音楽

2020年1月 8日 (水)

令和2年(2020)に『地獄の黙示録』を再見して

 映画『地獄の黙示録』を見た。今さっきの話である。NHKのBSプレミアムで。言わずと知れたベトナム戦争を素材にしたフランシス・フォード・コッポラ監督の戦争映画の傑作(というか怪作といった方がいいかもしれない)である。
 その〈REDUX〉版。すなわち、2001年に53分間の未公開シーンが追加された『地獄の黙示録 特別完全版』である。もちろんこれは邦題で、原題は“Apocalypse Now”の〈Redux〉である。
 北米で初公開されたのは1979年の奇しくも8月15日。日本では昭和55年(1980)2月23日に公開された。僕が最初に見たのはそのロードショーであるから、17歳になる少し前で、高校1年から2年になる前の春休みである。
 昭和54年から55年といえば、僕が生涯のなかで最もへんてこりんな時期で、一番ぶっ飛んでいたころでもあり、何よりも暇さえあればギターを抱えていて、変な詩を書いては、曲作りとバンド活動に熱中していたころだ。
 当時の高校生はハード・ロックに夢中で、少し変わったところではプログレ派があり、一方ではフォーク派もいたのだが、世にはすでにパンク・ロックも出現していたころだ。僕はパンク系ではストラングラーズにはまっていたが、一番好きだったのは、当時少し廃れた感のあった60年代のロックであった。すなわち第一にビートルズがきて、第二にローリング・ストーンズがきて、キンクス、ザ・フーなどなど、そしてアメリカのバンドでは、なんといってもドアーズが大好きであった。その流れでストラングラーズというわけであるのだが、そしてこの映画、ドアーズの「ジ・エンド」が大々的にフューチャーされていて、「ジ・エンド」で始まり「ジ・エンド」で終わるわけで、すでにその前年の16歳のときにこの曲に衝撃を受けていた僕としては、この映画を見逃すわけはないのであった。
 さらに、川をさかのぼる最初の方のシーンで、ラジオのリクエストという設定でローリング・ストーンズの「サティスファクション」がノリノリでかかり、慰問で来た「プレイメイト」のバニーガールのお姐さんが挑発的なダンスを踊るシーンでは「スージーQ」が
生バンドで演奏されるのである。それだけで大興奮である。
 もう一つ音楽が効果的に使われているのは、これはたしか映画の宣伝でも印象的に使われていたと思うが、ヘリコプター部隊が爆撃するシーンでかけるワグナーの「ワルキューレの騎行」であろう。これには、三島由紀夫がからんでくる。後年知ったところによれば、コッポラ監督の妻エレノアの回想録によると、コッポラは撮影中よく三島由紀夫の『豊饒の海』を手に取っては構想を膨らませたという。ここでも、またしてもミシマである。
 今見ると、「ワルキューレの騎行」をオープンリールでけるあたりが時代を感じさせるわけだが、この映画では音楽や文学作品がいたるところで細かくメタファーに使われている。
 高校生の時、映画館の大スクリーンで見て、その映像の迫力に圧倒され、これは問題作だとは思ったが、正直に言えば、よく分からなかった、というのが素直な感想である。そりゃあそうだろう、ベトナム戦争のことなどよく知らないのだから。それでも、まだ僕ぐらいの年代までは、ベトナム戦というものがすぐ近くで起こっていたということぐらいは知っていた。しかもその雰囲気を多少なりとも“肌で”感じていたおそらく最後の世代であろう。
 以来、テレビでやるたびに、たぶんすべて見ていると思う。調べてみると、以下の通り。
・日本テレビ『水曜ロードショー』1982年3月31日
・テレビ朝日『日曜洋画劇場』1984年6月3日
・テレビ東京『木曜洋画劇場』1989年4月6日
 見るたびに、少しは分かった気になるが、本当に理解しているのかモヤモヤ感はなお残っていた。今回の〈REDUX〉版(特別完全版)は初めて見たかもしれない。(今回放送されたものは、2015年8月14日と2016年4月1日にNHK-BSプレミアムで放映されたものの再放送であろう)。日本初公開から40年、16歳の少年も56歳のオジサンになった。なんだかやっと少しはクリアになったような気がした。しかし、これは壮大な深刻ぶった「マンガ」のような気がしないでもない。
 だが、それにしてもだ。21世紀も20年近く過ぎた2020年になった現在でも、アメリカは(いやアメリカだけでなく)これと同じようなことを中東でやっているという驚愕の事実! そして、もはや日本も対岸の火事ではないのである。
 空爆って、空襲を受けた側からすれば、どう考えたって、ありえねぇだろうに、それが今この現在でも行われているというのはもう悪夢としか言いようがないし、狂気そのものだ。それがカーサ大佐が最後に呟く「恐怖」ということなのだが、文学的修辞ということでは済まされないことなのである。……

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2014年4月12日 (土)

“低く飛んでゆく”

 今日は、伝説のロック・バンド「LIBIDO」のリーダー・成田弥宇さんの命日です。私より三つ年上でしたが、三十歳になる前に逝ってしまいました。
 あれからもう二十四年! いったい私は何をしてきたというのか。ということを、この日を迎えると、いつも思ってしまいます。

ぼくは   留まり
あなたは 旅立つ
すべての 答えは
再び会う その時に
     ――LIBIDO『「こんなにも自由だ」とあなたは……』(1987)

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2013年11月22日 (金)

Paul McCartney ~OUT THERE~ 2013

 そりゃあもう、これはまさに一夜の、本当に最高の夢でした。リアル・エクセレント・ドリーム!
 たかが一夜、三時間、されどそこに、11年分の夢が詰まっていました。いや、ビートルズとして初来日して以来、47年分の夢が!

 昨日、11月21日木曜日、東京ドームに、ポール・マッカートニーの~OUT THERE~2013 ジャパン・ツアーの千秋楽に行ってきました。
 前回行ったのは平成14年11月14日だから、まる11年ぶり。その時も東京の楽日でしたが、前回はそのあと大阪公演があった。今回は逆に、大阪、福岡と来て、最後が東京。その年、ポールは満60歳、日本風に言えば還暦を過ぎていた。当時のウェブ日記に「日本ではこれが見納めになるかもしれない」などと書いたが、なんのその、御歳、71歳ですぜ!
 とにかく驚異的だ。感動の桁が違う。
 直前に出たニュー・アルバムも、とても71歳の(日本人なら)“お爺さん”が叩き出すサウンド、歌声とは思えない。これも日本風に言えば、ポールは昭和17年生まれの“戦中派”ですからね。ビートルズ・ファンの贔屓目を抜きに、2013年の“現代”に聴けるものに仕上がっている。71歳にして「NEW」ですぜ!

Sn3n0282 さて、ライブ会場へ。仕事なんかやってられないさ。早めに行ったさ。神保町から古本屋をなめながら水道橋まで歩いたさ。思えば、夫婦でこんな風に街を歩くのは久しぶりかもしれません。途中、腹ごしらえをして、まずはグッズ売り場の長い列に。前日は寒かったが、昨日は穏やかな天気だったこともあり、全然苦になりませんね。
 入場から席に着くまで結構時間がかかると言われていましたが、それほどでもありませんでした。席は一階とはいえ、三塁側の一番奥、まさかの最後列でしたが、うしろは一段高くなった車イス用の席だったので、気兼ねなく、位置としても比較的見やすい席でした。グッズ売り場で時間を食ってしまったので、そんなに待つこともなく、というより、始まるまでの間も、楽しいものでした。

 ついに、ポール登場。例のヘフナーの“ヴィオリン”ベースを高々と持ち上げたポールが登場。もうそれだけで感動ものです。
 1曲目は“Eight Days a Week”。最近はネットでセットリストなんかも知れ渡っていますが、この曲を1曲目に持ってくるのは意外な感じがします。1964年当時はまだジョンとポールがクレジット通り共同で曲作りをしていたのでしょうが、この曲はジョンのリード・ヴォーカル曲で、つまりジョンの曲という印象がありますから。でもだから、なおさら、ぐっと来ちゃうんですね。それをポールが歌うんですから。
 2曲目は早くもニュー・アルバム冒頭の“Save Us”。最近では、直前のワールド・ツアーの模様なんかもすぐにYouTubeにアップされちゃったりしますが、やはり生の音は格別なのでした。
 3曲目、“All My Loving”。もう会場中大合唱ですさ。偶然でしょうか、11年前も3曲目はこの曲でした。
 4曲目は“Listen to What the Man Said”。19日は“Jet”だったそうですが、この日は18日同様この曲に。個人的には、ヒットしているのをリアルタイムで聴いた最初の曲なので、懐かしいという点では一番懐かしい曲です。
 5曲目はレスポールに持ち替えて、“Let Me Roll It”。ハムバッキングのエレクトリック・ギターの音が心地よい。
 そして6曲目は、1966年のビートルズ来日でもやった当時最新曲だった“Paperback Writer”。それを、ポールがあのエピフォン・カジノで演奏。あのギターはジョン・ポール・ジョージ三人が持っていて、ビートルズ・サウンドを象徴する楽器の一つですが、最初に導入したのはポール。この曲ではポールの早弾きのハイトーン・ベースも聴きたいですが、1966年の来日公演に行った人には涙もんの光景ですね。

(と、1曲ずつ書いていたら大変なことになってしまいます。この稿、続くかもしれませんが、ひとまず今日はここまで)

 とにかく今回は、大スクリーンや照明以外には特別な演出はなく(唯一“Live and Let Die”の花火はありますが)、ひたすら演奏。日本語を交えたトークも最小限で、本編終了までまったく休みなく、曲と曲のあいだに一息つくとかもなく、水すら飲まなかった(ように思います)、楽器を取っ替えひっかえ、ひたすら歌と演奏。凄いの一言に尽きます。
 肉眼では米粒のようでも、動いているビートルを生で見られるなんて、本当に夢のようでした。
Sn3n0289

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2012年11月30日 (金)

娘の演奏会

昨夜、娘が所属する大学のサークルの演奏会に行ってきた。
「管」はないのだが、室内管弦楽団の年に一度の定期演奏会。
音楽大学ではないので、賛助メンバー以外はど素人の集団である。
小ホールとはいえ、ある区の文化センターの立派な施設を借りての演奏、
それなりに様になっていて、親の贔屓目にしろ、いい演奏会になって良かった。

娘は中学・高校の三年間、箏曲部に入っていた。
それ自体唐突のように思えたが、同じ弦楽器とはいっても、
大学では一転してヴィオラに挑戦することになった。
しかも、なぜか二年生の時から「団長」を務めることになった。
今回の演奏会が、実質的には引退の最後のライブになる。

中学・高校の六年間も、毎年、学園祭と箏曲部連盟の演奏会を聴きに行った。
今年は行けなかったが、大学でも学園祭のブース実演とこの定期演奏会が三回目。
息子の野球(健全ソフトに始まり、少年野球、中学の軟式、高校の硬式)も終わり、
とうとう子供の行事も終わりを告げる時が来たようだ。

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2012年9月27日 (木)

ボブ・ディランが新譜を!

何だか急に涼しくなってきた。
あまりにも苛烈な暑さが続いていたので、そう感じるだけなのかもしれないが。
実際にはもうだいぶ前から秋の気配はしていた。
暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったものだ。

暑かったけれども、しかし、暑かったからこそ、
今年は、夏の終わりが名残惜しい。

ボブ・ディランの新譜が出た。
御歳71歳である。
日本版も昨日発売された。
ラジオで何曲か聞いたが、久しぶりに興奮した。凄いと思った。
最近では「ニューアルバム」をわくわくして買うことがなくなっていたが、
これは買いたいと思った。

ボブ・ディランの最初のレコードが出たのが1962年3月。
つまり今年はデビュー50周年というわけだ。半世紀!
ビーチ・ボーイズのファースト・アルバムが出たのもこの年の暮れ。
現役で50周年を迎えた。
そのボブ・ディランの新譜に、ジョン・レノンのことを歌った曲があるが、
(曲のさわりは聴いたが、詩の内容は不明)、
ビートルズも10月5日でレコード・デビューから丸50年。
来年はローリング・ストーンズが50年を迎える。

うーん、ということは、僕も50になるわけだが……。

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2009年9月22日 (火)

ビートルズとソフトボール

 09.09.09から二週間、平均すれば一日一枚のペースで新たに封を切り、BEATLESを聴きまくっている。
 十二歳の頃からもう何度も繰り返し繰り返し聴いてきた音源だが、ヘッドホンを大音量にして聴くと、今まで聴いたことがないような音まで聴こえてくる。本当に、それさえあればいいという気分になってくる。
 世間では19日から五連休。僕は土曜は休みではないが、それでも四連休。シルバーウイークだか何だか知らないが、どこにも出かけず、家ではただひたすらビートルズ三昧。
 あとは野球とソフトボール。20日は軟式野球の秋季大会三回戦に、ソフトの練習。今日もソフトの遠征での合同練習。明日もソフトのPTA大会の応援。この連休は僕にとってはソフトボール・ウイークだ。
 ビートルズが聴けて、ソフトボール・野球が毎週出来れば、それで幸せ、というのが僕の現状だ。しかし、ビートルズを聴いていると、僕のもうひとつの原点を思い出さずにはいられなくなってくる……。

 創作……

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2009年9月11日 (金)

他には何もいらない

ちょっといいヘッドホンを買った。
これでBEATLES三昧だ。
それだけで幸せって感じ。

 

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2007年3月14日 (水)

あの絶叫ヴォーカルが……

 今、ネットのニュースを見ていたら、元モップスの鈴木ヒロミツさんがお亡くなりになった由。びっくりした。本日午前10時2分、肝細胞がんのため死去、享年60歳とのこと。ショックだ。
 僕は「ザ・モップス」が大好きなのだ。パソコンにも取り込んで、いつでも聴けるようにしている。今も追悼に名曲「朝まで待てない」~「あの娘のレター」「ベラよ急げ」「朝日よさらば」「消えない想い」をかけながらこれを書いている。
 いわゆる“グループサウンズ”の一バンドとして1967年にデビュー。GSは、リバプールサウンズ系、ベンチャーズやビーチボーイズ系、カレッジフォーク系に分かれるが、モップスはウッドストックに象徴されるヒッピー・ムーブメントに影響されて出てきた。あるいはそういう路線を売り込み戦略としていた。GSとしてはインテリ揃いで、音の傾向は異なるが、のちのはっぴえんどや頭脳警察など、本格的なロックへの移行を孕んでいた。
 1968年4月に発売されたファーストアルバム「サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン」は、現在でも海外の“ガレージ・パンク”ファンの間では最高傑作と讃えられている。ジェファーソン・エアプレインのカバー「あなただけを(Somebody To Love)」は、オリジナルも素晴らしいのだが、鈴木ヒロミツのヴォーカルはそれをも凌ぐほどである。それと星勝のファズ・ギター。最高にカッコいいのだ。バンド解散後、鈴木ヒロミツはコメディアンに近い俳優・司会業に転身してしまったが、あのヴォーカルは日本のロック史上に残るものでしょう。
 ともかく、ご冥福をお祈り申し上げます。最近、この台詞が多くて……。

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2005年11月 5日 (土)

「青春アミーゴ」

オヤジがジャニーズ熱烈支持 (日刊スポーツ) - goo ニュース

 さもありなんと思った。何を隠そうこの私も、オヤジで発売二日目に買ってしまった口だ。「野ブタ。をプロデュース」(今終わったのだが)の第1回目を見て、エンディングでイントロが流れた瞬間に、これはいいと思った。8ビート基調のこの手のミディアム・テンポのリズムトラックがもともと私の好みに叶っていることもあるが、明らかに往年の「歌謡曲」を意識して作られたアレンジが、人気の秘密だろう。
 四十代の中学生ぐらいの子を持つオヤジは、おそらく最初は子供が見ていたのを、傍らで「仕方なく」か「ついでに」見ていたのが、いつしか自分がはまってしまうという構造だ。「ゴクセン」あたりからそういう伏線はあった。そしてこの世代の音楽マインドを、実に実にくすぐる曲なのだ。発売4日で100万枚を出荷し、今年初のミリオンセラーは確実とかで、まずはおめでとうございます。

 

(初出:gooブログ「一日一枚」)

 

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2005年4月22日 (金)

短説「雨と寝る桜」(成田弥宇さん追悼)推敲作

   雨と寝る桜
 
            
西山 正義
 
 あの日もこんな雨の日だった。
 今日四月十二日は、LIBIDOの成田弥
宇さんの命日。十六回忌である。LIBID
Oとは、一九八〇年代のインディーズ黎明期
において、一際異彩を放っていた伝説のロッ
クバンド。成田さんはそのリーダーで、作詞
作曲・ボーカル・ベースを担当。
 そのボーカルは一見金属的であるが、生な
肉声そのものだった。ベースは滑らかにうね
り、変則リズムを支えた。視覚的には、黒づ
くめの出で立ちに、白塗りの顔。そのライブ
は見る者、聞く者をゾクむぞッとさせた。
 詩人とロックンローラーは三十までに死な
なくてはならない。成田さんの場合、病死で
あるが、まさかそれを地で行くとは。
 はじめて会ったのは、僕が二十歳、成田さ
んが二十三。当時僕はある先輩の舎弟のよう
になっていたのだが、その先輩が成田さんと
幼馴染みだった。僕がロック少年であったの
で引き合わせてくれたのだ。
 ライブは欠かさず行った。内輪の打ち上げ
にも参加した。朝まで飲んだ。みんなへべれ
けになり、下戸の僕が機材を積んだバンドの
車を運転して帰ったこともある。
 最後に会ったのは、亡くなる五か月前。小
田原の病院に見舞いに行った。癌であった。
三十歳の誕生日を一ト月後に控え、その歌詞
「ぼくはこの道を あまりに急ぎすぎたか」
の通り、夭逝してしまった。
 実家はお寺さんで、住職を継いでいた。そ
の通夜の日、今日と同じような春の雨が降っ
ていた。境内に桜の大木があった。花はなか
ば散らずに残っていた。それが雨に濡れそぼ
っていた。夜の桜。桜に雨。「雨と寝る桜」
−というフレーズが僕に浮かんだ。「死んで
生まれた」と、成田さんも歌っていた。

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