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2008年9月 8日 (月)

短説:作品「蚊」(五十嵐まり子)

   
 
          
五十嵐 まり子
 
 さっきから一匹の蚊が晴子の周りを飛び回
っている。掴まえようとしたが逃げられてし
まった。台所から防虫スプレーを持って来て、
机の下へ一吹きした。趣味の刺繍の会の名簿
をパソコンで作って、明日持っていかなけれ
ばならない。
 五分ほどして目の前を蚊がふらふら飛んで
いるのに気が付いた。思い切り手を叩いた。
掌につぶれた蚊と少しの血がついていた。晴
子はまだ血を吸われていない。誰の血だろう。
息子の部屋だったここは、パソコンを使うと
きぐらいしか使わない。独立して五年も経っ
ている息子の血であるはずがない。正月にし
か来ないのだから。
 パソコンの置いてある机は、息子の置いて
いったものだ。机と並んで、壁には確かロー
ドバイクと言っていたような気がするが、自
転車が立てかけてある。青と白と赤の派手な
ヘルメットも、サドルに掛けられたままだ。
フランスで四千キロメートル前後の距離を白
転車で走り抜けるツール・ド・フランスを息
子と二人、夜遅くテレビでみたことがあった。
こんなスポーツがある事を初めて知った。ま
た、電車で一時間はかかる高校までこの自転
車で登校したこともあった、タイヤはもうす
っかり潰れている。
 その隣にある本棚には、ほんお少しの本の
ほかに、二着のウエットスーツがハンガーで
引っ掛けてある。まだ使えるのかどうか知ら
ないが、何年もそこに下がっている。
 一週間後の三連休に、今付き合っている女
性を連れて来るという。赴任先の博多で知り
合った人だということだ。結婚を考えている
らしい。
 晴子は掌の血に一瞬生々しいものを感じ、
急いで拭い取った。

発表:平成18年(2006)7月上尾座会/初出:「短説」2006年11月号/WEB版初公開〕
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