日記・コラム・つぶやき

2021年11月12日 (金)

娘が三十に

(「短説」のための草稿)
 きょうは令和三年十一月十二日、娘の誕生日。三十歳になった。自分の子供が三十になるなんて、かつて想像できたであろうか。
 平日の金曜日であるが、明け番なので十時半に起き、娘の郵便貯金口座に祝い金を預け入れるため出かけた。たまたま母も出てきたので、母を少し長めの散歩に連れ出すために、銀行と郵便局に寄ってから、駅前のファミリーレストランでランチをした。母からすれば、息子が五十八になるなんて信じられないだろう。ここ一、二年で、急激に老いた。眼を覆いたくなるほどだ。孫が三十になるのだから、それはそうだろうが……。
(以下――未完)

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2021年9月20日 (月)

小川和佑先生八回忌のご命日

本日はわれらが恩師小川和佑先生のご命日です。
あれから満七年。はや八回忌になります。
あの日一緒にお見舞いに行った娘も今度の誕生日で三十歳になります。
生後十ヶ月で連れて行った山中湖でのゼミ合宿は1992年の今頃でした。
著著目録の編集が滞っています。早急に再開させます。
先生、ゼミのみんなを見守りください。
(仕事中の車中より)

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2021年7月28日 (水)

ソフトボール日本女子金メダル・13年越しの2連覇万歳!

 きのうは東京五輪・ソフトボール日本女子の優勝に大興奮でした。一夜明けたきょうも、まだ興奮冷めやらずという感じです。
 きょうは休みをとっていました。というのは、きのうの決勝戦のチケットが取れていたからです。そうです、本来なら横浜スタジアムで歓喜の瞬間に生で立ち会えたはずだったのです。なかなか取れないといわれた五輪チケットの抽選に当たって、お金を振り込んだのは2年前です。
 決勝は、アメリカでの放映時間に合わせて夜の8時プレイボールという、日本の常識では遅い時間。野球より試合が早く終わるソフトボールでも、決勝なのでそのあとの表彰式を含めれば11時頃になり、スタジアムからの退場や横浜から帰ってくることを考え、翌日も休みをとっていたのです。それが、無観客に……。
 北京五輪での、あの「上野の413球」から13年。オリンピック開会式に先立ち、日本勢の先陣を切って始まったソフトボール。7月21日からの「オープニングラウンド」(予選リーグ)5試合と、きのうの「ゴールドメダルマッチ」(決勝)の計6試合、この快挙までの各試合、ポイントがいくつもあり、いいプレイの連発で、控えを含めてみなが活躍しました。
 レベルは違いますが(そりゃあまあ、当然のことながら)、僕もソフトボールをもう20年以上やっていて、一般社会人の都大会出場の常連になり、僕がプレイヤーとして活躍したわけではありませんが、東京一にも三度なっているチームに所属している身としては、各試合のビッグ・プレイを一つひとつ挙げたい気もありますが、それは各メディアの報道に譲ります。
 
ソフトボールだけでなく、今回のこの「東京」オリンピックでの日本勢の活躍は目覚ましいものがありますね。いや、思うような結果が出せなかった選手もいるでしょうが、とにもかくにも、この未曽有のコロナ禍の中、オリンピックが開催されて良かったと思います。賛否ありましょうが、このような素晴らしい選手たちの姿を観ることができ、本当に開催されて良かったと思います。

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2021年4月10日 (土)

小川和佑先生の桜のラジオと花まつり

 文芸評論家で明大ほかの元講師である小川和佑先生の最後のラジオ収録(おそらく肉声としても最後の録音)「泰平の世を桜花に願う」の再放送には、ゼミのOB,OGのみなさんから大きな反響をいただきました。
 ここ数日はその返信に大忙しでした。感銘、感動、感激、そして、あらたに募る哀惜の想い。僕らには胸に詰まってくるものがありました。
 4月5日(月)25時5分(6日午前1時5分)から、NHKラジオの「ラジオ深夜便」の「深夜便アーカイブス」のコーナーで再放送されたものですが、前の記事に書いた通り「らじる★らじる」の聞き逃しサービスで13日の午前1時まで視聴できます。まだの方はぜひお聴きください。

 さて、四月八日はお釈迦さまの生誕を祝う灌仏会で、日本では「花まつり」と云われています。旧暦の四月八日をそのまま新暦に当てはめたので、ちょうど桜が咲く季節にあたり、明治のころ浄土真宗の安藤嶺丸という僧侶が「花まつり」の呼称を提唱して以来、そのまま宗派を問わず定着したのだとか。
 というのは前ふりで、実は僕の誕生日なのでした。58歳になりました。別にもうめでたくもないのですが、妻と出かけてきました。
 小川和佑先生とも縁のある三鷹の山本有三記念館に行ってきました。
(つづく)

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2021年2月23日 (火)

令和二度目の天長節

 朝、日の丸の旗を出した。風がやや強い。皇居に向かって、遥拝する。見事に晴れた。
 令和二度目の天長節。昨年に続いて今年も、いまだ新型コロナウイルスの感染拡大が収まらず、皇居参賀は執り行わないことになった。
 天皇陛下、六十一歳のお誕生日、おめでとうございます。天皇陛下が同世代というのにまだ慣れない。とにかくコロナの終息と、国の安寧、世界の平和を祈念するばかりだ。

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2020年10月 9日 (金)

ジョン・レノン生誕80年の日に

 本日は言わずと知れたジョン・レノンの誕生日で、今年は生誕80年ということになる。というより、間もなく没後40年になる。40歳の誕生日を過ぎて二ヶ月後に凶弾に倒れたわけで、つまり今年はジョンが亡くなってから、生きていた時間と同じだけの時間が経過したということだ。
 僕は17歳だった。あのショックは今も忘れられない。衝撃度という点では、僕の今までの人生で最大の事件であったといっていい。しかし、それから40年。はるか年上になってしまった。

 つい先日、おそらく合わせたんだろうけど、ビートルズ・デビューの日(10/5)に放送されたジョンの生誕80年を記念するBBCのラジオ番組で、盟友ポール・マッカートニーがショーン・レノンに語った話として、生前に仲直りできたことに感謝している、ジョンが40歳で殺害される前に再び交流できていなかったとしたら、すごく後悔していただろう、という趣旨の発言をしていたというのが紹介されていた。さもありなんと思う。これを聞いて、世界中のビートルズ・ファンも安心したのではないか。
 きょうはもうジョンの曲を聴くしかないでしょう。まずは“#9 Dream”から。

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2020年9月20日 (日)

小川和佑先生七回忌のご命日に

 本日は、明大文学部のわが恩師で、文芸評論家・小川和佑先生の七回忌のご命日です。と同時に、個人的に「創作記念日」と称している日です。
 今年はコロナでお墓参りにも行けませんので、きょうの命日に向けて、前の記事の通り、小川和佑ゼミナールOB会誌として『小川のせせらぎ』と題する冊子の第2号を編集・制作し、OB,OGなどに配付しました。
 すかさずさまざまな反響があり、メールや手紙、ハガキ、ブログのコメント欄などでやり取りをしました。先週の金曜日(9/11)の午前中に新宿のコピー屋で印刷・製本し、家に飛んで帰り、すぐに封入し、金曜日の夕方便で発送しました。早いところでは翌日の土曜日に着いたようで、以後、この一週間、ずっとみなさんから送られて来た反響に応えていた日々が続いていました。
 個別にはさまざまな内容が含まれているので、ここでは繰り返しませんが、それが何よりも楽しかったです。小川先生、みなさん、ありがとうございます。
 きょうからまた普段の日常が始まります。その前に連休ですが、地元のソフトボールの秋季大会、きょうが初戦です。何かホームランでもかっ飛ばせそうな気分です。
 繰り返しますが、小川先生の法要は、教え子のみならず、親戚や東京に住んでいる親族も集めずに、奥様お一人で執り行うということです。もちろんコロナのせいです。
 宇都宮に向かって合掌いたします。

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2020年8月25日 (火)

わが家の老猫二匹(ともに19歳)が同じ日の朝と夕方に永眠しました

 令和2年8月13日(木)の午後5時16分、わが家に平成13年(2001)10月から住んでいるキジトラの雌猫の“ひかり”ちゃんが、静かに息を引き取りました。
 人間でいえば92歳ぐらいで、病気一つしたことがありませんでした。老衰です。天寿を全うしたといえるでしょう。

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 そのことを、10日以上経って、ようやく昨夜からウェブページに写真とともに書く気になり、朝の5時までかかってページを作成し、「わが家の猫/ひかり(8)〈2020年8月13日永眠・満19歳〉」としてアップロードしました。ですので、ブログでは繰り返しません。
 奇遇なのは、翌2002年の夏頃からわが家の庭に現われたはじめた“フサ”ちゃんも、この時すでに1歳くらいでしたから、“ひかり”と同い年の19歳になるのですが、前日の8/12に危篤になり、8月13日の朝7時頃に亡くなったのです。

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 わが家では伝説になった屈強な外猫の“黒ボス”の妻だか愛人であった“フサ”は、本当はもしかしたら結構由緒あるかもしれない長毛の洋猫です。半外猫にもかかわらず、こちらも病気知らずでした。
 私は今、糖尿病を患っていますが、猫も人間もやっぱり健康が第一だということですね。

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ひかりとフサ(亡くなる約三週間前の二匹)

 “フサ”の孫の“モコ”ちゃんは、時々わが家に来なくなったりする外猫ですが、この5月の連休頃からもう長いこと顔を見せていません。
 そして、昨年の台風19号で被災したらしく、台風の後にうちの庭に棲みつくようになった“茶白”ちゃんも、7月に入って急に姿を見せなくなりました。もともとケガをしていて、しかしまったく懐かないので病院にも連れて行けないので、梅雨と暑さの中、もうどこかで行倒れているかもしれません。
 そんなわけで、21世紀になったこの20年間に入れ替わりはありますが、一番多かったときには13匹いた猫が、みんないなくなってしまいました。(二階の妹の部屋には茶トラと黒白の2匹がいますが、その二匹のみになってしまいました)

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ひかりちゃんのお墓

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フサちゃんのお墓

 ひかりちゃん、そしてフサちゃん、茶白も、
西向の山の猫みんな、どうか安らかにお眠りください。
     ―合掌―

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2020年7月23日 (木)

糖尿病宣告とわが家の老描

 ついに糖尿病と宣告されてしまった。猫の話ではない、私自身がである。以前より(およそ十年前ぐらいから)、血糖値が高いと指摘され、糖尿病予備軍と言われてきたが、あくまでも「予備軍」であった。血糖値は高めだが、ヘモグロビンA1cの値はなんとか6点台を保っていた。
 8年前2012年6月春の健康診断では、5.8であった。2013年5月は6.0、2014年6月は5.9、2015年5月は6.1、2016年5月に6.4と正常の基準値を少し越える。

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 2017年5月も6.6だったが、2018年5月に7.2となり、会社の健康診断で初めて再検査となった。二ヶ月後の再検査で6.7。しかし、10月の検査では7.0、2019年1月の再検査で7.1。同年(つまり去年)5月の検査で6.6に下がった。
 二回連続で再検査となったので、さすがに青くなって対策を打つことにした。食事療法と運動であるが、ご飯に糖質カットの「マンナンヒカリ」を混ぜ、缶コーヒーを控えることにした。運動は、スクワットとウォーキング。

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 しかし、今年2月末頃からの新型コロナ騒ぎで、やはり運動不足になっていた。そして、缶コーヒーを一日一本飲んでいた。飲まない日もあったが、逆に二本飲んでしまう日もあった。家にいるときは、レギュラー・コーヒーを四、五杯飲む。それも、シュガーカットにしてはいるが人工甘味料を入れ、糖質のある牛乳も入れる。コロナでトータルひと月間休業だったときは、もっと量が増えていたかもしれない。
 去年、ヘモグロビンA1cの数値が下がったので油断していたわけだ。そして、この7月はじめの健康診断で、ついにヘモグロビンA1cが9.1になってしまった。

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 それが判明したのが7/21で、もう病院に行くレベルであると、きのう朝会社で説明を受け、その足で病院を予約し、午後、糖尿病の専門医に行った。そして血液検査したら、なんと10.3!
 昼食を普通に食べて、約3時間半後の検査で、血糖値が310と異様に高く、もうこれは完全に糖尿病であると診断されてしまった。
 きょうは眼科に行って、眼底検査である。会社の検診でも眼底検査をやり、異常はなかったのであるが、それから一年たっている。眼底検査の結果で、治療方法や薬も異なってくるらしい。

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 さて、わが家の老描ひかりちゃんは、日に日に痩せ細っていきながらも、きょうも何とか生きている。少しでも長く生きてほしい。
 写真は上から、6/23、6/26、7/15、7/22
 4月中旬にほとんど危篤状態に陥ったことを考えれば、よくここまで生きていてくれるものだと思う。猫の時間は人間の四倍ほど早く進むという。巻き戻しは出来ないけど(それは人間も一緒だ)、少しでもゆっくりと進め!

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2020年6月28日 (日)

やっとなのに、雨の日曜日

 やっとできることになったソフトボールの大会が、初日から前で中止。予報通りでしたね。夜中の三時ころから降り出し、文句なし、完璧な雨。これではどうしようもない。気を持たせる天候よりは、はっきりしていた方がよいが。

 晴耕雨読といきましょう。

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 わが家の老猫は、しょぼしょぼと、しかしけなげに生きております。画像はまた今度に。きょうは花を。

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