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2021年5月

2021年5月10日 (月)

短説「四十八年目の憂国忌に」西山正義

   四十八年目の憂国忌に
   
(――空白を埋めるための後付け短説)
            
西山 正義

 平成三十年十一月二十五日、日曜日の朝で
ある。本日はもちろん、一般には「三島事件」
より正確には「盾の会事件」と呼ばれる、い
やもっと正しくは「盾の会義挙」と言うべき、
盾の会隊長・三島由紀夫と同学生長・森田必
勝両烈士の殉節日である。
 あれから四十八年。といっても当時は小学
一年生で、リアルタイムにはっきり意識され
たわけではない。それから十年後、昭和五十
五年の「憂国忌」である。十七歳だった。
 この日を僕は一番大切にしている。しかし
毎年、何の行動もできないし、まことに遺憾
ながら、今では遠い日になっている。
 一昨日はこれも我が国にとって大切な新嘗
祭の日であった。この三日間、今年は金・土
・日で、久しぶりに三連休を取った。しかし、
「新嘗を祝ふ集ひ」に参列するためでも「憂
国忌」に出席するためでもなかった。ソフト
ボールの大会に行くためだった。
 地区大会ではなく、東京一を決める都大会。
それゆえ、本来ならもういいおじさんの僕が
出る幕はないのだが、祭日の一昨日は若手の
集まりが厳しく、FP(守備のみ)であった
がレフトでフル出場した。結果は、最後一点
差まで詰め寄ったが負けた。そんなわけで、
今日は試合はなく練習のみだが、これから着
替えて地元のグラウンドに行く。
 このところ、ジャン=ジャック・ルソーの
『孤独な散歩者の夢想』を読みはじめたり、
三一書房の『戦後詩大系』や大手拓次、三好
達治、谷川俊太郎の詩集を読み返したり、昨
日も急に思い立ってヘミングウェイの最初の
短編集『われらの時代(IN OUR TIME)』を
再読し始めたりしてはいるが、読むだけで、
書いてはいない。三島さん・森田さん自決の
日に、何とも情けない限りである。

ブログ:平成30年(2018)11月25日(日)~9:14
短説化:令和3年(2021)5月10日(月)11:30~14:30

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2021年5月 8日 (土)

短説「結婚三十年に」西山正義

   結婚三十年に
   (――空白を埋めるための後付け短説)
            
西山 正義

 平成三十年四月十日、西山正義と向山葉子
が結婚式を挙げて満三十年になった。媒酌人
は明治大学の恩師で文芸評論家の小川和佑先
生・節子さんご夫妻。私は大学を卒業したば
かり。桜満開の神田明神でのこと。
 入籍したのは二日前の四月八日で、満開の
桜に時ならぬ春の雪が降った日であった。私
の二十五歳の誕生日。「昭和」最後の春にな
った。それから三十年ということは、つまり
私も五十五歳になったわけだ。
 結婚記念日を祝う風習は英国発祥とのこと
だが、当初は五年、十五、二十五、五十、六
十年目の五回のみを祝っていたらしい。わが
国でも明治二十七年に明治天皇・皇后両陛下
が「大婚二十五年祝典」を執り行ったことか
ら、いわゆる「銀婚式」が大きな節目として
一般にも著名になったようだ。
 五年前、その銀婚式に、私の仕事が不安定
で遺憾ながら何もできないでいた。その上で
の三十年であるし、何も結婚記念日に旅行し
なければいけないわけではないが、五十もな
かばになり、子供二人も独立したので本来な
らもっと余裕があるはずで、ここは豪勢に奢
ってもいいところなのだが、如何せん私が不
甲斐なく、国内のそれも比較的近い所にしか
行けなかった。ただ正直言って、私が行きた
いと思うのはやはり信濃追分と軽井沢だけだ。
いやほかにも、熊野や出雲や高千穂には行き
たいと思うが、遠過ぎる。いや遠過ぎるとい
うより、第一の目的は、自身のホームページ
の「軽井沢文学散歩」の〈信濃追分編〉を作
りたいがためであった。
 それで、三十年目の結婚記念日を挟んで、
信濃追分~軽井沢をゆっくり散策し、念願の
万平ホテルに泊まり、さらに上田の別所温泉
と善光寺の宿坊に泊まってきたのである。


文学散歩:平成30年(2018)4月15日(日)「西向の山」
短説化:令和3年(2021)5月8日(土)12:00~13:00

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短説「母が雪で転倒、骨折」西山正義

   母が雪で転倒、骨折

            
西山 正義

 たまたま家にいたのである。玄関のドアが
強めにノックされた。何事かと、出ると、見
知らぬ女性が息を切らせながら、「……倒れ
ています」と言って、道路の方を指さした。
ただならぬ気配に、そのままサンダルを突っ
かけて女性のあとを追った。
 家の前の道を東へ、一つ目の十字路を右に
曲がって程なく、母が尻もちをついて倒れて
いた。氷の上に。前日は東京にしては大雪だ
った。翌日は朝から晴れて道の中ほどの雪は
解けていたが、畑に沿った脇の方は凍ってい
た。一目で、滑って転んだことがわかった。
 平成二十八年一月十九日火曜日のことであ
る。母は七十六歳。転んではいけないのであ
る。偶然通りかかった介護老人ホームの車が
リフトの座席を降ろして、引き上げようとし
ていてくれたが、母は起き上がることができ
ないでいた。頭は打っていないようである。
 救急車を呼んだ。上着を着、靴を履き替え、
免許証や財布を持って、私も救急車に乗り込
んだ。通報してくれた女性は立ち去っていた。
老人ホームには二日後父と一緒に菓子折りを
持ってお礼に行った。
 結果、左大腿骨頚部骨折であった。もちろ
んそのまま入院で、手術の必要があった。し
かし糖尿病などの持病があり、すぐには出来
なかった。そもそも眼科へ行こうとしていた
のだ。眼科の診断書や持病の診察、経過を見
て、二月二日に人工骨頭挿入の手術を受ける。
 高齢者の骨折は致命傷になる。入院は長く
なった。同じ市内とはいえ、病院はバスを二
つ乗り継ぐ距離。父、私、妹、妻、子供たち
が入れ替わりに見舞いに行った。車椅子生活
になるかと案じられた。幸い、リハビリ病院
への転院は必要なく、五十二日目に退院した。
五月には母一人で通院できるまでになった。


第一稿:令和3年(2021)5月8日(土)7:30~11:00

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短説「葡萄の季節に堀内幸枝さんから」西山正義

  葡萄の季節に堀内幸枝さんから
   
(――空白を埋めるための後付け短説)
            
西山 正義

 詩人の堀内幸枝さんから手紙が来た。
 氏からの連絡は、いつも突然でびっくりさ
せられる。ちょうど、私の師で、堀内作品を
高く評価した一人である文芸評論家の小川和
佑先生が亡くなって、この九月二〇日で満一
年を迎えるところであったから。
 そのことともあながち関係がないわけでは
ないのだが、直接には別の用件で、今回はな
んと原稿依頼であった。
「ただ今『葡萄』最終号をつくっております
が」とあり、そこに載せる原稿をということ
なのだが、さりげなく書かれている《最終号》
という言葉にハッとなった。
 堀内幸枝さんが長年主宰している詩誌『葡
萄』は、書肆ユリイカの伊達得夫氏が色紙を
切り抜いて作った装丁で、昭和二九年に創刊
されたのだった。時に幸枝さん三四歳。そし
て平成二七年現在九五歳。誕生日は九月六日
で、という
ことは、九五歳の誕生日の二日後
にお手紙をいただいたわけだ。
 久しぶりに依頼された原稿を書いた。手紙
が届いた一〇日に二枚書き、今日三枚に仕上
げて、夕方には郵便局の本局から速達で出し
た。平成五年秋、甲州一之蔵での堀内幸枝文
学紀行をテーマとした小川ゼミの合宿のこと。
小川和佑先生への供養にもなったような気が
する。私のその原稿では、あたかも小川先生
が今も健在であるかのように描かれている。
もちろん堀内幸枝さんも。いや、堀内さんは
正真正銘ご健在で、だから、最終行は現在形
で締めくくっている。
 堀内さんのお手紙は、とても九五歳とは思
えない、実にしっかりとした律儀そうな楷書
の筆跡で、それは、十代のころせっせと『四
季』に詩を投稿していたころから全く変わっ
ていないのだと思う。


ブログ:平成27年(2015)9月12日(土)~23:15
短説化:令和3年(2021)5月7日(金)24:10~24:50

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2021年5月 7日 (金)

短説「草原の輝き……」西山正義

   草原の輝き……
   
(――空白を埋めるための後付け短説)
            
西山 正義

 タイトルを忘れたが、BSテレビで西村京
太郎の十津川警部シリーズの再放送を観た。
TBS系の十津川警部=渡瀬恒彦、亀さん=
伊東四朗ではなく、テレビ朝日系の十津川=
高橋英樹、亀さん=愛川欽也の方だ。
 もちろんトラベル物なのだが、どこが舞台
だったかも忘れてしまった。ともかく、犯人
は十津川警部の大学ボート部の友人なのだが、
その友人が愛唱していたワーズワースの詩句
が最後に効果的に使われている。
 ぶっちゃけ、それに泣けてしまった。ドラ
マ自体は、しごく常套的なサスペンスで、二
時間枠のお決まりの作りなのだが、十津川が
最後に犯人の友人に向かって言うその詩句に
ぐっときてしまったのだ。
「草の輝くとき 花美しく咲くとき たとえ
それが還らずとも 嘆くなかれ」
 十九世紀イギリスのロマン派を代表する詩
人ウィリアム・ワーズワースの有名な詩の一
節だが、十津川警部とその大学時代の友人が
この詩を愛唱していたというのは、むしろ六
〇年代初頭アメリカの青春映画の秀作『草原
の輝き』の影響ではないだろうか。
 原題「Splendor in the Grass」はそも
そもワーズワーズのこの詩をモチーフにした
ウィリアム・インジの原作をエリア・カザン
が映画化したもの。一九六一年十一月封切り。
 この映画は、日本でも村上春樹をはじめあ
る世代の人には相当な影響を与えたようであ
る。またアメリカ人もこのイギリスの詩が好
きなようで、ロバート・レッドフォード監督
の「A river runs through it」(一九九
二)でも、父と子がこの詩を交互に朗読する。
「嘆くなかれ」と敢えて言っているのだがら、
やはり嘆かずにはいられないということだ。
草の輝くとき、それは二度と還らないのだ。

ブログ:平成23年(2011)9月7日(水)~22:37
短説化:令和3年(2021)5月7日(金)21:50~22:40

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短説「精神の鈍化」西山正義

   精神の鈍化
   
(――空白を埋めるための後付け短説)
            
西山 正義

 ハンス・カロッサや堀辰雄の『幼年時代』
をあげるまでもなく、多くの作家がその幼年
から少年時代の思い出を書き残している。若
年のころの記憶(実際の体験というよりは脳
裡に刻み込まれた原風景)は、その人生に決
定的な影響を与えるから、ものを書く人間な
ら誰しも書き留めておきたくなるのだろう。
 ただしそれは、実際の体験を忠実に再現し
たいという場合もあるかもしれないが、幼年
から少年時代特有のある甘やかな、一種の見
果てぬ夢みたいなものを加味したり、自己の
体験として直接的にではなく、虚構の中で登
場人物に仮託してひそかに書き留めておくと
いう場合もあるだろうし、あるいはもっと文
学作品として実験的な試みを試す方法として
という場合もあるだろう。が、いずれにしろ、
書かずにはいられないモチーフなのだった。
 あの、幼年から少年時代のほろ苦くしかし
妙に甘やかな空気というものは一体なんだろ
う。おそらくそれは観念が勝る以前の、若く
柔らかい心と身体にダイレクトに刺激を感じ
たまさに官能的な体験であるからであろう。
 ところが、そうした記憶を折に触れて思い
出したり、幼年・少年時代を切なくも甘く感
傷的に反芻するのも、せいぜい二十代のなか
ばか終わり頃までで、四十五も過ぎれば、も
はやどうでもよくなってします。それは、年
とともに感受性が磨滅したためだろうか。
 なぜこんなことを思ったかというと、六十
三歳で亡くなった壇一雄の没後に出た『わが
青春の秘密』を読んだのだ。どうも晩年の作
品のようなのだが、よくもこんなにつぶさに
幼年時代を思い出せる、そして書こうと思う
ものだと正直羨ましくなったのだった。失わ
れたものを取り戻そうという、そういう想い
すら失われつつあるのだ。それはもう…… 

ブログ:平成21年(2009)12月22日(火)~1:49
短説化:令和3年(2021)5月7日(金)20:00~21:20

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2021年5月 5日 (水)

短説「ビートルズとソフトボール」西山正義

 ビートルズとソフトボール
   (――空白を埋めるための後付け短説)

            
西山 正義
 
 ビートルズの全公式アルバムのデジタルリ
マスター版のボックスセットが全世界同時発
売された。そのカウントダウンはテレビでも
報道されるほどだったが、僕は当然予約注文
し、今か今かと待っていたのだ。すると発売
日前日に届いた。前日に届いていいのかと思
ったが、そうでなければ、2009年9月9
日午前0時に手にすることはできないのだ。
 マニアとしては当然「モノ・ボックス」を
チョイスすべきなのだが、経済的に両方は同
時に買えないので、迷った挙句、公式楽曲全
213曲(217テイク)が網羅されたステ
レオ版を購入した。リマスターされてもやは
り初期のものはモノ・ミックスの方が断然い
い。音が一つの塊となって迫ってくるから。
ただステレオは、個々の楽器の音が聞き分け
やすいという利点はあるが。
 創作に関して、僕にとって重要な年であっ
た1995年のあの時も、ビートルズのまさ
かの新曲“Free as a Bird”がリリースさ
たのだった。しかし、あれから十四年は、
やはりちょっと長過ぎた……。
 十二歳の頃からもう何度も繰り返し繰り返
し聴いてきた音源だが、大音量にしてヘッド
ホンで聴くと、今まで聴いたことがないよう
な音まで聴こえてくる。本当にビートルズさ
えあればいいという気持ちになってくる。
 あとはソフトボールと野球。この連休は、
軟式野球の秋季大会三回戦に、ソフトのいつ
もの練習と遠征での合同練習。さらにPTA
大会のサポート。近頃ではシルバーウイーク
とも称される秋の連休、僕にとってはソフト
ボール・野球ウイークだ。
 ビートルズが聴けて、日曜日に休めて、ソ
フトボールや野球が毎週出来れば、それで幸
せ、というのが僕の現状である。


ブログ1:平成21年(2009)9月9日(水)~23:57
ブログ2:平成21年(2009)9月11日(金)~23:45
ブログ2:平成21年(2009)9月22日(火)~23:56
短説化:令和3年(2021)5月5日(金)15:30~16:24
第二稿:令和3年(2021)5月5日(金)~17:30

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短説「平成二十一年の初詣」西山正義

   平成二十一年の初詣
   (――空白を埋めるための後付け短説)
            
西山 正義
 
 わが家では初詣に毎年異なるところにお参
りに行っているのだが、今年は高校生の娘の
リクエストで原宿に近いところということに
なった。そうなると真っ先に思い浮かぶのは
もちろん明治神宮であるが、明治神宮に元旦
に行くものではない。原宿といえばもう一ヶ
所、わが家的には著名だが、一般的には穴場
の東郷神社にお参りすることにした。
 元日の原宿なんて十九のとき以来だ。十二
時ちょっと過ぎに着いた。願朝参りのピーク
は過ぎていたが、竹下通りは大混雑。
 東郷神社は、言わずと知れた日露戦争時の
聯合艦隊司令長官、元帥海軍大将・東郷平八
郎の命を祀った神社である。
 社殿正面の手前に茅の輪があった。説明板
などはなかった。みな単に跨いで潜っている
だけだが、作法があったはずだ。右からだっ
たか左からだったか。前の老夫婦が左から回
った。たしか足も揃えるのだ。正面でお辞儀
をし、左足から跨いで茅の輪をくぐり、輪っ
かの左側を通って正面へ、またお辞儀をし、
右足で跨いで茅の輪をくぐり、輪っかの右側
を通って正面に戻る。また頭を下げ、もう一
度左を回って戻ってくる。正面で深くお辞儀
し、拝殿へ進む。家族四人でぞろぞろ連なっ
てやっていると、注目を集めてしまった。
 娘に「勝札」、息子に「勝守」を求めた。
勝札の「勝」の文字は東郷元帥の直筆だそう
だ。勝守には例のZ旗がかたどられている。
 かつて「新嘗を祝ふ集ひ」の会場としても
お世話になった水交社前の庭園をそぞろ歩き、
再び原宿の喧噪の中へ。
 娘と妻は、それが本来の目的とばかりに買
い物へ。息子と私はクレープだけ食べて、渋
谷を経由しバスで帰宅。ひと息いて、近所の
空き地でキャッチボール初めをする。


ブログ:平成21年(2009)1月2日(金)~1:46
短説化:令和3年(2021)5月5日(水)12:45~15:00

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2021年5月 3日 (月)

短説「本を売る Ⅱ」西山正義

   本を売る Ⅱ
   
(――空白を埋めるための後付け短説)
            
西山 正義

 娘が「文学フリマ」に行ってきた。親とは
関係なく。平成二十六年五月五日、朝から出
かけていた娘が、帰宅して初めて知ったのだ
った。ただし出店したのではなく、詩を書い
ているという大学時代の友人と見物しに。
 もう十八回目になるというこの「文学フリ
マ」が、かつて水南森さんと私と妻でやって
いた『日&月』が出店した「全国文芸同人誌
展示即売会・復活祭」や「オールジャンル文
章同人誌即売会・ぶんぶん!」と関係あるの
かないのかは不明だが、同じ系統のイベント
で、年々規模が大きくなっているようだ。
 会場は、この五回ほどは東京流通センター
であるが、その前の五回は蒲田の大田区産業
プラザPiOだったらしく、こちらは二〇〇〇
年三月の「ぶんぶん!第一回」で出店したこ
とのある会場だ。
 その会場には、当時五歳の息子は連れて行
ったが、娘は行っていない。実はちょっとし
たトラブルがあって、不快な思い出が残って
いるのだ。それ以前、一九九六年から七年に
かけて参加した「復活祭」は別の会場であっ
たが、娘は覚えているという。当時娘はまだ
幼稚園生だった。親が出した雑誌を売り、う
さぎの表紙が気に入った絵本作家の冊子を買
ったりしたのだった。そのことを友人に話し
たら、「ありえねぇー」と言われたらしい。
 いわゆる「コミケ」ほどではないにしろ、
文章メインの同人誌の即売会も今ではけっこ
う盛況のようだ。
 実はこの時は下見だったようで、それから
半年後の第十九回文学フリマに、その友人と
ユニットを組んだ詩集と個人小冊子を発行し
て出店したのだった。親子二代して。娘の友
人は「ありえねぇー」と言うだろうが、わが
家では「ありえるー」になるのであった。
ブログ:平成26年(2014)5月5日(月)~23:59 短説化:令和3年(2021)5月3日(月)17:00~19:15

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2021年5月 2日 (日)

短説「“最後”の花見会」西山正義

   “最後”の花見会
   
(――空白を埋めるための後付け短説)
            
西山 正義

 文芸評論家で近代文学研究者の小川和佑先
生を囲んでのお花見会は、平成二十五年四月
六日に行われた。先生は「桜の文学」のいわ
ば伝道者としても知られていた。
 この年は開花が早く、ソメイヨシノはすで
に散っていた。そんなわけで場所を変えるべ
きかと直前になってすったもんだしたり、当
日も夕方から春の嵐に見舞われたりと、いろ
いろあったが、結果的には、当初予定の紀尾
井町通りの八重桜がちょうど見頃になってい
て、成功裡に散会することができた。
 十四年前の花見の時は新卒だったI君とK
嬢が立派な社会人(K嬢にいたっては大学の
先生!)になっていたり、卒業以来初めて実
に久しぶりに参加したW君にも会え、OBの
子供も三名参加し、ほんのひと時であったが
たいへん充実した花見会になった。
 ――しかし、これが先生と一緒に桜を見た
最後になったのだった。
 その日は、息子の大学入学式でもあった。
妻は日本武道館での式典を終えてランチから
合流し、息子は大学での事務手続きを経て二
次会から参加したのだった。息子は先生には
会えなかったが、入学したのは日本文学文化
学科なのである。
 私と一緒に待ち合わせの準備から参加して
いた娘は、大学四年になっていた。ヨーロッ
パ比較文化学科でジャン・コクトーを卒論に
選んでいたので、仏文学専攻の卒業生(とい
っても親と同じ年代)とまるで友達のように議
論していた。
 そしてその二日後、私もとうとう五十歳に
なった。小川和佑先生に出会ったのは昭和五
十八年四月、二十歳になったばかりだった。
あれから三十年。自分の子供が同じ年代にな
り、当時の先生の年齢に近づいたのである。

ブログ:平成25年(2013)4月8日(月)
小川ゼミ通信Vol.30:平成25年(2013)4月20日(土)
短説化:令和3年(2021)5月2日(日)~22:33

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短説「花が散っていたって……」西山正義

 花が散っていたって……
   
(――空白を埋めるための後付け短説)
            
西山 正義

「花が散っていたっていいじゃないか。君た
ちに会えれば」
 と、小川和佑先生はおっしゃった。受話器
越しの声は優しく温かだった。宇都宮のお宅
の茶の間が瞼のうちに浮かぶ。
 先生のゼミOB会で花見を計画していたの
だ。ゼミの行事としては、平成二十二年八月
の「先生八十歳祝賀・日光合宿」以来二年半
ぶりだが、お花見は二十世紀だった平成十一
(一九九九)年の新宿御苑以来、十四年ぶり
だった。日程は、平成二十五年四月六日土曜
日、場所は四ツ谷に決まっていた。
 ところがこの年は、冬の寒さが厳しかった
わりに春の訪れが早く、急激に暖かくなり、
桜の開花が異様に早かったのだ。四月に入り
東京の桜は満開からはや二週間近く経ってい
て、見頃どころか、四月三日には強風が吹き
あらかた散ってしまった。
 今回の花見は、発足時から長らくそして深
くOB会に関わっていながら、今まで一度も
メインの幹事をしたことがなかったAさんが
初めて企画したものだった。それで大いに腐
心することになる。今更日程は変えられない
が、場所を変更しようかと。Y君も加わり、
直前になってああだこうだと、あわただしく
打ち合せすることになった。
 先生曰く。「四ツ谷にも八重桜があるぞ」
 調べてみたら、Aさんがランチ会場に設定
した(私などなら思いつかないようなオープ
ンカフェもあるお洒落な)店がある紀尾井町
通りは、知る人ぞ知る有名な八重桜の並木に
なっているのだった。四月一日に下見したと
ころ、やっとほころび始めたという感じであ
った。それで三月初旬の計画通りに決行した
のだ。するとどうだろう、ソメイヨシノより
濃い紅色の八重桜が満開だったのである。

小川ゼミ通信Vol.27:平成25年(2013)3月12日(火)
小川ゼミ通信Vol.29:平成25年(2013)4月4日(木)
短説化:令和3年(2021)5月2日(日)12:30~15:00

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2021年5月 1日 (土)

短説「頸が……」西山正義

   頸が……
   
(――空白を埋めるための後付け短説)
            
西山 正義

 平成も四半世紀目の二十五年になり、私も
とうとう四月で五十歳。仕事と、それ以外に
は仕事に備えて体調を整えるのに精一杯で、
日々はあっと言う間に流れるのであった。
 眼の疲れから来るのか、単なる加齢からな
のか、やはり職業病なのか、人が言うところ
の五十肩と思われる症状に悩まされることに
なってしまった。利き腕の右ではなく、なぜ
か左が酷いのだが、肩から肩甲骨にかけて、
何もしていなくても激痛に近い痛みが走る。
 それでパソコンにも長いこと向かっている
気がせず、ブログも更新できなかった。それ
と、父のパソコンが壊れたので買い替え、そ
のセットアップや、もうパソコンを十年以上
もやっているのにいまだに基本操作すらおぼ
つかない父への教示やら、私のノートパソコ
ンも不調だったりして、というのは口実で、
結局のところやる気が起こらなかったのだ。
 肩と肩甲骨から腕にかけての痛みは、いわ
ゆる五十肩ではなく、どうも頸の骨の間にあ
る神経からきているようだ。考えてみれば、
腕をまわしてもなんともないし、そもそも腕
はちゃんと挙がるし、ソフトボールも支障な
くできた。パソコンをやりだすと痛みが増す
ので、やはり坐ったときの姿勢なのだろう。
 話は替わって、昨日から、いよいよ息子の
大学入試が始まった。同時に、娘が自動車教
習所に通うことになった。
 今月は車検で、自動車保険も更新しなけれ
ばならない。現在は三五歳以上補償の契約だ
が、娘が免許を取ったら二一歳以上に。保険
料は一・五倍になる。息子も大学に受かった
らすぐ取るだろう。一八歳からの補償となる
と、保険料は二倍以上に跳ね上がる。とても
頸が回らない。せめて、肉体の方の頸だけで
も痛みなしに回ってほしいものである。

ブログ1:平成25年(2013)1月29日(火)~18:30
ブログ2:平成25年(2013)2月2日(土)~13:14
短説化:令和3年(2021)5月1日(土)21:45~22:45
第二稿・訂正版:令和3年(2021)5月3日(月)~20:25

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