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2006年8月 4日 (金)

津村信夫の詩を介して

 このブログに嬉しいコメントがありました。ホームページやブログをやっていると、ごくたまにですが、まったく未知の人と愉快な交流ができることがあります。スパムメールや迷惑投稿・トラックバック等、いろいろ不愉快なこともありますが、基本的には「性善説」によって成り立つインターネット。こういうことがあるからやめられないですね。通常の生活圏・交流圏では、とうてい出会えない出会いがあります。
 
 本日未明(というか昨日の深夜)、もう一年半前にアップした、昨年二月六日の記事にコメントがあったのです。その記事は、山梨の小淵沢にある「四季派書庫(小久保実文庫)」について書いたものですが、「津村信夫さんの詩について検索していて、たまたまこちらに辿り着きました」とのこと。“ナナ”さんというハンドルネームとフリーメールのアドレス以外何も知り得ない、まったく未知の方です。
 女性とは限らないかもしれませんが、「小久保先生」と仰っているところからすると、もしかしたら帝塚山学院大学で先生の教えを受けた方でしょうか。
 それはともかく、「最近、四季創刊号に載っていたと記憶する津村信夫さんの朝べりの歌(だったと思いますがうろ覚え)をもう一度読みたく思って検索していました」ということで、僕も気になって探してみたのです。うちにある近代詩の各種アンソロジーでは見つけられませんでした。それで僕もネットで検索。
 そして、たぶんこれではないかと思われる詩を見つけました。“ナナ”さんにはメールしたのですが、その経緯は以下の通りです。
 
 インターネット上には奇特な人がいるもので、『四季』の総目録を掲載しているサイトがあります。「四季・コギト・詩集ホームぺージ
 それで、第二次『四季』昭和9年10月創刊号を見ると、津村信夫が発表している詩は「生涯の歌」一篇です。
 この「四季・コギト・詩集ホームぺージ」は、岐阜女子大学図書館の中嶋康博さんという方が制作しているもので、その筋では有名なのですが、輪をかけて奇特な人がいて、津村信夫(だけでなく何人かの詩人)の主要詩集を丸ごとブログにアップしている方がいました。
あどけない詩~詩と詩人の紹介~」-それによると、「生涯の歌」はこの通りです。
 その冒頭だけを孫引きすると、
「海べりの街の朝まだきを、鴉の群は遠くよびかはしながら通りすぎる。」
 というもの。
“ナナ”さんがお探しの「朝べりの歌」というのは、実はこれではないか。つまり、「朝べり」ではなく、「海べりの街の朝まだき」。
 
 ということをメールしたのですが、何が愉快って、いろいろ調べていて、久しぶりに津村信夫の詩が読めたことです。そういう機会を、このブログのコメントは僕に与えてくれたわけです。
 今日は暑かったです。昨日今日と気をつかう仕事をし、疲れて帰ってきて、夜が更けてもまだ暑い。そんな時に、軽井沢や戸隠のさわやかな風を運んでくれる津村信夫の詩が読めたのです。そういう瞬間こそを、優雅で贅沢な時間というのではないでしょうか。
 
 津村信夫は大恋愛をしていますよね。三十六歳の若さで、アディスン氏病という難病で夭折してしまいますが、身分の違いや病気(本人のではなく相手の)を乗り越えて結婚した、その恋女房に看取られながら星になったのでした。
 因みに、こんなホームページもあります。「大分文学紀行(湯布院)/津村信夫「鄙の歌」-長野・善光寺で撮られた津村信夫・昌子夫妻の有名な写真が転載されていますが、詩人のハートを射止めた(一目惚れだったと言われている)だけあり、美人で清楚そうな奥様であります。

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コメント

記事で取り上げていただき、恐縮です。
最初にコメントしたものに再度コメントしましたが、探していたのはまさしくその詩でした。

仰る通り、私は帝塚山学院大学で学んでいました。
ゼミは近代詩歌を学ぶゼミ。宮澤賢治をテーマにしたかったので選んだゼミです。
結果的に私が入ったのは小久保先生のゼミではないのですが、ゼミを選ぶ時最後まで悩んだのが小久保ゼミと山田ゼミのどちらにするか、でした。

私は4年の時に師事していた先生から君は津村信夫を卒論のテーマに選んでも良かったね、と言われた事を覚えています。
津村信夫さんはそれ以来ずっと興味あるのですが、日常のどさくさに紛れて詩集を求める事すらしないで今日に至っています。
教えていただいたブログ、読んでみます。
(メールいただいたのでしょうか? すいません。そちらは届いていません。スパムメール対策にWeb上で書き込むアドレスなんですが、使い勝手悪いですね…)

コメントを投稿してから、「〈短説の会〉公式サイト編集長がお届けする」と書いてあるのを見て、
「しまった、見知らぬ第三者がこんな風にコメント出すのは嫌がられるかも」
と慌ててしまいました。
寛容に受け止めてくださって、大変嬉しいです。
ありがとうございます。


投稿: ナナ | 2006年8月 5日 (土) 11:27

ナナさん、どうも。
こんな風に記事にしちゃって良かったのかどうかわかりませんが、僕には嬉しい投稿で、書かずにはいられませんでした。

そうですか。やはり帝塚山学院大学のご出身でしたか。僕は関西の大学はよくわかりませんが、名門ですね。
初代学院長の庄野貞一氏は、作家・庄野潤三(住吉中学時代の国語の先生があの伊東静雄)のお父さんですよね。
近代詩歌のゼミに入ったとのこと、僕は東京の明治大学でしたが、ゼミは近代詩歌でした。一年間、詩ではなく、堀辰雄をテーマにしたこともあります。
うーん、そうなるとやはり、いつ頃のご卒業か気になるところですが、まあそれは不問ということにしておきましょう。

> 「しまった、見知らぬ第三者がこんな風にコメント出すのは嫌がられるかも」

なんていうことはありませんよ。というより、投稿の内容を見ればすぐに分かります。
今どき「津村信夫」で検索する人は、そうザラにはいませんし(残念ながら)、さらに、「小久保実」先生のお名前に即反応されたということに、僕のほうがびっくりしました。いまだかつてそういう方にお目にかかったことがありませんでしたから。
先生は名誉教授にまでなっているので、それ相当の知名度はあるのでしょうが、一般にはまったく知られていなく(たぶん)、国文学を勉強した者でも、よほどでないと知らないでしょう。

そんなわけで、非常に爽快な気分になったのでした。

投稿: 西山正義 | 2006年8月 6日 (日) 00:15

それはそうと、僕があれこれ、そのお探しの詩を探してみようと思ったのは、津村信夫の詩ということもありますが、「朝べりの歌」というタイトルでした。
そんな詩あったかしらという単純な疑問。
「川べり」とか「海べり」という言葉はあります。これは「川(または海)の縁のあたり」ということでしょう。
しからば、「朝の縁」とはなんぞや。そんな日本語あったかしら。詩人の造語だろうか。もしそうなら凄い!
「朝の縁」とは、なんとなく分かるような分からないような、しかし物凄く鮮やかなイメージを掻き立てられる言葉です。
結果的には「朝べり」ではなかったわけですが、これは使えるかも?

投稿: 西山正義 | 2006年8月 6日 (日) 00:39

「朝べり」は私の勘違いですよね。
海べリと混同していたのかと。お恥ずかしい限りです。

卒業は20年近く前です。お嬢様学校、でしたね、印象は。

名誉学長が庄野英二先生(庄野潤三さんのお兄さん)の時もあった気がします、学内で庄野先生をお見かけした事もありました。
他には詩人の杉山平一さんの授業があった事もあるような気が…(もはやうろ覚え)
今では大学に文学部日本文学科もなくなり、寂しい限りです。

日常の中で、例えば私が草野心平さんの生き様が面白いと思った事や八木重吉の詩に惹かれるとかいう話を出来る人がいません。
こちらで今回お話しできて、心が潤いを取り戻せそうな気がします。

投稿: ナナ | 2006年8月 6日 (日) 15:46

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