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2019年7月23日 (火)

短説の会へのレクイエム(2)

 芦原修二さんから届いた「『短説』休刊のお知らせ」には、
「これを機に『短説』の発行業務を休み、まったく新たな構想で新体制に入ることに決心しました」
 とあり、
「今後は芦原の健康状態を考え、皆さまの作品を印刷物として制作することは中止し、インターネットのホームページ等で作品を読めるように工夫しようと東京座会の考えをまとめました」
 と結ばれていた。
 雑誌の発行停止はやむなしと思えた。短説の会ナンバー2のすだとしおさんにしても、おそらくナンバー3といってもいい個人集の単行本刊行に最も熱心な秋葉信雄さんにしても、月刊誌の発行を引き継ぐだけの余力はない。若手のリーダー二人、藤代日曜座会を牽引する吉田龍星さんにしても、最も若く才能豊かな関西座会の道野重信さんにしても、地方にいては「本部」の業務である雑誌発行を引き受けることはできないであろう。
 もしかしたら資質的に最も適任だったのは僕かもしれない。ML座会は担当していたが、雑務がいろいろあるリアルな座会運営からは外れていたし、もっと本質的なところで、その性格や資質の面で。しかし、自分からは声を挙げなかったし、そのような話を振られることもなかった。
 おそらく、芦原さんには、誰かに会の本部の運営を引き継いで、人に任せる気はこれっぽっちもなかったのであろう。なんとなれ、短説の会は、最初から最後まで芦原修二さんの会だったといえるのである。
 ともかく、機関誌の発行停止は致し方ないとして、会を解散するのではなく、次なる展開に移行しようと意志されていた。
 すなわちインターネットの活用である。これは僕も望むところであった。2000年の秋以降、日曜日は毎週ソフトボールをしていて、他にも地域のさまざまな行事を手伝うことになり、僕は日曜日の座会には参加できないのであった。また、平成21年当時は土曜日は仕事であった。かといって平日に、遠方の座会に出席するのも難しい。しかしインターネットであれば……。
 ところが、その年の暮れ近く、僕のもとに届いたのは、各座会の昔ながらの「作品綴り」(つまりワープロで印刷された各作品をコピーしたもの)をまとめただけの「回覧雑誌」だったのである。原始時代に戻ってしまったのかと思った。これにはもう僕は絶望した。インターネットに移行するだけの技量がまるでないのだ。

 ただ、インターネットの世界は、その後特にSNSの登場・発達・普及によってめまぐるしく変遷していて、10年前の平成21年当時はまだYahoo!のメーリングリストが無料で使えたのが、その後サービスを終了してしまった。
 短説の「メーリングリスト座会」は最初、水南森(五十嵐正人)さんの提唱で始められたものだが、2000年4月の開始当初はniftyで提供されていた有料のサービスを利用していた。翌年21世紀に入り、その機能や利用法の紹介と実演が、平成13年3月の短説15周年全国大会で披露された。その後niftyのサービス終了を受けて、西山正義がYahoo!の無料サービスを利用して運営に当たった。
 そのML座会は、リアルな座会とはまた異なったやり方ではあるが、座会として(すなわち、作品を提出して、合評会を行うという)機能だけでなく、短説の会の情報や意見交換など会の運営にも威力を発揮した。
 しかし、いかんせん参加人数が限られていた。はっきり言ってしまえば、当時、全会員が電子メールアドレスを持っていて、さらにそれを使いこなし、ML座会に参加してくれていたら状況は変わっていたであろう。
 ただしこのYahoo!メーリングリストも、そのサービス自体が2014年5月28日で終了となる。そうなると行き場を失うわけだが、もうこの頃になると、現在あるさまざまなSNSが登場しているので、みながMLに慣れていれば、他のSNSに乗り換えることは容易なことであったろう。
 SNSとはソーシャル・ネットワーキング・サービスの略で、現在では多種多様なサービスがあるが、要するに「インターネットを経由して人と人が交流できるサービスの総称」で、ウィキペディア(Wikipedia)では第一に「Web上で社会的ネットワーク(ソーシャル・ネットワーク)を構築可能にするサービスである」と説明されている。これは短説の会にもってこいではないか。使わない手はない。誰もがそう思うはずである。
 21世紀を10年以上過ぎた現在において、何らかの組織的な活動を行うなら、SNSの活用無くしてはあり得ないであろう。SNSは現在さらに進化し、パソコンよりむしろスマートホンでの活用の方が主流になってきて、最新の各種SNSはパソコン向き(つまり短説向き)ではあまりないが、広義のSNSサービスでいえば初期型のいわゆるウェブ掲示板やブログなどは平成21年当時すでに相当に普及していたのである。
 最も簡単なのはブログである。一つのブログを共有するのでもよいが、手っ取り早く各人がそれぞれにブログを開設し、そこに作品を発表し、もし通常の座会のように「点盛り」をしたければ、期日を決めて一斉にアップし、点盛りや批評は共用の掲示板を使えばよい。
 インターネットのホームページの最大の特徴は「ハイパーリンク」にあるので、公式サイトがその要になり、各個人のブログをリンクで結び、ネット上に短説の会のコミュニティを構築すればよいのである。
 そしてそれは、それほど難しいことではない。と、思っていたのは僕だけだったのでしょう。あるいは、僕と同世代かそれより下の短説の会では若い部類に入るごく少数の者だけだったのでしょう。
 もちろん、芦原修二さんも世の中そういう流れにあるというのは分かっていたはずで、だから今後は「インターネットのホームページ等で作品を読めるように工夫しようと」模索する意思はあったのだが、結局、そういう方向に、文字通り「一歩も」踏み出すことができなかったのである。これが、短説終焉の直接の理由である、と僕は思う。
 その他にも間接的な理由がいくつかあると思うが、それより、おそらく本質的な理由はもっと別なところにあるのだろうと思う。そしてそれは、文学結社としてむしろ自然な流れなのかもしれない。

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