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2005年11月

2005年11月30日 (水)

短説:作品「ネタ釣り」(水南森)

   ネタ釣り
 
             
水南 森
 
 家の前の電柱に、黒いシミ。わたしはフー
ッとしゃがみ込んで、ジーッと見つめる。待
つこと五分。ランドセルの女の子が、わたし
の顔を覗き込んできた。
 「おじさん、ダレ?」
 「今日、引っ越してきた、水南。よろしく
ね」
 「アタシは、果梨。お家は隣よ。で、何を
してるの?」
 「シミを見てるのさ」
 「……おもしろい?」
 「うん。実におもしろい。果梨ちゃんは、
ミケランジェロって知っているかい。有名な
彫刻家なんだ。そのミケランジェロがある日、
苔むした大理石の塊を見て、こう言った」
 「そのお話し、長くなる?」
 「この中には、ビーナスが捕らわれている。
そうしてミケランジェロは、苔むした大理石
から、ビーナス像を彫りあげたのさ」
 「おじさん、彫刻家なの? もしくはミケ
ランジェロさん?」
 「いや、わたしは短説家さ。つまりわたし
の場合は、この黒いシミに捕らわれているド
ラマを解き放ち、一篇の作品に戻してあげる
のが仕事って……」
 「ママー! このおじさん、変。タローの
オシッコ見て、なんか言ってるの」
 少女は、家の中に駆け込んでしまった。
 ……そうか、こんなドラマを隠していてく
れたのか。
 わたしは立ち上がり、あらためて黒いシミ
に頭を下げる。
 ふと上を見ると、隣家の二階の窓から、少
女と母親が見下ろしていた。
 「越してきました、水南……」
 ブラインドがストーンと下ろされた。

〔発表:平成11(1999)年6月東葛・ML座会/初出:「短説」1999年9月号(*フランス語訳併載)/「短説」2000年5月号〈年鑑特集号〉*1999年の代表作選出作品/〈短説の会〉公式サイトupload:2005.6.10〕
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2005年11月26日 (土)

短説:作品「戒め」(新井幸美)

   戒 め
 
            
新井 幸美
 
「A高校合格で、先生もびっくりしていたで
しょう? 何人受験したの?」
「男四人、女一人」
「そのうち何人受かったの? 落ちた人はい
なかったの?」
「一人落ちたよ」
 
「誰なのその子」
「……」
「四郎のクラスの子? お友達なの?」
「……」
 母、美樹の立て続けの質問に四郎の頭が次
第に下がり、口を固く閉ざしている。
 朝食のパンを持った手が動かなくなった。
 頭を上げた。目が鋭くなっている。
「………」
「え、なに?」
「人には聞かれたくないことがあるって言う
ことが分からないの?」
「何を怒ってるの?」
「俺を育てたお母ちゃんのせいだ」
 
 美樹は首を傾げた。
「学校で友達にいろいろ質問して嫌がられる
事があるんだよ」
「どうしてお母ちやんのせいだというの? 
どうして相手があんたの質問が嫌だと感じる
わけ?」
「相手の表情を見れば分かるだろ。お母ちゃ
んはいつも俺がいやがる質問をするだろ。そ
れが遺伝したんだよ」
 四郎の言葉がふるえている。
「ごめん、言いたくない時は言わなくていい
よ」
 
 美樹はそっと台所に移動した。

〔発表:平成14(2002)年3月藤代日曜座会/初出:「短説」2002年4月号(*フランス語訳併載)/再録:「短説」2003年5月号〈年鑑特集号〉*2002年の代表作「人」位選出作品/〈短説の会〉公式サイトupload:2003.12.19〕
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2005年11月20日 (日)

短説:作品「丸い男」(芦原修二)

   丸い男
 
            
芦原 修二
 
「目をつむって、手を出しておくれ」
 と、笑いながら啓那が言った。啓那は両手
を後ろにまわし、何かをかくし持っている。
 この少年がたくらんでいるいたずらはなん
だろうか。いちおうは用心しながら、山次郎
は目をつぶった。
 自分に渡して驚かそうとしているそのもの
を、いま現に啓那が手に持っているのだ。そ
れを山次郎が手にしてたとえ驚くことがあっ
たとしても、けっして危険なものではないの
だろう。そう判断し、山次郎は、目をつむっ
たまま右手を前にさし出した。
 その手に啓那が丸いものを載せる。ずっし
りと重い。山次郎はもっと軽いものを無意識
に予測していたようだ。あやうく落としそう
になって、両手で支えた。
 目をあけて見ると、それは白い球体の大理
石像であった。
 日本の力士を思わせるやわらかく太った体
を丸め男が団子状になっている。全裸だが両
手で頭を抱えこんでいる。そのため頭頂や首
筋そして背中は見えるが顔は見えない。
「ほら、こうやって見てごらんよ」
 啓那が、手をのばし、球状の彫刻を取り戻
す。そして肘と脇腹と太股の問にできたかす
かなすきまから、中を覗き込んだ。
「何が見えるのかね」
 山次郎が尋ねた。啓那はただ笑っている。
そこで山次郎は手を伸ばし、啓那から丸い男
の像を横取りした。いわれたように覗くと大
理石を透して入り込んでくる光の中で、男は
いまにも男根をくわえようとしていた。いっ
たいどこから彫刻刀を入れて彫り上げたのか。
「ね、かわいいでしょう」
 啓那が手を伸ばし、ふたたびその男の像を
山次郎から取り返そうとした。

〔発表:平成15(2003)年5月東京(同人合同)座会/初出:「短説」2003年8月号/再録:「短説」2004年5月号〈年鑑特集号〉*2003年の代表作「我」位選出作品/WEB版初公開〕

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2005年11月16日 (水)

映画『春の雪』

 映画「春の雪」を観てきた。最初、映画化が発表された時は、え?と思ったし、封切られてからも、見たいような見たくないような。「春の雪」は数ある三島作品の中でも、映画化してほしくない筆頭である。が、美輪明宏がこれなら三島さんもOKを出すだろうと言っていたのを聞いて、やはり見ておこうと思った。
 結果、良かった。期待半ばだったのだが、期待以上だった。僕は映画のことはよく分からないし、映画としてどうなのかは判断しかねるが、原作の解釈としては概ねいいだろう。原作が七百五十枚の長編小説であるから、大幅にはしょっているのはいた仕方ないことだし、そもそもそれは映画の仕事ではない。が、外せないところは外していなかった。
 まず第一に、画像が綺麗であった。時代背景や特殊な社会の風俗等、一応相当研究したようだ。しかし、それは今の技術ではどうにでもなるだろう。
 一番良かったのは、原作を周知しているという前提にたって作られている点だ。もちろん、原作を読んでいない人にもある程度理解できるようには作られているが、たとえば ナレーションとか字幕のキャプションとかで、余計な解説を一切交えず、分からない人には分からなくてもいいというような、潔い作りに好感がもてた。大手映画会社の興行映画なのだが、大衆に媚びていないところが気に入った。
 逆に言えば、あまり興行的には成功しないかもしれないと思ったが、実にタイミングよく(それを狙っていた?)、立場は異なれど、現代でも今まさに、紀宮様のご婚礼ということがあり、この「不可能な恋」というテーマは、事情がよく分からない若い人にも理解できたのではないか。
 ただ、「不可能な恋」と一口に言っても、これはもう「純愛」というようなレベルではなく、これ以上の禁忌はない、禁忌中の禁忌であり、およそあり得ないことなのだが、そのへんの重大さは、現在の大方の日本人にどこまで伝わるか。これがもし、雅子様や紀子様がご成婚する時期であったら、間違っても上演などできなかったであろう。
 また、これを映画のキャッチコピーのように、最近流行りの単なる純愛物として見たら、ストーリー的には馬鹿馬鹿しいと感じる人もいるかもしれないし、清顕の心理がまったく分からないという人も出てくるだろう。現代の感覚で見たら、いや時代背景を加味しても、一般庶民的な感覚で見たら理解できるようなものではない。あくまでも「三島美学」として観なければ、理解できない部分がある。
 二時間半という、それでも映画としてはやや長めであるから、これ以上詳しく描写することはできないだろう。だから、三島由紀夫をまったく読んだことのない人には、誤解を与えるかもしれない。原作に忠実であろうとすれば、「阿頼耶識」や「貴種流離」の問題、仏教の唯識論、思想、哲学、宗教、政治、法律論の問題がからむ。しかしそうしたものは、映画ではお手上げだ。またそれを十九歳の「高等学校生」が論じ合うかと思うと、現在の感覚では理解を超えたことだろう。さらに本に「雅び」ということ。しかし、そういう背景があっての「禁断の恋」なのだ。だがそれは、映画ではある程度(というより相当というか殆ど)カットせざるを得ない。が、そうしたニュアンスを何とか少しでも映像の中に入れようとしている努力は見える。
 芝居を引き締めているのは、やはり三島さん存命の頃から三島劇に数多く出ていた、松枝清顕の祖母役の岸田今日子と、月修寺門跡の若尾文子であろう。
 ただ、月修寺への道のり(車止めから門まで)がもっと長くなければいけないだろうと思った。車(人力車)で門前まで乗り付けてはいけない。あそこがクライマックスなのだから。が、それを忠実に表現すると、映画では間延びしてしまうか、あまりにも「くさく」なってしまうのかもしれないが。
 キャラクター的に大幅に変えられているのは、『豊饒の海』四巻で重要な役割をになうことになる本多繁邦であるが、これは本質的に「内面の人」であり、映像化は無理である。また、見かけ上はともかく、ほかの同級生に較べれば清顕側の人間であるから、主人公との対比上、どちらかというと朴訥な体育会系っぽくしたのだろう。これはまあ良しとする。冒頭で、理屈っぽい面も出しているので。
 問題のヒロイン、竹内結子の綾倉聡子は、原作で人それぞれにイメージを固めている人にとっては、おそらく誰がどう演じようが、ダメという人にはダメだろう。僕もそれが見たいところであり見たくないところであった。が、それなりに(いや、それほどイメージも崩れずに)良かったんじゃない、というのが感想である。同じように、妻夫木聡の清顕も、実年齢的には薹が立っているのだが、実年齢の役者では若さだけで、清顕のようなキャラクターをしかも風俗や時代背景もあり、演じられるのはいないだろう。
 それに、清顕は、作者・三島由紀夫自身とはおよそかけ離れた人物であるが、三島さんがこうありたかったという「在るべき姿」と考えられ、(それは「奔馬」の飯沼勲であろうというかもしれないが、本音では清顕こそそうではなかったのかと僕は見ている)、そう思って見ると、妻夫木聡の清顕は、僕や多くの三島読者が思い描く清顕像とは異なっているかもしれないが、作者・三島由紀夫の面影を宿している。横から見た、頬から揉み上げのあたりにかけて、ちょっと三島さんっぽいのだ。これはおそらく、制作者も意識していたのではないかと思われる。そういう意味では、よく作られていると思う。
 企画に、三島の長男・威一郎氏が噛んでいる(本名の平岡ではなく、三島威一郎として参画している)ということもあるのだろうが、生誕八十年、没後三十五年の企画として、下手な物は作れないだろう。美輪明宏が認めたのも納得いく出来映えだった。
 しかし原作映画の宿命であるが、それにつけても原作の素晴らしさが再確認された格好だ。映画も良かったが、原作はその何十倍も何百倍も素晴らしいぞ、と。
 最後にもう一つ付け加えると、僕はこの映画を「TOHOシネマズ 府中」で観たのだが、映画館自体もTOHOシネマズの観劇システムも良かった。

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2005年11月12日 (土)

短説:作品「仙台のお姉ちゃん」(向山葉子)

   仙台のお姉ちゃん
 
            
向山 葉子
 
『マヤちゃん、な、マヤちゃんでば』
 呼ばれた気がして、部屋の中を見回した。
ヨシトは階下のトイレでウンチの最中のはず。
母が呼んだのかと階段の下を見てみるが、包
丁の音がしているだけ。ちょっと怖くなった
ので、降りていこうとする。
『マヤちゃんでば。私だ。せっかぐ待ってた
ったのに、冷てんでねの』
 振り向くと部屋の真ん中に、自分より二つ
ばかり年上らしい少女が座っている。なあん
だ。お姉ちゃんか。知らない子のはずなのに
なぜか知ってる顔なのだ。
『この家、だあれもいなぐなってさ。しかた
ねがら、私が守ってんだっちゃ。あんた達だ
って、夏にしか来ねしな』        
「ごめんね。バァバ、もう動けないし。私も
学校、色々と忙しいのよ。夏休みの宿題だっ
ていっぱいあんの」
『そら、大変だな。気楽だよー、ワラシ生活
は。隣も空き家だし、あっち向かいも留守だ
しな。ワラシ同士でいっつも遊んでんだ』
「いいな。私もワラシになりたいよ」
『だめだー。ワラシは、なんねばなんね運の
子供したなれねんだもの。あんたはちゃんと
おっきくなねばな』
「おねーちゃーん」トイレからヨシトのけた
たましい声。ウンチ終了。
「拭いてやらなきゃ。手のかかる弟だよ」
『あんただってそうだったよ。まだバァバ元
気で、こごさ戻ってきてもさ。お母さん、夜
寝らんねくれ泣いで。私が時々あばばしたっ
たの』
「ずっといたね、お姉ちゃん。ここに。どし
て忘れてるんだろ。夏に来ると思い出すのに」
『それはさ。あんたのほんとのお姉ちゃんに
なれねがったからさ』

〔発表・初出:平成12(2000)年6月・「日&月」第8号/WEB版初公開〕
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2005年11月 5日 (土)

短説:作品「蓮沼海岸」(西山正義)

   蓮沼海岸
 
            
西山 正義
 
 また幽霊の話である。大学二年の夏、サー
クルの合宿で、外房の蓮沼海岸に行った。
 僕らが作ったサークルである。大学側には、
歴史・民俗・文化研究会ということで登録し
ていたが、自分たちでは「自分の中の社会を
見つめる会」と名乗っていた。政治・宗教的
な色彩はない。一口で説明するのは難しいが、
主旨としては、従来の組織のあり方を否定し、
新たな個対個のコミュニケーションのあり方
を模索するというものであった。
 時はジョージ・オーエルの『1984』年。
構造主義とニュー・アカデミズムが一世を風
靡していた頃である。ポスト・モダンの影響
は確かに受けていたが、もちろん、それと幽
霊の話とは関係ないし、僕らは青白い顔をし
て海にも入らなかったということではない。
 朝のうち一回目の討論会をし、日中はたっ
ぷり泳いだ。関百合子の均整のとれたプロポ
ーションと、奥村靖子が相当なグラマーなの
には目を見張るものがあったが、男同士の時
にもそういう話題に興ずる連中ではなかった。
 三日目、夕焼けを背に海から上がってきた。
丈の高い葦に囲まれた小径を抜け、宿の前の
道に出る。横切れば民宿の前庭。僕は、中学
からの親友・草野と最後尾にいた。埃っぽい
その道は、海岸線らしく、その辺りで大きく
蛇行し、道幅も狭くなっている。
 まさに黄昏だった。宿の前庭西側に、傾き
かけた木製の電柱があった。見上げたのは草
野と殆ど同時だった。ちょうど電線を繋ぐガ
イシがある辺り。ほの白く漂うものがあった。
幽霊! 草野と顔を見合わせて頷きあった。
 その夜、宿の前で自動車事故があった。サ
ーファー同士の正面衝突。僕は民宿の電話で
警察に連絡したりしていたが、草野が指差し
た。事故現場は、例の電柱の真下だった。

〔発表:平成17(2005)年1月ML座会(原題「蓮沼」)/初出:2005年4月号「短説」/再録:2005年7月号「月刊TOWNNET」通巻368号/再録:「西向の山」upload:2005.8.25〕
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2005年11月 2日 (水)

多摩川五本松

 その水神様と六郷用水取り入れ口から土手に登ると、「新東京百景」にも選定された多摩川五本松が見られます。僕の原風景の一つです。

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水神様(狛江市)

 横山とよ子さんの「川ぴたり」に出てくる勤行川の水神様ではありませんが、先にアップした玉川(多摩川)万葉歌碑のすぐ先にも「水神社」があります。
 ちょうど、かつて江戸の南を潤した「六郷用水」の取り入れ口跡のあたりに位置します。六郷用水とは、徳川家康の命により、代官小泉次大夫吉次によって造られた灌漑用水路で、多摩川中流域の、現在の調布市と狛江市の境あたりから分岐し、世田谷を経て大田区まで、全長23Kmにおよんだそうです。

ts2a0010.JPG

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2005年11月 1日 (火)

短説:作品「川ぴたり」(横山とよ子)

   川ぴたり
 
           
横山 とよ子
 
「みんな、お餅を持って水神様に行こう」
 三年生の正夫君が子供達を集めた。
 今日は旧暦の十二月一日。川ぴたりの日だ。
 私は家に戻り、お勝手の隅にある四斗樽の
中に首を突っ込んだ。すぐり藁の中から餅を
取り出し半纏の袂の中に何個も入れると、
「一個でいい。幾つも持って行くんじゃない」
 母の声を背中に、家をとび出した。
 勤行川のつり橋に着くと、先ず正夫君が、
「カッパ君、カッパ君、俺のケツノコより旨
い餅を食べてくれ」
 唱えながら、川に餅を投げ入れる。司君と
私も、袂の餅を次々に投げながら祈った。
「これで今年の夏も、自由に水泳が出来るな」
 泳ぎの大好きな司君が、私を見て微笑んだ。
 その晩、父は私に言い聞かせた。
「カッパは水の深い所や、淀んだ沼に住んで
いてな、子供のケツノコ(内臓)が大好物で
肛門から引き抜いて食べるんだ。絶対一人で
は、勤行川に行くなよ」
 
 凧揚げや独楽廻し、そして羽根つき。竹馬
に乗る子供もいて、広場に歓声が上がる。
 今年もまた、川ぴたりの日がやって来た。
私達は餅を袂に入れ、勤行川に向かった。
 吊り橋に着くと、近所のお百姓が餅を何個
も投げ入れてお祈りしていた。
「今年も、馬に怪我がありませんように…。
農家は水が命、水がなければ作物は育たない。
水の中で仕事をする者をお守り下さい」
 水神様は大人のお願い事も聞いてくれるの
かなと思いながら、私は、餅を投げ入れた。
「カッパさん、私のケツノコよりおいしいお
餅をどうぞ。泳いでいても食べないで下さい」
 私の隣に、司君はいなかった。去年の夏、
この川で溺れて、死んでしまった。

〔発表:平成17(2005)年1月藤代日曜座会/初出:「短説」2005年4月号/〈短説の会〉公式サイトupload:2005.8.25〕
Copyright (C) 2005 YOKOYAMA Toyoko. All rights reserved.

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