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2008年9月

2008年9月27日 (土)

短説:作品「黒曲」(美野里亜子)

   黒 曲
 
           
美野里 亜子
 
「親方、借りていいすか」
 佐介は使いこまれて手になじみの良い曲尺
を持ち、親方亮吉の丸い背に声をかけた。
「まぁたおめぇは、人の道具で仕事すってか」
「なしてだが、わがんねぇけど、親方の借り
っと、按配いいんだやね」
「親方、オラの方さも貸してくんねぇが」
 今度は駒吉が墨壼を手に声をかける。
「おめぇら何持って仕事さ来てんだか。道具
は職人の命だべさ、んだけど良がったら使え
ばいいべさ。なんぼでもな」
 亮吉の道具箱は角がすり減って丸みをおび
黒光りしていた。手入れの行き届いた大工道
具がいつもきっちりと並べられている。やっ
と墨付けが許されるようになった駒吉もまだ
自分の墨壺を持っていない。玄能、鋸ぎり、
鉋、曲尺、のみ。仕事を覚えるたびに道具の
数が増え、やっと大工らしくなってきた駒吉
だった。
「だども、親方みでに道具持ちになんねぇど
いい仕事師になれねんだべな。駒兄ぃだって
だんだん持ってけんど、オラなんてまだ釘袋
だけだ。早く自分の曲尺持ちてぇな」
「持ったってやっと一本だけだべさ、オラも」
 駒吉は言いながら親方の腰の釘袋に目をや
った。亮吉の腰にはいつも一本の黒曲が差し
込まれている。何十年も使いこまれてほとん
どはげ落ち、角もすっかり丸くなっている。
肝心な目盛は大方消えて役立ちそうもない。
「数でねぇ……一本あればいい」
 亮吉は黒曲を手に胡座をかいた。
「自分に合ったの一本でな……。大工が目盛
の無い曲尺持ってだって仕方ねぇと思うんだ
べ。だどもやっと自分だけの目盛が読めるよ
うになったんだ。こいつのおかげでやっとな」
 黒曲はしっくりとごつい手になじんでいた。
 

*黒曲=くろがね(黒い曲尺) *曲尺=かねじゃく *玄能=げんのう *鉋=かんな
発表:平成5年(1993)3月第31回藤代日曜座会/初出:「短説」1993年5月号/初刊:年鑑短説集〈6〉『函中の函』1993年12月/*初刊稿は一行超越しているため、語句を二箇所削除し、句読点を三箇所付加しました。/〈短説の会〉公式サイトupload:2006.7.12〕
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2008年9月18日 (木)

短説:作品「尾売り横丁」(すだとしお)

   尾売り横丁
 
           
すだ としお
 
 暗い道を折れ曲がり、小さなネオンの門を
くぐり抜けると、尾売り横丁がある。尾を売
れば、生えるまで出てくる事は出来ない。生
えたらまた売る事になるのかもしれない。
「旦那、尾売りですかい?」
 顔のひん曲がった男が、縮み上がっている
私の尾を見ながら、言った。うなずくと、男
は指さした。そこには、血の色をした尾切リ
台があった。尾を切るのが、その男の仕事だ
ったのだ。同じような顔をした男が何人も、
うろつっいている。台に尾を乗せ、目を閉じ
る。男の手が尾をつかむ。
「痛くなんかありませんぜ」
 そう言った途端に、斧が振り降ろされてい
た。尻にばんそう膏を張ってもらい、油紙に
包んだ尾を持って、横丁を歩いていく。もう
戻れない。尾を売れば、食い物には困らない
と聞いている。呼び込みに手を引っ張られて、
店に連れ込まれ、尾を売った。広間へ案内さ
れ、酒の用意された膳の前に座らされた。男
達が騒いでいる。一人になりたくて、そっと
立ち上がって、歩き出した。
「奥へいくにはまだ早過ぎます。もっと楽し
んでからの方がいいですよ」
 そう言われたにもかかわらず、奥へと歩い
ていった。部屋は幾つもあり、段々に小さく
なっていく。最後には人がようやっと横にな
れれるくらいの大きさの部屋になった。その
部屋へ入っていき、横になり、眠った。
「体ごと売るつもりになったんですかい。尾
なし人は泣き事は言えませんぜ」
 そう言う声が聞こえ、体が持ち上げられた。
あわてて、暴れようとしたが、手足が縛られ
ていた。
「この尾なし人からはいい冷汗が取れるぜ。
尾を切ったばかりだからな」

〔発表:昭和61年(1986)10月第14回東京座会/初刊:年鑑短説集(1)『旅のはじまり』1987年7月/再刊:すだとしお短説集『やわらかい鉛筆』1995年3月/WEB版初公開〕
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2008年9月 8日 (月)

短説:作品「蚊」(五十嵐まり子)

   
 
          
五十嵐 まり子
 
 さっきから一匹の蚊が晴子の周りを飛び回
っている。掴まえようとしたが逃げられてし
まった。台所から防虫スプレーを持って来て、
机の下へ一吹きした。趣味の刺繍の会の名簿
をパソコンで作って、明日持っていかなけれ
ばならない。
 五分ほどして目の前を蚊がふらふら飛んで
いるのに気が付いた。思い切り手を叩いた。
掌につぶれた蚊と少しの血がついていた。晴
子はまだ血を吸われていない。誰の血だろう。
息子の部屋だったここは、パソコンを使うと
きぐらいしか使わない。独立して五年も経っ
ている息子の血であるはずがない。正月にし
か来ないのだから。
 パソコンの置いてある机は、息子の置いて
いったものだ。机と並んで、壁には確かロー
ドバイクと言っていたような気がするが、自
転車が立てかけてある。青と白と赤の派手な
ヘルメットも、サドルに掛けられたままだ。
フランスで四千キロメートル前後の距離を白
転車で走り抜けるツール・ド・フランスを息
子と二人、夜遅くテレビでみたことがあった。
こんなスポーツがある事を初めて知った。ま
た、電車で一時間はかかる高校までこの自転
車で登校したこともあった、タイヤはもうす
っかり潰れている。
 その隣にある本棚には、ほんお少しの本の
ほかに、二着のウエットスーツがハンガーで
引っ掛けてある。まだ使えるのかどうか知ら
ないが、何年もそこに下がっている。
 一週間後の三連休に、今付き合っている女
性を連れて来るという。赴任先の博多で知り
合った人だということだ。結婚を考えている
らしい。
 晴子は掌の血に一瞬生々しいものを感じ、
急いで拭い取った。

発表:平成18年(2006)7月上尾座会/初出:「短説」2006年11月号/WEB版初公開〕
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2008年9月 7日 (日)

短説のWEB公開作品を再検討

 短説の公式サイトにアップしている(またその予定の)作品リストを、エクセルの表に整理してみた。現在、公式サイトには芦原修二氏の作品を除いて、平成18年までに発表された全100作品が公開されている。
 年代にややばらつきがあるので当初の編集方針を見直し、100作の区切りを、昭和60年9月から平成17年8月まで、西暦で言えば1985年~2005年までの、満20年間とし、つまり現行よりこの期間の作品を8作追加することにした。
 また、今まで、このブログでは、短説の会に現役で参加しているかそれに準ずる同人・会員の作品のみに限定してきたが、それも見直し、公式サイトにアップしている往年の傑作もいくつか紹介していこうと思う。
 別にネタが尽きたわけではない。毎月『短説』の月刊誌に掲載される作品だけでも、少ない時で13~15作、現在は19作までその枠が拡大されている。それらをすべてネット上でも公開すれば、三日に一度アップしても追い付かない。
 古い作品も入れようというのは、要はバランスとバラエティ。

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2008年9月 1日 (月)

短説:作品「社交ダンス」(安村兆仙)

   社交ダンス
 
            
安村 兆仙
 
「クイッククイックスロー」
 週一回行われる社交ダンスの練習に、一郎
はいそいそと出掛ける。
 十数人いる会員は男女半々。いつも同じペ
アで踊る三組は夫婦か。
 あとは一郎と同じく独り身らしい。
 老人クラブ主催のせいか、最も年下の者で
も還暦より若い人はいない。
「さあ、始めますから適当に男女ペアになっ
て下さい」
 最初に言われて一郎が選んだのは、一番若
そうで椅麗な人。夫婦らしい人同志は手をと
りあっていて、他人の入りこむ余地はない。
 時々休憩をとりながらレッスンは続くが、
これ以来この人とはパートナーとなった。
(この人の名前は、住所は)と思ったが、何
故か気後れして直接きけない。
 休憩のとき隣にいた男性に尋ねてみた。
「あの方どなたかご存じですか」
 男性の言葉に仰天した。
「あれは私の家内です」
「えっ、奥さん。どうして奥さんと踊らない
んですか」
「別に……」
 さらに、次の言葉でまた仰天した。
「貴方、家内が気に入ったとみえて楽しそう
でしたね」
 浮気とか不倫したいということはないが、
気にいってないといったら嘘になるし、うき
うきしていたのは事実。
 まさか亭主が来ていて側で見ていたとは。
 軽快な音楽とともに再びレッスン。
 急にパートナーを変えるのは不自然だと思
い、また奥さんと踊ったが、側の亭主が気に
なって、ステップを問違えては相手の足をふ
んでばかりいた。

〔発表:平成14年(2002)2月関西座会/初出:「短説」2002年4月号/再録:「短説」2003年5月号〈年鑑特集号〉自選集/WEB版初公開〕
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