不通になっている。私家版とはいえ、一度活字にしているものなので、特に差し支えはないのではないかと思ったが、一応元々の提出先であった小川和佑先生にご相談ということに落ち着いた。小川先生に年賀状でも送っていれば別だが、ゼミOB会事務局長の僕とも音信不通になっているので、本人と連絡をとるのは難しいだろう。
  もう一つの用件は、「詩人・堀内幸枝の歌曲を歌い継ぐ・桃の花会」で今度行なわれるランチョン・コンサートへのお誘い。入場料は3,000円ということになっているが、私に言ってくれれば招待券を送るとのこと。これは、幹事の方から事前に僕へも案内状が届いていた。

 

  日時:4月5日(土)
     12時~:ランチタイム
     13時~:コンサート
  会場:カフェ・カルコーサ
     (西東京市富士見町4-27-7
      西武新宿線「東伏見」駅北口より徒歩7分)

 

 これは残念ながら、ほかに予定があり、今回は行けない。二年半前、詩人の井本節山君とはじめて「桃の花会」に出席した。出席したというより、参加したといった方がいいかもしれない。音楽家や声楽家は、堀内さんの歌曲を唄い、または伴奏し、詩人は自作の詩を朗読した。自己紹介代わりというわけだ。
 もしやそういうことがありはしないかと、僕は詩人ではないが、一応朗読できそうなものを用意していた。「短説」である。散文ではあるが、原稿用紙二枚。これなら朗読できるし、聞かされる方も苦にならないだろう。こういう時、短説は便利である。案の定指名され、朗読した。短説の朗読は、普段の座会でもやっていたし、短説の会のイベントでは劇風にアレンジしたこともあったので、自分より年配の人ばかりの中ででも物怖じせずにできた。朗読に選んだのは、「西向の山」にもアップしている「意味の中へ」だった。話が話なので、笑いをとることができた。
 一年程前にも、代々木上原の古賀政男音楽博物館のホールで開かれた、「桃の花会」の本格的な幸枝詩歌曲コンサートを聴きに行っている。

 

 堀内幸枝さんからの電話はいつもびっくりさせられるのだが、それにしても、受話器を耳からちょっと離したくなるくらい大きな、そして息を弾ませた、その甲高く響く声は、相変わらず「少女」のようだった。もう八十三歳である。
  昭和十四、五年頃、「四季」の日塔聰氏が「山の少女」とも「山の乙女」とも愛でた幸枝嬢は、それから六十年以上たった現在でも、変わらずに健在なのだった。
  やはり詩人、芸術家だからだろう。こんな可愛らしいおばあちゃんはそうはいない。いつまでも元気で、はつらつとしたおばあちゃんはたくさんいるが、幸枝さんのはつらつさは、まさに「夢見る少女」のそれなのだ! 今時は本物の少女だって、こんなに乙女チックではないだろう。
  ミューズという言葉を思い浮かべる。彼女は詩のミューズに魅せられた。そして、詩を書き続けた。しかし、幸枝さんこそ、ミューズそのもののような気がしてくる。
  そんな幸枝さんに、僕は、文学上の年少の友として、かなり強い印象を残しているらしい。年少と言ったって、孫ほどにも違うのだ。十六年間の交際で、実際に堀内さんとお会いしたのは数回しかない。その分雑誌を送ったりしているわけだが、これは光栄なことだ。本人の口からそう言われて、僕も気持をもう一度新たにしないとと思った。
  電話を切って、そのお声の余韻に浸りながら、本当に、いつまでもお元気でと祈らずにはいられなかった。

 

 ここに、堀内さんの、純朴でありながら早熟でもあった「山の乙女」らしい春の詩をひとつ転載させていただこう。

 

    春の雲
           堀内幸枝

 早春の田圃の黒く湿つた麦畑の上を
 大きな雲の影がゆつくり動いて行く
 明るい小道を土橋へかゝると
 雲は向うの小川を渡つて
 赭土の坂道を鈍い足どりで登つてゐた
     *
 山に憩うてゐると
 白雲は杉のこぬれに
 櫂の形をして休んでゐた
 山道を下つてくる時は何時の間にか
 隣の小雲とかたまり合つて
 蒸気船のやうにゆつくりと杉の頂を離れてゐた
     *
 春の雲が村の空を行つたり来たりしてゐる
 静かな光の午後を
 屋根の上や往還に薄い雲の影が落ちてゐた
 遠くで鶏が鳴いてゐる
 髪を梳いてゐた少女も櫛を持つたまゝ
 縁側の柱にもたれて
 屋根の上の一塊の雲を見てゐる

    (詩集『村のアルバム』より――底本は土曜美術社版「日本現代詩文庫35 堀内幸枝詩集」一九八九・九)

 

(初出:Lycosダイアリー「創作の台所」)

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