短説と写真のコラボレーション「桜」
桜 西山 正義 高樹朝子は、「はけ」の道を歩いていた。 この「はけ」とは、古代多麻河が南下して いった軌跡で、武蔵野台地に崖線をかたち造 っている。大岡昇平の『武蔵野夫人』で有名 になったあの「はけ」である。これには二系 統あって、ここ調布市にはこの二つがほぼ並 行して走っている。武蔵野夫人道子が悶々と して過ごした旧家があった「はけ」は、国分 寺崖線の方で、いま朝子が歩いているのは、 南よりの府中崖線に属す。 ![]() 春である。桜が満開。この「はけ」下に沿 った道は、多摩川住宅という大きな団地の外 周道路でもあり、両側の歩道の街路樹はすべ て桜である。樹齢四十年ほどになったソメイ ヨシノは、今がまさに花の盛りで、この道を 桜のトンネルにする。 ![]() 朝子は胸を大きく反らし、満開の桜を見上 げた。午後の物憂い時間、人影も途切れた。 私はいま桜を独占している。 息を深く吸い込む。薄いブラウスを透かし て、そう豊かではないが形のいい乳房が隆起 する。官能が刺戟された。からだの内部から 火照ってくるのがわかった。 ![]() 桜の精がからだの中に入ってくる。朝子は そう思った。あからさまに言えば、それは性 的な快感であったが、幼児がそれと知らずに 感じる快感に近かった。だが、子を二人産ん で、子育て真っ最中の朝子にとって、それを 認めるのはやはりなんとなく躊躇われた。 ![]() しかし朝子は、腰から砕けてしゃがみ込み たいような感覚に襲われた。幹に手をつく。 それは色艶もよく、がっしりとしていた。さ ながら中年女のように。私はこんなんじゃな いわと言ってやりたかった。 桜がまた匂う。ぶるっとからだが震えた。 思わず朝子はあたりを見回した。 ![]() *短説と写真「桜」完全版はこちら |
〔発表:平成12年(2000)5月第74回東葛座会 (千葉県松戸市・戸定が丘公園探題会)/第二稿:2000年6月ML座会/初出:2001年3月WEBサイト「水南の森」/再録:2001年5月号「短説」〈年鑑特集号〉/再録:「西向の山」upload:2003.3.29/2006.3.28〕
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コメント
おはようございます。西山さんの「桜」、いいですね。
「写真+短説」、新しい試みという方法論とともに
桜(の花や木)に対する西山さんの「想い」がにじみ出ているような
作品ですね。桜の木が、静かな音曲を奏でているようです。
春は桜とともに、イノチの輝きを目覚めさせるのでしょうか。
音の香りとともに。それでは、また。
投稿: 秋葉信雄 | 2006年3月30日 (木) 07:44