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2012年9月 6日 (木)

川端康成の「正月三ガ日」

 一昨日、久しぶりにこのブログを更新したのは、実は以下のメモを記しておきたかったからだった。

 今日(9月4日)のNHKニュース(WEB版)に、川端康成のノーベル賞選考にまつわる新資料発見の記事が出ていたが、それとは関係なく、実はこのところ川端康成を読んでいたのだ。
 息子が、野球部を引退したら、温泉に行きたいと言っていた。本当は志賀直哉の「城の崎にて」に行きたいと言っていたのだが、あまりにも遠く経費がかかるので、私が阻止し、行き先を伊豆にしたのだった。
 温泉といっても、文学に関わるところでなければいけない。伊豆の修善寺から湯ヶ島あたりなら、私も行けると思ったのだが、結局私一人は行けなかった。
 その伊豆行きについてもあらためて書きたいのだが、行けない分せめてもと思い、中公文庫の随筆集『伊豆の旅』を読んでいた。たぶん三度目、一部は四度目ぐらいの再読だ。
 初版本は昭和29年10月の発行(中央公論社刊)だが、文庫版には伊豆に取材した作品が増補されている。その一つ「正月三ガ日」を読んでいて、うーんなるほどと思った箇所があるので、メモしておこうと思い、実は今日久しぶりにブログの更新画面を開いたのだった。

 大晦日から正月三ガ日にかけて、二組の夫婦で伊豆の温泉場めぐりの旅行に出る。その第一日目の熱海でのこと。旦那の方は、中学から大学まで同窓の旧友同士だが、
(と、一昨日ここまで書いて挫折していた。以下そのまま続ける)、
細君の方は格別の交際はなく、「お久し振りという挨拶が初対面の挨拶と余り変わらなかった程の間柄」である。
 ところが、「寝床へ入ってから、両方の細君が変に調子づいて、おしゃべりにとめどがなく」ということになる。

……世帯持ちの女同士の話は実に無尽蔵である。亭主も時々口を出したが、直ぐに置き去りにされてしまう。細君と細君との話を聞いていると、男は話の種になることが多い暮らしをしているようで、実はしっかり根の生えた話の種になることはさっぱりなく、女は話の種になることが少ないような暮らしでいて、日常のなにもかもがちゃんと根をおろした話の種になることばかりらしい。
 二十年来の友人の亭主共よりも、今日初対面のような細君達の方が、お互いの生活に入り込んだ話が出来るらしい。

 見事な観察である。実感がこもっているから、似たような経験をしたことがあるのだろう。
 初出は「中央公論」の昭和15年1月号。川端康成にしてはやや通俗的な作品である。いや、川端康成は十分読者を意識してそれに合わせたものや、ジャーナリズムの要請に従ったものもちゃんと書いている。この短篇は、新年号向けの読者サービス的なところもあり、伊豆の温泉案内にもなっているのだが、やや通俗的なそこが却って活きていて、今もってまったく古びていない。
 この二組の夫婦の機微。それぞれの心理。まったくうまく書けている。この後も旅は続き、二組の夫婦それぞれの夫、妻の心の機微がおもしろい。そして最後はきれいに終わる。それが良い。
 それにしても、これは戦争が(本格的に)始まる二年近く前の風俗なのだ。

 全然話は変わるが、私が所属するソフトボールチームに、この夏、日本の大学院(しかも私の母校の大学院)に通って川端康成を研究するアメリカ人の青年が入部してきた。アメリカ人だからといって、野球がうまいわけではないのだが、今でも川端康成を研究しようとする外国人がいるのだなと思った次第である。

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