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2006年5月17日 (水)

短説:作品「息子」(栗原道子)

   息 子
 
            
栗原 道子
 
「決めてきたよ」
 やっぱり、と春枝は思った。
「駅から徒歩六分、2K、家賃九万。格安物
件なんだって」
 先日、啓の部屋に住宅情報誌があった。バ
イト代を四十万円ためたとも話していた。
「上村君と一緒に住むから家賃は折半だけど。
いいかなあ?」
 家から通えるのに。今だって学費はかなり
家計を圧迫している。バイトで補わせるとし
ても寝具くらいは用意してやらねば……
「下宿するチャンスは今だけなんだよ」
 ん? でも一人っ子の啓が共同生活を体験
するのは悪いことではないだろう。
「父さんが承知したらね」と春枝は答えた。
 和雄が帰宅したのは十時を過ぎていた。
「明日は早いぞ」とゴルフバックを車に積み
込むと、浴室に直行した。啓は書類を抱えて
うろうろしている。賃貸契約の保証人になっ
てもらわなければならないのだ。
「先に寝るよ」と和雄。追いかける啓。
 二十分も経ったろうか。春枝は寝室を覗い
た。暗がりで啓が正座して首を垂れている。
「そんなことを急に言うな、だって。それっ
きりオヤジ寝たふりなんだ……」
 涙声になっていた。
 玄関扉が開閉する音を春枝は寝床で聞いた。
啓が自室に戻ったのはそのだいぶ後だった。
 朝の太陽を浴びて車が光っている。磨き上
げられ、タイヤの下には水が溜っていた。一
月の深夜、気温はマイナスに近かったろう。
 エンジンの音に、啓はとび起きた。
「お父さん、契約してもいい?」
「二十一歳の人間にダメだと言っても仕方な
いだろう」それだけ言うと、荒っぽい運転で
角を曲がって行ってしまった。

〔発表:平成7年(1995)4月上尾座会/初出:「短説」1995年6月号/WEB版初公開〕
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コメント

「父」に続いて、「息子」。
この作品も、印象に残っています。
自分にも同じような経験が、二回あります。
長男と次男。最初の長男のときは、母親は
泣いていました。
次男のときは、さすが覚悟していたのか、
泣きませんでした。
その倅達も、会社員とフリーター。
時間が経ちます。
作品の中の倅が泣くのは、少し不自然かな。
小生も若いころ、家を飛び出しましたが、
亡きオヤジと大喧嘩しました。
懐かしい思い出であり、倅達の「仕返し」を
されております。それでは、また。

投稿: 秋葉信雄 | 2006年5月18日 (木) 07:20

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