« 坂の名前・神田駿河台の石標(その四) | トップページ | 短説:作品「やくせん」(大越剛吉) »

2006年8月11日 (金)

小川和佑先生への手紙(ニコライ堂前にて)

 明大文芸科の恩師・小川和佑先生に手紙を書きました。久しぶりに長い手紙を書きました。私信ではありますが、差し支えないと思いますので公開します。実際に今日の昼過ぎ、ニコライ堂の前で書いたのですが、実はペンで便箋にではなく、パソコンのメモ帳にでした。以下はいわば下書きであり、帰宅後先生にはちゃんと便箋に万年筆で書きましたが、ニコライ堂の前で書いたことにしてしまいました。
----------------------------------------------

 拝啓 長い梅雨が終わったと思ったら、いきなり夏になりました。最近はみなメールになってしまいましたので、たまにはペンをとろうと、お便りします。
Ts2a0281 今、ニコライ堂の前にいます。摩耶の夏休みの宿題に付き合って。水彩画を描くのです。昨年は“ラドリオ”を描きました。これは親父の趣味といったほうがいいのですが、神保町-御茶ノ水シリーズというわけです。葉子と義人は、昨日から甲子園に高校野球を見に行っています。父と娘はおばあちゃん同行で都内でスケッチ。
 ところで、ブログというのをご存じでしょうか。ホームページみたいなものですが、個々の記事に訪問者がコメントを寄せることができます。それで、ぼくは「短説ブログ」というのを制作・公開しているのですが、もう一年半前に、山梨県長坂町にある「四季派書庫(小久保実文庫)」についての記事を書きました。小淵沢に、五十嵐さんとゼミ合宿の下見に行った時の訪問記です。その記事に、つい先日、津村信夫のある詩を探しているという方からコメントが寄せられました。非常に懐かしい気分になり、久しぶりに“文学的夢飛行”をしてしまった次第です。
 その探している詩というのは、「四季創刊号に載っていたと記憶する」ということなので、さっそく探してみました。その経緯もブログに書きましたので省略しますが、該当の詩は「生涯の歌」でした。
Ts2a0171 その方は、のちのやりとりで、どうやらぼくと同じぐらいの年代の人らしいのですが、ぼくが興味をひかれたのは、今時、津村信夫の詩を探している人がいるということもそうですが、それが『四季』(第二次)創刊号に載っていたと“記憶する”という点でした。これは只者ではありませんよね。加えて、小久保実氏のことを「小久保先生」と呼んでいる。先生のゼミではなかったらしいのですが、ぼくの推測通り、帝塚山学院大学の卒業生とのこと。
 そして、「四季創刊号と第二号のコピーで2年間のゼミを行いました。先生が個人的に持っていらしたもののコピーでした。四季は復刻版か現物かは分かりませんが、載っていた広告にあった豪華版の装幀についてもどんな感じか学生に考えさせていました」とのこと。ぼくも近代文学館に行って、実際に現物や復刻版を手に取ってみたりしましたが、小川先生が常日頃おっしゃっていた、詩誌や詩集の研究には原典に当たる必要があるということを、ちょうどぼくらと同じ頃、それを実践している学生(それもお嬢様女子大の)が、関西にもいたのです。当然といえば当然ですが、妙な親近感を覚えました。
Ts2a0286 それで、ぼくも久しぶりに津村信夫の詩を読み返しました。さらに、詩ではなく散文ですが、遅まきながらこの度初めて『戸隠の絵本』を読み、たいへん心惹かれました。
 立原道造の散文もいいのですが、やはり詩人の散文という感じがします。津村のにしても、本人が言うように「抒情日誌」であり、エッセイというよりは詩文集に近いのですが、よほど散文であり、もっと素直ですね。津村も若くして死んでいますが、立原よりは十年長く生きている。実生活では、病気を乗り越え大恋愛をし、それを実らせ結婚もし、子ももうけている。三十半ばまで生きていれば、甘いだけではないそれ相当の成熟というものがある。そのあたりに違いがあるかもと思いました。
 それにしても、やっぱり、『四季』を代表する詩人、そして最も『四季』らしい詩人といったら、この二人に尽きますね。今更ながら改めて思いました。
Ts2a0283 そんなわけで、もう一度『四季』を読んでみたくなりました。先生にとってはもはやこそばゆい感じがあるかもしれませんが、『四季』をテキストにかつてのような合宿ができないものかと考えています。いやもう遠くに行かなくてもいい。泊まらなくてもいい。昭和の詩をもう一度先生と読んでみたい。
 中也でも静雄でも達治でも丸山薫にしても、『四季』とは離れますが伊藤整にしても、どうしてこの時代の詩は、半世紀以上のちの二十一世紀になった今でも心惹かれるのでしょうか。あるいは今だからこそなのか。
 先生が“新しき古典”と名付けた一九七〇年代初頭、それからちょうど三十年たって、また同じような状況になったということでしょうか。抒情詩、甘くて結構と言いたくなります。
 では、暑い盛りとなります。どうぞご自愛のほどを。   敬白

   平成十八年八月十日 ニコライ堂前にて
                        西山正義
小川和佑先生

|

« 坂の名前・神田駿河台の石標(その四) | トップページ | 短説:作品「やくせん」(大越剛吉) »

文学」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

そうそう、小淵沢。あそこでも季節を選べば、あのお洒落なホテル(?)でゼミ合宿ができますね。冬場はきついけれど・・・。「四季派書庫(小久保実文庫)」とか、見どころはあるし・・・。

投稿: 五十嵐正人 | 2006年8月17日 (木) 01:06

え~と、小淵沢でしたか、明治大学の学生研修寮があったような・・・。
いや、信濃境でしたか、八ヶ岳のふもとでしたか・・・。
三十年以上前に、一度行ったような記憶が・・・。
確か、「文連」の合宿があったような・・・。
詩人で文芸評論家の今は亡き、菅谷きくお氏の講演を
目の前で聞いた記憶が蘇りました。
甲斐の国や信州は文学が似合います。それでは、また。

投稿: 秋葉信雄 | 2006年8月20日 (日) 16:47

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/75251/11378708

この記事へのトラックバック一覧です: 小川和佑先生への手紙(ニコライ堂前にて):

« 坂の名前・神田駿河台の石標(その四) | トップページ | 短説:作品「やくせん」(大越剛吉) »