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2006年3月25日 (土)

短説:作品「水車小屋」(日向野フミ)

   水車小屋
 
           
日向野 フミ
 
 じいちゃんは、牛ぐるまの上でキセルをく
わえ、マッチをすり、すっても、すっても風
のいたずらが、フミよ、手をかさんか。
 じいちゃん、おら、どうすれば。
 キセルの頭を、まるくかこってくれ。
 マッチ棒がこの野郎、いっぷくしたい、フ
ミも手がつめてえな、じいちゃんも鼻水が流
れ涙もとまらん。
 火がついた、あったけえな、じいちゃん。
 麦畑には霜柱が二寸も立っていやがる、田
んぼの水たまりには氷が、寒いはずだ。
 フミ、土手が見えてきた、あの土手を越え、
土手づたいに一里はあるべ、米俵の横に寝て
おれ、水車小屋についたら起こす。
 じいちゃんは、ハー佐渡へ、佐渡へと。
 バシャ、バシャ、ゴットン、ゴットン、川
に水が流れて行く、水車小屋についたのだ。
 フミ、目がさめたか。
 じいちゃん、おひさまがでてきたよ。
 じいちゃんは手綱を梶棒につなぎ、バケツ
には川から水をくんで牛に飲まし、叺から玄
米入りのかいばを出して食べさせ、水車小屋
へと、おはようござんす、ついた麦と米は叺
に入れ、モチ米は麻袋に入れてもらい、帰る
用意も出来た。
 水車小屋のおばさが、友さん、お孫さん、
お茶一杯、沢庵香香で飲んでくらっせ、今朝
は何時に。
 今時は、四時にでてきたんですよ、牛を三
十分休ませ、七時には帰りたい、三時問はか
かる、フミ、沢庵香香をもらって、牛ぐるま
にのっかれ、牛は横になっていて汗がびつし
ょり、ゆげが立っており、さあ帰るぞ、と言
っても、目をつぶり涙をポロリ、立たない。
 じいちゃん、牛も、かわいそう。
 さあもう一走りだ、牛の頭を一つたたく。

霜柱=たっぺ
叺=かます
沢庵香香=たくあんこうこ

〔発表:平成9年(1997)12月東葛座会/初出:「短説」1998年2月号/再録:「短説」1998年3月号/WEB版初公開〕
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コメント

おはようございます。日向野さんの作品。
味わい深い、土俗的な作品。
いつかの東葛座会でも、同様の自己体験に
基づくと思われる作品を出されていました。
寺山修司や唐十郎、そして中上健治の世界にも
つながっていくようなイメージも持ちますね、と
小生は発言したことを思い出しました。
かの作家たちと日向野さんの作品との違いは
ナンダロウと、考え出したところ、答えが
うまく出てきません。今、思い出したのは、
数年前の中国の映画「山の郵便配達」。
映画は見ていないのですが、脚本を日本語と
中国語の対訳で読みました。原題は、
「あの山、あの人、あの犬」=「ナー・シャン、ナー・レン、
ナー・グオウ」。最後のセリフが、父が永年お供についてきた
犬を、ムスコの方にあえて追いやる悲しいものでした。
年をとって重たい郵便袋を倅に譲る父は、お供の犬も倅に
譲るのです。「チーパ、ニー・チーパ(いくんだ、おまえはいけ)」
そして原作では「その直後、黄色い塊は、青い海の中を
一直線に消えて行くのだった」というような文章でした。
何故か、映画を見ていないのに、最後の美しい映像が
浮かびました。
日向野さんの作品にも、そうした色と映像が見えるようです。
それでは、また。

投稿: 秋葉信雄 | 2006年3月26日 (日) 09:24

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