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2005年2月 6日 (日)

四季派書庫(小久保実文庫)

 小淵沢に行ってきました。目的は別にあったのですが、思わぬ収穫が。
 八ヶ岳に「自在舎」という私設のギャラリーがあり、そこに『八ヶ岳詩游館』(小久保文庫)というのがあるのは、「自在舎」のホームページで知っていました。このホームページは現在「工事中」になっていますが、保存してあった案内文を写すと以下の通り。

【堀辰雄論】で知られる小久保実氏(文芸評論家・帝塚山学院大学名誉教授)寄贈による8万冊に及ぶ近代文学主体の蔵書・資料を収蔵。特に堀辰雄・立原道造・津村信夫・杉山平一など ”四季派”及び福永武彦・中村真一郎・遠藤周作などその周辺の詩人、作家、評論家の蔵書が多く、又雑誌収集の豊富さを特徴とする文庫であり、館内は堀辰雄の書籍・資料を中心に常設展示し、雑誌「四季」(1〜4期)など数多くあり、さながら《”四季派”詩人たちのギャラリー》の感がします。
・1995年4月開設
”四季派”詩人をテーマにしたポエティク・サロン、文学セミナー、読書会、朗読会などを通して言葉への認識を深め、自分さがしを楽しむ「仲間の会」があり、又、蔵書の閲覧、限定貸出しは勿論のこと「自在舎」宿泊施設など、会員特別料金による利用が出来ます。

 ということなので、以前から大いに気になっていたので、機会があれば是非訪ねてみたいと思っていましたが、今回の小淵沢行きに際しては念頭にありませんでした。八ヶ岳という名称から、清里や富士見高原よりもっと奥の、たとえば美しが原高原美術館のように山の上の方にあると思い込んでいたのです。それが、現地で地図を見ていたら、麓の小淵沢にあるというので訪ねてみたわけです。
 行ってみると、確かにそのような施設があることはあるのですが、何か様子が違うというか、紛らわしい状況になっていて、案内を請うた結果分かったことは、元「自在舎」だった建物はすでに売却され持ち主が替わっていて(紛らわしいのは、そこも「詩游館ギャラリー」となっている)、『八ヶ岳詩游館』の小久保文庫の資料は、「自在舎」を運営している詩人の桜井節氏を通して、長坂町に寄贈され、現在は長坂町郷土資料館に収蔵されているということでした。
 それで今度は、そこから車で10分ぐらいということなので、長坂町郷土資料館に行ってみました。斜向かいに清春白樺美術館があります。
 
 問題の「四季派書庫(小久保文庫)」は、展示されているのではなく、参考資料として、特別に閲覧できるようになっていました。時間的余裕がなくて実際に閲覧はしませんでしたが、一部の資料は、郷土資料館の一角で、期間を区切ってテーマ別に展示されています。現在の展示は、「堀辰雄−その作品の軌跡をたどる(6)−「四季」第三次と戦後の同人誌を中心に」でした。
 
■「四季派書庫(小久保文庫)」の利用方法は以下に通り。
〔開室日・閲覧時間〕9:00〜17:00(入館は16:30まで)
〔閲覧の方法〕原則として館内閲覧のみ。
*初めて閲覧する時は、身分証明書またはそれに代わるもの(運転免許証・学生証など)を提示。
〔資料館の観覧料〕大人200円/小人100円
〔特別閲覧使用料〕一人5点まで一回につき:200円
  一人3点まで一回追加ごとに:100円
  子供(小・中学生)は半額
〔休館日〕月曜日(休日の場合を除く)
  休日の翌日(日曜日または休日の場合を除く)
  年末年始(12月28日〜1月4日)
〔住所〕山梨県北杜市長坂町中丸1996
(中央自動車道・長坂ICより車で15分)
 
 思わぬところでいいところを発見してしまいました。今度は、最初からこれを目的に、朝から訪ねて閉館まで籠もってみたいものです。

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コメント

初めまして。
津村信夫さんの詩について検索していて、たまたまこちらに辿り着きました。最近、四季創刊号に載っていたと記憶する津村信夫さんの朝べりの歌(だったと思いますがうろ覚え)をもう一度読みたく思って検索していました。

小久保先生は四季派を勉強してらしたんですね。
初耳でびっくりしました。
ずっと昭和の小説がメインだと思ってました。

そして山梨にそんな文庫があるのですね。機会があればぜひ一度行ってみたいです。

投稿: ナナ | 2006年8月 4日 (金) 01:56

ナナさん、ご訪問&コメントありがとうございます。
「津村信夫」の検索でよくこちらに辿り着きましたね。
そうなんです、山梨の小淵沢に「四季派書庫(小久保文庫)」
というのがあります。でもこれは、長坂町郷土資料館の中にある
資料室ですので、文学好きにもなかなか知られていませんね。
私も偶然発見したのです。
ところで、

> 四季創刊号に載っていたと記憶する津村信夫さんの朝べりの歌

というのは、私も今いろいろ調べてみたのですが、
「海べりの街の朝まだきを、鴉の群は遠くよびかはしながら通りすぎる。」で始まる
『生涯の歌』のことではないでしょうか?

投稿: 西山正義 | 2006年8月 4日 (金) 21:24

お返事ありがとうございます。
生涯の歌というのですね! 検索したら確かにゼミでの勉強に使用した四季創刊号に載っているようです。タイトルを間違って覚えていたら調べようがないですよね。
どうしてもわからなかったら大学に行って、恩師に尋ねてみようかと思っていました。あ、恩師は小久保先生ではないです。ゼミ室は隣でした。
わかって嬉しいです。
ありがとうございます。

投稿: ナナ | 2006年8月 5日 (土) 11:35

ナナさん、ご連絡ありがとうございます。
メールが届かなかったようですが、伝わって良かったです。
メールでは上記のことに加えて、『生涯の歌』全文を転載したのでした。
津村信夫さんが亡くなったのは昭和19年(1944)ですから、すでに50年以上経っており、著作権は切れているので、ここに全文転載しても著作権法違反にはならないのですが、すでにWEB上にアップしている方がいましたので、敬意を表してリンクで表示しました。
お探しの詩を見つけられて良かったです。

投稿: 西山正義 | 2006年8月 5日 (土) 23:44

あ、書き忘れました。もう一つ。
ゼミでの勉強に四季創刊号を使ったというのは凄いですね。
僕の先生も常日頃仰っていましたが、特に「四季」などは、ちゃんと原典にあたるべきだと。
僕も近代文学館に復刻版を見に行ったりしましたが、それをゼミのテキストにしていたというのには、恐れ入りました。
実は、僕がこの詩を探してみようと思った一番の動機は、ナナさんの「四季創刊号に載っていたと記憶する」というコメントでした。
津村信夫の『愛する神の歌』という詩集に載っていたと記憶するなら、普通なのですが、四季創刊号というのは相当インパクトありました。
だって、それを読んでいるわけですものね。
僕も四季創刊号は手にとったことがありますが、そこまで覚えていませんでした。


投稿: 西山正義 | 2006年8月 6日 (日) 01:11

そうですね。四季創刊号と第二号のコピーで2年間のゼミを行いました。先生が個人的に持っていらしたもののコピーでした。
恩師は珍しいものを色々お持ちの先生です。今も教授として大学におられます。
四季は復刻版か現物かは分かりませんが、載っていた広告にあった豪華版の装幀についてもどんな感じか学生に考えさせていました。
良い詩集というのは詩だけではなりたたない、挿絵の素晴らしさとが出会って初めて良い詩集になるみたいな持論があるそうです。
そう考えると、最初に出た時にどんな紙面に構成されているのかも興味がわきますね。

「愛する神の歌」という詩集がある事を逆に教えていただいてので、どこかで見かけたら手に取って堪能してみたいと思います。

投稿: ナナ | 2006年8月 6日 (日) 15:32

それは素晴らしいゼミですね。
最近の文学部はどうなっているのでしょうか。僕は現在、母校の公開講座関連の機関に勤めていますが、さっぱり分かりません。

津村信夫の第一詩集『愛する神の歌』は、昭和10年に四季社から出ていますが、多くても限定500部とかですから、国会図書館か東京駒場の近代文学館ぐらいにしかないでしょう。
しかし、角川書店から『津村信夫全集』(全3巻)が出ていますので、これなら町の図書館にもあるでしょう。
あと、インターネット図書館の「青空文庫」に、詩ではなく随筆ですが3篇公開されています。投稿者の名前をクリックするとそのページに飛べるはずです。

投稿: 西山正義 | 2006年8月 7日 (月) 00:59

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