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2024年11月21日 (木)

短説「晩年に向けて」

   晩年に向けて
 

            
西山 正義

 十一月二十三日の新嘗祭の日に合わせて、
二年三か月ぶりにホームページに新しいペー
ジをアップすべき、十六日の土曜日から制作
を開始した。ほぼ出来上がっているので、な
にも二十三日まで待たなくてもよいのだが、
サイト開設以来最長のブランクがあって、久
しぶりの新規ページであるのと、そのニュー
ページが恩師小川和佑先生の短説作品である
ので、特別な日に絡めて公開したいのだ。
 新嘗祭の意義については言うに及ばずで、
それ以上は言わない。個人的にこの日は、僕
の人生に大きな影響を与えた一人である母方
の祖母の命日でもあるのだ。昭和五十四年。
僕は十六歳、高校一年であった。十一月二十
五日に葬儀が行われたので、憂國忌に行けな
かったのだ。もし十年祭の一年前に参加して
いたら、どういう展開になっていたろうか。
 それはそうと、ブログを見返したら、最初
のページの一番下が「令和五年も師走に入っ
た」で始まる記事であった。すなわち年間十
件しか書いていない。しかもそのほとんどは
小川ゼミのお知らせである。写真だけのペー
ジもある。これではいかん!
 残りの人生、もう、そう長くもない。とは
いえまだ少しある。六十を過ぎたとき、もう
この先はやりたいことだけをやると決めた。
したくないことはしない。本音を言えば、し
たくないことの最たることは仕事であるが、
これはまだやらざるをえない。
 では、なにをするか。とにかく楽しいのは
ソフトボールだ。これは健康のためにも続け
る。そしてやはり書くこと。ホームページも
ブログも誰が見るわけでもないが、文学散歩
のページを続けよう。写真だけ撮ってまとめ
ていないものがある。それと、他人には意味
がなくても、個人的なメモリーを短説で。

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