断片的なメモ(本のこと、太宰のこと)
とにかく、メモしておく。
・本が読めなくなっている。それはもうここ数年来の傾向であるが、その状況は年々悪化している。
理由は二つあると思う。その一つは、そしてそれが根本的な原因だと思うのだが、もはや新しい情報による刺激に、精神が耐えられなくなっているから、本能的にそれを避けようとしているのだろう。
それ以前に、知的好奇心が圧倒的に減衰している。何か致命的なような気がする。
・それで読むのは、昔読んだ本だ。新しい本は読めない。
昔読んだ本でも内容をすべて覚えているわけではないし、今読み返せば、思いもよらね新しい発見や新たな刺激を受けることもあるだろう。しかし、それはある程度の予想がたち、そういうことがあっても、それもまた想定内に収まる。いや、収まるような本を選んで読んでいるわけだ。
・昨年十二月一日に「貪婪禍」というエッセイを再読して以来、再び太宰治が気になりだしている。
そして懐かしい新潮文庫の『もの思う葦』を読み始めたのだが、何んと二ヶ月かかって読めたのはようやく半分ほどだ。解説を含めて265頁の136頁目まで。
その135頁から2頁の随想「一つの約束」は、小説創作の秘密と裏側と真理と本質と意義を、これ以上ないというほど明解にかつ美しくわかりやすく感動的に語られている。
・「日本浪曼派」に発表されたアフォリズム集である表題作から最晩年の「如是我聞」まで、49篇のエッセイが納められた新潮文庫版『もの思う葦』は、奥野健男が責任編集したものであるが、出た当時、全集以外の流布本で太宰治の随筆がまとまって読めるものがなかったので、たいへん画期的な本であった。
初版の発行日は、昭和55年9月25日。その初版を持っているのだが、まさに「今月の新刊」ほやほやで買ったのだった。十七歳の秋である。太宰熱がもっとも盛んだった頃だ。
・思えば、新刊を楽しみに待つということもなくなってきている。
当時だってすでに太宰の死後32年が経っていて、(ということは、ちょうど三十三回忌ということもあったのかもしれないが)、何かまだリアルタイムだったような気がする。のだが、それは現時点から遡ってみたときの錯覚であろうか。
しかし、何んと言っても、「昭和」だったのだ。
・昨年十月下旬から勤務している会社の所在地は三鷹で、太宰の墓がある禅林寺は目と鼻の先である。何かの縁であろうか。
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