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2024年1月 5日 (金)

短説「令和六年が明けて(その二)」


  令和六年が明けて(その二)
 

            
西山 正義

 令和六年は元日の能登半島大地震ではじま
り、二日に羽田で旅客機が衝突炎上、三日に
北九州の飲食店街で大火災、海外に目を向け
ればもう筆舌に尽くしがたい。四日には三島
由紀夫やジョン・レノンも撮った篠山紀信さ
んがお亡くなりになった。八十三歳。ジョン
とは同い年だったのね。
 二日は、久しぶりに皇居の一般参賀に参列
するつもりであった。和田倉門の噴水前に着
けば、誰とも何の打ち合わせもしていないが、
当然、日ノ丸の小旗配りが待っていたはずで
ある。が、地震で中止になった。
 それで朝から箱根駅伝とラグビーの大学選
手権の中継を見て、外には家の庭のみ三十歩
くらいしか出ていない。妻や帰省中の息子も
含めてこの日は完全休養日となった。
 三日は、息子は高校のあった街に映画を観
に行った。来月二十九になる息子。もうそん
なに親に付き合わないのも無理はない。それ
で妻と二人でドライブに出掛けた。
 西東京市の東伏見稲荷神社をめざした。わ
が家から一回右折するだけで着けるのに行っ
たことがなかった。しかし駐車できなかった
ので、近くの下野谷遺跡に行った。縄文時代
の竪穴式住居が二基復元されている。案内板
が充実していて、キャラクターが可愛い。
 それから井草八幡宮に赴いたが、やはりこ
ちらも停めるのに難儀しそうだったので、善
福寺公園に向かった。三台しか停められない
コイン・パーキングが一台空いていた。源頼
朝の奥州征伐ゆかりの「遅の井」がある上の
池側を一周そぞろ歩く。大人の鴨が頸を埋め
てじっとしているのに、子供の鴨は盛んにも
ぐって小魚をついばみ活発に泳いでいた。
 夜は息子も帰ってきて、すき焼きを囲んだ。
老母も年を越し、家内は平安な新年である。

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