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2010年3月23日 (火)

詩人・堀内幸枝さんのこと

 春になり桃の花が咲くと、堀内幸枝さんを思い出す。インターネットで調べるのが怖くもあった。堀内幸枝さんは大正九年(一九二〇)のお生まれ……。
 調べてみると、昨年一月に、九百ページに及ぶ『堀内幸枝全詩集』が沖積舎から刊行されていた。それまでの詩業の集大成である。毎日新聞(二〇〇九年二月十五日)東京版の朝刊の「今週の本棚」で湯川豊氏が書評を書いている。それによると「ご健在」とのこと。ほっとした。
 それにしても大部な全集である。
『村のアルバム』(昭32・的場書房)
『紫の時間』(昭29・ユリイカ)
『不思議な時間』(昭31・ユリイカ)
『夕焼けが落ちてこようと』(昭39・昭森社)
『夢の人に』(昭50・無限社)
『村のたんぽぽ』(平3・三茶書房)
『九月の日差し』(平9・思潮社)
『随筆 市之蔵村』(昭60・文京書房)
 全七冊の詩集と一冊の随筆集が網羅されている。戦前の「四季」への投稿時代から数えれば途方もなく長い詩歴である。
 まだこの全詩集は手にしていないのだが、この度、詩集としては六番目の、しかし『村のアルバム』に直結する詩集『村のたんぽぽ』を読んだ。
 この詩集は、「“戦時下ではあったが、それでも私の若い日の心に落ちた翳みたいなもの――”/私はそれだけを一冊にまとめたいと、その後いくつかのの詩集を編みながら、このテーマだけを別の袋に入れてきた」(あとがき)というもの。
 詩集冒頭の「不意の翳」3連「鳥」に以下のような詩句がある。


 ……   ……   ……
 妻となり 主婦となり 母となって 幾年
 知らず知らず私は妻らしく母らしく主婦らしくなり
 二十代 三十代 四十代と
 着物も動作も髪型も変わっていった
 
 だのにこの変化についてこない
 いつまでも私の中に
 おきざりにされたまゝの少女がいる
 人前にもどこへも顔を出すことの出来ないこの少女は
 いつもこの屋敷の柿の木のてっぺんの
 いずれの梢かに止まって飛び去らない
         (堀内幸枝「不意の翳 3 鳥」)<

 初出は不明だが、おそらく詩誌「葡萄」に一九六〇年代後半から七一年頃までに発表されたものだろう。小川和佑先生の『詩の妖精たちはいま』(昭和四十七年十月・潮出版社刊)に、「近作」として言及があり、『村のアルバム』の世界に次ぐ「新しい詩境を見せた」と評されている。
 これこそ、“永遠の少女”を永遠の少女たらしめる本質であり、原点であり、そして“翳”の部分であろう。いや、この翳こそが本質である。どうしようもなく芸術家たらしめてしまう暗黒の魂!
 何度でも言おう。堀内幸枝さん、いつまでもお元気でいてください。

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