短説の会へのレクイエム(1)
令和最初の投稿である。
今日は令和元年(2019)7月20日。つまり、『短説』休刊から満10年が経ったわけだ。
われらが短説の会の創始者であり主宰者である芦原修二さんが、平成21年(2009)6月21日東京座会の帰途、柏駅のホームで電車接触事故に遭い、それを契機に、翌7月21日付の書面で、文学結社の命である機関誌、月刊『短説』の休刊が発表された。
雑誌の形として体裁を整えた月刊の『短説』は、昭和62年(1987)2月に行われた第18回座会(当時はまだ東京の神田神保町座会しかなかった)の「作品綴り」を冊子にまとめ、3月号と表示したのに始まる。
その際、昭和60年(1985)9月の第1回座会から17回までの各座会の「作品綴り」と、それらとは別に雑誌の形で発行した季刊『短説』2冊をあわせて通巻20号とし、以後月刊化したのが雑誌『短説』である。
以来、平成21年までの24年間、発行が大幅に遅れたり、合併号になることはあっても、休むことなく発行し続けてきた。その時々に応じて、同人の何人かが編集や校正に加わったりし、平成15年の7月号以降は数人の同人による編集担当制度が導入され、内容面でも実務面でも大きな成果を上げた。
しかし、発刊以来常に最終的な編集作業は芦原修二さんの双肩にかかっているのには変わりなく、それどころか、発送等の雑務までほとんど一切を芦原さんが行っていた。
その限界に突き当たったのが、芦原さんの健康上の問題であった。いや、もっとはっきり言えば、高齢化である。そこへ事故である。
それで先の通り、平成21年7月21日付で、芦原修二さんより全会員に向けて、短説の会として印刷物制作の中止が発表された。それは直ちに発効され、その時点で編集が完了し、刊行を待つだけになっていた平成21年3月号(通巻281号)を最後にその発行がストップされた。
因みに、その最後の号は僕が編集したもので、すでに4ヶ月も発行が遅れていたわけだ。次の道野重信さん担当の4月号はゲラ刷りまで完成していたが、未刊のままだ。さらに、すだとしおさん担当の6月号に当たる年鑑特集号も編集作業は進んでいたが、頓挫したまま。
それから、10年が経ったのだ。
今更、どうなるものでもない。
短説の会の外部の人にはどうでもいいことだろう。いやそれどころか、かつて会に属していた人たちにとっても、もはや、どうでもいいことかもしれない。たぶんそうなのだろう。僕がこれだけ声を出しているのに、まるで反応がないのだから。
(その反応がないのは、かつてはパソコンとりわけインターネットがネックになっているのだろうと思っていたが、今や、そもそもこの世にいない人も多いからではないかという恐ろしい事実に突き当たるのである)。
しかし、それでも、その後の顛末を、やはり文章に記しておきたい。
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