短説:作品「弟地獄」(向山葉子)
弟地獄 向山 葉子 弟が行方不明なんです。逃げた小鳥を探し にいったまま。……ええ、そうです。鳥籠を 持ってます。どなたか弟を見かけた方はいま せんか。青いズボン、千鳥格子のハンチング です。籐の鳥籠を抱えているはずです。チン ドン屋のおじさん、知りませんか。……そう ですか、見かけませんか。え? カフェの女 給に聞いてみろって? ええ、そうしてみま す。暗い路地に分け入って、私は弟を探しま す。お姐さん、弟を見ませんでしたか。…… そうですか、知りませんか。え? 曲馬団の ピエロに聞いてみろって? ええ、そうして みます。風吹く荒野を横切って、私は弟を探 します。ピエロさん、弟を見かけませんか。 ……え? お母さんに聞いてみろって? え え、そうしてみます。お母さん、お母さん、 お母……ああ、そうでした。お母さんはとう の昔に亡くなりました。幼いころから愛しん でいた手鞠と一緒にもうとうの昔に煙になり ました。だれか弟を知りませんか。街灯だけ がほのぼのと揺れる街、私は弟を探します。 ころころ鞠が転がって、私の足にじゃれつい て……ああ、これはお母さんの手鞠。お母さ ん。振り向くとお母さんがにっこり笑って立 っています。お母さん、お母さん、弟を返し てください。おほほ、おほほ……まだ若いお 母さん、まだ綺麗なお母さん、笑いながら私 の手から鞠を奪って逃げていきます。お母さ ん、お母さん、お願いです。弟を返してくだ さい。おほほ、おほほ……もうあの子は返さ ないよ。だってまた私の中に戻ってきたのだ もの。お母さん、お母さん、お願いです。弟 を返してください。おほほ、おほほ……お母 さんは笑いながら街の闇へと消えていきまし た。残された鳥籠の中には、死んだ小鳥が眠 っています。 〔発表:1986年3月第7回東京座会/初出:年鑑短説集〈1〉『旅のはじまり』1987年7月/「西向の山」upload2002.4.5〕 Copyright (C) 1986-2005 MUKOUYAMA Yoko. All
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