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2005年2月

2005年2月25日 (金)

短説:作品「症候群」(五十嵐正人)

   症候群
 
           
五十嵐 正人
 
 少年がはじめて淋しさを知った頃、巷では
あるテレビゲームが流行っていた。ゲームセ
ンターは小学生であふれ、無口な子供達はテ
ーブルに群がった。少年も同じように百円玉
を入れてみる。一瞬画面は緑色に光り、機械
が大声で笑うのが聞こえた。
 一人の女の子が走っている。怯えた様子は
追われているせいだ。追手の子供達は、手に
手に石や棒を握っている。少年は画面を見な
がらレバーを操作するうちに、少女のすべて
が自分の思いのままになることを知った。左
のレバーで少女の足は速くなる。右のボタン
を押すと、少女を狙って石が投げられたのだ。
少女は一目散に逃げて行く。行く手を遮る者
もいるが、ボタンを押さないかぎり安全だ。
少女は難なくかわしていった。
 しかし、ついに一つの石が小さな胸に触れ
てしまう。驚いた少女の顔を、少年はどこか
で見たような気がした。左のレバーが遅くな
り、手元には別のボタンがあった。今までは
たしかに無かったはずのボタンの効果を、少
年は始めから知っていたのだろうか。思いっ
きり押すと、いっせいに棒が飛んで来た。そ
のうちの一本が細い足に絡まり、少女はうつ
伏せに倒れた。もう起き上がることも出来な
い。レバーはいつしか消えていた。泣き出し
そうな瞳が、誰かに似ている……。誰なんだ
ろう。ハンター達は、獲物に近づいて行った。
 あぁ……。少年がそう思った時、はたして
赤い最後のボタンがそこにあった。数十の目
が同じ色に光り、機械は少女の絶叫を伝える。
 この声は……! 少年の指に力がこもった。
 
 テーブルには、別の少女が座っている。画
面では一人の少年が進み出て、少女のブラウ
スに手をかけたところだった。

〔発表:1985年9月第1回東京座会/初出:五十嵐正人短説集『羽化』1986年7月/初刊:年鑑短説集(1)『旅のはじまり』1987年7月/「水南の森」upload2002.2.5/〈短説の会〉公式サイトupload2004.2.14〕
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2005年2月18日 (金)

短説:作品「ママムシ」(向山葉子)

   ママムシ
 
            
向山 葉子
 
 二人の子供たちは、朝起きてから夜、寝入
ってしまう直前までトップギアで突っ走る。
「一緒に布団に入るから、もう寝ようよ」誘
わなければ、決して眠らない。誘った方はと
いえば、子供より先にもう夢うつつ。
 何でこの子、こんなに眠らないんだろう。
赤ん坊って、一日の大半を眠って過ごすって
嘘じゃない。早く眠ってよ。眠れったら。こ
れじゃ、私なんにもできない。本も読めない。
こんなモノ、産まなきゃよかった。何でこん
なことになったんだろう。もっと他に、しな
くちゃならないことがあったはずなのに。も
う絶対子供なんて生まない。ぜーったい、生
むもんか。
 気づいたらもう夜明けだ。私は欠伸を一つ
すると、また布団に丸まった。あと二時間は
眠れる。七時に起きてマヤを送り出し、九時
にヨシトを幼稚園へ。茶碗を洗って、洗濯物
を干して掃除機をかけて、お風呂掃除をする。
もう十一時半。ヨシトを迎えに行って、スー
パーで買い物をする。お昼をすませて少し休
んでいるとマヤのご帰宅。三時半から絵の教
室があるので、それまで二人を公園で遊ばせ
る。仲のいいママと木陰でお喋り。
「佐々木さんとこ、離婚するらしいわよ」
「えー、何で。ご主人、マメな人なのに」
「そのマメさがさ、他の女に向いたらしいの」
「どこの女よ」
「それがさ、占い師だって」
 ママーッ。マヤの驚いた声がする。
「どうしたの?」
「これこれ」
 幼虫が羽虫を食べているところだ。それも
頭から。
「これね。赤ちゃんがママを食べて大きくな
るんだって。テレビで見た。この前」

〔発表:1998年5月第51回東葛座会/初出:1998年10月「日&月」第6号/「西向の山」upload2002.9.14〕
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2005年2月17日 (木)

中井英夫の「無用者のうた」論から

 1月30日付の記事「歌人論・歌人伝について」の最後に、「本当は今日、本題にしたかったのは、中井英夫が六十年代初頭に書いた『現代短歌論』の中に、小説や詩の現在にも通ずる問題点が書かれてあったので、引用しようと思ったのだが、それはまたこの次に譲る」と書いた。原典を図書館に返却しなければならないので、とりあえず抜き書きしておく。
 2001年11月発行の国文社版「現代歌人文庫(第2期)40」の『中井英夫短歌論集』所収、「無用者のうた−戦後新人白書」(初出は「短歌」1961年12月号)より。

 いまでも概ねはそうだが、歌人は一様に人格者で、健康すぎるほど晴朗な社会人にあふれている。久しい間、平明な生活詠が第一条件とされてきた歌壇には、むしろそれも当然のことで、律儀な身辺報告に終始している以上、異端の意識は入りこむ隙もない。だが、文学者としてはこれくらい滑稽な話はなく、裡に深い暗黒の井戸も持たず、何を創ろうというのだろう。川端康成が今度の文化勲章を受けるに際して、文学者というのは無頼漢ですからね、といった意味での、精神の無頼性をつゆ(原文傍点あり)持つことなく、小心で身仕舞のいい人格者が、何を人に語ろうというのか。いまなお、もろもろの結社誌では、人格陶冶のための作歌とか、誠実な生活だけがすぐれた短歌を生むとかいうスローガンを恬然と掲げているけれども、思い上がりも甚だしいといわねばならぬ。(中略)塚本でも葛原でも、その後の中城ふみ子でも、編集者としてその登場に希ったのは、前衛派の擡頭だの反写実だのということではない。文学はもう少しダメな魂の産物だという、最初からの約束事を確かにしておきたいだけといってもよい。

 どうだろう。今から四十四年前に書かれた論考である。が、現在でも概ねそうだといわねばらぬ。私は現代歌壇に明るいわけではない。だから、ここにいう歌人/短歌を、作家/小説・エッセイ、詩人/詩、俳人/俳句、いや、物書き全般と読み替えればいい。すべてがそうだとは言わぬまでも、見事に正鵠を射っている。
 短説はどうか。私の興味は実はそこにある。少なくとも、主宰者の芦原修二氏をはじめ一部の書き手は、川端康成が言ったような意味での無頼漢であり、その作品の裡には深い暗黒の井戸があり、ぽっかりと深淵が口を開けている。しかし、短説の会全体で言えば、やはり中井英夫が指摘したようなことが言えるのだ。
 短説は、短歌や詩ほどではないが、小説に較べてより広い書き手を得た。芦原氏もそれを推進してきた。文芸評論家の小川和佑氏が批判するところの「参加の文学」をあえて許容してきた。しかし、物書きとしての根本的な姿勢という点で、芦原氏にもジレンマがあるのだ。
 つまり、両者の言う「参加の文学」は、微妙に意味合いが異なり、芦原氏も小川氏が批判するような「参加の文学」を認めているわけではなく、実は小川氏も芦原氏も中井英夫も、まったく同じ地平に立脚していると言わざるを得ないのである。
 そもそもここで「物書き」などという言葉を持ち出す時点で、おそらく意識の違いが出てくるのだろうが、ものを書いて発表するということは、それがたとえ小集団の中であっても、プロだろうがアマチュアだろうが、意識が違かろうがお遊びや道楽のつもりだろうが、事情はまったく一緒で、すべてに適用される厳しい掟がある。一言で言ってしまえば、それはいずれにしろ、地獄への片道切符、である(はずなのだが)。

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2005年2月15日 (火)

短説:作品「行く末」(西山正義)

   行く末
 
            
西山 正義
 
 わが家の長男は、まだ海のものとも山のも
のとも知れない。五歳の幼稚園児なのだから
当然といえば当然である。私にしても、この
期に及んでまだ自分自身の可能性に未練があ
るので、息子に夢を託すつもりはない。
 ところで、わが家の当主はあまりいい血筋
を受け継いでいるとはいえない。どうやら代
々勤め人には向いていないようなのだ。
 祖父は赤穂の出。家紋は丸に違い鷹の羽で
あるから、あの浅野家と同じだが、赤穂浪士
とは特に関係ないだろう。関西電力の技師と
して中部山岳地帯のダム工事に携わっていた
のが、そのまま木曽に住みつき、いわゆる脱
サラして小さな材木工場を始めた。頑固者の
祖父。祖母はずいぶん苦労したようである。
 一人息子の父は、しかし工場を継がずに東
京へ出た。大学を出て、最初に就職した証券
会社を上司と喧嘩して辞めたのをかわきりに、
その後も転職を繰り返し、友人と商社のよう
なものを作ったこともある。作ったこともあ
るということは、潰したこともあるというこ
とで、以後も、土地建物取引主任者として、
フリーでいくつかの会社を渡り歩いてきた。
 次男で本家を出た祖父を初代とすると、私
は三代目。どういう因縁か、私も同じような
道を歩んでいるのだが、これに母方の祖父の
血、即ち文学だの芸術だのというのが入って
しまって、どうにも始末に追えない。
 さて息子はどうか。誰に似たとしても……。
だが救いはある。母方の系統。つまり私の妻
の父もしくは祖父。わが家とは対照的に、二
人とも公務員を全うしている。しかし、息子
はこの二人に接したことがないし、お堅い家
柄に反撥して、家を飛び出したような母親の
影響力の方が強いかもしれない。いずれにし
ろ、最後はやはり息子の伴侶次第だろう。

〔発表:2000年6月第75回東葛座会/初出:「西向の山」upload2005.2.15〕
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2005年2月10日 (木)

短説:作品「トカゲ」(田中睦枝)

   トカゲ
 
            
田中 睦枝
 
 玄関を出ると、植え込みの中からトカゲが
飛び出してきた。
 アプローチの敷石の上に足を踏ん張って、
じっとしている。何度も見かけているが、今
までは素早く身を隠していた。
 全身で気配を感じ取っている姿に少し見と
れ、足を踏み出した途端に茂みの中にスルリ
と消えた。
 
 梅雨の晴れ間だった。
 朝、夫と子供を送り出し、庭の草抜きをし
ていた。
 南天と姫沙羅の葉の問に、わずかばかり見
えているフェンスの上にトカゲがいた。
 頭をこちらに向けている。掌をそっと差し
出すと、乗ってきた。
 カーブを描いたしっぽを眺める。汗が一筋
胸の間を流れ落ちた。と、トカゲは素早く腕
をつたいTシャツの袖口から中へ滑り込んだ。
 Tシャツの裾から両手を入れる。胸と背中
をかき回す。が、トカゲは落ちてこない。
 家の中に駆け込んで、風呂の脱衣所で衣服
を脱いだ。トカゲは見当たらなかった。
 浴室に入ってシャワーを浴びる。
 シャンプーをして髪の毛の泡を流し、目を
開けると、バスタブの縁にトカゲがいた。
 咄嵯にわしづかみにした手が空を切る。
 にぶい音がする。タイルの上に腹を見せた
トカゲが転がった。その上にシャワーの湯が
降り注ぎ、湯気が充満した。
 衣服を着てから、トカゲを隣の空き地に埋
めた。

 翌日の午後、買い物に出かける。
 自転車を押して門を抜けるとき、門扉の陰
からトカゲがすり抜けたような気がした。

〔発表:2000年9月藤代日曜座会/初出:「短説」2000年11月号/再録:「短説」2001年5月号〈年鑑特集号〉*2002年の代表作「我」位選出作品/〈短説の会〉公式サイトupload:2003.12.19〕
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2005年2月 6日 (日)

四季派書庫(小久保実文庫)

 小淵沢に行ってきました。目的は別にあったのですが、思わぬ収穫が。
 八ヶ岳に「自在舎」という私設のギャラリーがあり、そこに『八ヶ岳詩游館』(小久保文庫)というのがあるのは、「自在舎」のホームページで知っていました。このホームページは現在「工事中」になっていますが、保存してあった案内文を写すと以下の通り。

【堀辰雄論】で知られる小久保実氏(文芸評論家・帝塚山学院大学名誉教授)寄贈による8万冊に及ぶ近代文学主体の蔵書・資料を収蔵。特に堀辰雄・立原道造・津村信夫・杉山平一など ”四季派”及び福永武彦・中村真一郎・遠藤周作などその周辺の詩人、作家、評論家の蔵書が多く、又雑誌収集の豊富さを特徴とする文庫であり、館内は堀辰雄の書籍・資料を中心に常設展示し、雑誌「四季」(1〜4期)など数多くあり、さながら《”四季派”詩人たちのギャラリー》の感がします。
・1995年4月開設
”四季派”詩人をテーマにしたポエティク・サロン、文学セミナー、読書会、朗読会などを通して言葉への認識を深め、自分さがしを楽しむ「仲間の会」があり、又、蔵書の閲覧、限定貸出しは勿論のこと「自在舎」宿泊施設など、会員特別料金による利用が出来ます。

 ということなので、以前から大いに気になっていたので、機会があれば是非訪ねてみたいと思っていましたが、今回の小淵沢行きに際しては念頭にありませんでした。八ヶ岳という名称から、清里や富士見高原よりもっと奥の、たとえば美しが原高原美術館のように山の上の方にあると思い込んでいたのです。それが、現地で地図を見ていたら、麓の小淵沢にあるというので訪ねてみたわけです。
 行ってみると、確かにそのような施設があることはあるのですが、何か様子が違うというか、紛らわしい状況になっていて、案内を請うた結果分かったことは、元「自在舎」だった建物はすでに売却され持ち主が替わっていて(紛らわしいのは、そこも「詩游館ギャラリー」となっている)、『八ヶ岳詩游館』の小久保文庫の資料は、「自在舎」を運営している詩人の桜井節氏を通して、長坂町に寄贈され、現在は長坂町郷土資料館に収蔵されているということでした。
 それで今度は、そこから車で10分ぐらいということなので、長坂町郷土資料館に行ってみました。斜向かいに清春白樺美術館があります。
 
 問題の「四季派書庫(小久保文庫)」は、展示されているのではなく、参考資料として、特別に閲覧できるようになっていました。時間的余裕がなくて実際に閲覧はしませんでしたが、一部の資料は、郷土資料館の一角で、期間を区切ってテーマ別に展示されています。現在の展示は、「堀辰雄−その作品の軌跡をたどる(6)−「四季」第三次と戦後の同人誌を中心に」でした。
 
■「四季派書庫(小久保文庫)」の利用方法は以下に通り。
〔開室日・閲覧時間〕9:00〜17:00(入館は16:30まで)
〔閲覧の方法〕原則として館内閲覧のみ。
*初めて閲覧する時は、身分証明書またはそれに代わるもの(運転免許証・学生証など)を提示。
〔資料館の観覧料〕大人200円/小人100円
〔特別閲覧使用料〕一人5点まで一回につき:200円
  一人3点まで一回追加ごとに:100円
  子供(小・中学生)は半額
〔休館日〕月曜日(休日の場合を除く)
  休日の翌日(日曜日または休日の場合を除く)
  年末年始(12月28日〜1月4日)
〔住所〕山梨県北杜市長坂町中丸1996
(中央自動車道・長坂ICより車で15分)
 
 思わぬところでいいところを発見してしまいました。今度は、最初からこれを目的に、朝から訪ねて閉館まで籠もってみたいものです。

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2005年2月 4日 (金)

時節を詠む短説:節分

 もう昨日になってしまいましたが、昨日は節分。短説のメーリングリスト座会にも、沖縄の二十歳の学生が、豆まきの行事に関する「節分」という作品をアップしてくれました。その作品をここで公開するわけにはいきませんが、その読後評を若干補足して、このブログにアップします。
 
「節分」拝読
 
 実は今日、近隣氏子の世話人になっているので、氏神様である神社の節分祭に行ってきました。神殿でお祀りし、御祓いを受けた福豆を貰い受け、近所の氏子に配るのです。
 家内は昔から新選組フリークで、NHKの「新選組!」で土方歳三と井上源三郎を演じた役者が来るというので、わざわざ日野の高幡不動尊まで行きました。
 神主が祝詞を奏上している間も、短説のことを考えていたのでが、先を越されましたね。
 
 節分に限らず祭礼行事や習俗は、地方によってやり方がかなり違ったりするものですが、沖縄も基本的には変わらないんですね。
 太巻きを必ず食べるとか、鰯の頭を柊の枝に串刺しにしたものを玄関に飾るというような風習は関東にはありません。また、仙台では、撒く豆が落花生だったりします。殻つきの落花生なら,たしかに撒いたあと拾って食べられるのですが、何か違うような変な感じ。
 
 さて、作品ですが、会話だけで十分わかります。というより、会話だけにして正解だと思います。最後言いたかったことを地の文で書いてしまったら、テーマの説明になってしまいますし、光彦爺ちゃんの悲哀のようなものが余韻として残らないでしょう。
 爺ちゃんの言うのは正しく、「伝統行事はちゃんとせねばならんのじゃ」。
 
 それから、豆まきの掛け声ですが、僕も語感としては、「鬼は外、福は内」で違和感はないのですが、正式?には、最初に「福は内、福は内、福は内」と三回復唱し、次に「鬼は外、鬼は外」と二回復唱するようです。いやこれにはいろいろやり方があるのでしょうが。
 また、豆を投げる時、「福は内」の時は、掌を上向きに下手投げで、福が逃げないようになるべく近くに撒き、「鬼は外」の時は、野球のオーバースローのようになるべく遠くに投げるというような作法もあるようです。
 まあ家庭でやる場合はそんな作法にとらわれる必要はないのですが、こうした祭礼行事には、すべて意味があり、日本人の生活に密着したものです。たとえ現代では自然と離れた生活をしていても、だからこそ逆に、次代にも受け継いでいくべきものでしょうね。
 余談ですが、高幡不動の豆はふっくらしていて美味しかったです。最近「タウンワーク」のCMに出ているドラマーのつのだひろ(あの伝説のバンド・ジャックスのドラマー)は、地元らしく毎年高幡不動の豆まきに参加しているそうです。それにしても、年の数だけ食べるのが年々きつくなってきました。
 タイムリーないい作品でした。

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2005年2月 1日 (火)

短説:作品「叔父」(芦原修二)

   叔 父
 
            
芦原 修二
 
 その秋、叔父は黒い四角な革カバンを下げ
てバスから降りてきた。これが叔父に関する
まゆ子の一番最初の記憶である。
「ほら、あなたの叔父さまよ」
 そういう母の声に、まゆ子は走った。叔父
は笑いながら、まゆ子に革カバンを渡した。
重かったが、まゆ子は両手で懸命に持ちあげ
ていた。家についてから叔父は、カバンの止
めがねを音を立てて開け、中から土産物を取
り出した。叔父は、一人一人に土産を用意し
てきていた。そのとき何をもらったのか、ま
ゆ子はもう覚えていない。
 叔父が住んだ家は、海岸の松林の向こうに
あった。まゆ子は、松林の中を姿をかくすよ
うに歩いて叔父の家に近づく。
 ナオジが黄色いタオルでベランダの手すり
を磨いている。手すりはこげ茶色のペンキで
塗られている、ナオジの首すじのうぶ毛が金
色に光った。まゆ子は松の幹に体をひそめ、
じっとナオジをみつめている。
「おおい、ナオ君」
 突然叔父の声がした。それに「ハイ」と答
え、ナオジ少年が家の中に駆け込んで行く。
まゆ子は、訪ねて来たことを叔父に知られな
いように、こっそりと松林の中を引き返し、
途中からは逃げるように走った。
 叔父は何をして生活しているのか。「説明
のしようがないわね。だからわたしは外聞が
悪くて。あの弟は嫌い」と母はいう。
 五月になった。もう叔父は、松林の向こう
に住んではいない。それでもまゆ子はこっそ
り訪ねて行く。ベランダの板張りがきしみ、
鍵のこわれたドアが半分開いている。中に入
ってガラス戸から外を覗くと、九十九里浜と
海とが見える。地面には松の花粉が一面に散
り敷いていて真っ黄色だ。

〔発表:1996年3月東京/東葛座会/初出:「短説」1996年5月号 再録:「日&月」1996年7月第2号/「短説」1999年6月号(仏訳併録)/〈短説の会〉公式サイトupload:2005.2.1〕
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