この一世紀
今朝、家内の祖母が亡くなった。満百歳である。施設でほとんど寝たきりに近い状態だったとはいえ、昨日も叔母(実の娘)の手を借りながらも、トイレにも行き、食事も普通に摂っていたという。そして朝方、まさに眠るようにというか、眠ったまま亡くなっていたらしい。まさに大往生である。
明治三十九年、つまり一九〇六年の生まれ。「丙午」である。日露戦争終結の四か月後に生まれ、以来、明治・大正・昭和・平成と……。とんでもない一世紀である。一体、どんな感覚なのか、想像もつかない。
若い頃は、養女に行った北海道から家出し、大正のモボ・モガ時代の浅草あたりに出没していたらしい。そこで、某私立大学の学生であった祖父と知り合ったらしいのだが、ついにその詳細は聞けなかった。死にそうになったら聞かせてやると家内(孫)に言っていたのだが。もしかしたらカフェの女給などもしていた、とんだ不良少女だったのではないかというのが想像である。
つい最近までテレビなどもよく見ていた。さすがにパソコンや携帯電話は手にしなかったが、それにしてもこの一世紀の推移。日露戦争は純粋な記憶としてはないにしろ、その余韻は身辺に濃厚にあったろう。それから約一世紀、ニューヨークのツインタワーまで。本当にどういう感覚なのか。
因みに、同じ年の生まれは、女優の杉村春子、作家や文学者では和田芳恵、吉行エイスケ、山室静、そして坂口安吾。ルキノ・ヴィスコンティ監督に、変わったところでは東洋のマタハリ・川島芳子など。
ネットのフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、
丙午は干・支ともに火性である。火性が重なることから、この年は火災が多いとか、この年に生まれた女性は気が強いという迷信が生まれた。さらに、「八百屋お七」が丙午の生まれだと言われていた(実際には戊申の生まれ)こともあって、この迷信がさらに広まることとなった。とあるが、非常にせっかちで気が強かった。さらにこんなことも。
この年生まれの女性は、気性が激しく、夫を尻に敷き、夫の命を縮める(”ひのえうまの女は、男を食い殺す”)とまで言われる。 特に江戸時代中期に盛んに信じられており、1846年(弘化3年)の丙午には、女の嬰児が間引きされたという話が残っている。1906年(明治39年)の丙午では、この年生まれの女性の多くが、丙午生まれという理由で結婚できなかったと言われている。まさにこの年の生まれであり、祖母に関して言えば、満更当たっていなくもない。
向こうには、あなたの夫も、同世代の僕の両方の祖父母も、そしてあなたの息子と嫁(双方とも会いたくないかもしれないが、まあそう言わずに)、大勢いますので、安心して川を渡って下さい。どの道みんな行きますから。――合掌
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