長谷寺の文学碑
極楽寺の駅に着いたとき、ここらで昼食をと思ったのですが、何もなさそうなので、参拝後てくてく歩いていく。星月井を経て、長谷寺方面へ。長谷駅を南北に貫くメインストリート(大仏通り?)に出たらびっくり。どこから沸いてきたのかという人、人、人。出足が早かったため、それまでさほど混んでいなかったのですが、昼近くになってどっと人が。さすがはゴールデンウイークなのでした。
食事後、長谷寺へ。ここの史跡や見所を書き出したらキリがないので、文学碑のみを。
久米正雄像
久米正雄〈明治24年(1891)~昭和27年(1952)〉は、大正14年から鎌倉に住み、大町、雪ノ下、二階堂と居を移しながらも、鎌倉を終の住処としました。「鎌倉ペンクラブ」を結成したり、「鎌倉文庫」の重鎮として、いわゆる「鎌倉文士」の中心的存在でした。
今では文学史に名を留めているだけで、一般には忘れられていますが、一時は流行作家でもあったんですよね。
「高山樗牛 ここに住む」の碑
31歳で亡くなった高山樗牛〈明治4年(1871)~明治35年(1902)〉は、転地療養のため、最初大磯、ついで鎌倉に転居。明治34年12月から亡くなるまでの1年ほどを、長谷寺の境内に居住。その葬儀も長谷寺で行なわれたとのこと。
写真を取り損なってしまいましたが、樗牛とは逆に長生きした高浜虚子の句碑もあります。
高浜虚子〈明治7年(1874)~昭和34年(1959)〉は、明治43年以来、その死まで50年近く鎌倉で過ごしたというとです。
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コメント
TBどうも有難うございました。
お礼とお返しが今頃となって、本当に申し訳ございません。
「鎌倉文士?」 いやー、鎌倉に旅行で行った時に、皆さんから教えていただいたくらいです(汗)。
あっ……高浜虚子くらいは知ってましたよん!
これからも、よろしくお願い申し上げます。
投稿: Y・T | 2006年5月12日 (金) 23:02