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2005年3月

2005年3月30日 (水)

短説:作品「少年」(福田政子)

   少 年
 
            
福田 政子
 
 一時間目の授業開始のベルが鳴った。校舎
の廊下は、静かになった。六年二組では、い
きなり担任の塩田先生がどなった。「これが
ら呼ばれる者は、前へ出て来い。青山春男、
山田透、大野清、中山義男……」と先生は八
人の生徒の名前を次々に呼ぶ。呼ばれた者は、
教壇の前へ出てきた。先生は、「そこへすわ
れ、何で呼ばれたか、よく考えてみろ」。呼
ばれた生徒はひざをかかえてうつむいている。
教室の中は、「何だ何だ」とがやがやした。
「清、何で呼ばれたがわがったが」と先生。
清は、うつむいたまま、「きのうの萱燃しの
ことだと思う」「そうだ。それが、どういう
ことがわがってんのが。囲りには、何軒もの
家が建っているんだぞ」。先生の声はいよい
よ大きくなった。「今日一日すわってろ。よ
く反省しなければ、家さ帰さねど」。シンと
静まりかえる教室。先生が、「清、きのうは
大変だったな」と、言った。清は、おずおず
と立ち上がり、「きのうは大変だった。みん
なと、火で遊んでいたら、急に燃え広がっち
ゃって、大あわてで消したんだ。透ちゃんな
んて、ジャンパーで火をたたいて消したんで、
ボロボロになってしまった」と話しているう
ちに、清は興奮してくる。先生は「迷惑をか
けた家に一軒一軒あやまって来い」と、どな
る。塩田先生もその後、ひとりであやまり歩
いた。一ヶ月後、職員室に、「生徒に鉄砲で
うたれた」と、若い女から、電話があった。
篠で作った鉄砲である。空気の圧縮で、弾に
した木の実を遠くに飛ばすしかけのものだ。
その木の実があたると痛い。これも春男、透、
清、義男の四人組のしわざであった。その時、
四人組は、女生徒のスカートめくりで騒いで
いた。塩田先生は、教室のドアをガラッとあ
け、「清」と、どなった。

〔発表:1990年2月第62回東京座会/初出:「短説」1990年2月号/再録:年鑑短説集(4)『海の雫』1990年12月/〈短説の会〉公式サイトupload:2005.1.1〕
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2005年3月26日 (土)

短説:作品「柵を越えて」(金子敏)

   柵を越えて
 
             
金子 敏
 
 もう少しすれば、この先いつ会えるかわか
らなくなる。小学校からずっと一緒だった三
人は、しめし合わせて柵を越えた。
 万一つかまって新聞に出たら、どんな肩書
きになるのだろう。卒業式は済んだのだから
中学生ではないし、まだ入学前だから高校生
ともいえない。ずぼんの中がごそごそする。
「俺、少しは泳げるよ」Kの声が弾んでいる。
僕とMは泳げない。ことしから水泳の授業が
あるらしい。全く不公平だ。僕たちから寄附
を集めて造ったプールに、僕たちは入れない
のだ。去年の夏にはできあがっていたのに、
セメントのあくを抜くため半年くらい水を張
り放しにしてからでないと使えないという。
 あと何日かで、僕たちは別々の高校に行く。
一度だけでもプールに入ってみたかった。海
水浴では波に邪魔されて、泳ぐまねしかでき
ない。波の無い水に浸って、思いきり手足を
動かしたら、きっと上手に泳げるだろう。ず
ぼんの下に海水パンツをはきこんだ時から、
わくわくしている。
 宿直室の明りの下を身をこごめて、プール
に近づいた。脱衣室の裏手の柵をもうひとつ
越えて、はだしになった。ぞくっとする。三
人の新しい門出にふさわしい静かな水面はも
う目の前だ。
「あれぇ」思わず同時に叫んだ。水が無い。
満々とたたえられていたはずの水が無い。僕
たちを迎えてくれるはずだった静かな海がど
こかに消えてしまっている。
「こんなことってあるか」Kが服を脱ぎ捨て
た。Mも僕もはだかになった。すっと烏肌が
立った。僕たちは水の無いプールの真ん中に
寝そべって笑った。おなかが痛くなるほど声
を殺して笑った。プールに仕切られた四角な
空に、潤んだような月が浮かんでいた。

〔発表:1990年12月東京座会/初出:「短説」1991年1月号/初刊:年鑑短説集〈5〉『螺旋の町』1992年4月/再録:「短説」1998年5月号・2000年11月号/〈短説の会〉公式サイトupload2004.6.21〕
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2005年3月23日 (水)

短説:作品「弟地獄」(向山葉子)

   弟地獄
 
            
向山 葉子
 
 弟が行方不明なんです。逃げた小鳥を探し
にいったまま。……ええ、そうです。鳥籠を
持ってます。どなたか弟を見かけた方はいま
せんか。青いズボン、千鳥格子のハンチング
です。籐の鳥籠を抱えているはずです。チン
ドン屋のおじさん、知りませんか。……そう
ですか、見かけませんか。え? カフェの女
給に聞いてみろって? ええ、そうしてみま
す。暗い路地に分け入って、私は弟を探しま
す。お姐さん、弟を見ませんでしたか。……
そうですか、知りませんか。え? 曲馬団の
ピエロに聞いてみろって? ええ、そうして
みます。風吹く荒野を横切って、私は弟を探
します。ピエロさん、弟を見かけませんか。
……え? お母さんに聞いてみろって? え
え、そうしてみます。お母さん、お母さん、
お母……ああ、そうでした。お母さんはとう
の昔に亡くなりました。幼いころから愛しん
でいた手鞠と一緒にもうとうの昔に煙になり
ました。だれか弟を知りませんか。街灯だけ
がほのぼのと揺れる街、私は弟を探します。
ころころ鞠が転がって、私の足にじゃれつい
て……ああ、これはお母さんの手鞠。お母さ
ん。振り向くとお母さんがにっこり笑って立
っています。お母さん、お母さん、弟を返し
てください。おほほ、おほほ……まだ若いお
母さん、まだ綺麗なお母さん、笑いながら私
の手から鞠を奪って逃げていきます。お母さ
ん、お母さん、お願いです。弟を返してくだ
さい。おほほ、おほほ……もうあの子は返さ
ないよ。だってまた私の中に戻ってきたのだ
もの。お母さん、お母さん、お願いです。弟
を返してください。おほほ、おほほ……お母
さんは笑いながら街の闇へと消えていきまし
た。残された鳥籠の中には、死んだ小鳥が眠
っています。

〔発表:1986年3月第7回東京座会/初出:年鑑短説集〈1〉『旅のはじまり』1987年7月/「西向の山」upload2002.4.5〕
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2005年3月18日 (金)

ML座会で初の点盛り開始

 ML座会で点盛りができるか。水南森さんといろいろ検討した結果、ともかく一度実験してみようということになり、まずは水南さんが提案する形で、以下のような点盛り&投票が実施されることになりました。
(もちろんこれは、あらかじめ短説ML座会にメンバー登録されている人しか参加できますが) 
 
●水南森平成17年3月ML初出作品点盛り&投票●
 
 みなさんにお願いがあります。以前もちょっと書いてみたのですが、水南の3月作品について、投票&点盛りをしていただきたいのです。全部で9作品あって、それらについてみなさんから主体的なご意見をお伺いすることができ、とても助かっています。で、今度は相対的に見た意見を頂戴したく、それを参考にして、さらなる推敲をしたいわけです。
 そこで、西山君が書き込んだ二つの方法(Yahoo!の投票機能を使うパターンと、使わないパターン)についていろいろ考えたのですが、どっちがいいか分からず、それなら実際に両方やってみようと考えたわけです。
 具体的には、二種類の方式を一緒にやってみたいので、みなさんぜひ投票&点盛りしてください。
 
(1)Yahoo!グループの投票システムを設定しました。みなさん、どうぞ投票をお願いします。締め切りは3月25日です。
 
(2)同様に、点盛りをお願いします。作品は、次の9作品です。
■選択肢
まっすぐな道[0997]
雪だるま[1079]
放課後[1081]
円を描く少年[1098]
兄ちゃん[1102]
確定申告[1123]
投票の朝[1132]
昇る[1140]
橋の上[1143]
 
※上記1〜9の選択肢は、水南森が2005年3月にML座会に初出した作品です。これらの作品について点盛りをしてください。作品の後の数字は、MLアップ時のナンバーです。9作品については、Yahoo!グループのブリーフケースに入れてあります。Yahoo! IDを取得され、MLの新システムに移行された方は、そこで一括して読むことができます。よろしくお願いします。締め切りは、こちらも3月25日です。
 
■点盛りの方法
 メールにて、西山君まで送ってください。くれぐれもMLに送りませんように。記入の仕方ですが、下記のようにお願いします。
−−−−−−−−−−−−記入例−−−−−−−−−−−−−−−
選者氏名 ○○○○(あなたのお名前です)
天位 △△△△(作品名です)
   得点 ○点(下に説明を書きます。参照ください)
   作品についてのコメント(選んだ作品について、ご意見ご感想、何でも)
地位 □□□□
   得点 ○点
   作品についてのコメント
人位 ××××
   得点 ○点
   作品についてのコメント
我位 ☆☆☆☆
   得点 ○点
   作品についてのコメント
自由記入(作品全体について、点盛りについて、なんでもけっこうです。思ったことをお書きください)
−−−−−−−−−−−−記入例、以上−−−−−−−−−−−−
■点の配分について
 短説座会の点盛りをしたことがない方もいると思うので、説明します。
 持ち点は10点です。これを天位、地位、人位、我位の順に配分してください。一作品しか選べない場合は、天位に10点で、以下無しで結構です。二作品しか選べない、三作品しか選べない場合も同様です。また四作品選んだ場合でも、配分の仕方は自由です。
 天位(4点)・地位(3点)・人位(2点)・我位(1点)でもいいですし、たとえば天位(4点)・地位(2点)・人位(2点)・我位(2点)みたいな配分でもかまいません。ただし、10点すべてを使って配分してください。
■締め切りは3月25日としました。
 通常、座会での点盛りは、その場で作品を読んで、すぐに行います。ですから、25日締め切りというのは異例の長さです。しかし今回はYahoo! IDを取得していただくことに手間がかかりますので、余裕のある締め切りにしてみました。
■これまで、短説を書いたことがない方、読後評などを寄せた経験のない方、点盛りをしたことがない方、そうした方たちも、どうぞこの機会に点盛りから参加してみてください。全員が参加してくれとありがたいです。
 よろしくお願いします。くれぐれも送り先は、西山君あてですので、お間違いなく。
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
※以上のことを、このブログで公開してもあまり意味がないかもしれませんが、これを機会に短説のML座会に参加してみたいという方が現れないとも限りませんので、ここにも紹介しておきます。
 なお、ML座会への参加は、今のところ原則的には短説の会の同人・会員か、会員から紹介があった者に限らせてもらっていますが、例外はあって、簡単な自己紹介(本名とメール以外の連絡先)を管理人・西山正義までにお知らせいただければ、登録を認めています。興味がありましたら、是非どうぞ。

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2005年3月15日 (火)

短説:作品「はじめての逢引」(西山正義)

   はじめての逢引
 
            
西山 正義
 
 身仕度を整える。そのやや長めに伸ばした
柔らかそうな栗色の髪を、少年の持っている
唯一の高級な小道具である黄揚の櫛で梳いた。
 次に昔の海軍兵学校風な学生服を着ると、
この日のために買っておいたオーデコロンを
手に取った。硬い硝子の壜は手に冷たかった。
その冷たさが心地良かった。濃いエメラルド・
グリーンの容器を物珍し気に眺めながら、そ
の表面を愛撫し手触りをしばらく楽しんだ。
その感触にまだ知らぬ女の肌の滑らかさと冷
たさを想像した。
 香水は暗い密室でまだ瞑っている。静かに
集まって。神秘的な沈黙。それは毬藻に似て
いた。だが眠っていても猫のようにそれは常
に待機している。蓋を外す。すると瞬時に粧
って、自らの使命のために舞い上がる。
 少年は目の眩む思いでホックを解き、初め
てつけてみる香水を学生服の内側に振りかけ
た。香料は朝の匂いがした。
 一体いつまで時間をかければ気が済むのか。
持ち物を何度も点検し、鏡の前に立ち、髪や
服の乱れを直す。そして鏡の中の自分の顔を
仔細に調べた。面皰がまだ所々に残ってはい
たが、もう気にするほどではない。髭は昨晩
のうちに綺麗に剃っておいたので大丈夫だ。
まだ毎朝剃刀を当てる必要はなかった。
 最後に少し離れて姿全体を鏡に写す。少年
はちょっと気取ってポーズをつけてみる。す
ると自然に笑みがこぼれ、向こう側のもう一
人の少年に目配せするようにニッと笑った。
 自分の部屋を一通り眺め渡す。そして一つ
大きく深呼吸してから部屋を出た。居間を抜
ける時ふと思い付いて立ち止まり、壁を振り
仰いだ。東向きの壁には神棚が掛かっている。
今日に限って丁寧に二拝二拍手一礼した。
 こうしてようやく家を出発した。

〔発表:1987年2月第18回東京座会/初出:1987年3月号「短説」(月刊化第1号)/再録:年鑑短説集(1)『旅のはじまり』1987年7月/「西向の山」upload2002.4.5〕
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2005年3月11日 (金)

通信座会/短説の書式/点盛りについて

 ML座会で、以下のような投稿がありました。それに関連して、その他+α気づいたことがありますので書き出しておきます。

 作品「○○○」についての通信座会での批評文読ませていただきました。作者があらかじめ判っているML座会との違いが面白いと思いました。MLでは点盛り座会の形式は難しいでしょうね。作者名があるかないかで、コメントも違ってくると思うのです。東葛の一月座会はかなり大胆な作品が出ます。匿名で、自分の作品を読み上げなくて済むからでしょうか。(東葛座会は普段は点盛りをせず、作者が自作を朗読して、合評を始める)

■通信座会のこと
 
 通信座会(これは現在では郵便座会といった方がいいかもしれませんが)も、長い間には若干メンバーの入れ代わりはあっても、ほぼ常連メンバーで固定されていますので、無記名で提出されていても、実際には作者が誰かというのはすぐ分かってしまいます。
 今回、私は6年ぶりに参加したのですが、月刊誌の編集で見ていたこともあり、ほかの8名の作者は完璧に分かりました。文章を読んで分かる以前に、ワープロの印字の特徴で、見ただけで分かってしまうものもあります。
 それでも、封筒を開け、一枚一枚作品を手に取るまでは、誰が参加しているかは分からないので、そういう意味ではほかの座会と違った面白みがあります。
 そこへ、予期せぬ参加者があると、これは誰だということになる。今回の私のはまさにそういう感じで、三位選が届くまでは誰も私だとは分からなかったと思います。通座もたまに飛び入り参加があると、刺激になっていいようですので、参加費が1,600円(80円切手20枚同封)かかってしまいますが、たまに参加してみると面白いですよ。
 
■短説のワープロ書式について
 
 無記名であろうとも、同じワープロで印刷しようが、よく読めば作者はたいてい分かりますので、それとは別の観点からですが、もう少しワープロの書式を合わせられないものかと思います。
 これはほかの座会のもそうですが、文字のレイアウトによってはスキャナーでよく読み取れないものがあります。また、ワープロはすでに製造されていないので、古いものを使っていて文字が潰れていたり、印字が薄いものなどは、まったく読み取れません。
 短説の縦書き二段組の書式・レイアウトは、もうずっと以前に、芦原さんが統一書式の見本を提示していて、「短説への招待」や単行本の年鑑、月刊「短説」のバックナンバーにも縮小版が載っています。機種による微妙な違いは仕方ないとして、なるべくこれに合わせてほしい、というのが編集部の希望です。
 
 全体的に、みなさん文字間隔や行間隔をとり過ぎている。注意を要するのは、この統一書式は、現在の月刊誌の「巻頭作」の二段組書式とは異なるということと、芦原さんの説明では数値が切り上げされているので、その通りに設定すると芦原さんの原稿より広くなってしまうという点です。
 公式サイトの「原稿の書き方」にも詳しく載っていますので、もう一度確認してみてください。
 まとめておくと以下の通り。(文字の大きさは10.5ポイント)
 
文字間隔は、3.72〜3.87mm
20字分で一行の長さが、74.4〜77.4mm
 
行間隔は、5.4〜5.9mm
20行分の横幅が、108〜118mmm
 
定型で書式設定できるなら、
文字間隔、20字あたり76mm
行間隔、20行あたり110mm
にすると、上記の平均値ぐらいになります。
 
 B5の用紙いっぱいに印刷すると、たしかにもっと文字間隔も行間隔もとれるのですが、余白が多めにあった方が美しいですし、スキャナーとの相性もいい。 
 
■MLでの点盛りについて
 
 これは可能です。Yahoo!グループには投票の機能がついていますので、それを利用すればできます。ただし、全員がYahoo! IDを所得して、新システムに移行し、ブラウザのMLのページから各メニューにアクセスしてくれないことには使えません。
 しかし、現状のままでも、もう一つできる方法があります。
 まず、締め切りを決める。各自は、それまでに私個人宛にメールで作品を送る。私はそれをまとめて(1通のメールにして)MLに配信する。送信者名は私になりますので、個々の作品は一応誰のだか分からないことになる。三位選(天・地・人・我を選ぶだけ)も各自は私個人に送り、集計して配信する。作品の感想は、集計後に各自がばらばらにアップしてもらえばいい(つまりいつもの通り)
 
 まあそこまでしなくても、ある程度作品が集まってくると、月ごとに、天・地・人・我の投票をしてもいいかもしれませんね。作者が分かっていても、自分の好みで選べばいいし、ほかの座会に出した作品も含めて、やってみるもの面白いでしょう。
 点盛りについては賛否がありますが、私は芦原さん同様に賛成派です。なぜその作品を選出するのか、なぜこの作品はいただけないのかということで、選ぶ方もより作品を読み、考えることになるからです。
 
 通信座会では全作品にコメントをつけるのですが、これが批評どころか感想にもなっていない方がいます。こういう方は上達しませんね。よく理解できないような作品でも、好みじゃない作品でも、一所懸命言葉を尽くしてコメントを書いてくる人は、やがて確実にいいものを書くようになっています。これは通座で実証されているといってもいいでしょう。
 ほかの座会でも同じことですが、人前ではなかなか発言できないという人もいます。そういう意味でも通座は勉強になります。しかし、かといって、感想を文章にするのはもっと難しいという方もいるでしょう。ある作品を読んで、思ったことを率直に述べよと言われても、思うように文章にできない。しかしこれは、自分の思いを作品でどう相手に伝えるかということにつながります。思いをなかなか伝えられないというのは、やはりその前に読みが足りないのではないか。
 だから感想も、ただ「なんとなく心ひかれた」とか「おもしろく読みました」とか、また「難しかったです」とか「よく分かりませんでした」といった一言だけで済ませずに、どこがどう心ひかれたのか、どこがどういうふうに面白かったのか、どこがどう難しいと思ったのか、よく分からないのはどういう部分なのか、ちゃんと言う(考える)べきだと思う。
 通座の寸評だって、相当時間をかけて考えないと書けない。かなりのエネルギーを要する。そんなことに労力を使うなら、自分の作品を書いた方がいいのじゃないかと思う人もいるかもしれませんが、それはやがて自分に跳ね返ってくると思います。
 それに短説の場合、いずれみんな同人仲間なんだから、よく分からないような作品でも、細かいところまでもっとよく読んであげてもいいんじゃないか。と、そんなことを思ったりします。

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2005年3月10日 (木)

短説:作品「ホメオスターシス」(森林敦子)

   ホメオスターシス
 
            
森林 敦子
 
 草息で溢れ返っている葉陰のあちこちから
ひたすら食べている音が聞こえる。時折風が
入るとそのリズミカルな音に変化が起こる。
「さっきから見ていたんだけどあなたってダ
サイわね。大きな頭に短い手足、極端に寸胴
で、おまけにその服の色。緑だけじゃ目だち
ようがないわね」
「えっ」見上げるとカラフルなコートを着込
んでいる気位の高そうな目が見下ろしていた。
言われたとおりなので何も言えずに側を通り
すぎる。後から声が追いかけてきた。「それ
以上食べると着られる服がなくなるわよ」
 しかしやはり食べ続けた。無性に食べたい。
しばらくすると今までの食欲が嘘のように消
えて今度は、眠気が襲ってきた。体が重く、
手足を動かすのがやっとだ。何処かに眠れる
場所を捜さなければ。
 どのくらい寝たのだろう。背伸びをする。
まだまだ延び切らない気持ちに駆られて空気
を身いっぱいに吸い込んで全身に送る。繰り
返し繰り返し背伸びをしていると体が軽くな
って浮き上がれるように感じた。驚いたこと
にほんとうに浮いている。あわてて葉にしが
みつく。自分の身に何が起こったのか。気が
動転したが、恐る恐る自分の姿に目をやると
手足がすらりと延び、ウエストがしまってい
る。更にあんなに憧れていた羽までついてい
る。それも模様つきの。
 葉の下で何かが動いている。一匹の蛹が必
死で殻を脱ごうとしている。息を深く吸い込
んで大きく背伸びをしたかと思うと出てきた
羽をひろげた。見たことのあるカラフルな模
様。バタバタと無器用に動かした。目と目が
会うと驚いた様子で慌てて日陰に逃げ込んで
しまった。
 私は日に向かって飛び出した。

〔初出:年鑑短説集(4)『海の雫』1990年12月/〈短説の会〉公式サイトupload:2005.1.1〕
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2005年3月 7日 (月)

「暗黒の井戸」論議

 先程紹介した短説のML座会に、2月17日付けでこのブログに書き込んだ「中井英夫の『無用者のうた』論から」を、同時に配信していました。月刊「短説」誌上でも活字になる予定ですが、まだ先のことなので、まずはここで、それについての芦原修二さんと私のやりとりを再現しておきます。
----------------------------------------------
From: Ashihara Shuji
Date: 2005年2月21日(月) 午後1時15分
Subject: Re: [短説][00919] 中井英夫の「無用者のうた」論から
----------------------------------------------
 ―「無用者のうた」論から― 拝見しました
 
 西山さんから表記論文をお配りいただきありがとうございました。
 たいへんなつかしい気分で拝読しました。それというのは、当時「暗黒の井戸」といった認識が評判になり、私もそれを当時読んでいたからでしょう。どこで、いつ読んだかなどの細部は忘れておりましたが……西山さんのご指摘によって、44年前のことだったと知り、驚き、かつなつかしい気分になった次第です。
 もう間もなく半世紀前のことになるのですね。しかし、この論旨は、いまも真理であり、私自身にとっては、その根底にありつづけてきた、書くということの岩盤的認識でありました。
 ただ、短説を20年もつづけてきますと、会員に「よき家庭人」「よき市民」といった方々が多くなってきて、じつはこれが難問題になっています。「暗黒の井戸」これが、文章を書く事の根本理念だ、ということが、常識として理解されていないからです。そこでは、常套句花ざかりの、そしてちょっと気のきいた形容詞にあふれた、つまりどこに出しても、あたりさわりのない身辺雑事の「お上手なご報告文」ばかりになってきます。
 私が「形容詞」をできるだけ削るようにすすめ、また、常套句はまず第一に削ってしまうようすすめているのも、じつは、そうしたことによって、一見「よき家庭人」「よき社会人」も実は皆、その存在の奥に「暗黒の井戸」を持っていることを気づいてほしい、という思いがあるからです。その存在を気づいたところから、ほんとうに書く事、考えることがはじまるのだと信じているからです。人は、みんな、ことと場合によっては、刃物を持って学校に押し掛けないでもない存在です。そこに気づいていないと、読者にとって有意義な作品など生まれてくるはずがないのです。
 逆に、いくら探しても、自分の内側に、そのような「暗黒の井戸」がまったくないという方が、もしおられたとしたら、そうであること自体を追及さるべきでしょう。すると、そのこと自体が、その人にとっての「暗黒の井戸」であることが理解されてくでしょう。
 釈尊は自分の息子に「悪魔(ラゴラ)」という名をつけ、捨てています。
 自分は、「暗黒の井戸」を持たないと言えることは、自分が「釈尊をも凌ぐ聖人」だと自負することなのです。だとしたら、そのこと自体が、前記したとおりに、その人にとっての「暗黒の井戸」でなくて何でしょう。
 西山さん、いい時期にいい論文をいただきました。感謝します。
 
【芦原修二】
----------------------------------------------
From: 西山 正義
Date: 2005年2月21日(月) 午後5時31分
Subject: Re: [短説][00936] 「無用者のうた」論から
----------------------------------------------
 芦原様 お忙しい中ご返信ありがとうございます。
 
 一言申し添えておくと、私も芦原さんも、「よき家庭人」「よき市民」を批判しているわけではありません。昔は文学者は無頼漢どころか時に犯罪者でもあったのですが、現在ではそんなことはありません。職業作家といえども、実生活ではごく普通の市民であり、よき家庭人だったりします。
 むしろ、そうしたごく普通の「よき家庭人」「よき市民」の心の中に「暗黒の井戸」があるということの方が重要です。
 
 先頃の寝屋川市の小学校教職員殺傷事件にしても、池田小の事件にしても、酒鬼薔薇事件にしても、小学生の子供を持つ親としては、全く許しがたい事件ですが、その犯罪が自分とは無関係だと考えるのは不遜というものです。佐世保の小学生が同級生を殺してしまった事件も、大人の目からは驚愕に値するように見えますが、本当にそうか。多くのニュースや各種報道に不満を覚えるのは、アナウンサーもコメンテーターも聖人面していることです。
 たしかに、実際に犯罪を犯すか犯さないかの違いは、大きな違いかもしれない。しかし、単に小心だから犯罪を犯さずに済んでいる場合もある。可能性として心の裡に秘めているのと、ある意味では五十歩百歩といえる。だから、キリスト教では心に思っただけで罪とされるわけで、この認識は正しい。
 キリスト教ではそれを懺悔という形で救済するわけだが、文学もこれと同じ機能を担っているといえる面がある。芦原さんも「少年達はなぜ小説を書くのか」で同じようなことをおっしゃっておられますが、もしかしたら小説は犯罪を犯さないで済ませるための装置かもしれない。
 実際、自分の親やきょうだい、子供、友人、恋人、妻や夫を、心の中で一度でも殺したことがない人などいるでしょうか。
 だからこそ、その取り扱いには厳格な注意が必要だということだ。 
 
 佐世保の小学生がホームページ内で実際にどんなやりとりをしていたのかは詳らかではありませんが、「言葉」によって人を殺人に駆り立てることもあるということではないか。
 インターネットで一つ危惧されるのは、誰もが簡単に情報・意見を発信できるようになったのはいいとしても、ものを書くに当たって、それ相当の覚悟と、言葉が持つ魔的な作用を認識していないと、一部の掲示板ですでにそうなっているように、全くの無法地帯になってしまうということだ。たとえ匿名でも、その責任の所在は作者自身にあるのは変わらない。ただ、匿名ネットでは、その所在の追求が難しいというだけに過ぎない。
 最初の論点からちょっとズレますが、車を運転するには免許が必要だ。文章を書いて発表するのに免許は要らない。しかし本当はそうではないのだ。なぜなら言葉は剣と同じだから。ところが、学校でもどこでも誰も教えてくれない。無免許運転はともかく、それでも事故が起きる。小学生でも簡単にホームページが開ける時代になった。ことばは悪いですが「キチガイに刃物」状態にもなりかねないのだ。
 
 しかし、こう考えてくると、当たり障りのないもの以外、何も発言できないことになってしまう。そこでわれわれ短説は、もう一歩進めなければならない。
 言葉によって人を傷つ、自分をも傷つけるということを十分認識した上で、なおかつ言葉の剣ではらわたを抉り出さなければいけないのだ。
 これを自覚しているのと、無意識・無自覚・単に無知でやるのでは大違いである。まともな職業作家はそれを承知しているから、時に抑制することもあるが、素人が無自覚でやると前述の通り危険なことになる。しかし、危険を承知で、それでも「書かざるを得なくなる」のが文学である。いや、私は文学をやっているつもりはないという議論もあるでしょうから、文章と言い直してもいい。
 
 現在は、小説よりもゲームの方が正直かもしれない。今回の小学校事件もゲームの影響が云々されているけれども、ゲームのシュミレーションやバーチャル体験によって、逆に犯罪に走らないでいるケースもあるのではないか。犯罪に到っていないのだから、検証の仕様がないが。ビートルズのある歌を聞いていたら人を殺したくなって殺したという事件が、かつて実際に起こったが、実は逆のケース、つまり犯罪が起こらなかったということの方が多いのではないか。
 
【西山正義】
----------------------------------------------
From: Ashihara Shuji
Date: 2005年2月21日(月) 午後9時14分
Subject: Re: [短説][00937] 「無用者のうた」論から
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 ふたたび「暗黒の井戸」について
 
 西山さん、今度の論考で、いっそう問題点を明らかにされたことをうれしく思います。おっしゃる通りに《ごく普通の「よき家庭人」「よき市民」の心の中に「暗黒の井戸」があるということの方が重要》で、そのとおりなんです。
 私は、西山さんの今回の論考を「月刊短説」に転載させてもらいたいと思います。ネットを読んでいない人にも、この問題を十分に考えてもらいたいと思います。この論義を経過した後になら、きっと文章を書く事に覚悟を持った人が出てくるだろうと思います。
 よき家庭人、よき社会人に、なぜ《暗黒の井戸》を覗き込んで、短説を書く事をすすめているのか、その本当の意味もわかってくるように思います。
(後略)
 
【芦原修二】
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(以上「短説ML座会」より)

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短説メーリングリスト座会

 十日ばかりブログをアップしていませんでした。三月はこれが初。これから紙媒体の方(月刊「短説」四月号)の編集に取りかからなければいけないので、また間が空くかもしれません。実は、二月になって、特に後半から、このところずっとML座会への投稿で忙しかったのです。
 短説のメーリングリスト(ML)座会は、メンバー間のみに流通していて、一般には公開されていませんので、ここでその中の様子を述べても、メンバー以外の方にはピンと来ないと思いますが、新たに強力なメンバーが二人参加したこともあり、このところ怒濤のような投稿で、メールの嵐になっています。
 2000年4月に始まった短説のML。新システムに移行したのは2002年6月。
 今まで最も投稿があった月は、旧MLでは、短説十五周年記念全国大会が行なわれた直後の2001年3月。この時は、全国大会に触発された作品が短期間に次から次へとアップされたのでした。これら一群の作品は、大会の会場が埼玉県嵐山町であったので、のちに旧ML管理人の水南森さんによって「嵐山もの」と名付けられました。旧MLの最大の成果です。
 新システム(Yahoo! eグループ→Yahoo!グループ)に移行してからは、管理人である私の怠慢もあり、細々とやっていたという感じでした。それでも、短説の会初の「同人会議」が行なわれた前後の2003年5月には、月93通の投稿がありました。次いで多かったのが2004年1月の71通。あとは少ない時は10通以下、多い時でも30〜40通ぐらいでした。やはり、論客?の私や水南さんが盛んに投稿した月は全体の投稿も多く、逆に少ないと淋しいことになっていました。また、何か記念の行事などがあると、それに刺激されて投稿数が増加するようです。
 それが、この2005年2月は、誤送信も含めてですが103通。さらに3月(つまり今月)はまだ一週間ですでに98通。にわかに活況を呈してきました。これが一過性のものにならないよう、私も大いに発言し(それ以上に肝心の「作品」をアップしなければいけませんが)、メンバーそれぞれに有益に利用され、短説の発展の場になればいいと願っています。
 
 さて、このところのやりとりで、短説(ならびに短説の会)について、いろいろ重要な意見や問題提起が出されました。それらは今このブログで公開するようなことではありませんし、問題も錯綜していますから、今はML内だけでの話に留めておきますが、一点だけ、これは月刊「短説」でも活字になる予定ですし、元々このブログに書いたことが発端になっている話なので、次にアップします。
 
短説メーリングリスト(ML)座会のご案内
ML座会への作品投稿の仕方/見本
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