短説「トンノクソ」芦原修二
トンノクソ 芦原 修二 「手エ出してみイ」 いわれるまま左手を出した。その手首の内 側に知次は息を吹きかけ「トンノクソ」と言 いながら指で字を書いた。結果はわかってい たが伸夫はだまっている。そして、ニケ月ば かり前に出会った女のことを思い出していた。 三田の家で母屋を新築することになり、親戚 や近所の人々が大勢手伝いに集まった。 「どうだや。餅ひろいに三田サいってみっか」 父がそう誘ったのをよいことについてきた のだ。土台の玉石を置くところに三脚を立て、 モンケンという重しを引き上げては打ち落と す。こうして土台下の土を固めるのだ。音頭 取りがうたいみんながヤ声を合唱する。その 仕事が気になって伸夫はそばによった。 「ほら、おめえも手伝エや」 女がそう言って、持っていた二本の網の一 本を伸夫にわたした。 「おれの真似しイ」 言われるままに綱を振り、綱を引き上げ、 だんだん調子がのってきた。 「おお、いっちょめえに良くひくよ」 女がほめ、伸夫はうれしくなった。 お茶の時間も、伸夫はその女のそばに座っ た。女が菓子をすすめ、茶をすすめ、伸夫を のぞきこむ。そのたび伸夫はにっと笑った。 女が地下足袋を脱ぎ筋肉をもみほぐす。その 意味もわからず覗き込んでいた伸夫の鼻先に、 女は足指の間にたまった垢を人さし指でぬぐ いとって突然持ってきた。顔をよけたがすご い変な匂いがした。そしてどういうわけか、 自分はこういう女と結婚すると確信した。 まじないを言い終わった知次が、伸人の手 首を指でこすり、それから匂いをかぐ。 「なんだおめえは匂わねのが。つまんね」 普通なら鶏の糞の匂いがするはずだった。 〔発表:平成12年(2000)11月東京座会/2000年12月号「短説」〈短説逍遥28〉/再録:「短説」2000年5月号〈年鑑特集号〉自選集/〈短説の会〉公式サイトupload:2011.6.25〕 Copyright (C) 2000-2023 ASHIHARA Shuji. All rights reserved.
|
| 固定リンク
「短説〈芦原修二作品〉」カテゴリの記事
- 短説「トンノクソ」芦原修二(2023.11.07)
- 短説「性の読本」芦原修二(2010.01.12)
- 短説:作品「引き舟」(芦原修二)(2008.07.10)
- 短説:作品「飛行機」(芦原修二)(2006.04.18)
- 短説:作品「丸い男」(芦原修二)(2005.11.20)
「短説集1996〜2000」カテゴリの記事
- 短説「トンノクソ」芦原修二(2023.11.07)
- 短説「本を売る」西山正義(2014.05.17)
- 短説「コクワガタ」向山葉子(2011.09.14)
- 短説「ミルクココア」小滝英史(2010.03.09)
- 短説:作品「三角クジ」(糸井幸子)(2009.12.24)
コメント