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2012年10月

2012年10月28日 (日)

雨の日曜日

今日は恵みの雨だ。
午後からのソフトボールの練習は中止に。
体調が悪いわけではないが、動く気力がない。
ちょうどいい休養がとれることになって、助かった。

大会が雨で延びると面倒なことになるが、大会は先週無事終了した。
わがチームは、地元の市民体育祭の大会に3チーム出場していたのだが、
一般の部(年齢制限なし)、壮年の部(40歳以上)、実年の部(50歳以上)の
3階級を制覇するという連盟史上初の快挙を達成した。
さらに、一般の部のチームは、今年の市内大会、春・夏・秋三連覇。
実年の部は二年連続優勝。

そんなわけで、
チームとしてはここ数年でも一番の盛り上がりをみせているのだが、
個人的にはいまひとつ気持ちが盛り上がらないのだ。

今日も中止になって喜んでいる。
晴耕雨読。
ゆっくり本を読みたい。
雨の日曜日。

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2012年10月16日 (火)

「再会」

 こうも偶然が重なるものだろうか。それとも何かの兆しなのか。
 この二週間近く、連続して、予期せぬ「再会」あるいは「出会い」が続いている。
 これはmixiなどの日記ではないので、こうしたきわめて個人的なことを記すのはどうかと思うが、私的な備忘録として書き遺しておく。

 まず10月5日。この日は先の投稿にもある通り、ビートルズのデビュー50周年記念日。彼とは「予期せぬ」というわけではないが、中学・高校の友人で、一緒にバンドをやっていたKから電話があった。これは地元の地域運動会に関する「業務連絡」をうちの家内に伝える職場からの電話であったのだが、僕がたまたま家にいたので少し話せた。
 そしてその三時間後ぐらいに、散歩に出ようとしたら、うちの前の道と交差する道を自転車で通り過ぎる彼を目撃した。ちょうど昼食に行くところだったようだ。
 ただそれだけのことなのだが、僕にとってはやはり特別な2012年10月5日という日の出来事というところに、何かを感じぜずにはいられないのだ。

 その二日後の日曜日。こんどは高校の友人から電話があった。こちらは久しぶりの不意の音信であった。ちょうどソフトボールの試合をしていたため、あとでかけ直したのだが、家の方にも電話があったらしい。
 僕が着信履歴からかけたのは彼の家の電話で、最初は奥さん(三人目の!)が出た。どうも単に暇だったからのようだが、変わりない声を聞いた。
 彼はKとはまったく別種の友人で、Kのように精神的な深い繋がりはないが、何んとなく心が安らぐ貴重な存在で、僕には彼のような友人もまた必要なようだ。

 8日の体育の日は、ソフトボール関係での交流があるのだが、それは省く。
 12日。実際にメールが来ていたのは10日なのだが、迷惑フォルダに入っていて僕が気づいたのは12日の金曜日。
 やっとこのブログの本題、短説の会の藤代日曜座会のSさんという僕にはまったく未知の方からメールが来ていた。
 14日の日曜日に、藤日座会で浅草探題会を行うとのこと、Sさんは会計係らしく、その業務連絡なのだが、これがちょっとした手違いで、僕を含む短説の会の主要同人はじめ藤日座会のメアドがあるほぼ全員に、「CC」で同送されてきていた。
 僕としては、まず、音信が途絶えていた藤日座会が、以前と変わらずに活動を続けているの知って嬉しく思った。さらに、探題会まで企画されるぐらい盛況だとはびっくりした。
 そして、メールやインターネットから縁遠いと思っていた短説の会も、さすがに21世紀も10年以上が過ぎて、メールで多くの人と繋がるのがわかって嬉しくなった。
 それで、この手違いで送られてきた「CC」メールをチャンスだと思い、「短説の会の皆様へ」と題する長いメールを打った。言いたかったのは、短説の会の公式サイトは、以前とはURLが変わっているが、今も変わらず健在で、その後も更新やメンテナンスは続けていて、会員にもっと見てもらいたいということ。
 そのやり取りの中で、短説では数少ない歳の近い同人である吉田龍星さんとメールで久しぶりにお話が出来て嬉しかった。
 さて、その反響は如何に。

 その同じ12日。この日は、山口二矢烈士義挙の日。これ以上は説明しない。52年目だ。
 これまた僕が人生で最も影響を受けた一人であるM先輩が、そのお墓に詣でたところ、偶然同時に墓参された方がいて、声をかけられた。それが「○○伍長」だったとのこと。このあだ名の由来を書くと差し障りがあるので、これ以上は述べないが、たぶん30年ぶりぐらいの邂逅ではないか。
 M先輩からのメールには「覚えていますか」とあったが、もちろん「覚えていますとも!」と答えた。そのあだ名を聞いただけで、僕は(おそらく家内も)、あの頃にトリップしてしまった。

 そしてその翌日(そのメールに気づいたのは一日後の14日の夜)。昭和51年頃、明治大学で小川和佑先生の授業を受けていたという、まったく未知の先輩からメールがあった。
 その日(13日夜)、インターネットで僕が制作している「小川ゼミの部屋」を発見し、ゼミOB会に入れてほしいということだった。奥さんも和佑先生のファンで、先生の講義は「夢があり大好きでした」とのこと。
 もちろんOB会への入会はやぶさかではなく、しかし最近はそれに見合うような活動はしていない旨のメールを送った。同時に、OB会の先輩にもBccで送っておいた。
 すると、これまた僕が人生で最も影響を受けた二大先輩のうちの一人、五十嵐正人さんからさっそく返信があった。
 つまり、「再会」から「再開」へなのだが……。

 14日はまたソフトボールで新しい交流があり、これは省略するが、本日(10/16)、このブログを書き始める前、平日の昼過ぎ、近所を散歩していて、自転車に乗って向こうから来た人に「西山じゃない」と声をかけられた。
 ○○だよと名前を言われなければ分からなかった。何んと、小学校の時のクラスメイトだが、彼とは小学校卒業以来一度も会っていないと思う。高校までの消息は知っていたので、その後もすれ違うことはあったのかもしれないが、僕には小学校時代の記憶しかない。
 彼はガキ大将で、身体も大きかった。小さくて痩せっぽちだった僕は、でも彼とよく喧嘩をしていた。まともに組んだら勝ち目もないのに、取っ組み合いの喧嘩をしたこともある。だから、名前を言われればすぐに思い出したが、顔を見ても小学校時代の彼と結びつかなかった。
 地元に住んでいるとは知らなかった。僕が卒業した小学校の学区域は、そのほとんどが団地で占められているので、地元に残っているのは数少ない。当時はマンモス校だったのに、みな四散してしまった。
 それにしても、彼は僕のことを「すぐに分かったよ」と言った。「全然変わってない」とも。ええっ? そう言われれば嬉しいけれど、「全然」ということはないだろう。ここ数年で、悲しいことに、自分でもさすがに老けたと思う。

 書き出すと長くなってしまった。もう何時間も書いている。
 Kate BushにThe Doors、そしてThe Beatlesをずっと流しながら。
 今日はいい天気で、書き出した頃は日も照っていたのが、すっかり暮れてしまった。

 単なる偶然だろうか。それにしても重なり過ぎだろう。
 この十日あまりで、僕が今までの人生の各年代、各ステージ、各シーンで関わってきた主要な人達とことごとく「再会」した。
 Kもこう書いている。それも最近。
「何度でも きみと 再会 何度でも きみと 再開したい」

 寄ってたかって、僕をゆり起そうとでも言うのか。

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2012年10月 5日 (金)

ビートルズ・デビュー50周年の日に

 今日は、ビートルズが「ザ・ビートルズ」として最初のEPレコードをイギリスのパーロフォン・レーベルより出した日から満50年の記念日。
 とうとう半世紀ですよ!
 言うまでもなく、今日はビートルズをかけっぱなしにしている。
 ビートルズについて語り始めたら際限がないのでこれ以上は触れない。
 ただ、この記念すべき日に、僕としては、何かしなければいけないはずだ。しかし、結局新しいことはできそうにない。
 それで、せめてもと思い、旧作(それもだいぶ古いもの)であるが、短説を3作、〈縦書き文庫〉にアップし、ホームページも更新した。

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2012年10月 3日 (水)

西山家之墓(龍珠院)

 一昨日、10月1日月曜、大安、五日市にある母方の菩提寺に行ってきた。
 ある事情により、わが西山家には墓があってない。そこで、母方の曾祖母と祖父母が眠る墓のほぼとなりに墓を建てることになった。
 そのお寺は、臨済宗建長寺派の禅寺で、天照山龍珠院という。
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 東京の西、あきる野市のさらに西、JR五日市線の終点・武蔵五日市からさらに奥、キャンプ場やマス釣り場などがある秋川渓谷の北岸の高台。墓はほとんど山と言っていいような斜面にある。
 戦時中、この龍珠院の近くに、母方一家が牛込喜久井町から疎開していた。この寺と現在「瀬音の湯」温泉が出来た中間あたり。
 終戦直前の昭和20年8月3日に母方の曾祖母が亡くなり、当地で葬儀を行い、祖父母もこの地を気に入り、のちに墓を建てた。
 それが昭和46年7月だったとは、今回あらためて認識したのだが、私がこの寺に来た最初の記憶がまさにその時だったわけだ。小学二年生だった。お寺に泊まり、秋川で釣りや川遊びをした記憶がある。このとき私は、川で溺れそうになったのだ。
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 この龍珠院、私の認識不足だったのだが、開創は貞治2年(1363)というから、もう650年の古刹というだけでなく、四季折々の花と紅葉がことに有名で、はとバスのツアーにも組み込まれるほどだという。「ONちゃんのPHOTO-Gallery」というホームページには、「龍珠院の四季」というコーナーがあり、四季折々の写真が大量にアップされている。
 うちの墓にはまだ誰も入っていないのだが、墓参りは二の次としても、これは季節ごとに来る価値があると思った。すぐ近くには日帰り温泉もあるし……。

(このわが家の墓にまつわる報告は何回かに分けてアップするつもり。第三者にはどうでもいいことでしょうが、龍珠院やその周辺の紹介も兼ねて)
 わが家の墓から見下ろした村落。うちの墓は絶壁のようなところにあります。墓自体はこれから建てるわけですが。
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