令和五年の元日は、ちょうど一年前に結婚した息子夫婦が京都から年始に来て、合わせて娘も呼び、五人でお雑煮とお節を囲んだ。最後には別棟に同居している私の母と妹も呼んで、コロナゆえ短時間であるが歓談した。
五時には家を出、京都に帰る息子夫婦を車で東京駅へ送った。新幹線乗り場まで見送ったのは六時をまわっていた。八重洲の地下に駐車するのは初めてであった。駅はにぎわっていたが、店はほとんどやっていない。残った妻と私は、めったに来ない所なので少し見物しようかと思ったが、やはり人混みは避けたかったのですぐに駐車場を出た。
東京駅から多摩地区の自宅へ向かって皇居の北から西側で初詣となれば、一番の候補は靖国神社である。大鳥居から参道には入れるようであったが、拝殿への門はすでに閉じられていた。それで、私の生まれ故郷である早稲田は牛込高田町鎮座の穴八幡宮に参詣した。結局よく知った道の方へ向かってしまうのだ。こちらも拝殿前の門は閉まっていた。それでもちらほら参拝客がやって来ていた。以前は元日くらいは終夜開いていたような気がするのだが、記憶違いだろうか。
二日は朝からやはり箱根駅伝の中継を見てしまう。往路最終の五区に入った頃に妻と車で出かけた。目的も定めず、とりあえず都内へ向かった。意外に混んでいた。やはりコロナで東京に残っている人が多いのだろう。
甲州街道を皇居に向かえば、また靖国神社である。車はとても停められないだろう。新宿御苑のトンネルを抜けようとしていたところで妻の一言があり、急遽外苑西通りを右折した。もちろん向かったのは明治神宮ではない。千駄ヶ谷の鳩森八幡神社である。
この辺りはむかしから仕事でもしょっちゅう通っていて、境内に入ったこともあるが、よくよく参拝したことはなかった。問題は駐車場だが、最寄りの有料パーキングが空いていた。場所柄高いだろうが仕方ない。
境内に入ればまず目に付くのだが、そうだった、富士塚で有名なのを思い出した。寛政元年(一七八九)の築造といわれ、都内に現存するものでは最も古く、都指定の有形民俗文化財になっているとのこと。まずは本殿に参拝し、富士塚を登頂する。

鳩森八幡神社(拝殿に向かって)

富士塚(登山口から)

富士塚山頂(奥宮)

富士塚山頂から本殿の眺め
将棋堂というのがあるが、なぜと思ったら、日本将棋連盟の本部がすぐ近くにあるのだった。夏は紫陽花がよいらしい。

二時半をすぎた。近くの国立競技場前にあるホープ軒が正月もやっているようだ。雑煮やお節もいいけれど、やはり飽きるもので、無性にラーメンが食べたくなった。しかし考えることはみな同じで、長蛇の列であった。あきらめてまた車を走らせた。
靖国神社は当然のことながら駐車場に入ろうとする車が長い列を作っていた。神楽坂は車輌進入禁止になっていた。それはそうだろう。そうやって走っていると、また早稲田方面に来てしまったが、高田馬場なら車が停められて食事できるところがあるだろうと目星を付けていた。高田馬場は、私たち夫婦にとって「青春」の場所なのであった。二人とも早稲田の学生ではないのだが……。
正月の雰囲気とはまったく関係ないが、韓国料理のスンドゥブ(純豆腐)の店に入った。さすがは学生街で、ボリュームに比してリーズナブルな値段であった。スンドゥブのチゲ(鍋)は体がたいへん温まった。
そして三日。妻は午後から歌舞伎の観劇はじめに銀座へ。私はソフトボールの投球はじめに、ウォーキングを兼ねて少し離れた団地の公園へ。


今年の三が日を「短説」にするつもりが倍の長さになった。あえて短説にするまでもないのだが、どうしようか。
最近のコメント