« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »

2006年10月

2006年10月31日 (火)

この一世紀

 今朝、家内の祖母が亡くなった。満百歳である。施設でほとんど寝たきりに近い状態だったとはいえ、昨日も叔母(実の娘)の手を借りながらも、トイレにも行き、食事も普通に摂っていたという。そして朝方、まさに眠るようにというか、眠ったまま亡くなっていたらしい。まさに大往生である。
 明治三十九年、つまり一九〇六年の生まれ。「丙午」である。日露戦争終結の四か月後に生まれ、以来、明治・大正・昭和・平成と……。とんでもない一世紀である。一体、どんな感覚なのか、想像もつかない。
 若い頃は、養女に行った北海道から家出し、大正のモボ・モガ時代の浅草あたりに出没していたらしい。そこで、某私立大学の学生であった祖父と知り合ったらしいのだが、ついにその詳細は聞けなかった。死にそうになったら聞かせてやると家内(孫)に言っていたのだが。もしかしたらカフェの女給などもしていた、とんだ不良少女だったのではないかというのが想像である。
 つい最近までテレビなどもよく見ていた。さすがにパソコンや携帯電話は手にしなかったが、それにしてもこの一世紀の推移。日露戦争は純粋な記憶としてはないにしろ、その余韻は身辺に濃厚にあったろう。それから約一世紀、ニューヨークのツインタワーまで。本当にどういう感覚なのか。

 因みに、同じ年の生まれは、女優の杉村春子、作家や文学者では和田芳恵、吉行エイスケ、山室静、そして坂口安吾。ルキノ・ヴィスコンティ監督に、変わったところでは東洋のマタハリ・川島芳子など。
 ネットのフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、

丙午は干・支ともに火性である。火性が重なることから、この年は火災が多いとか、この年に生まれた女性は気が強いという迷信が生まれた。さらに、「八百屋お七」が丙午の生まれだと言われていた(実際には戊申の生まれ)こともあって、この迷信がさらに広まることとなった。
 とあるが、非常にせっかちで気が強かった。さらにこんなことも。
この年生まれの女性は、気性が激しく、夫を尻に敷き、夫の命を縮める(”ひのえうまの女は、男を食い殺す”)とまで言われる。 特に江戸時代中期に盛んに信じられており、1846年(弘化3年)の丙午には、女の嬰児が間引きされたという話が残っている。1906年(明治39年)の丙午では、この年生まれの女性の多くが、丙午生まれという理由で結婚できなかったと言われている。
 まさにこの年の生まれであり、祖母に関して言えば、満更当たっていなくもない。

 向こうには、あなたの夫も、同世代の僕の両方の祖父母も、そしてあなたの息子と嫁(双方とも会いたくないかもしれないが、まあそう言わずに)、大勢いますので、安心して川を渡って下さい。どの道みんな行きますから。――合掌

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年10月28日 (土)

短説:作品「野田くん」(川上千十)

   野田くん
 
            
川上 千十
 
「彼女のことを思うと、ぼくは胸が苦しい」
 野田の告白を、吉岡はだらしないと思いな
がら聞いていた。
「しっかり受け止めてやりなよ」
 と励まし、コーヒーを飲んだ。
「彼女は大柄だから、ピタッと抱きとめられ
ないけどな」
「ふん、そうか」
 野田を見ると、惚れた弱みという顔をして
いる。どうも年上の未亡人に本気で参ってい
るようだ。
「彼女のことだが」
 と、にやっと笑いながら聞いた。
「三十八の独身か、我々より八つも上だよ」
「うん、旦那と死別して三年目だそうだ」
「同じ職場だよな」
 と言ったのは、彼女の人柄とか素行などよ
くわかる筈だから、悩んでいるより結婚した
らどうだ。と言いたかったが、彼の返事は妙
なのだ。
「ぼくは、彼女の考えがわからない」
「え、どうして?」
 すると、親友の君だから打ち明けるが、と
言うのである。
「この前、ホテルに誘われたときのことだ。
どこか話がおかしいんだ」
「何があったんだ」
「わたし、未亡人になって三年もひとり寝よ。
だから、その分あなたに可愛がってもらいた
いの、なんて言うんだ」
 野田は、なかば泣き顔になった。
「ほう、かわいいひとじゃないか。君もずい
ぶん惚れられたもんだな」
 と片目をつむると、野田が答えた。
「ぼくはね、近くにいてくれるだけでいいん
だよ」

〔発表:平成17年(2005)2月/18年(2006)1~2月ML座会(旧題「三年目の女」)/2006年4月号「短説」/WEB版初公開〕
Copyright (C) 2005-2006 KAWAKAMI Senjyu. All rights reserved.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年10月25日 (水)

短説年鑑校正中

 一昨日の午前中、待ちに待った短説の「年鑑特集号」のゲラが届いた。封を切っただけで、中身はまだ見ぬまま鞄に入れ、仕事に出掛けた。電車の中で開き、編集担当者の一人である僕も初めてその全貌を目にした。いや、それまでその一端すら情報が伝わって来なかった。
 とにかく遅れに遅れた。本来なら五月に出ているものだ。通常号も遅れているので、それを差し引いても、遅くとも八月の頭には出したかったが仕方がない。その原因は追求しまい。大変な状況の中で、大変な作業を一人でやったのだから。しかし、編集のシステムにも問題があることがはっきりした。これは改善されるべきであろう。
Ts2a0310 幸いこの二日間はシフト外で、出勤しなくてよい日だった。自宅での仕事がないわけではないのだが、それらをすべてうっちゃって校正作業に没頭した。昨年の年鑑が誤植だらけだったので、すべて原典に当たった。可能なものは初出だけでなく、元原稿とも照合した。隅から隅まで見たつもりだが、もう一度見て、芦原氏に返送しようと思う。
 年鑑を一目見て、あるいは校正をしながら気づいたことを、ML座会にあれこれ投稿した。ここでは繰り返さない。他選集の集計結果はオフレコということにしておく。お楽しみに!
 全然関係ないが、写真は、約40年前の小学校の机と椅子(高学年用。左に少し見えているのが低学年用)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月17日 (火)

母校の小学校40周年

 ここ数年そうなのだが、今年はとりわけ、夏から秋にかけて地域の行事が目白押しだ。上の娘はすでに卒業したが、息子が最終学年となって通っている、僕にとっても母校である地元の小学校が、開校四十周年なのだ。毎年定番の行事に加えて、周年行事がある。ソフトボールも市民大会が六週間に渡り、その合間を縫ってPTA予選もあった。PTA副会長で、周年行事の担当者である女房も、企画や運営委員会で連日のように学校に詰めている。それが今週ピークを迎える。
 今日は午前中、開校四十周年児童集会で、「むかしの○○小学校を知る」というコーナーで、放送部の子供たちのリードにより、各年代の卒業生代表がスピーチした。僕はちょうど三十年前の卒業生代表というわけだ。どんなことを話したかはともかく、それより、子供たちの出し物、その一所懸命な演技に、久しぶりにジーンときてしまった。身障学級の子供たちの「和太鼓ドンドン」、四年生の「新撰組よさこいソーラン節」、五・六年生による「太鼓囃子」。そして校歌の大合掌。卒業生の話より、最後の六年生の挨拶、議長団・議長によるまとめのほうが感動的であった。
Ts2a0308  Ts2a0309
 写真左は、在校生・先生・卒業生・父母・地域の人たちでリレー式に運んで積み上げた「四十歳バースデーケーキ」 
 右は、四十周年記念室に展示された歴代の卒業アルバムと文集。
 もちろんもっともっと古い歴史のある学校はたくさんあるわけだが、昭和四十年初頭に開発された東京の新興住宅団地に併設された学校として、一時は団地の高齢化・少子化で廃校寸前まで追い込まれた経緯があるので、親子二代の母校がともかく四十周年を迎えたのはめでたいことだ。
 今週金曜日には、本式の記念式典と祝賀会があり、その二日後には地域運動会。翌週は学校開放利用者団体による各種目別に「スポーツの集い」が行なわれる。まだまだ忙しい週末が続く。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年10月16日 (月)

短説:作品「ホットドッグ」(桑井朋子)

   ホットドッグ
 
            
桑井 朋子
 
 原っぱで、少年が凧を上げようとしている。
「ほう、まだ上がってませんか」
 売店から戻ってきたK氏が、そう言いなが
らベンチにいる私の横に座った。
「ええ、だってあんな大きな凧じゃねえ」
 私はしかし、凧よりはK氏が買ってきたも
のに仰天してしまう。なんとそれはホットド
ッグではないか。つい先刻、二十年ぶりにぱ
ったり出合い、お互い老いを痛感したところ
である。ぼくはもう入れ歯で…、とも言って
たではないか。なのになぜ? それはもう私
らには怪物の如き食べ物だというのに。でも、
「まぁ美昧しそう」
 と私は言う。この怪物にやりこめられると
ころをこの人に見られたくはない。
「あれは何の凧なんだろうねぇ」
「さぁ…」
 私はそれどころではない。まずはその先端
にそっとかぶりつく。すると中のスパゲティ
がずるずると絡り出てき、それを口で引っぱ
ると、今度はウインナーとレタスまでも飛び
出てくるので、私は慌ててまたかぶりつく。
「おっととと」
 横でK氏が奇声をあげている。人の粗相を
見て喜んでいるらしい。私は両の手でしっか
り怪物を捕まえ、より慎重にかぶりつく。
「よーし、それでいい、それでいい」
 ふと見ると、少年の凧がようやく上がって
いた。少年が必死に原っぱを走り、凧は晴れ
た空高くぐんぐん昇っていく。
「おお、あれはUFOだ、UFOだ」
 とK氏が歓んでいる。見ると彼の口周りは
ケチャップだらけで、その手にある怪物から
は、今しも内臓が落下しようとしている。
「あっ危ない!」
 でも今度は私のほうが……

〔発表:平成17年(2005)7月関西座会/初出:「短説」2005年10月号/WEB版初公開〕
Copyright (C) 2005-2006 KUWAI Tomoko. All rights reserved.

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2006年10月 6日 (金)

短説:作品「玉」(西山正義)

   
 
            
西山 正義
 
 通勤途中、朝晩通る鉄路沿いの細道に、地
場野菜の販売所があった。葦簾を張っただけ
の無人の掘っ建て小屋である。ある日の帰り、
そこについぞ見たことのない物体が置かれて
いた。色といい艶といい、最初は玉こんにゃ
くかと思った。が、それにしては異様に大き
い。僕が近づくと、その玉がニッと笑いかけ
てきた。僕は立ち止まり、周りを見回した。
 手にとってみると、意外にずっしり、ひん
やりしている。大きさはちょうどプリンスメ
ロンぐらい。こんにゃく玉のようでもあった
が、とても食べられそうにはない。そもそも
売り物だろうか。誰かのいたずらではないの
か。人が来た。鞄で隠す。とりあえず百円玉
を二枚集金箱に入れ、アパートに持ち帰った。
 同僚の披露宴でもらった皿を引っ張り出し
てきて、その上にのせておく。見ていると、
気持ちがなごむような、不吉な予感がしてく
るような。生きているようにも思える。僕は
そいつを机の真ん中に飾り、家にいる時はそ
ればかり眺めているようなことになった。
 数日後、少し大きくなっていた。手をかざ
すと、喜んでいるように見える。二週間後、
洗ってみた。するとさらに大きくなった。水
分を含んだからではなく、どうも僕がさする
と、加速度的に膨張するようだ。
 しかし、僕がいない間に縮んでいたりもす
る。僕はまた触らずにはいられなくなる。一
体これは何か。こいつは何かの反映ではない
のか。同僚は、こんな僕にもついに女ができ
たかと言う。曖昧にこたえるしかない。
 朝起きる。会社から帰る。週末はどこへも
行かない。僕はそいつを日夜さすった。
 そしてついに、それは部屋を圧するまでに
なった。人間が入る隙間もなくなったので、
僕はアパートを引き払い、会社も辞めた。

〔発表:平成17年(2005)7月・第117回通信座会~8月・ML座会~9月・東葛座会~9/10月・ML座会(第10稿)/初出:2005年11月号「短説」/再録:「西向の山」upload:2006.2.5〕
Copyright (C) 2005-2006 NISHIYAMA Masayoshi. All rights reserved.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »