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2008年10月13日 (月)

短説:作品「女ひとり」(桂千香)

   女ひとり
 
             
桂 千香
 
 女が引っ越してきたのは二月の終わり頃、
小春日和の日曜だった。引っ越し業者の一〇
トントラックから数え切れない程の箱が流れ
出している。
「ねえ、あなた。隣、越してきたみたいよ。
すっごい荷物。何人家族かしら。タカシに新
しいお友達ができたらいいわね」
 ゆうこは、そうつぶやきながらカーテンの
隙間から様子をじっと窺っている。夕方、イ
ンターホーンが鳴った。「そらきた。引っ越
しのご挨拶よ!」ゆうこはインターホーンに
映る見知らぬ女に、「はい、どちら様でしょ
うか」と静かな調子で言った。
 細身の女だった。ゆうこと同じ三十半ば位
だろう。長い髪を一つにまとめ酒落たバンダ
ナで結んでいる。人なつっこい笑顔で女は、
よろしくと言って台所用洗剤を差し出した。
 扉を閉めるなりゆうこは言った。
「普通、旦那と一緒に挨拶に来るものよね。
いいえ一人ってことはないわ。だってベラン
ダに黒のゴルフバッグが立てかけてあるもの。
やだ人聞きの悪いこと言わないで。首をちょ
っと出すと見えちゃうんだもの」
 一ヶ月が過ぎた。ゆうこはせわしなく爪を
噛みながら言った。「ねえ、あれから隣の人
見たことある? おかしいのよ。ベランダに
一度も洗濯物干してないの。いいえ、いるは
ずよ。新聞も郵便も毎日とってあるもの。な
のにドアの音も掃除機の音も聞こえないの」
そして、またそろそろと暗がりのベランダに
出て隣をこっそり覗き見た。明かりは点って
いるが物音ひとつしない。
 ゆうこは諦めて部屋に戻った。明かりもつ
いていないがらんとした部屋に一人、肩をす
くめてつぶやいた。
「ねえ、あなた。変わった人もいるものね」

発表:平成10年(1998)5月通信座会/初出:「短説」1998年8月号/再録:「短説」1999年5月号〈年鑑特集号〉*1998年の代表作「我」位選出作品/〈短説の会〉公式サイトupload:2004.2.18〕
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