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2006年3月11日 (土)

短説:作品「霧」(秋野さくらこ)

   
 
          
秋野 さくらこ
 
 車は山道に入った。
 前にも後ろにも他の車は一台も見えない。
街の暑さを逃れてやってきたのだが、この辺
りまで登ってくると、車のエアコンを切って
も暑くない。窓をいっぱいに開けて走る。
 遠くの方は、うっすらガスがかかっている
が、樹木の葉はまだ緑色をしているのが見え
る。緑も濃淡いろいろある。
 いくつものカーブを登っていくと、突然、
平らな開けた土地に出た。
 『第一リフト乗り場』と書かれた看板の横
に、『駐車場』という立て札がある。
 すれ違った車も、追い越された車もなかっ
たのに、そこには十台ほどの車が止めてある。
私も車を止めて外に出た。
 こんなに車があるのに、人が一人も見あた
らない。リフトに乗ったのだろうか。リフト
乗り場は木の蔭で見えない。
 私は乗り場と反対側の崖の方へ歩いた。
 谷底が深く、木々が生い茂っている。目の
前には赤とんぼが飛び交っている。
 私は両手を広げ目を閉じて、深呼吸をする。
冷たいが、湿った空気が、肺の奥の方を刺激
する。
 外はこんなに広いんだ。空もあんなに青い
じゃない。
 今まで、胸につかえていた何かがさがって
いった。目を開けて、一人で笑った。
 しかしそれも束の問、下から湧いてきたの
か、上から降ってきたのか霧がたちこめてき
た。やっぱりこれが、霧降高原という名の由
来だろうか。
 たちまち見通しがきかなくなった。私の車
も見えない。方向がわからなくなった。
「また考え込んでいるの」
 と、だれかの笑い声がする。

〔発表:平成9年(1997)10月上尾座会/初出:「短説」1997年12月号/〈短説の会〉公式サイトupload:2006.2.14〕
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コメント

こんばんは。本当に久しぶりに秋野さんの「霧」を
読ませていただきました。
印象に残った作品でした。
霧、というと心の中をふさぎ今と未来が視えない、
視界がきかない、ということがすぐ浮かんでくるのですが、
この「霧」はちょっと違った景色を表現しているような気が
してきました。
うまく言えないのですが、誰かを探しにここに来ている、
そして見えなくなるはずの「霧」の中に、見えるべきものが
姿を現すのではないか。そんなふうに読んできたと思います。
小生、間接的にこの作品にたなびいた雰囲気に影響され
作品を書いたような気がしております。それでは、また。

投稿: 秋葉信雄 | 2006年3月13日 (月) 18:32

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