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2019年1月

2019年1月30日 (水)

平成最後の年の最初の投稿

 このところ、何かにつけて「平成最後の」というフレーズが言われている。その平成最後の四か月のうち、もう一ト月が早くも終わろうとしている。月末になって、平成最後の年の最初の投稿をする。

 27日の日曜日、所属するソフトボール・チームの定期総会があった。メンバーの変動などにより、4~5年周期でチーム体制の変革を強いられるのだが、今年はその年に当たる。新しい体制について話し合って帰ってきたら、大学は異なるのだがともに小川和佑先生のゼミナールで学んだ後輩のM君からメールが入っていた。
 M君は国語の教師で、国語教育の実践を論文にまとめていて、今回は詩の創作指導をソネットで行い、そのモデルとして立原道造の「はじめてのものに」を使うそうなのだが、それで、〈注〉や〈参考文献〉の取り扱いで、今では入手困難な初出の表記の確認はどうすればいいのかということと、〈底本〉には何を使ったらいいのかという質問だった。
 彼は大学での専攻は近世だったので、近代文学の研究について教えてくださいということだった。昼間はソフトボールの練習で、久しぶりに若い人たち(それもまだ大学を卒業したばかりやまだ一年生の子もいて)が多く参加したこともあり、当初予定より時間も延長し、五十の人間には結構ハードな練習をし、そのまま市民センターの会議室で総会をたっぷり2時間かけて行い、その後居酒屋に飲みに行った。そして帰ってきて、そのメールを読み、野球の練習着のまま着替えもせず、風呂にも入らずに、長い返信を書いた。
 スポーツの世界からいきなり文学の世界へ。やっぱり文学に飢えているのか。僕だって本当の専門家ではないので、改めて調べながら、一所懸命返信を書いた。結局、返信のメールを送信したのは日付を跨いでいた。
 しかし、近代文学の研究方法のこと、立原道造のこと、改めて僕自身にとっても勉強になった。それで、ずっと気にかかっている懸案がまた浮上したわけだ。

 それは、ホームページ「西向の山」にアップしている「軽井沢文学散歩」の「信濃追分編」の続きである。昨年8月10日に堀辰雄文学記念館のところまで制作したのだが、その後、信濃追分の一番のメインである旧脇本陣の油屋旅館と分去れの常夜燈や石碑群がまだ未完成なのだ。未完成というより、まだ手が付けられていないのだ。
 M君から立原道造のこと、小川和佑先生のこと、いろいろ思い出させてくれたので、夏から止まっている作業を再開しようと思う。いきなりホームページに完成版をアップしようとすると、なかなか手が付けられないので、次回からこのブログにその素材となる写真や文章をまずはメモのような形でアップしようと思う。平成最後の「仕事」として、信濃追分文学散歩は完成させておきたいので。

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