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2010年12月 3日 (金)

短説「コーヒーショップ」木口正志

   コーヒーショップ

            
木口 正志

 ひとりの男がドアを開ける時からそれは始
まる。
 物音がたたず、ドアのノブがきしむ音がマ
スターの注意を引く。男は即座にその店を判
断する。マスターも客も観察する。
 この店は駅の裏にあり、コーヒーだけしか
出さない事で有名だ。
 男は「アメリカン」とカウンターごしにい
う。マスターはすぐさま、サイフォンにあら
びきにしたコーヒー豆を入れ、熱湯をフラス
コ状のビンの中に注ぐ。
 水が上流し、上ビンの中を時計回しにヘラ
で三回かきまわす。
 全ての水が上流し終って、四十三秒。火を
細くして待つ。
 サイフォンを火からおろし、下流を待つ。
コーヒーの温度は百度に近い。あたたまった
カップにコーヒーを注ぐ。
 九十五度に下がる。
 客の前へはこんでゆく。ミルクポットはカ
ウンターの左端に一つ置いてある。砂糖は、
グラニュー糖と茶色のコーヒーシュガーがあ
る。男は砂糖を二つ入れた。八十五度にコー
ヒーの温度は下がる。
 男は手帳を胸ポケットから取り出して、何
事かつぶやき、書きはじめる。
 コーヒーの湯煙が消えている。これ以上時
間がたてばコーヒーはさめてしまう。
 マスターはよごれたサイフォンを洗いなが
ら、男に「はやく、召しあがらないとさめま
すよ」と言う。
 男は手帳をおいて、右手でスプーンをもち
時計回しにコーヒーをかきまぜ、そしてカッ
プのえを右手でつかみ、半回転させてのみは
じめた。
 マスターは「六十度だな」と思った。


〔発表:昭和62年(1987)10月第26回東京座会/初出:「短説」1987年11月号/再録:年鑑短説集(2)『青いうたげ』1988年7月/*編集者の裁量で一部表記の統一と改行を二箇所付加させていただきました。/〈短説の会〉公式サイトupload:2005.1.1〕
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