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2012年5月

2012年5月25日 (金)

3月11日によせて

   H24・4・4記す

                    向山 葉子

 平成24年の3月11日は、ちょうど日曜日。息子の練習試合を観戦に行った。ホームでの試合、相手は強豪校TA学園である。 第一試合は、予想通り負け試合。息子は第二試合に二番サードで出場した。
 この日は、動画を撮ってみた。どこかの映画監督が、一年後の3・11の動画を募集しているとのことなので、いちおう撮ってみる。が、息子くんは、母が見ていると活躍できないジンクスがある模様。この日も、サードゴロをさばいて、守備はまあまあだったが、バッティングはなんだか。第一打席、三振。第二打席、送りバント失敗し、バスターに切り替え、ぼてぼてのヒットでセーフ。だが、監督が気にいるはずもない。三打席目にセカンドゴロで死んで、A君に選手交代。試合はぼろ負け、動画もいまいちだった。
 2時46分、残念ながら黙とうしない。球児が黙とうする姿は、絵になるかなあと思っていたので残念。
 ちょうど一年前のこの時間は、仕事で車で得意先を回ってきた帰り道。鶴川海道そばのドラッグで買い物中に地震に遭遇した。ゆっくりした揺れがだんだんに大きくなっていき、店員さんの指示で駐車場の方へ。看板も照明も大きく揺れており、客は駐車場の真中へ避難した。こわい、と母にしがみつく幼稚園児。長いわねえ、と話し合う主婦たち。ようやく揺れが収まって、家にいる娘に電話してみるが、携帯はすでにつながらない状態だった。
 とりあえず車に乗り込み帰宅。娘は何事もなかったかのように、布団の中で読書中。が、本人いわく、めちゃくちゃ怖かったとのこと。パソコンをやっているさなか揺れ出したので、しばらくパソコンを抑えていたがだんだん揺れが大きくなり、テーブルの下へ逃げ込んだらしい。はじめは猫も娘とテーブルの下でゆらゆら一緒に揺れていたが、そのうち走りだし、部屋の中をぐるぐる回っていたそうだ。にゃんこパニック。避難の時は、にゃんこをどうしようかと考えたそうだ。 
 はじめはそんな被害が甚大だとは思っていなかった。とりあえずテレビをつける。アナウンサーがヘルメット着用で報道している。東北地方に大津波が来て、被害が出ているらしいという情報。まだ、さほど被害が大きいようには感じていなかった。昭和35年にチリ地震津波で、大船渡辺りは被害を受けているので、備えは万全だろうと思っていたし、何となく、漠然とだいじょうぶなんじゃないかと思っていた。しかし、時間がたつに従って、遺体が数百単位で波間に浮かんでいるとか、建物はすっかり流されているだとか、少しずつ情報が入ってきはじめると、これは歴史的な大災害なのではないか、と思うようになっていった。
 正義は、どこに出かけたか不明だったが、調布で地震に会い、徒歩で帰宅。電車は止まっているらしい。息子はおそらく学校で保護されているだろうとさほど心配していない。18時ごろに息子から家電に着信。自分のPHSは電池切れで使えず(備えのないこと甚だしい)O君の携帯を借りたとのこと。お迎えが無理ならお泊まりも可能とのことだが、正義が車で引き取りに出る。ようやく帰宅したのが23時くらい。今にして思えば、渋滞するのは必至だったのだから、泊まらせればよかったと思う。お泊まり組は、結構楽しかったそうだ。カフェテリの臨時食を食べるチャンスでもあったかも。
 息子たちは、受験対策のテスト中で(数学)、先生の指示で机の下にもぐりこんだそうだが、体の大きくない息子はすっぽり収まっていたが、O君は182㎝の長身を折り曲げても入りきらなかったらしい。「意味ねええ!」とみんなで笑ったそうだ。その後、待っている間に、フルーツバスケットをしてみたり、童心に帰って遊んでいたらしい。体は大きくなっても、かわいいもんだなと思う。さすが、おぼっちゃまおじょうちゃまの学校である。

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日記というもの

                    向山 葉子

 つれづれなるままによしなしごとを、個人的には綴ってはいたんですが、有名人でもあるまいし、一般人の日常なんてまあ、言ってしまえばどうだっていいわけだ、とは思ってます。だけど、わかりやすく記録を残すことは悪くない。「武士の家計簿」だって、百年も経ってから映画になるなんて思ってもいなかっただろうし。とりあえず、我が家、私の記録ではあるんだけど、公開することで私自身が何かを書かなきゃならん、という気持ちになることを願っております。とりあえずごあいさつまで。

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2012年5月19日 (土)

短説「“最後”の運動会」西山正義

   “最後”の運動会
 
            
西山 正義
 
 子供の運動会に行ってきた。下の子も高校
三年生になった。つまり、息子にとってはお
そらくこれが学校生活最後の運動会だろう。
ということは、私たち夫婦にとって、これが
子供の最後の運動会ということになる。
 上の娘が幼稚園の年少に入り、最初の、そ
れこそ“感動”の運動会があったのは平成七
年である。西暦でいえば一九九五年で、それ
から、三学年違いの二人の子供を通算して十
八年! 運動会も最後になったわけだ。親と
しては、学芸会や文化祭などと並んで最大の
イベントであり、楽しみであった。
 まだ大学が残っているから、親の役目が終
わったわけではないが、来春、息子が高校を
卒業すれば、実質的な“子育て”は終わりと
いうことになる。同時に、私は五十歳を迎え
るのだが、生まれてから、幼稚園、小学校、
中学高校と思い返せば、それは、さすがに長
い時間であったと言わねばならない。
 今日の運動会、このところ雷雨や雹が降っ
たり強風だったり、荒れた天候が続いたが、
見事に晴れた。私が六年通った母校でもある。
今は男女共学になり、校舎はすっかり様変わ
りしたが、全体の雰囲気は変わっていない。
校庭は広くなり、空が高く見えた。
 私が卒業してから三十数年、当然のことな
がら、毎年このように運動会は続けてこられ
たのだ。その子供ひとりひとり、それぞれの
親にとっての、各年の運動会があり、そして
それは日本中で行われていて、親の親もそう
だったのであり、そう思うと、親の“思い”
とは、何んと大いなるものかと思う。
 私は高校二年の運動会で鎖骨を骨折した。
三十二年前のこの同じ校庭で。それを見てい
た母が、今日は孫を見に。若かった母も、十
七歳だった私も、どう仕様もなく年老いた。

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