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2011年9月

2011年9月14日 (水)

短説「コクワガタ」向山葉子

   コクワガタ

            
向山 葉子

 部屋の隅の虫籠の中で密やかな音がする。
娘が道端で拾い上げた、小さなクワガタ。尻
に傷がある。メスは近くで死んでいたという。
そっとのぞいてみる。蜜に顔をつっこんで、
懸命に吸っている。満足すると、のそのそと
立てかけられた棒によじ登っていく。蓋を開
けたら、飛んでいくかもしれない。蓋をそっ
と持ち上げる。が、彼は電灯に脅かされて、
棒をあとずさって、暗がりへと身を隠そうと
している。他には誰もいない籠。ひとりぼっ
ちの土の中へ。
 生殖の道を遮られて、四角い世界の中に存
在する一匹の虫。彼は時にそのとげとげした
足で腹を掻く。甲虫に痒みがあるのかは知ら
ない。あるとしたら、痛みもまたあるのだろ
うか。傷を受けた時、彼は身をよじったろう
か。虫の痒み、虫の痛み、虫の悲しみ、虫の
喜び、虫の悩み。抽象的で現実味がないのを
いいことに、誰も気づかないふりをしている
だけなのかもしれない。
 小さな息子が、虫を弄んでいる。その指が
虫の怒りに触れる。はずみで虫は解き放たれ
る。虫の僥倖。その固い殻から羽を広げて、
飛び立つがいい。私の籠にいたコクワガタの
遺伝子を、次の世代に手渡すがいい。
 翌日、息子がまた庭でコクワガタを見いだ
した。尻に傷。つまみ上げた虫を夫に見せる。
夫は、受け取って、陽に透かしてみる。虫は
足を懸命に動かしている。
 いま、私の部屋の隅に虫籠はない。夫の部
屋でかさこそとささやかな生を営んでいる。
腐葉土を敷きつめられ、蜜をもらい、霧吹き
で水を与えられて。私の部屋にいた時よりも、
もっと居心地のいい籠。独り身の虫、男やも
めの虫。この虫に、夫は愛着を持ちはじめた
ようだ。


〔発表:平成10年(1998)10月第39回通信座会/初出:1999年8月「日&月」第7号/再録:「西向の山」upload:2005.4.8〕
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2011年9月12日 (月)

芥川龍之介文学碑と生育の地

Pap_0148 久しぶりに両国へ行ってきました。
 左の写真は、「両国三丁目二一番四号」付近。「芥川龍之介生育の地」の案内板があります。

 下は、京葉道路を挟んだ両国小学校前にある「芥川龍之介文学碑」。碑文には『杜子春』の一節が刻まれています。
 むかし仕事で両国を廻っていましたが、こんなのあったかしらと思ったら、これは、芥川の母校・両国小学校百十五周年記念事業として平成二年十月に建立されたものとのこと。どうりで記憶になかったはずです。
 ちょっと残念なのは、碑文の書体です。小学生にもわかるようにとの配慮なのでしょうが、丸ゴシック体様のもので、なんだかなあという感じではあるのですが……。
Pap_0150

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2011年9月10日 (土)

短説の会の公式サイトを更新

 約三ヶ月ぶりに短説の会の公式サイトを更新しました。三年前の平成二十年一月から六月にかけて発表された三作品。いずれも女流作家の秀作です。
 小野寺信子さんの「機内にて」は、いち早く芦原修二先生の「短説逍遥」でも取り上げられました。
 関西座会からは健康志向への皮肉の利いた伊藤光子さんの「命より健康」。彼女はここ数年最も注目される作家の一人ですが、公式サイトでは初のアップ。
 太秦映子さんの「種蒔き」には衝撃を受けました。恋人とか不倫とかではなく、中年もとうに過ぎて子供も成人しているごく普通の夫婦の性を、このように書くとはびっくりしました。
 読んでみてください。いい作品です。

 

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2011年9月 9日 (金)

『潮騒』の映画と原作

 個人的に、生活上のことでやっと踏ん切りがつき、気持が楽になりました。そんなわけで、8月12日に書いて、未完のまま放置されていた原稿をアップします。
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 久しぶりに『潮騒』の映画を観た。この六月にBS日テレで放映されたのを録画しておいたものだ。昭和50年4月公開の山口百恵主演版である。
 これはテレビでも何度も再放送されているが、十年ほど前に刊行中だった『三島由紀夫全集』の決定版で何度目かの再読をした折に、わざわざビデオを借りてきて観たことがあった。それ以来、三度目か四度目である。
『潮騒』は五度も映画化されている。原作が発表されたのは昭和29年6月、新潮社の「長篇書下ろし叢書」の一冊として、堀田善衛の『歴史』、福永武彦の『草の花』、中村真一郎の『夜半楽』に続いて書き下ろされた。
 因みにこのシリーズは、さらに井上靖の『射程』や武田泰淳の『快楽』などを産み、錚々たるラインナップになるのであるが、これはのちの新潮社の大看板であった「純文学書き下ろし特別作品」シリーズの先駆けになったと言える。
 小説はベストセラーになり、すぐに映画化された。西暦でいえば1954年の第一作(谷口千吉監督・主演久保明―青山京子)から、1964年の吉永小百合―浜田光夫版、1971年の朝比奈逸人―小野里みどり版、1975年の山口百恵―三浦友和版、1985年の堀ちえみ―鶴見辰吾版まで、さすがに平成になってからは作られていないが、昭和の時代にほぼ十年に一度映画化されている。初演(=小説発表の年)から三十年間繰り返し作られた計算になる。
 五本のうち、三作目の朝比奈逸人―小野里みどり版は観たことがない。吉永小百合以来、『潮騒』はアイドル映画の観を呈することになるのだが、調べてみると、この三作目のみは主役の二人が一般公募で選ばれているようだ。その後その二人は役者として大成しなかったので、映画も幻の一本になっている。
 さて、映画の内容だが、一作目は、脚本に中村真一郎が参画していて注目されるが、それを含めて、吉永小百合版も堀ちえみ版もいま細部は思い出せないので比較はできないが、この百恵―友和版は原作にかなり忠実に作られている。
 それは前回観たときにも感じ、今またそれを思い出したので、再び原作を読み返した。十五のときに初めて読んでからもう何度目になるだろう。我が家には『潮騒』のテキストが五、六種類あるが、わざわざ初版の単行本を引っ張り出してきた。初版と言っても初刷りではなく、昭和29年7月25日付け発行の四刷であるが、まだ著者の検印がしっかり添付されているものだ。
 もう何度も読んでいるから分かり切っているにもかかわらず、いざ読み始めると、やはり、最初の一行から一字一句味わいながら音読してしまった。やはり私は三島が好きなのだ。
 百恵ちゃん版『潮騒』は、かなり原作に忠実だと書いたが、その忠実度は、細かいセリフやナレーションにもわたっていて、原作のセリフや文章がそのまま活かされている。
 というより、むしろ、原作を読み返すと、原作を多少簡略化し、そのまま映像化すると、即ち一時間半ちょっとの映画が出来上がると言った方がいいように感じる。初版が出てすぐに映画化されたのも頷ける。
 それもそのはずなのだ。『潮騒』は三島由紀夫の代表作の一つということになっていて、実際名作と言ってよいが、三島作品の中でも、どの作品系列にも属さない異色作である。強いて言えば、『夏子の冒険』や『幸福号出帆』、あるいは『永すぎた春』や『愛の疾走』などのエンターテイメントとして書かれた作品の系譜に近い雰囲気もあるが、『潮騒』はあくまでも純文学として実験的な意味合いを持って書かれている。
 三島由紀夫は言うまでもなく戦後派の一人であるが、本多秋五が「戦後派ならぬ戦後派」と評したように、文壇登場的には「第一次戦後派」に属するが、いわゆる「戦後文学」とは対極的は方法論によっている。それが最もはっきりしているのが『潮騒』である。
 とまあ、ここで文学論を展開するつもりはないのだが、『潮騒』は表面的には何ら荒唐無稽的なところも幻想的なところもない、ごく健全なリアリズムで書かれている。舞台も実在する場所をモデルとし、ほぼそのまま描かれている。作中の年代は特定されていないが、小説が書かれた昭和29年(または取材で神島を訪れた前年の昭和28年)当時とみていい。終戦から数年たち、朝鮮動乱も少し落ち着いた頃という設定である。……
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 ここまで書いて、何を言いたいのかうまく帰納できなくなってしまい、そのまま放置していたのだが、『潮騒』という小説の構造について言いたかったのだ。そもそも『潮騒』は、近代文学的な概念で言うところの「小説」ではなく、というところからこの百恵ちゃん版の映画とからめて言おうとしたのだが、もういいや、止めにしておきます。考えてみたら、三島の愛読者には自明のことでした。

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2011年9月 7日 (水)

草原の輝き……

 もう二ヶ月以上前の六月下旬のことだが、BSでサスペンス・ドラマの再放送を観た。西村京太郎の十津川警部シリーズだ。タイトルは忘れてしまった。
 テレビの十津川警部は、初代の三橋達也を皮切りに、単発物も含めると実に十六人の俳優が演じている(というのは今調べて知った)のだが、それは、私が一番馴染みのあるTBS系の十津川警部=渡瀬恒彦、亀さん=伊東四朗ではなく、テレビ朝日系の十津川=高橋英樹、亀さん=愛川欽也の方だ。
 もちろんトラベル物なのだが、どこが舞台だったかも忘れてしまった。ともかく、犯人は十津川警部の大学ボート部の友人なのだが、その友人が愛唱していたワーズワースの詩句が最後に効果的に使われている。
 ぶっちゃけ、それに泣けてしまった。ドラマ自体は、しごく常套的なサスペンスで、二時間枠のお決まりの作りなのだが、十津川が最後に犯人の友人に向かって言うその詩句にぐっときてしまったのだ。

草の輝くとき 花美しく咲くとき たとえそれが還らずとも 嘆くなかれ

 これは、イギリスの湖水地方をこよなく愛したロマン派の詩人、William Wordsworth (1770-1850)の有名な詩の一節だが、十津川警部とその大学時代の友人がこの詩を愛唱していたというのは、むしろ60年代初頭アメリカの青春映画の秀作『草原の輝き』の影響ではないだろうか。
 原題「Splendor in the Grass」は、そもそもワーズワーズのこの詩をモチーフにしたウィリアム・インジの原作をエリア・カザンが映画化したものである。主演はナタリー・ウッドとウォーレン・ビーティ。1961年11月封切り。
草原の輝き 花の栄光 ふたたび それは還らずとも 嘆くことなかれ
その奥に秘められし 力を見出すべし

Though nothing can bring back the hour of splendor in the grass, of glory in the flower, we will grieve not.
Rather find strength in what remains behind.


 この映画は、日本でも村上春樹をはじめある世代の人には相当な影響を与えたようである。またアメリカ人もこのイギリスの詩が好きなようで、ロバート・レッドフォード監督の「A river runs through it」(1992)でも、父と子がこの詩を交互に朗読する。
 この十津川警部ドラマでは、「その奥に秘められし 力を見出すべし」の部分は語られないのだが、私には十分だった。
「嘆くなかれ」と敢えて言っているのだがら、やはり嘆かずにはいられないということだ。「草の輝くとき、花美しく咲くとき」、嗚呼、それはやはり二度と還らないことなのだ。

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2011年9月 2日 (金)

小川和佑先生の明大後期講座

◆小川和佑先生の明治大学リバティアカデミーでの講座をご案内します。

・既会員には昨日から、一般向けには明日から受付開始になる後期の講座です。
(たいへん残念ながら、前期は不開講になってしまいました。後期は構想を変えて、改めて募集されます。もしかしたら、小川和佑先生の明大での講座はこれで最後になるかもしれませんので、どうぞ奮ってお申込みお願い致します)

■講座名:「いま、甦る近代抒情歌・唱歌と童謡をたずねて」

日程:9月30日~12月9日/金曜日(13:00~14:30)
全6回/一般受講料:18,000円
講座コード: 11220024

【講座趣旨】
 3月11日の東北大震災以後、東日本各地では唱歌、童謡の抒情歌が歌われ、罹災者の心を慰めた。
 歌い親しまれた唱歌童謡の成立とその背景をたずねて、その抒情性を歌詞にさぐるもうひとつの近代文学の講義。

【講義概要】
第1講 2011/09/30
伊沢修二と「洋楽事始め」、唱歌という新歌曲、ボストンの音楽教育家メーソン、明治15年1月30日、31日の演習会
日本のスクール・ソングの成立を語る

第2講 2011/10/14
「蛍の光」は讃美歌であった。「蛍の光」「仰げば尊し」は難しい文語歌詞、「小学唱歌集」の作詞者たち
「蛍の光」の各種の曲を聴く

第3講 2011/10/28
「おもへば遠し故郷の空」詩人・大和田建樹、ビショップ原曲の「埴生の宿」への翻案、少年立志と故郷
地方士族、子弟の士族、学歴社会の形成を唱歌に見る

第4講 2011/11/11
ふるさとへの抒情歌、三木露風と「赤蜻蛉」「兎追いし」「故郷」、ドイツ民謡を原曲とした「故郷を離るる歌」
故郷とはなにかを歌に見る

第5講 2011/11/25
「君が代」は5曲あった。まずフェントウェーブ曲、現行のエツチルト曲、「保育唱歌」の曲、軍のラッパ曲。
「君が代」の解釈大和田建樹と三木露風「故郷の空」と「赤蜻蛉」、「君が代」をめぐって
「君が代」の成立とその解釈

第6講 2011/12/09
子守唄の考察、江戸子守唄、山田耕作の「中国地方の子守唄」、北原白秋の「揺籠のうた」、抒情歌の感動
抒情歌としての鑑賞その分析

・お申し込みは明治大学リバティアカデミー事務局まで

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