短説「老母を定期健診に」
老母を定期健診に (2023.2.7/10.31) 西山 正義 ・ 昨年十二月で八十三歳になった母を病院に 連れて行った。七年前に雪で転んで大腿骨を 骨折したアフターケアの定期健診で、三か月 に一回薬をもらいに行くほか、年に一回、骨 密度のレントゲン検査をしている。腰椎や大 腿骨の骨密度は同年齢の標準より少しいいぐ らいなのだが、昨年より落ちている。 骨より筋力の衰えが甚だしい。散歩もあま りできなくなってきたので、電動で脚を漕い でくれる運動器具を購入し、少しは対処して いるのだが、筋肉の方が問題だと思う。 しかし、もっと問題なのは頭の方である。 ――と、ここまで二月に書いてから、三か 月ごとの定期健診を五月、八月、十一月と終 えた。健診と言っても身体を見るわけではな く、ごく簡単な問診をするだけなのだが。 頭が問題というのは、明らかにアルツハイ マーの症状が出ていることだ。傍目にも分か るほどになったのは、新型コロナが発生する 少し前。近頃は筋力の衰えが著しいのだが、 耳が相当に遠いのも問題なのだろうと思う。 もともと右耳が若いころの疾患で聞こえない ので尚更である。言葉や音の情報が入ってこ ないから、脳が刺激されず、ボケが進む。 食事に連れて行っていつも喧嘩になるのは、 何が食べたいと訊いても答えられないことだ。 写真付きのメニューを見せても決められない。 過去に類似のものを食べておいしかったとい う記憶がなくなっていて、今の気分ではこれ が食べたいということに結び付かないのか。 悲しかったり辛い記憶がなくなるのはいいと して、楽しかった記憶も失せてしまったら、 生きるハリがなくなるのも肯ける。眼に生気 がない。それが一番の元凶かもしれない。人 は(いや動物は)記憶の積み重ねで生きてい る。それが失せていくというのは…… |
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