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2005年10月18日 (火)

短説:作品「傘」(石川正子)

   
 
            
石川 正子
 
「あ、傘!」
 ドアを出ようとした輝夫は言った。美佳は
風呂場に干しておいた折り畳みの傘を持って
きて、輝夫の前で丁寧に畳みだした。別れを
惜しむかのように、ゆっくり綺麗に畳んでい
く。輝夫はその手を黙ってみている。
「朝早く、ごめんね。今日、天気だったら子
供と遊園地に行く約束をしてたもんで……」
「いいのよ、気をつかわないで。わたしネグ
リジェだから、ここで……」
 輝夫は、じゃあ〜とでもいうように傘をあ
げドアを出ようとした。美佳は、輝夫の背に
顔を埋めた。輝夫が向き直り、美佳を抱え込
んでキスをした。
 昨夜の激しい雨音が美佳の心にドラムのよ
うに響き、いまなお鳴り響いてやまない。
 関係を持つようになって半年、久しぶりの
輝夫との一夜であった。
 子供好きの輝夫は、何かというと『子供』
と言う。その言葉に美佳はむなしさを覚える
が、あきらめるように自分の心を慰める。
 昨夜の残り香を嗅ぐかのように美佳はベッ
ドに横たわった。ふとサイド・テーブルを見
ると、輝夫の煙草が置いてある。美佳は煙草
を掴んだ。
 休日の朝六時、廊下には誰もいなかった。
ネグリジェのままエレベーターのほうに忍び
足で行った。角のところで顔だけをだし、エ
レベーターの方角をみた。美佳の視線に背中
を向けて輝夫は立っている。他には誰もいな
い。嬉しさのあまり声をかけようとした時、
輝夫は折り畳みの傘をぱっと広げた。美佳は
息をのんだ。輝夫は、傘をぐしゃぐしゃに畳
み直し、柄のところに傘袋を結んでいる。
 煙草を握り潰して、美佳は立ちすくんだ。
エレベーターの閉まる音が聞こえた。

〔発表:平成12(2000)年5月東京座会/初出:「短説」2000年8月号/再録:「短説」2001年5月号〈年鑑特集号〉*2000年の代表作「天」位選出作品/〈短説の会〉公式サイトupload:2003.12.4〕
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