短説:作品「月」(西山正義)
月 西山 正義 「ねえ、見て」 美加が友一の手を引っ張って言った。 「お月さんが、ヘン」 「え?」 「なんか、ぼよぼよしてるよ」 「ああ、すごいね、朧月だ」 「ボロい月?」 「おぼろ月」 「ふーん」 「そういえば、昼間、虹、見たね。あんなに くっきりした虹見たの久しぶりだよ」 いや、空を見上げること自体久しぶりだ、 と友一は続けようとしてやめた。 「でも、六色しかわからなかったね。もう一 色なんだったろう。気になるなあ」 「あッ、今、笑った」 「は?」 「お月さんが笑ったよ」 「うそだあ」 「あッ、今度は泣いた」 「………」 「ほらあ」 「これは雨だよ」 「涙よ」 「……ちくしょう、降ってきたか」 もう限界だと思った。とうとうガス欠にな った。盗んだ車を乗り捨て、まだ造成中らし い新道を登ってきた。この道はどこまで続い ているのか。丘陵の下には灯がたくさん見え るが、ここは人も車も通らない。杉ばかりで 桜もない。生暖かい風が吹く。木立が騒ぐ。 「ねえ、おじさん、どこ行くの?」 「………」 握っている美加の手が、妙になまめかしい。 幼児の手というより、女の手のようだ。 「帰ろうか」友一は言った。 〔発表:平成15(2003)年4月ML座会(原題「高温多湿」)/初出:2004年5月号「短説」〈年鑑特集号〉/再録:「西向の山」upload:200311.1〕 Copyright (C) 2003-2005 NISHIYAMA Masayoshi.
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