短説:作品「待って」(川嶋杏子)
待って 川嶋 杏子 「また来ておくれ」 ばあちゃんは何回もそう言っていた。次の 日から毎日道の方を見ていた。 あのお姉さんはもう来ない。僕は思ってい た。僕の母さんのように。もう決してあの知 らないお姉さんはここへは来ない。お姉さん はやがてお嫁に行き、男の子を産んでよその 男と駆け落ちする。僕の母さんのように。 母さんはやがてばあちゃんのようになる。 黙って炊事をし、しゃがんで洗濯をし、庭 先へ出ては通る人を呼び止める。 誰が来ても同じ話を、今日もあしたも同じ 話を、やがて誰も居なくなっても話し続ける。 風に向かって。音に向かって。 僕は母さんの事をあまり憶えていない。僕 はこのままでいい。 ばあちゃんは言っている。 誰にも人生は有るのだよ。誰の人生もそう 変わりはしない。ブラスマイナスゼロだよと。 始めは身の上話だった。話の中身はだんだ ん変わって行った。でも誰の人生も同じって、 本当にそう思っているかどうかは分からない。 僕はやがて大人になって街へ出て行く。 僕はもっと大人になってばあちゃんの所へ 帰って来る。そして僕は考え続ける。 誰か女を不幸にしなかったかと。 ばあちやんはもう待つこと自体が生活にな って、自分が何の為に庭先から道を見ている のか分からない。でも僕にはその方がよかっ た。来ない人を待つのは辛かろうから。 お姉さんは気まぐれに寄っただけ。通りが かりに、ただ話しかけられたから。 でも時々思う。またあのおばあさんと話し たい。また行きたいと思っているかもしれな い。けれどそれは多分お姉さんが不幸だから。 お姉さんはもうここへ来なくていい。 〔発表:平成17年(2005)7月上尾座会/初出:「短説」2005年10月号/WEB版初公開(追悼)〕 Copyright (C) 2005-2009 KAWASHIMA Kyoko.
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