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2009年10月

2009年10月21日 (水)

「短説」休刊のお知らせ

(遅ればせながら、重大な発表をブログにもアップします)
 
■雑誌としての体裁を整えた月刊『短説』は、昭和62年(1987)2月に行われた座会の「作品綴り」を冊子にまとめ、3月号と表示したのに始まります。その際、第1回から17回までの座会の各「作品綴り」と、それとは別に発行した季刊『短説』2冊をあわせて、通巻20号としました。以後月刊化したのが今日の月刊『短説』でした。
■以来、22年間、発行が大幅に遅れたり、合併号になることはあっても、休むことなく発行し続けてきました。その時々に応じて、同人の何人かが編集や校正に加わったり、平成15年の7月号以降は数人の同人による編集担当制度を導入してきましたが、発刊以来常に最終的な編集作業は芦原修二氏の双肩にかかっていました。それどころか、発送等の雑務まで一手に。
■その限界についに突き当りました。芦原修二氏の健康上の問題です。平成21年7月21日付けで、芦原修二氏より全会員に向けて、短説の会として印刷物制作の中止が発表されました。現時点で月刊『短説』は、平成21年3月号(通巻281号)でその発行がストップしています。(4月号はゲラ刷りまで完成。6月号の年鑑特集号も編集作業は進んでいましたが……)
■しかし、もともと月刊『短説』は、座会(それも東京座会)の「作品綴り」でした。各人から提出されるB5版一枚一枚の束。それに三位選と座会要約。たとえ雑誌の形はしていなくとも、現在も存続している各座会の毎月の「作品綴り」がある限り、それで良しとも考えられます。時代も変わり、現在ではインターネットというツールもあります。むしろ原点に戻ったと思えば。

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2009年10月 3日 (土)

川嶋杏子さんご逝去

 人は誰もが死ぬ。そしてその日はいつ来るかわからない。それが明日であってもおかしくはないのだ。そうは理解していても、死はいつでも突然だ。
 ショックで、言葉がありません。芦原さんも「慟哭と言うべきでしょうか」と嘆く。
 十月一日の夜、短説の会代表の芦原修二氏より、件名に「訃報」とただ二文字あるメールが届きました。それを以下にそのまま転載させていただきます。
--------------------
上尾座会川嶋杏子様のこと
 
 上尾座会の宮禮子様より本日朝、速達をいただきました。
 上尾座会の同人川嶋杏子様の訃報を伝えるお手紙でした。お手紙の内容をそのまま転記し皆様にお知らせいたします。
 
前略 ごめんください
突然このようなお手紙をさしあげますのは私たちにとって悲しく悔しく残念なことでございます
 川嶋杏子(川嶋文代)さんが九月二十四日
      お亡くなりになりました
 昨二十九日 告別式でした
 故人のご遺志だそうでして無宗教の式でした 音楽とお花でお見送りいたしました
九月の連休の終わりの日に村上さんより電話がありました 川嶋さんのお嬢さんから
「しばらく休みます」と電話があったそうです
「ゆっくり休んでまた出席して下さるといいわね」
二人で案じつつ一縷の望みを託しました
その翌日の夜の訃報でした
昨年の夏手術を受けられたようですが くわしいことはお話しになりませんでした
  ただスリムな体型がますます痩せられるのを皆で案じて居りました
六月の座会が最後でした
きっとまだ書いておきたいことがあったはずよと誰からともなく出ました
それを秘めたまま 逝ってしまわれたことが 私たちにとって残念でなりません
葬儀の日程や場所の連絡をいただくのに少し手間どりまして先生へのご連絡が報告になってしまいましたこと お詫びいたします
  九月三十日         上尾座会 宮禮子
 芦原修二 先生
 
 以上の通りです。まことに残念です。私もご葬儀には参列したいと思いましたが事情を理解し、納得いたしました。川嶋さんの近作にはまことに心打たれるものがあって、傑作ぞろいと感じておりました。折から私も体調をこわしておりまして、生前お目にかかれるチャンスを逃しておりましたこと、本当に申しわけなく残念に思います。
 ご冥福を心からお祈りもうしあげます。
 
 ここで6月の上尾座会に出されていた川嶋さんの最後の作品をご紹介します。
 
   
 
             川嶋 杏子
 
 むつき、きさらぎ、やよい、うづき、さつ
き、みなつき、ふみつき、はつき、せふてん
ばー、のべんばー……
 海には鍵がかかっていた。有刺鉄線の向こ
うは防風林だ。昔、この防風林で友人を見失
った。男性だった。恋人だったかもしれない。
それきり彼は見つからない。防風林は結構深
く、なかなか海辺へ辿りつけない。
 波の音だけが聞える丈の低い松林。ふと気
づいた。彼を見失ったのではない。ここで、
彼と別れたのだ。
 何故だったろう。親が反対したか。どちら
かが不実を働いたか。一方的にふられたのだ
ったか。最後が一番当たっているように思え
た。何年か経ち彼を訪ねた時、彼はすでに結
婚していた。
 昔貰ったラブレターを思い出す。
「一生妻と思うって言ったじゃない」でもそ
れはおかしい。もし恋して結婚するなら、そ
んな書き方はしない。妻と思うも何も「妻」
なのだから。結婚出来なくても、という意味
だったのか。それは男の逃げ口上か、或いは
本当のロマンであったか。
 こんなふうに、思いも記憶もささらほさら
になってしまっては。もう生きている価値も
無いような気になる。
 宣告されたわけでもなかったけれど、「も
う死ぬから」と会いに行けばいいのか。
 昔会いに行った時、彼にはもう子が生まれ
ていた。女の子で、彼の名の一字をとった名
で呼ばれていた。
 彼の名が思い出せない。この酸素マスク、
はずしてちょうだい。
 最後に貰ったラブレターは、最後の方が英
語になってしまって意味が分からなかった…
おくとーバー、でぃせんばー……
 
 
 以上です。最後の作品を読んでの感想をきいていただきたかった。私はその月の座会が休みで、お目にかかれなかったのはまことに残念。しかしこの作品、記憶の彼方へ行方不明にになっていく人生の思い出が、ユーモアと重ねて見事に描き出されていて、なんとも見事なものです。川嶋さん、貴女の人生「じつにすばらしいものでしたね」……私どもは心がけて、御作品の集成を試み、発行したいと考えています。いましばらく時間をください。
   芦原 修二 拝

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