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2012年10月 3日 (水)

西山家之墓(龍珠院)

 一昨日、10月1日月曜、大安、五日市にある母方の菩提寺に行ってきた。
 ある事情により、わが西山家には墓があってない。そこで、母方の曾祖母と祖父母が眠る墓のほぼとなりに墓を建てることになった。
 そのお寺は、臨済宗建長寺派の禅寺で、天照山龍珠院という。
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 東京の西、あきる野市のさらに西、JR五日市線の終点・武蔵五日市からさらに奥、キャンプ場やマス釣り場などがある秋川渓谷の北岸の高台。墓はほとんど山と言っていいような斜面にある。
 戦時中、この龍珠院の近くに、母方一家が牛込喜久井町から疎開していた。この寺と現在「瀬音の湯」温泉が出来た中間あたり。
 終戦直前の昭和20年8月3日に母方の曾祖母が亡くなり、当地で葬儀を行い、祖父母もこの地を気に入り、のちに墓を建てた。
 それが昭和46年7月だったとは、今回あらためて認識したのだが、私がこの寺に来た最初の記憶がまさにその時だったわけだ。小学二年生だった。お寺に泊まり、秋川で釣りや川遊びをした記憶がある。このとき私は、川で溺れそうになったのだ。
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 この龍珠院、私の認識不足だったのだが、開創は貞治2年(1363)というから、もう650年の古刹というだけでなく、四季折々の花と紅葉がことに有名で、はとバスのツアーにも組み込まれるほどだという。「ONちゃんのPHOTO-Gallery」というホームページには、「龍珠院の四季」というコーナーがあり、四季折々の写真が大量にアップされている。
 うちの墓にはまだ誰も入っていないのだが、墓参りは二の次としても、これは季節ごとに来る価値があると思った。すぐ近くには日帰り温泉もあるし……。

(このわが家の墓にまつわる報告は何回かに分けてアップするつもり。第三者にはどうでもいいことでしょうが、龍珠院やその周辺の紹介も兼ねて)
 わが家の墓から見下ろした村落。うちの墓は絶壁のようなところにあります。墓自体はこれから建てるわけですが。
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コメント

   墓を建てる
         (2012.10.3/2023.11.25)
             西山 正義

 平成二十四年十月一日、月曜、大安、武蔵
五日市にある母方の菩提寺に行ってきた。
 ある事情により、わが西山家には墓があっ
てない。そこで、母方の曾祖母と祖父母が眠
る墓の斜め隣に墓を建てることになった。
 その寺は臨済宗建長寺派の禅寺で、天照山
龍珠院という。東京の多摩地区でも最も西の
方、五日市線の終点武蔵五日市駅からさらに
奥に入った、マス釣り場などがある秋川渓谷
の北岸の高台に位置する。墓地は山の斜面の
ほとんど絶壁といっていいところにある。
 さきの大戦中、この龍珠院の近くに、母方
一家が牛込の喜久井町から疎開していた。借
りた家は、この寺と現在は「瀬音の湯」とい
う日帰り温泉ができた中間あたりだったとい
う。敗戦直前の昭和二十年年八月三日に曾祖
母が亡くなり、当地で仮に埋葬し、祖父母も
この地を気に入り、のちに墓を建てた。
 それが昭和四十六年七月だったとは、今回
あらためて認識したのだが、私がこの寺に来
た最初の記憶がまさにその時だったわけだ。
 小学二年生だった。祖父母に母の兄一家と
お寺の本堂脇に泊まり、秋川で釣りや川遊び
をした。このとき私は、川で溺れそうになっ
たのだ。いや、溺れて流され、たまたま下流
にいた人に危うく助けられた。もしかしたら、
八歳で死んでいたかもしれないのだ。
 龍珠院の開創は貞治二年(一三六三)とい
うから、もう六百五十年の古刹で、四季折々
の花と樹木、特に桜と紅葉が有名で、はとバ
スのツアーにも組み込まれるほどだという。
 納骨室の穴が掘られ、コンクリが打たれた。
十一月七日に墓は建った。まだ誰も入ってい
ないのだが、季節ごとに来る価値がある。す
ぐ近くに温泉もあるし。つくづく思うのは、
私が八歳で入らずに済んでよかった。

投稿: 西山正義 | 2023年11月25日 (土) 21:00

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