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2023年1月

2023年1月29日 (日)

短説「息子の嫁から(そして靖國神社と浅草寺へ)」


息子の嫁から(そして靖國神社と浅草寺へ)
 

            
西山 正義
 
 息子のお嫁さんからまたまた素晴らしい物
が届いた。元日うちの車を使用した際、私の
ETCカードで支払った高速代として京都のお
土産を送ってきてくれたのだ。そんなのはい
いのに。そのつもりで年末に洗車しガソリン
を満タンにしカードも刺しておいたのだから。
でもその気遣いが嬉しいじゃないの。
 小倉山荘のおかきの詰合せ。正月にも百人
一首のカルタあられと京都のお茶に岡谷のわ
かさぎの佃煮を手土産に持ってきてくれた。
昨年のお歳暮には加賀麩汁。小倉山荘といえ
ばもちろん藤原定家の「小倉百人一首」ゆか
りの場所である。平安文学を専攻するお嫁さ
んならではのチョイスであるが、私たち夫婦
が文学を愛好するというのを知ってのことで
ある。還暦を迎える令和五年の正月、年の始
めから雅やかに美味に過ごせている。
 そして十二日、元日と二日に目の前まで行
って参拝をあきらめた靖國神社に詣でること
ができた。ちょうど正午に着いたのだが、外
苑参拝者駐車場にすんなり入れた。まずは拝
殿にお参りし、国の安からんことをお祈りす
る。遊就館に寄り、今年の奉納のための新作
刀剣の展示を鑑賞した。お昼は、遊就館の茶
寮「結」の海軍カレーにするか迷ったが、外
苑休憩所の「靖國八千代食堂」で海老かき揚
げそば(女房は同うどん)をいただいた。
 それから、浅草へ。女房が新春浅草歌舞伎
を観るため、浅草公会堂まで送った。時間が
あったので、浅草寺に参拝し、仲見世通りは
避けて、伝通院通りから浅草公会堂のあるオ
レンジ通りを少し歩いた。浅草一の目抜き通
りである雷門通りのパーキングエリアに待つ
ことなく駐車できたのはラッキーだった。三
年ぶりに行動制限のない正月。浅草はさすが
に賑わいを取り戻しつつあるように見えた。

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2023年1月26日 (木)

やっぱり猫はネズミがお好き

 先日、わが家の猫がネズミを捕ってきた。家にいたのではない(たぶん)。外から咥えてきたのである。生きたまま。鋭い牙で咥えても、器用に殺さずに。家に入ってきて、低姿勢で低く唸っているので、どうしたと覗き込んだらネズミを咥えていたのである。こんな冬に。
 夏には、セミはもちろんトノサマバッタやカマキリを捕まえてきては、食べるわけではなく、なぶりものにしていた。揚羽蝶の幼虫(あの大きな青いイモムシ)もよく捕ってきたが、一度ぺろりと食べてしまい、そのあとおなかを壊したことがあった。
 わが家に現在いる猫は、元は捨て猫で、ある伝手を経て保護したのだが、どうもノルウェージャンフォレストキャットの血が流れているようだ。一歳半ほどになるオス猫である。
 捕ってきたネズミは、家の中で逃げ、本棚の本と棚の隙間に逃げ込んだ。その後格闘がはじまり、まるでトムとジェリーのような展開になった。ネズミのキーキーという鳴き声を久しぶりに聞いた。いや、あんな間近でネズミの鳴き声を聞いたのは初めてかもしれない。本当に「キーキー(チューチュー)」と鳴くんだなあと妙な感心をした。

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2023年1月19日 (木)

15年目の車検

 2019年1月末(は平成31年)に、11年落ちで本体34万円で買った中古車を、初登録から15年の車検に出した。タイヤの側面に罅割れができていて、まだスリップサインは出ていないのだが、高速でバーストの危険があるため、やむなく交換することにした。四本まとめて。予定外の出費である。しかし、タイヤがなければ車は走れない。二年前にも換え時と言われていて、だましだましきたので仕方ない。
 走行距離は出ていない。11年落ちで、28,400kmしか走っていなかった。15年で50,900km。うちで乗り始めて4年で22,500km。息子が仕事で使っていた時はかなり走っていたが、その後はたいして走っていない。維持費がばかにならない。しかし、高齢の母を抱えているし、ソフトボールの道具運びもあるし、やはり自家用車は手放せない。
 車種はと言えば、むかしは自家用車と言えばこれだった、5ナンバーの4ドアセダンである。日産車なのだが、その後継車種はなくなり、トヨタのカローラも5ナンバーの旧モデルが併売されてはいるが主力車種は3ナンバーになったので、今や絶滅したカテゴリーの車である。新しい車など買えないというのが一番の理由だが、だから大事に乗ろうと思う。

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2023年1月12日 (木)

靖國神社と浅草寺へ

 元日と二日に、目の前まで行って参拝をあきらめた靖國神社にようやく詣でることができました。ちょうど正午に着いたのですが、外苑参拝者駐車場にもすんなり入れました。まずは拝殿にお参りし、国の安からんことをお祈り。

Dsc_1849

 そして遊就館へ。「令和5年 奉納新春刀剣展」を鑑賞してきました。

Dsc_1854

 お昼は、遊就館の茶寮「結」の海軍カレーにするか迷いましたが、外苑休憩所の「靖國八千代食堂」で海老かき揚げそば(女房は同うどん)をいただきました。
 そして、浅草へ。女房が新春浅草歌舞伎を観劇するため、浅草公会堂まで車で送りました。

Dsc_1859

 時間があったので、浅草寺に参拝し、仲見世通りや浅草公会堂のあるオレンジ通りを散策しました。浅草一の目抜き通りである雷門通りのパーキングエリアに待つことなく駐車できたのはラッキーでした。浅草はさすがに賑わいを取り戻していました。

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2023年1月10日 (火)

息子のお嫁さんからの気遣い

 一月三日の記事(短説)に書いた息子の伴侶、すなわち私たち夫婦のお気に入りのお嫁さんから、またまた素晴らしいものが届いた。元日、うちの車を借りた際、私のETCカードで支払った高速代を清算せずに京都に帰ってしまったと、京都のお土産を送ってきてくれたのだ。

13222

 そんなのはいいのに。もともと息子夫婦に使わせるために、年末に洗車しガソリンを満タンにし、ETCカードも刺しっ放しにしておいたのだから。でもその気遣いが嬉しいじゃないの。おそらくお嫁さんからしたら、わが家と横浜の往復はいいとしても、高速を使ってお嫁さん側の親戚にも年始に行ったからというのが理由だと思われるが。

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 長岡京小倉山荘のおかきの詰め合わせとあられ&ショコラのセット。正月にも、「あられ十菓撰 カルタ百人一首」を手土産に持ってきてくれたのだが、小倉山荘といえばもちろん藤原定家が、京都嵯峨野に宇都宮蓮生が新しく建築した別荘の襖に、百人の歌人から一首を選んで色紙に揮毫して飾ったのが起こりとされる(諸説あり)あの「小倉百人一首」の小倉山荘である。
 平安文学を専攻するお嫁さんならではのチョイスであるが、私たち夫婦が文学を愛好するというのを知ってのことである。還暦に入る今年の正月、年の始めから雅やかに美味に過ごせています。

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2023年1月 7日 (土)

短説「富士塚とスンドゥブと壁当て」


富士塚とスンドゥブと壁当て
 
            
西山 正義

 
 千駄ヶ谷の鳩森八幡神社の周辺はむかしか
ら仕事でも馴染みの所だが、よくよく参拝し
たことはなかった。問題は駐車場だが、最寄
りの有料パーキングが空いていた。
 境内に入ればまず目に付くのだが、そうだ
った、富士塚で有名なのを思い出した。寛政
元年(一七八九)の築造といわれ、都内に現
存するものでは最も古く、都指定の有形民俗
文化財になっているとのこと。まずは本殿に
参拝し、富士塚に登頂する。
 将棋堂という六角形の御堂に大きな王将の
駒が祀られているが、なぜと思ったら、日本
将棋連盟の本部がすぐ近くにあるのだった。
初夏には紫陽花がよろしいらしい。
 二時半をすぎた。近くの国立競技場前にあ
るホープ軒が正月もやっているようだ。雑煮
やお節もいいけれど、やはり飽きるもので、
無性にラーメンが食べたくなった。しかし考
えることはみな同じで、長蛇の列であった。
あきらめてまた車を走らせた。
 靖国神社も当然のことながら駐車場渋滞。
神楽坂は車輌進入禁止になっていた。それは
そうだろう。そうやって走っていると、また
早稲田方面に来てしまったが、高田馬場なら
車が停められて食事できるところがあるだろ
うと目星を付けていた。高田馬場は、私たち
夫婦にとって「青春」の場所なのであった。
二人とも早稲田の学生ではないのだが……。
 正月とは全く関係ないが、韓国料理のスン
ドゥブ(純豆腐)チゲ(鍋)の店に入った。
さすがは学生街で、量に比してお手軽な値段
であった。辛い鍋はからだが温まった。
 そして三日。妻は午後から歌舞伎の観劇は
じめに銀座へ。私はソフトボールの投球はじ
めに、ウォーキングを兼ねて少し離れた団地
の公園へ。六十代もこんな感じになろう。

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短説「穴と鳩の森の八幡さま詣」


  穴と鳩の森の八幡さま詣
 

            
西山 正義

 令和五年の元日は、ちょうど一年前に結婚
した息子夫婦が京都から年始に来て、合わせ
て娘も呼び、五人でお雑煮とお節を囲んだ。
最後には別棟に同居している私の母と妹も呼
んで、コロナゆえ短時間であるが歓談した。
 五時には家を出、京都に帰る息子夫婦を車
で東京駅へ送った。新幹線乗り場まで見送っ
たのは六時をまわっていた。八重洲の地下に
駐車するのは初めてであった。駅はにぎわっ
ていたが、店はほとんどやっていない。残っ
た妻と私は、めったに来ない所なので少し見
物しようかと思ったが、やはり人混みは避け
たかったのですぐに駐車場を出た。
 東京駅から多摩地区の自宅へ向かって皇居
の北から西側で初詣となれば、一番の候補は
靖国神社である。大鳥居から参道には入れる
ようであったが、拝殿への門はすでに閉じら
れていた。それで、私の生まれ故郷である早
稲田は牛込高田町鎮座の穴八幡宮に参詣した。
 こちらも拝殿前の門は閉まっていた。それ
でも急な階段をちらほら参拝客が登って来て
いた。私の七五三はここでお願いしたのだっ
た。それから五十五年! 六十の本厄だ。
 二日は朝からやはり箱根駅伝の中継を見て
しまう。往路最終の五区に入ったころに妻と
車で出かけた。目的も定めず、とりあえず都
内へ向かった。意外に混んでいた。やはりコ
ロナで東京に残っている人が多いのだろう。
 甲州街道を皇居に向かえば、また靖国神社
である。車はとても停められないだろう。新
宿御苑のトンネルを抜けようとしていたとこ
ろで妻の一言があり、急遽外苑西通りを右折
した。もちろん向かったのは明治神宮ではな
い。知る人ぞ知る鳩森八幡神社である。広く
言えば穴八幡宮と同じ新宿・渋谷エリアでも
こちらは千駄ヶ谷一帯の鎮守。いざGO!

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2023年1月 5日 (木)

令和五年の三が日

 令和五年の元日は、ちょうど一年前に結婚した息子夫婦が京都から年始に来て、合わせて娘も呼び、五人でお雑煮とお節を囲んだ。最後には別棟に同居している私の母と妹も呼んで、コロナゆえ短時間であるが歓談した。
 五時には家を出、京都に帰る息子夫婦を車で東京駅へ送った。新幹線乗り場まで見送ったのは六時をまわっていた。八重洲の地下に駐車するのは初めてであった。駅はにぎわっていたが、店はほとんどやっていない。残った妻と私は、めったに来ない所なので少し見物しようかと思ったが、やはり人混みは避けたかったのですぐに駐車場を出た。
 東京駅から多摩地区の自宅へ向かって皇居の北から西側で初詣となれば、一番の候補は靖国神社である。大鳥居から参道には入れるようであったが、拝殿への門はすでに閉じられていた。それで、私の生まれ故郷である早稲田は牛込高田町鎮座の穴八幡宮に参詣した。結局よく知った道の方へ向かってしまうのだ。こちらも拝殿前の門は閉まっていた。それでもちらほら参拝客がやって来ていた。以前は元日くらいは終夜開いていたような気がするのだが、記憶違いだろうか。

 二日は朝からやはり箱根駅伝の中継を見てしまう。往路最終の五区に入った頃に妻と車で出かけた。目的も定めず、とりあえず都内へ向かった。意外に混んでいた。やはりコロナで東京に残っている人が多いのだろう。
 甲州街道を皇居に向かえば、また靖国神社である。車はとても停められないだろう。新宿御苑のトンネルを抜けようとしていたところで妻の一言があり、急遽外苑西通りを右折した。もちろん向かったのは明治神宮ではない。千駄ヶ谷の鳩森八幡神社である。
 この辺りはむかしから仕事でもしょっちゅう通っていて、境内に入ったこともあるが、よくよく参拝したことはなかった。問題は駐車場だが、最寄りの有料パーキングが空いていた。場所柄高いだろうが仕方ない。
 境内に入ればまず目に付くのだが、そうだった、富士塚で有名なのを思い出した。寛政元年(一七八九)の築造といわれ、都内に現存するものでは最も古く、都指定の有形民俗文化財になっているとのこと。まずは本殿に参拝し、富士塚を登頂する。

Dsc_1835
鳩森八幡神社(拝殿に向かって)

Dsc_1839
富士塚(登山口から)

Dsc_1836
富士塚山頂(奥宮)

Dsc_1837
富士塚山頂から本殿の眺め

 将棋堂というのがあるが、なぜと思ったら、日本将棋連盟の本部がすぐ近くにあるのだった。夏は紫陽花がよいらしい。

Dsc_1831

 二時半をすぎた。近くの国立競技場前にあるホープ軒が正月もやっているようだ。雑煮やお節もいいけれど、やはり飽きるもので、無性にラーメンが食べたくなった。しかし考えることはみな同じで、長蛇の列であった。あきらめてまた車を走らせた。
 靖国神社は当然のことながら駐車場に入ろうとする車が長い列を作っていた。神楽坂は車輌進入禁止になっていた。それはそうだろう。そうやって走っていると、また早稲田方面に来てしまったが、高田馬場なら車が停められて食事できるところがあるだろうと目星を付けていた。高田馬場は、私たち夫婦にとって「青春」の場所なのであった。二人とも早稲田の学生ではないのだが……。
 正月の雰囲気とはまったく関係ないが、韓国料理のスンドゥブ(純豆腐)の店に入った。さすがは学生街で、ボリュームに比してリーズナブルな値段であった。スンドゥブのチゲ(鍋)は体がたいへん温まった。

 そして三日。妻は午後から歌舞伎の観劇はじめに銀座へ。私はソフトボールの投球はじめに、ウォーキングを兼ねて少し離れた団地の公園へ。

Dsc_1840

Dsc_1841

 今年の三が日を「短説」にするつもりが倍の長さになった。あえて短説にするまでもないのだが、どうしようか。

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2023年1月 3日 (火)

短説「息子夫婦と娘に(僕の遺言)」


 息子夫婦と娘に(僕の遺言)
 
            
西山 正義

 令和五年の元日、昨年結婚した息子夫婦が
京都から年始に来た。息子は年末から帰省し
ていて、お嫁さんとは大晦日に横浜で落ち合
い、汽笛ボォーの除夜から元旦にかけては横
浜で過ごし、昼すぎにわが家へ到着した。
 それに合わせて、息子の姉にあたる娘も着
ていた。娘はすぐ近くに住んでいる。こちら
も既婚だが、旦那はいろいろ訳ありで年始に
は来ない。いや、うちより先に娘が旦那の実
家に年始に行くべきなのだが、旦那の母親が
感染症病棟の看護師ゆえ、新型コロナ以降そ
の息子すら一度も会いに行けていないのだ。
 たぶん一番そわそわしていたのは私であろ
う。なんとなれば、息子の伴侶は高校の同級
生でもう十年も前から知っているのだが、私
たち夫婦の大のお気に入りだからである。
 元野球部で勉強の方はあまりできない息子
には過ぎたお嫁さんで、たいへん優秀な子な
のである。そもそも私の母校でもある高校に
入学した動機が、図書館が気に入ったからと
いうのだから。そして、平安文学が研究した
くて、東京の出であるがあえて京都女子大学
に進学し、さらに大学院に進み研究を続けて
いる。そんな彼女に合わせて息子の方が関西
に転職し、京都で結婚生活に入ったのだった。
 もしかしたら普通の家庭ではあまり歓迎さ
れないお嫁さんかもしれないが、そこはわが
家なのだ。私も妻も結局のところ文学の仕事
はできないで終わりそうだが、一つだけ少し
は誇れるものに『日本文芸鑑賞事典』第二〇
巻(昭和六三年・ぎょうせい刊)の原稿があ
る。私は本文を書いたとはいえ二作品で、妻
は巻末の「名句名言集」の小文のみであるが、
錚々たる近代文学の先生方と同列に執筆者一
覧に氏名が載っているのだ。この元日、その
本を息子夫婦と娘に伝えることができた。

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