短説:作品「山釣り」(根本洋江)
山釣り 根本 洋江 幸一は、日曜日に釣りに行くことに決めた。 餌はイクラを使おうと思い、母に頼んだ。 中学生になってから、一人で時々山に行く。 父親と一緒に行ったことのある、陣馬の奥の 沢が好きなのだ。だが、幸一は今回は少し場 所を替えてみようと思っていた。 「餌のイクラは、お握りの中に入れたからね。 気をつけて行ってらっしゃい」 そう言う母から、握り飯を貰って出掛けた。 高尾駅で甲府行きに乗り換え、藤野駅から 目的地まで一時間半も歩けばと計算していた。 暫く急な坂道を登ると、恰好の場所に出た。 〈この辺にしようか〉 釣り道具の傍にリュックの中から握り飯を 取り出し、近くの石の上に置いた。 向う側がいいか、とも迷いながら、あっち こっちと場所を選んだ。そして釣り竿を組み ながら、餌をつけようとして辺りを見た。 「アッ、無い。どうしたんだ」餌のイクラを 入れた握り飯の包みが無いのだ。 〈ここに置いた筈なのに、なぜだ〉 リュックの中や草叢を何度も探した。 〈もしかして、犬でも……〉幸一は思った。 「お兄ちゃん、何してんの」後ろで声がした。 四、五年生位の少年が立っていた。 〈まさか、こいつが〉 幸一は、その少年に握り飯の話をした。 彼も、一緒に探してくれる、と言う。 「お兄ちゃん、お腹空いたろ、これ上げる」 そう言いながら、彼はお菓子を呉れた。 頬張ると、口の中でイクラの味がした。 「藤野駅に行くんなら、こっちが近道だよ。 途中まで案内するから…」少年が言った。 幸一は彼の後についた。細い道を抜けると、 彼はバイバイをした。幸一も手をあげた。 彼の指には、イクラの粒々がついていた。 〔発表:平成14年(2002)8月通信座会/初出:「短説」2002年12月号/再録:「短説」2003年1月号/〈短説の会〉公式サイトupload:2006.4.18〕 Copyright (C) 2002-2006 NEMOTO Hiroe. All
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コメント
おはようございます。根本さんの「山釣り」、不思議な出逢いを
扱っていて印象に残りますね。「イクラ」がいい「エサ」に
なっています。この少年は、カッパか山のワラシなのでしょう。
「エサ」はこの主人公なのかも知れません。
山の川で魚をつろうとして、実は川の守り手である、カッパ・ワラシ
によって水底に引っ張り込まれたのでしょう。
昔、川でおぼれたことがあります。山の中の川は、水面と、底では
水の流れが違います。川底の積み上げられた石が、流れによって
動かされて、足場を失い水面が遙か上のほうに見え出したのです。
「ああ、僕はもしかしたらこれで終わるのかも・・・」と思い、苦しさの
あまり、力一杯底の石を蹴った後、体が浮き上がったように記憶しています。あとで誰かに足を引っ張られたような気がしたのです。
このオハナシの主人公は、もう川のエサになってしまったのかも。
そんな気がします。それでは、また。
投稿: 秋葉信雄 | 2006年5月 4日 (木) 08:06