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2011年12月 8日 (木)

ボブ・ブラックの『労働廃絶論』を読む

縦書き文庫」をつらつら検索していたら、ボブ・ブラックという人の「労働廃絶論」という論考に出くわした。もうタイトルからして、大いに惹かれてしまった。
 冒頭からしてこうだ。

 人は皆、労働をやめるべきである。
 労働こそが、この世のほとんど全ての不幸の源泉なのである。
 この世の悪と呼べるものはほとんど全てが、労働、あるいは労働を前提として作られた世界に住むことから発生するのだ。
 苦しみを終わらせたければ、我々は労働をやめなければならない。

 まったくもって、共感してしまった。1985年に書かれたものらしいが、今まで知らないでいた。
 私が読んだこの「縦書き文庫」版には、翻訳者の氏名が明示されていないが、訳者の連絡先をたどると、「アナーキー・イン・ニッポン」というサイトを運営している一人のようだ。別に検索すると、『遊動社パンフレット2』として、高橋幸彦という人の訳で市販されている。税込みで200円+送料(NOT PILLAR BOOKS)。どうもその二つは同じ内容のようで、「縦書き文庫」版はこちら「アナーキー・イン・ニッポン」版はこちらで読めます。

 リベラル派は、雇用差別を終わらせるべきであると言う。
 私は、雇用を終わらせるべきであると言いたい。

 日本やアメリカを筆頭に、今の経済問題を集約すれば、とどのつまりは雇用の問題に行きつく。それをこのように言い切る。まったく痛快である。

 左翼は完全雇用がよろしいと考える。
 シュールレアリストを真似て言うと、―私はふざけているわけではない―私は完全失業がよろしいと考える。

 それではどうやって食っていくのかという議論は別にして、諸悪の根源は労働であると私も思う。しかしそれを実践するには、辻潤のように徹底的にやるしかなく、その行きつくところは緩慢なる自殺、つまり餓死ということになる。
 それでも、藤原わらびという詩人が、やはりこの論文を読んで、「失業者で詩を書き続けるのが私の理想です。そのために遊んでがんばります」と言うように、何かうまく折り合いをつける方法があるのではないかと、それが虚しいことでも、これからもいつも模索しづつけたいと思う。

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コメント

ボブ・ブラック『労働廃絶論』面白いですね!
大学時代に考えていたあれこれを思い出しました。
彼の論考の前では確かに全てのイデオロギーは保守的、ということになるしかないですね。
「労働」という概念からどれだけ自由に生きられるか・・・私の今般の選択も、音楽活動も、そういうことだった、のかもしれないです。

時に、昨日(8日)局にいらしていただいたのですね。不在にしていてすみません。また電話等で連絡いたします。

投稿: のんかん | 2011年12月 9日 (金) 15:52

こんなことを公言したら顰蹙を買うでしょうが、
僕は、やっぱり、どうしても、心底、“労働”というものが嫌いです。
でも、今、そう思ってきた“ツケ”が廻ってきたわけですが……。

8日に局に行ったのは、純粋に局に用があったからです。
今度また年賀状を買いに行きます。

投稿: 西山正義 | 2011年12月10日 (土) 14:02

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