« 短説:作品「弟地獄」(向山葉子) | トップページ | 短説:作品「少年」(福田政子) »

2005年3月26日 (土)

短説:作品「柵を越えて」(金子敏)

   柵を越えて
 
             
金子 敏
 
 もう少しすれば、この先いつ会えるかわか
らなくなる。小学校からずっと一緒だった三
人は、しめし合わせて柵を越えた。
 万一つかまって新聞に出たら、どんな肩書
きになるのだろう。卒業式は済んだのだから
中学生ではないし、まだ入学前だから高校生
ともいえない。ずぼんの中がごそごそする。
「俺、少しは泳げるよ」Kの声が弾んでいる。
僕とMは泳げない。ことしから水泳の授業が
あるらしい。全く不公平だ。僕たちから寄附
を集めて造ったプールに、僕たちは入れない
のだ。去年の夏にはできあがっていたのに、
セメントのあくを抜くため半年くらい水を張
り放しにしてからでないと使えないという。
 あと何日かで、僕たちは別々の高校に行く。
一度だけでもプールに入ってみたかった。海
水浴では波に邪魔されて、泳ぐまねしかでき
ない。波の無い水に浸って、思いきり手足を
動かしたら、きっと上手に泳げるだろう。ず
ぼんの下に海水パンツをはきこんだ時から、
わくわくしている。
 宿直室の明りの下を身をこごめて、プール
に近づいた。脱衣室の裏手の柵をもうひとつ
越えて、はだしになった。ぞくっとする。三
人の新しい門出にふさわしい静かな水面はも
う目の前だ。
「あれぇ」思わず同時に叫んだ。水が無い。
満々とたたえられていたはずの水が無い。僕
たちを迎えてくれるはずだった静かな海がど
こかに消えてしまっている。
「こんなことってあるか」Kが服を脱ぎ捨て
た。Mも僕もはだかになった。すっと烏肌が
立った。僕たちは水の無いプールの真ん中に
寝そべって笑った。おなかが痛くなるほど声
を殺して笑った。プールに仕切られた四角な
空に、潤んだような月が浮かんでいた。

〔発表:1990年12月東京座会/初出:「短説」1991年1月号/初刊:年鑑短説集〈5〉『螺旋の町』1992年4月/再録:「短説」1998年5月号・2000年11月号/〈短説の会〉公式サイトupload2004.6.21〕
Copyright (C) 1990-2005 KANEKO Bin. All rights reserved.

|

« 短説:作品「弟地獄」(向山葉子) | トップページ | 短説:作品「少年」(福田政子) »

短説〈同人会員作品〉」カテゴリの記事

短説集1985〜1990」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 短説:作品「柵を越えて」(金子敏):

« 短説:作品「弟地獄」(向山葉子) | トップページ | 短説:作品「少年」(福田政子) »