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2010年12月

2010年12月31日 (金)

「二〇一〇年のアリバイ」

 二〇一〇年も暮れていく。あんなに遠い先のことだと思っていた二十一世紀もはや十年が過ぎてしまったわけだ。娘が大学に入り、息子も高校一年になった。もう彼らの時代だ。“失われた時を求めて”といっても、とても取り返せるものじゃない。途轍もなく長い歳月が流れ去ったのだ。
 それでも今年の年末は、二つの“時間”を取り戻す(あるいは取り戻せそうな予感がする)ことがあった。一つは、中学からの友人(というより音楽仲間)のライブに行ったこと。ライブそのものもそうだが、それ以上に友人の変わらぬ“思い”に触れたこと。
 もう一つは、小川和佑先生の文学ゼミで、九州に移住した後輩が十四年ぶりにラドリオが営業している間に帰省できるというので会ったのだが、それが思わぬ大同窓会になった。「ラドリオに集合」の一言で、声をかけた全員が間違うことなく集まったのだ。その十名こそが、二十二年前に発足したゼミOB会のコアメンバーなのだった。しかしこの十数年その全員が揃うことはなかった。全員が、それもあたかも以前と変わらないが如くに一堂に会せるとは。その快挙に何かの予感。
 ところがそんな矢先の晦日、つまり昨日なのだが、父親がやらかしてくれた。ブレーキとアクセルを踏み間違えて、自宅の壁と車を大破させたのだ。怒鳴る気にもならない惨状である。車の運転に関しては父もバリバリであったはずだ。“老い”である。二歳年上の芦原修二氏が電車接触事故を起こすのも、七歳上の小川先生が数年まえ膝の腱を切ったりするのも無理はないのかもしれない。
 そして短説。一九九五年に復帰して以来、十五年間、年に最低でも一作は書いていた。これはその十六年目のアリバイである。

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2010年12月27日 (月)

高円寺~中野~神保町

 先日、友人のLiveで高円寺に行った。前の前の会社は杉並にあったので、しょっちゅう近くを通っていたが、電車で遊びに行くのは実に久しぶりである。二十歳のころ一年ほど、ある勉強会で月に一回高円寺の氷川神社に通っていた。懐かしくも多少馴染みのある町なのだ。
 高円寺といえば吉田拓郎だが、いわゆる中央線文化の中心地。Liveのあと、ある事情で中野に行ったのだが、こちらも二十歳前後のころ友人がいたのでよく行っていた。アナログ盤レコードをかけてくれる喫茶兼バーなどもあり、やはり中央線沿線はいいなあと思った。
 そして、今日はこれから神保町に行ってくる。こちらは毎日通っているところなのだが、仕事抜きで行く。学生時代の仲間が“ラドリオ”に集合するのだ。

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2010年12月14日 (火)

そのようにして……

 今日も帰宅途中、二つの路線で人身事故があった。年末はとかく増える傾向にあるが、それにしても最近多いのだ。鉄道の人身事故といえば、すぐに飛び込み自殺を思い浮かべるものだが、最近増えているのはどうもそうではなく、酔っ払いなどの接触事故らしい。
 私が毎日利用している私鉄でも、酔っ払いがふらついてぶつかり、その反動でホームの最前列にいた人が、入線してきた電車とホームに挟まれて死亡するという事件があった。事故というより事件といったほうがいいだろう。悪意があろうが無かろうが、まったくやりきれない。
 社会常識やマナーの問題もあるのではないかと、二、三週間前にもネットのニュース・コラムで紹介されていた。それ程ここ最近、電車の人身事故が多いのだ。約六割が酔っ払いだという。疲労で倒れる人も多いという。
 そのようにして、一年前の六月に、芦原修二さんも事故に遭ったのだ。
 志賀直哉が線路の側を歩いていて山手線に撥ねられたのは大正六年の秋のことである。里見弴と芝浦へ涼みに行った帰途だったという。今に較べれば長閑な時代に、どうしてしまったのかと思うが、後ろから跳ね飛ばされたという。
 全然関係ないが、坊主頭の高校球児の息子が、どういうわけか城崎温泉に一人で泊まりに行きたいなどとほざいている。もちろん『城の崎にて』を読んだからなのだが、やっぱり血筋なのか環境なのか、その両方だと思うのだが、いいんだか悪いんだか、なんだかなあ……。

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2010年12月 7日 (火)

『失われた時を求めて』の新訳

 先日の記事の最後に“時間”のことを書いたのだが、そこから帰納して、プルーストの『失われた時を求めて』の話題に触れようと思っていたのだった。
 先月、岩波文庫から吉川一義氏訳による『失われた時を求めて』の第一巻が配本になった。もう二巻が出ているかもしれない。最終的には十四巻になる。個人全訳としては、井上究一郎、鈴木道彦に次いで三番目、文庫版の翻訳としては、新潮文庫、ちくま文庫、集英社文庫に次いで四番目。
 同時代の図版が多く採録されているのが特徴である。もちろん、翻訳自体も先行する井上、鈴木訳とは異なるアプローチがなされており、「プルーストの原文をできるかぎり同時代の資料によって理解し、それを訳文に反映するよう努めた」(「訳者あとがき(1)」)とのことである。
 もとよりフランス語がわからない私にはなんら比較のしようもないのだが、情緒的雰囲気よりも、「まず基本中の基本として留意したのは、ひとつひとつの単語の意味を正確に理解すること」(同)というのは、今もう一度プルーストを読み返す(あるいは初めて読むには)打ってつけなのではないか。
 小説などというものを書こうという動機には、人それぞれいろいろあるだろうが、私には結局のところ『失われた時を求めて』というのが最大のテーマでありかつモチーフであるような気がしている。

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2010年12月 3日 (金)

短説「コーヒーショップ」木口正志

   コーヒーショップ

            
木口 正志

 ひとりの男がドアを開ける時からそれは始
まる。
 物音がたたず、ドアのノブがきしむ音がマ
スターの注意を引く。男は即座にその店を判
断する。マスターも客も観察する。
 この店は駅の裏にあり、コーヒーだけしか
出さない事で有名だ。
 男は「アメリカン」とカウンターごしにい
う。マスターはすぐさま、サイフォンにあら
びきにしたコーヒー豆を入れ、熱湯をフラス
コ状のビンの中に注ぐ。
 水が上流し、上ビンの中を時計回しにヘラ
で三回かきまわす。
 全ての水が上流し終って、四十三秒。火を
細くして待つ。
 サイフォンを火からおろし、下流を待つ。
コーヒーの温度は百度に近い。あたたまった
カップにコーヒーを注ぐ。
 九十五度に下がる。
 客の前へはこんでゆく。ミルクポットはカ
ウンターの左端に一つ置いてある。砂糖は、
グラニュー糖と茶色のコーヒーシュガーがあ
る。男は砂糖を二つ入れた。八十五度にコー
ヒーの温度は下がる。
 男は手帳を胸ポケットから取り出して、何
事かつぶやき、書きはじめる。
 コーヒーの湯煙が消えている。これ以上時
間がたてばコーヒーはさめてしまう。
 マスターはよごれたサイフォンを洗いなが
ら、男に「はやく、召しあがらないとさめま
すよ」と言う。
 男は手帳をおいて、右手でスプーンをもち
時計回しにコーヒーをかきまぜ、そしてカッ
プのえを右手でつかみ、半回転させてのみは
じめた。
 マスターは「六十度だな」と思った。


〔発表:昭和62年(1987)10月第26回東京座会/初出:「短説」1987年11月号/再録:年鑑短説集(2)『青いうたげ』1988年7月/*編集者の裁量で一部表記の統一と改行を二箇所付加させていただきました。/〈短説の会〉公式サイトupload:2005.1.1〕
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2010年12月 1日 (水)

短説の新しいサイト

 短説のそんな状況にもかかわらず、この期に及んでというか、遅ればせながらというか、いやだからこそ、勇気が湧いてくるというか、ともかく、思いもしないところで、短説がらみのサイトが誕生していた。
 森田カオル氏の『鶏肋亭』である。メインはもちろん小説なのだろうが、短説も二本柱になっていて(というか、そもそもそういうサイト自体ふつうにはないのだ)、22篇もの短説が連作として一挙に掲載されている。
 個々の作品の評価や「グランアルカナ」という総題の意味や是非は別にして、野心的な作品であることには間違いない。今後の展開が楽しみである。

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