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2005年1月24日 (月)

短説:作品「三具一柳子」(西山正義)

   三具一柳子
 
            
西山 正義
             サング
 母方の祖父の筆名である。三具とは珍しい
姓だが、これは本名。一柳子は俳号。祖父が
亡くなったのは、もう二十年近く前になるが、
現在、僕が同人雑誌をやったり、文芸ゼミの
OB会の世話役などをしているのは、実は、
このお祖父さんからの隔世遺伝かもしれない。
 明治三十六年、日本橋生まれの麻布育ち。
大正九年明治薬専卒。本職は薬剤師だが、薬
局経営の傍ら、今でいうレタリングやスチー
ル写真の現像はなかばプロだった。当時は珍
しい八ミリを戦時中も持ち歩いていたという。
そして俳句とヴァイオリン。多芸多才な粋人
で、祖母とともに世話好きでもあった。
 祖父の記憶は、薬とインクと煙草と万年床
の匂いとともにある。それと映写機が廻る音。
麻雀牌を掻き回す音。懐かしい牛込のあの家。
下町らしく、そこにはいつも人が集まり、そ
の中心に祖父と祖母の笑顔があった。
 同居していた幼児期は、祖父と都電に乗る
のが愉しみで、神保町へも都電で行った。僕
にとっては因縁の街。古書店街を初体験した
のだった。小学生になると、リトマス紙の実
験や将棋を教えてくれたり。最晩年、僕は高
校生。僕がエレキ・ギターを自慢しに行くと、
ヴァイオリンを取り出して、「荒城の月」を
弾きはじめた。そう、得意気に……。
 遺伝というより環境だろう。今思えば、知
らず知らずに一番影響を受けていたのは、薬
臭い調剤室で、ガリ版を切っていた姿かも。
祖父が関わった句誌の初期の号は、みな祖父
の手によって刷られている。僕が知る当時も
会報などはガリ版。所属する結社の庶務会計
等の事務一切を担当していたのだった。これ
は、まさに僕が今やっていることではないか。
 どうしてくれよう! ジジちゃん。
 時には疲れます。笑ってないで……。

〔発表:2000年2月第72回東葛座会/初出:2000年6月号「短説」&2000年6月「日&月」第8号/「西向の山」upload2005.1.25〕
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