2007年6月13日 (水)

三康図書館

こんな図書館があったのを今まで知らないでいました。
財団法人で運営されている、珍しい私立の図書館です。
場所は、芝・増上寺の真裏で、東京タワーの手前というか真下。
先日増上寺に行ったのですが、その時は知りませんでした。
今もネットの検索に引っかかってきたのでその存在を知ったので、
実際にはまだ行ったことはありません。

なにが驚いたかというと、同人雑誌が多数収蔵されているようなのです。
それも近代文学館にあるような、文学史上有名なものではなく、
現在発行中の、要するに僕らが出しているようなものを多く。
『短説』はもちろん、『日&月』や水南森さんの『夜の博物館』までありましたが、
抜けている巻もあり、僕はここには寄贈した覚えがないので、
一体誰がどこからどうやって集めたんだろうか。

蔵書を検索してみると

短説 短説の会 我孫子 短説の会
69号(H3(1991)-71号,73号,75号,81号-83号,85号-86号,88号-89号
93号(H5(1993)-99号,101号,106号-107号,115号-116号,118号-120号,122号,
124号(H7(1995).11)-125号,128号,130号,133号(H8(1996).8)-136号,
140号(H9(1997).3)-142号,146号-149号,151号-157号,160号,162号,164号-165号
168号(H11(1999).7),170号,174号,176号-178号,181号,186号,188号-189号,
191号(H13(2001).6),196号-201号,204号,206号-218号,221号-224号,243号-244号,
246号(H18(2005).3)-248号(H18(2005).5)
請求記号:3N-8-2
別誌名:The tansetsu

海とユリ 海とユリ社 東京 海とユリ社
10号(S51(1976).4)-12号(S53(1978).3)終刊
請求記号:3N-9-3
冠称:詩と短編小説

秘夢 グループ・ヒム 東京 グループ・ヒム
8(S47(1972).4)終刊
請求記号:3M-13-1
冠称:詩と散文

日&月 西山正義 水南森 調布 西山正義 水南森
2号(H8(1996).7)-3号(H9(1997).3),5号(H10(1998).5)
請求記号:3M-13-2
別誌名:Hi to Tsuki

夜の博物館 水南森 流山 水南森
2号(H8(1996).4)
請求記号:3M-13-2
別誌名:『日&月』別冊水南森幻想短説集2号

「堕天使」や「江南文学」などはありませんでした。
さすがに百花繚乱の詩誌はあまり揃っていないようですが、
一度行ってみる価値あり。

財団法人三康文化研究所附属 三康図書館 (さんこうとしょかん) 〒105-0011 東京都港区芝公園4-7-4 明照会館1F  TEL:03-3431-6073 FAX:03-3431-6082  開館時間:9:30~17:00 (入館、貸出、コピー受付:16:30まで)  休館日:土曜日、日曜日、祝祭日、年末年始、夏季図書整理期間  ◆ 入館資格 16才以上 ◆ 入館料 1回:100円 / 回数券(6枚綴:500円、13枚綴:1,000円) ◆ 座席数 34席

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2007年2月 1日 (木)

一月の読書録

 今年は正月からしごくオーソドックスな読書をしたので、記録しておく。もちろん文学的にオーソドックスというのであり、実用書の類は除く。
  
(1)『森鷗外全集4/雁・阿部一族』(ちくま文庫)平成7年9月筑摩書房刊(初版)
〔収録作品:雁・ながし・鎚一下・天寵・二人の友・余興・興津弥五右衛門の遺書・阿部一族・佐橋甚五郎・護持院原の敵討〕
 
(2)『森鷗外全集5/山椒大夫・高瀬舟』(ちくま文庫)平成7年10月筑摩書房刊(初版)
〔収録作品:大塩平八郎・堺事件・安井夫人・山椒大夫・魚玄機・じいさんばあさん・最後の一句・高瀬舟・寒山拾得・玉篋両浦嶼・日蓮聖人辻説法・仮面〕
 
(3)『川端康成集/片腕(ちくま文庫・文豪怪談傑作選』平成18年6月筑摩書房刊(初版)
〔収録作品:片腕・ちよ・処女作の祟り・怪談集1-女・怪談集2-恐しい愛・怪談集3-歴史・心中・竜宮の乙姫・霊柩車・屋上の金魚・顕微鏡怪談・卵・不死・白馬・白い満月・花ある写真・抒情歌・慰霊歌・無言・
弓浦市・地獄・故郷・岩に菊・離合・薔薇の幽霊・蚕女・Oasis of Death(ロオド・ダンセニイ原著)・古賀春江・時代の祝福〕
 
(4)『セックスの哀しみ』バリー・ユアグロー/柴田元幸訳・平成12年2月新潮社刊(第二刷)
(これは昨年から時々数編ずつ読んでいたもの)
 
(5)『なぎの葉考』野口富士男・昭和55年9月文藝春秋刊(なんと注文用の短冊まで挟まったままの初版本)
〔収録作品:なぎの葉考・新芽ひかげ・石の墓・老妓供養・石蹴り・耳のなかの風の音〕
 
(6)『塵の中』和田芳恵・昭和38年12月光風社刊(39年2月の再版)
〔収録作品:道祖神幕・暗い血・強い女・塵の中〕
 
(7) 『我が愛する詩人の伝記」室生犀星(中公文庫)昭和49年4月中央公論社刊(平成2年8刷)
※初出は「婦人公論」昭和33年1~12月号連載
〔収録詩人:北原白秋・高村光太郎・萩原朔太郎・釋迢空・堀辰雄・立原道造・津村信夫・山村暮鳥・百田宗治・千家元麿・島崎藤村〕
 
 (1)(2)(3)の収録作品のほとんどは再読だが、新しい文庫本で読むとまた違った趣があった。また、ほかの四冊は、昼休みにぶらぶら神保町の古本屋街を歩いていて手に入れたものだが、文芸書がずいぶん安くなったのを感じる。文芸書、特に純文学系のものはもともと流通量が少ないので、初版だったり美本だったりすれば、古いものほど価値が出るというのが本来の理屈だが、需要がなければ安くせざるを得ないというのも道理で、なんだか寂しくもある。このほかにも昨年一年間に数冊、二十年前だったらこの値段では買えないだろうという貴重な本を格安で手に入れた。
 野口富士男の「なぎの葉考」は、なぜか五、六年おきに読みたくなり、もう四、五回読み返しているが、単行本で読むのは初めてである。それも初版で、おそらく誰も開いた形跡のない本。それが三冊五百円とは。装幀(装画)が良いのだ。角背・クロス装・パラフィン紙巻き・函入り。二十七年前の定価で千七百円だから、当時としては結構値の張る書物である。こうした装幀で、文芸書が重々しく出ていた最後の方に当たるであろう。

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2007年1月 8日 (月)

無縁坂のお玉さん

Ts2a0396  今日(もう昨日だが)は、ソフトボールのチームメイト数人で、プロ野球OBのマスターズリーグ戦を東京ドームに観に行った。それはどうでもいいのだが、野球→球→玉、東京ドーム→本郷→無縁坂からの連想で、再び森鷗外の『雁』について。
 
 最初に読んでからは二十八年ぶり、二度目からでも二十三年ぶりぐらいの再々読になる。三日かけて、ほとんど音読するようにじっくり読んだ。覚えていたのは、最初と最後だけで、真ん中の細部はすっかり忘れていた。『雁』といえば、“近代的自我”と反射的に出てくるように、文学史上の評価も解釈もとうに定まっている古典である。
 実際、中程の主要部はヒロイン“お玉”の半生・境涯に費やされているわけだが、この部分はある意味なくてもいい。いや、もちろんこれがなければ、“お玉”の〈悲劇〉は語り得ないのだが、最後の効果へ引き絞るツマみたいなものだ。連載小説のタイトルが当初から『雁』であったことからも分かる通り、また、物語の構造上からしても、最後の場面のすれ違いを描くために、人物像形されたものであろう。
 無論、眼目は語り手の「僕」でも、何の罪もないといえる「岡田」でもなく、“お玉”の境涯にある。それをどう解釈するか。作者は、それについて何の批評も教訓めいたことも付け加えていない。ただ物語っているだけだ。そこがいいのだが、いくつかのつまらない偶然が重なって、岡田の投げた一投で図らずも仕留められてしまった「雁」は何を象徴しているか。そうしたこともすでにさまざまな文学史家によって出尽くされている。いま僕がそれに付け加えることは何もない。
 ただ、“お玉”の境涯の細部は忘れていた。というより、僕はもう少し年嵩だったように思い込んでいたのである。「僕」も「岡田」も東京医学校の卒業一年か二年前の学生ということは、二十二、三歳。“お玉”はそれより一、二歳上の、高利貸の囲い者であると。実際は二十歳である。満で言えば十九で、人目を引く美人ではあるが、高利貸の囲い者というような妖艶な大人の女ではない。いや、当時の感覚で言えば、十分“年増”であろうが、すれてはいない。いや、そういう兆候は兆し始めていたのではあるが。
 それで思ったのは、最初にこれを読んだ時、そうか、“お玉”が二十歳だとしても、僕はそれよりはるか年下だったからだと。二十歳でも大人の女に感じていたのだろう。二度目に読んだ時は、だいたい同じぐらいの年代だったのだが、やはり明治の青年の方が大人びていると感じたからではないか。これは作品の評価とは全然関係のない個人的な感慨であるが。
 鷗外がこれを連載し始めたのは満四十九歳の時で、すでにその年齢に近づきつつある今の僕。“お玉”は一つの〈典型〉であって、形の上では似ていても、心理上の境涯は現代では考えられないから、とうてい現代に当て嵌めて考えることはできない。人々の生活は、昔も今もそれほど変わっていない、という部分もあるが、やはり大きく変わっているのだ。僕らのお祖母さんの世代ぐらいまでは、まだそいうこともあった。ということをあらためて認識できればそれでよいだろう。
 小説の技法上のことはどうか。それはまた別に考えさせられることもあったが、それは内緒にしておこう。一つだけ言っておくと、これもまた〈方法論〉の小説であって、つまりだから《近代小説》のそれも名作といえるのだ。

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2007年1月 5日 (金)

森鷗外『雁』

 どうもこの年末年始は体調が悪く、完全に風邪を引いたようだ。僕には珍しく鼻風邪。要するに普通の風邪なのだが、悪寒がして、頭も痛く、熱も少しあるみたいだ。たいして疲れるようなことはしていない。三が日は出掛けたが、その分早く寝てもいる。僕には異例なことだが、今年は新年から早寝早起きで、この調子は続けたい。
 今日は久しぶりに個人サイト「西向の山」を更新した。新たなページを加えるのは五か月ぶり。女房殿の短説を二作追加した。その勢いで、年末にできなかった〈短説の会〉公式サイトの方も作品を追加しようとしたのだが、力尽きてしまった。それで、ゴロゴロしながら森鷗外の『雁』を読み始めた。
 
 森鷗外の『雁』は、「古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している」(新字新仮名に変換)で始まる。
 おかしなことだが、この冒頭を読んだ瞬間、たしかこういう書き出しの小説をどこかで読んだことがあるような気になった。もちろん、それがほかならぬ『雁』であるわけなのだが、たしかにこの冒頭は記憶にあって、それがこの作品であったかと改めて気づいた次第なのだ。過去に二度、それも多感な頃に読んでいるので、すっかり忘れたつもりでも、読み出せば細部も思い出されるのかもしれない。そして今の僕に何かヒントになることが見出されるかも?(そういう邪な読書はよくないが、久しぶりにわくわくして本を読む)
 この作品は、「すばる」の明治四十四年九月号から連載が始まる。当時を「現時点」と見れば、たしかに明治十三年は「古い話」である。約三十年前の話。今だって、三十年前となれば、古い話であり、特に風俗は大きく変わってくる。が、昭和生まれの我々からすると、いずれも明治時代の話で、この間の三十年間の移り変わりはピンと来ない。しかし、今から三十年前より、それ以前の三十年間の方が激動の時代であったように、最近の三十年間よりよほど移り変わっているであろうことは理解できる。
 ところが、冒頭すぐに出てくる下宿屋での学生たちの生活は、“下宿屋”自体がなくなっている現代とはやや趣が異なるにしろ、基本的には今の学生とまったく変わらない、と読める。しかし翻るに、明治十三年といえば、十数年前まで“江戸時代”だったのだ。幕末にはもう、現代にひと繋がりの文化・風俗・思想が、町人たちの間にはすでにあったらしいのだが、それにしてもちょっと驚嘆する。明治維新からわずか十年で、最高学府では現代と変わらない(いやそれ以上の)学問が行われていて、これは江戸時代の寺子屋制度がものをいっているわけだが、日本の教育水準の高さがあらためて知れる。もちろん弊害がなかったわけではない。が、これが現代日本の原動力だろう。それがアジアで突出した国にさせた。いい悪いは別にして。優秀な民族だと言っているのではない。そういう性質なのだ。だから、そういう性質でない民族が真似してもダメなのだ。
 それはそうと、明治はすでに遠く、インターネットも携帯電話も考えられないわけだが、人々の生活はさほど変わっていない!

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2007年1月 4日 (木)

ちくま文庫『森鷗外全集4』

 森鷗外を実に久しぶりに読んだ。(それにしても忌ま忌ましいのは、ほとんどのパソコンの日本語環境では「鷗(U+9DD7)」の字が表示できず、「鴎(U+9D0E)」で代用しているが、いい加減に改善しろと言いたい)。
 年末に、一昨年の公開講座のテキストの残部ということで、ちくま文庫の「森鷗外全集4」『雁 阿部一族』を職場から貰い受けてきたのだった。“読書”というのは、そのきっかけが偶然である場合も、その時々で読むべくして読むものを自然に選択しているものだ。僕にとっての今それは「雁」のような気がした。他にも数冊貰ったのだが、クリスマス前に持ち帰り、そのままにしてあったのを新年二日に手に取ったのだ。冒頭の「雁」はあとでゆっくり読むことにして、今まで読んだことがなかった「ながし」「鎚一下」「天寵」「二人の友」「余興」の五編を読んだ。
 鷗外の神髄は、一にも二にも簡潔・明晰な文体にある。と思っていたのだが、これらの五編は必ずしもそうしたものではなかった。いずれもマイナーな短篇で、文壇の要請にしたがって書き流されたもののような感がある。今の感覚で読めば、言葉や言い回しはいかにも“明治”なのだが、当時の現代語の最先端で書かれた口語の作品で、たぶん当時の普通の知識人が“普通に”読みこなせたものであったろう。
 大正二年から四年までのほぼ同時期に、比較的楽に書き流されたものであろうと想像させるが、しかし、顕著なのは、いずれも“芸術家小説”であるということである。したがって、決して“書き流された”ものではないことがわかる。いずれも突き詰めれば“創作とは何か”ということにかかわってくる。そういう作品群で、それなりに面白く読んだ。
 さてやはりこの時期の問題作としては「雁」であろう。中学三年で初めて読み、大学時代に再読しているが、今また読んでみたら、どんな風に感じるか。何を感じるか。楽しみである。

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2006年9月27日 (水)

秋葉信雄氏が第二短説集を刊行

 短説の会講師でもある秋葉信雄同人の二冊目の短説集が刊行されました。表題は『DEAD DECEMBER(死んだ師走)』。発行日は「9.11」。同じく講師のすだとしお同人の編集で、製作・発売は崙書房出版(℡04-7158-0035)。定価は税込で2,100円。ご注文は直接書肆へどうぞ。ISBN-8455-1129-0
 内容は、前作『砂の物語』(平成12年11月刊)以降に書かれた短説集成で、〈五属響和〉、〈DEAD DECEMBER〉、〈ガラスのネクタイ〉、〈Dreams over the Graves〉の四つのパートに、英文作品や翻訳も含め51篇収録されています。前作ではやや抑えていた(本性を隠していた?)部分を増幅させ、あるいは自由に想像の羽根を延ばし、アキバ・ワールド全開といった感じ。
Dead_december 実は西山は「解説」を仰せつかったので、その制作段階の初期から読ませていただいていました。ですのでどんな仕上がりになるか楽しみにしていたのですが、表題にふさわしい渋い装幀で、内容共々、実に素晴らしい出来で、「カッチョいい」というのが第一の感想です。
 中身についてはその「解説」に譲るとして、(因みに、解説のタイトルは「多言語クロスワードのビート感と秋葉式コード進行」というもので、なんとなく想像してください)、 昭和60年9月に創始された「短説」は、現時点で丸21年の歴史を有し、数多くの短説作家と、テーマもスタイルも多岐にわたる幾多の名作を生んできましたが、過去に短説集を二冊出したのは米岡元子さんただ一人しかおらず、奇しくも「同期」の秋葉さんが二人目となるわけですが、これは実に大変なことです。
 いや、同人もベテランになれば、すでに二冊分になるぐらいの作品数を書いている人は他にもいます。しかし、それを本にするには物凄いエネルギーを要し、何より本にするに値するコンセプトが必要で、なかなか一冊にまとめるのは難しい。それを思うと驚嘆します。
 本の紹介でこういうことは言わない方がいいかもしれませんが、たぶんこの本は、理解できない人には理解できない部分があると思います。いや、理解できるできないというより、ピント来るか来ないか。今も僕はこの原稿を書きながら、British Invasionの楽曲をかけっぱなしにした海外のインターネットラジオを流していますが、この本はブライアン・ジョーンズがいた頃のストーンズやキンクス、ヤードバーズ、ビートルズの『REVOLVER』、あるいはドアーズやCSN&Yといったあたりを聴きながら読むのが、正しいとまでは言いませんが、ふさわしい。それから1960年代後半の新宿や神田。そして〈運動〉。そう言ってピント来ない人にはピント来ないという性質を有している。もちろん、だからと言って、万人の理解を拒むものではありませんし、短説には珍しいハードボイルドな作品群として、面白く興味深く読めるものです。ただ僕は、ここに、アジア人(というより黄色人種極東島国人)の文章によるリズム&ブルースを濃厚に読んだわけなのでした。

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2006年4月25日 (火)

小川和佑『名作が描く昭和の食と時代』

 文芸評論家・小川和佑先生の新刊が出ました。
-『名作が描く昭和の食と時代』-
 最近「食育」というようなことが話題になっていますが、昭和の文学作品に見る「食」をテーマにした画期的な評論です。関西の竹林館から五日前に発売されたばかり。

 具体的に取り上げられている作品は以下の通り。

  永井龍男「黒いご飯」
  川端康成「伊豆の踊り子」
  宮沢賢治「雨ニモマケズ」
  高見順「如何なる星の下に」
  堀辰雄「天使達が」
  小島政二郎「悪妻二態」
  ブルーノ・タウト「ニッポン」
  横光利一「旅愁」
  伊藤桂一「戦場と糧食」
  大岡昇平「野火」
  武田泰淳「ひかりごけ」
  太宰治「斜陽」
  開高健「青い月曜日」
  中里恒子「時雨の記」
  中村真一郎「恋の泉」
  立原正秋「春の鐘」
  村上春樹「ノルウェイの森」
  吉本ばなな「白河夜船」
  海老沢泰久「美味礼讃」
  水上勉「土を喰う日々」
  大沢在昌「闇先案内人」

 これはもともと昨年一年間、明治大学リバティ・アカデミーの教養・文化講座で講義されたノートを基にしたものですが、稿としてはまったく新たな発想で書き下ろされた文芸評論で、ほかにあまり類を見ないものでしょう。
 この夏には、本書をテキストにした夏季集中講座の開催も決定しました。講座では、昭和にこだわらず、明治文学から説き起こされ、詩や俳句、時代小説まで論及される予定です。
 本についての詳細は「西向の山」の「小川和佑先生最新情報・新刊案内」を、公開講座については「講座案内」をご参照ください。

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2005年4月28日 (木)

『カバー、おかけしますか?』

 まだ現物は見ていないのだが、『 カバー、おかけしますか?』というユニークな本が出版ニュース社から出ている。発行は昨年の十二月。
 本屋さんでかけてくれる紙製のブックカバーのコレクションで、デザインのカテゴリー別にカラーで紹介されているらしい。実は昨日の産経新聞にレビューが載っていたので知ったのだが、是非手に取ってみたい一冊だと思った。
 僕は、文庫本の場合、二十歳頃から紀伊國屋とか三省堂で売っている合成皮革や和紙のブックカバーを愛用していて、書店ではカバーを断っている。が、それ以前はよくいろんな書店に行っては集めていた。日常使うのは使い回しにして、一部は使わずにきれいなまま取っておいたりした。別にコレクションにしていたわけでもないのだが、今でも捨てられずに保管してある。
 現在使っている文庫カバーは、紀伊國屋で売っているCONCISEの合成皮革のカバー。しかしこの手の物は、文庫にはいいが単行本には向かない。もちろん各種サイズが取り揃えられているし、いろいろ試してみたが、結局、紙のカバーが一番いい。分厚い全集などは画用紙で作ったこともある。しかし画用紙では、手の脂が吸い取られ、手触りも良くない。ということで、単行本の場合は時々カバーをしてもらう。
 最も憧れたのが、元ジャックスの早川義夫氏が経営する書店のブックカバーで、つげ義春の「紅い花」の最後の二コマ、「のうキクチサヨコ」「うん」/「眠れや………」を左右に配したブックカバーである。
 僕の二大「アイドル」の、こんなコラボレーションはまたとない。垂涎物だ。しかし、残念ながら持っていない。それを知った時にはすでに遅かった。文庫用に二万枚作り一年ほどで消費し尽くすと、その後は作っていないそうで、それを知ったのは早川氏の著書『ぼくは本屋のおやじさん』であるが、僕が手に取った本は初版から三年経っていた。(このカバーも収録されているのかしら?)
 ゴミの問題や過剰包装ということもあるが、一冊だけ買う場合、カバーだけしてもらい、紙袋は断ればいいし、そうしている書店もある。本の場合、テープを貼るわけにもいかないから、そこで買ったよという印になり、世界中で日本だけだというこの風習はいいんじゃないかと思う。必要なければ断ればいい。
 産経新聞の猪谷千香氏が紹介しているのだが、本書によると韓国でも一九九三年頃まではやっていたらしいが、ゴミ減量運動で絶滅したとか。「もはや日本独自の文化なのだ」かどうかは分からないが、各書店独自のブックカバーは、知らない土地のはじめて入る書店のカバーがなかな良かったりすると、嬉しくなるものである。
 それにしても、何にでも愛好家というか好事家というのはいるもので、「書皮友好協会」というのがあるとは知らなかった。

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2005年1月30日 (日)

歌人論・歌人伝について

 このところ、詩や短歌の本ばかり読んでいる。正確に言うなら、詩論や歌論、歌人論やそれに類した本。思潮社の「詩の森文庫」は年末に第一弾が十冊配本になったが、すでに半分読んだ。
 先週は中島美千代氏の『夭折の歌人 中城ふみ子』に続いて、渡辺淳一の『冬の花火』を再読した。中島氏は、この本のふみ子像には不満があり、好きではないと言っているが、私はそんなことはないと思った。もちろんあくまでも小説として書かれていて、恣意的にイメージを膨らませているところはあるだろうが、そんなに逸脱したものとは思われない。少なくとも愛惜を込めて書かれており、さすがに読みごたえ十分であった。
 今、中城ふみ子を世に送り出した、一方の中井英夫の歌論集を読んでいるのだが、その前にもう一冊読んだ本を。
 これも図書館で偶然見つけた。金澤聖という人が書いた『姦通の罪 白秋との情炎を問われて』というもの。平成十年九月に文芸社から出た本、ということは自費出版かそれに近い形で出たものであろう。著者は文学研究家ではなく、元新聞記者。報道部で事件や司法を担当していたらしい。
 明治四十五年七月、若き北原白秋と隣家の主婦・松下俊子が姦通罪で起訴された、世に言う「桐の花事件」について書いた本。しかし、事件の経過やその他司法に関わる部分を書いたところはいいのだが、本の題名と前文でうたっていることと、終末での論旨がどうもちぐはぐで、(いや、ちぐはぐではないのかもしれないのだが、それなら最後の結語はなんなのだろうという)、最終的に何が言いたいのかよく分からない本である。この人にはおそらく新聞記者としての矜持があるのだろうが、いかにも新聞記者臭い文章はとても読めない。少なくとも読んでいて気持ちのいいものではない。起訴その他に関する法律的な部分に言及しているところはいいのだが、当事者以外知り得ないことまで、こういう書き方をされてしまうと、まるでそこで見ていたかのように、すべて事実こうであったかの如く思われてしまう。実際には、本人の後日談や各種証言などから、ある程度こうであったろうということは言えても、あくまでも「類推」の域を出ないものもある筈なのだ。それがこう書かれてしまうと。実に、新聞報道にもこういうことがあるのではないか。だから私は新聞(テレビ等のニュース含めいわゆる報道)というものが嫌いなのだが。
 詳しいことは省くが、この本によって、白秋・俊子の、そもそも姦通罪の起訴自体が違法、あるいは起訴の訴え自体に違法性があるということはよく分かった。著者もそれが言いたかったわけだが、それならその部分に的を絞って検証すればいいのに、最終に来て妙な具合になる。題名の意味するところも忖度しかねる。なんとも後味の悪い本であった。
(断るまでもないだろうが、これは批評であって、中傷の類ではない。ブログはすぐに検索に引っかかるからなあ。起訴の違法性云々についての言及は、おそらく過去にこういう方面から論じた人はいなかったろうと思われるので、興味深く読んだということだけは言っておこう)
 さて、本当は今日、本題にしたかったのは、中井英夫が六十年代初頭に書いた「現代短歌論」の中に、小説や詩の現在にも通ずる問題点が書かれてあったので、引用しようと思ったのだが、それはまたこの次に譲る。

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2005年1月22日 (土)

『夭折の歌人 中城ふみ子』(中島美千代)

 出版されたのは昨年の11月だが、僕が見つけたのは四日前。市立図書館の新しく入った本のコーナーに並んでいた。おや、と思い手に取り、即借りて、一気に読んだ。勉誠出版から出た中島美千代著『夭折の歌人 中城ふみ子』である。
 こういう本は、それが新刊で出たのであれば、本当は買ってあげなければいけない。図書館で見つけてしまったのが運の尽きで、もし書店の店頭なら、250ページの単行本としては多少高く感じても、買っていただろう。いや買わなければいけない。
 
 中城ふみ子といえば、小説の久坂葉子とともに、僕が秘かに愛している二大“アイドル”の一人である。(因みに、戦前の僕の二大アイドルというか、偏愛の対象は、尾崎翠と伊藤野枝である。え? どういう取り合わせ!)
 久坂葉子が小妖精であるとすれば、中城ふみ子はまさに「女」であった。二人は、まだ戦後と呼ばれていた時代の一時期を、猛スピードで駆け抜けた。
 しかし、久坂葉子はどこまでもマイナー・ポエットで、自ら命を絶ったのに比して、中城ふみ子は、その登場から死まで、そしてその後も、その歌と存在は、中島氏が言うように一つの「事件」であり、一世を風靡した。
 今となっては、風靡したというより、現代歌壇を変革したという文学史的意義で正統に評価されるものであるが、当時は、歌壇のみならず一般の衆目も集め、むしろスキャンダルであった。(といっても、それは僕が生まれる前の話なので、文献でしか知らないのだが)
 昨2004年は、中城ふみ子没後五十年であった。当時「短歌研究」の編集長であった中井英夫が企画し、選者も務めた「五十首詠作品募集」の一等当選作として、「乳房喪失」四十二首が発表されたのは、昭和29年4月。その死は、それから僅か四ヶ月後。
 死後すぐに出版された、臨終間近を取材した時事新報社の若く野心的な記者・若月彰が書いた『乳房よ永遠なれ』が、中城ふみ子の世間的な評価を大きく狂わせ、“ふみ子伝説”をスキャンダラスにし、好色な誤解を生む基になったといっていい。しかし、昭和30年代以降の日本は、国中が大忙しで疾走していたから、世間的にはすぐに忘れられた。
 それを甦らせたのが、約20年後に書かれた渡辺淳一の『冬の花火』。現在では、『冬の花火』のヒロインとして認知されていると言った方がいいだろう。死後わずか一年三ヶ月後には、『乳房よ永遠なれ』が日活で映画化され大ヒットしたらしいが、これはもはや現在ではまず目にすることはできないし、若月彰の原著もよほど大きい図書館で探さない限り読めないから。
  しかし『冬の花火』は、評伝的な事実を踏まえながらも、あくまでも「小説」であって、評伝でも作家研究でもない。当然小説的な脚色もある。どの辺がどういう風に脚色されているかということよりも、いい悪いは別にして、『乳房よ永遠なれ』にしても、問題は、男の視点から描かれていることだろう。
 中島美千代さんの『夭折の歌人 中城ふみ子』は、それを是正するものであり、賛美にしろ悪評にしろ、いわば勝手な幻想が先走った、さまざまな“ふみ子伝説”のベールを剥ぎ、歌人の実相に迫ろうというものである。
 ともかく彼女は素晴らしい歌を残した。それがすべてである。それが身振りの大きい、多少自己演出的なところがあったとしても、それを含めてそれが彼女のすべてである。
 実際問題、彼女と同じように壮絶な闘病生活の末、あるいは流転の生涯の果てに、若くして死んでいった無名の歌人・詩人・俳人・作家はいっぱいいると思うのだ。いや、その方が多いだろう。多くの彼ら、彼女らは、身内や小グループ以外に作品を世に残すこともなく、生きていたという事実も知られないまま死んでいったのだ。現在も、そしてこれからもそれは変わらない。
 それを思うと、中城ふみ子は仕合せ者だとも思えるが、最終的にはすべては作品である。たとえどんなに苛烈な人生を歩もうとも、その人生や人間性が素晴らしくても、芸術家・表現者である以上、作品だけが物を言う。それが恐ろしくも過酷な現実である。死後五十年も経って、こうしてまた語られるのは、中城ふみ子の生涯が数奇に満ちていたという人間的な興味によるのではなく、第一にその作品が現在でも光芒を放っているからに他ならない。 
 
 僕は短歌については門外漢である。中城ふみ子の全作品を読んでいるわけでもない。ほかにも名歌はたくさんあるだろうし、捨てがたい作品もある。が、最後に、個人的にぐっときた歌を挙げておく。
 
 絢爛の花群のさ中に置きてみて見劣りもせぬ生涯が欲しき
                    ――中城ふみ子

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2005年1月13日 (木)

詩の森文庫/田村隆一

 昨年末、思潮社から「詩の森文庫」という新書スタイルのシリーズが創刊されました。発行日は元旦の日付ですが、年内に書店に出回っていました。見つけたのは、郊外のローカル駅の、駅ビル内のさほど大きくない書店で、そんなところに思潮社の本が並んでいたのでびっくりしたのでした。
 ブルー基調の表紙の「クリティック」シリーズと、カッパー色の「エッセー」シリーズ、それぞれ5冊ずつ計10冊が第一回配本で発刊。グリーン表紙の「ポエム」も発刊予定のようです。
 いま「詩の森文庫」で検索したら、すでにあっちこっちのブログや何かで言及されていて、なかなかの反響のようです。(ところで、トラックバックってどうすればいいの? またどういう時にするものなの?)
 数年前からの第二次新書ブームとはいえ、よもやこのような新書が創刊されるとは。いささか遅いような気もしますが、あまり色気を出さずに、「現代詩文庫」のように細くても末永く続刊されることを期待します。
 
 で、さっそく買ってみたわけですが、私が最初に手にしたのは、田村隆一の『自伝からはじまる70章』です。現代詩人の中では私が最も敬愛する詩人で、多少なりとも縁がないわけでもないので。ちょっと立ち読みしていたら、その接点である(といっても一方的なものですが)、神保町の「ラドリオ」のことも書かれていたので、すぐさま購った次第。
 しかし一番食指が動いたのは、1章がそれぞれ原稿用紙3枚ほどで書かれている点。これは単に雑誌連載の要請によるものですが、短説の何かヒントにならないかと。
 自叙伝からはじまって、やがて自由な発想で、連想式にまた断片的にあるいは飛躍しながら、勝手気ままに書いていく。そんなスタイル。
 一応解説めいた情報を書いておくと、ダイヤモンド社の月刊ビジネス誌「エグゼクティブ」の1992年5月号から、亡くなる直前まで70回にわたって連載された、詩人最晩年の貴重なエッセイ集。連載時は、本新書の副題にもなっている「大切なことはすべて酒場から学んだ」というタイトル。
 全編、田村節全開です。私は全くの下戸で、酒の味を解せない無粋な男ですから、酒の話になると着いていけないのですが、まあこういうのを読むと、酒が飲めたらずいぶん違った世間が見えてくるんだろうなと思う。私などはとても田村隆一には弟子入りできない。田村さん、不肖の後輩で面目ありません。
 素足に革靴、トレンチコートをはだけて「ラドリオ」の止まり木に坐っていた(というより、かろうじて支えられていた)あの日の田村さん。そのすぐ背中で、臆面もなく現代詩のことを話していた僕ら。まったく赤面ものです。たぶん、僕らの話が耳に入っていたのでしょうね。「諸君、グッナイッ!」と一言言って、はす向かいの「兵六」に去っていった田村さん。……
 
 65章に曰く。
「四十歳までに、詩を書き、この世を去らなければ『天才』ではない。四十歳をすぎたら、命の果てるまで、つまり、酒が飲めなくなるまで、詩を書きつづけなければならない。しかし、『人間の世紀末』に立ち会わざるをえないぼくは、『詩とは何か?』と自らに問わざるをえない」
 そう、これは短説にも小説にも、いや、あらゆる芸術に言えることだ。駒田信二はこう言う。「書きつづけて死ねばいいんです」と。

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