日記・コラム・つぶやき

2019年2月 9日 (土)

寒い土曜日の午後に詩を

 土曜日の午後、東京も大雪になるかもという予報でしたが、今のところなんとか雪にも雨にもならず持ちこたえているという空模様、一言、ただただ寒い。凍てつく寒さですな。家の掃除とか、書類整理とか、何もする気になりません。空は明るいので、今のうちに外で体操し、ウォーキングでもすればいいのでしょうが……。妻は、所属する朗読の会の先生が司会をするというある講演会に出かけていきました。
 そんなわけで、ストーブの前で猫と一緒に横になりながら、つれづれに開いた本が『日本の詩歌24』(昭和51年3月・中公文庫)でした。(BGMはビートルズに変更)
 この巻には、丸山薫・田中冬二・立原道造・田中克己・蔵原伸二郎が収録されています。私にとっては黄金の巻ですね。詩のアンソロジーはそれこそ枚挙に暇がないほどたくさんありますが、中央公論社の元は『日本の歴史』や『世界の歴史』などと同じ造本の箱入りの単行本で出たこのシリーズは、平成が終わろうとしている現在でも質・量ともに最良のアンソロジーといえますね。
 ついでに書き添えておくと、編集委員は伊藤信吉・伊藤整・井上靖・山本健吉。この巻の「詩人の肖像」は大岡信。「鑑賞」は坂本越郎。年譜付。立原道造と棟方志功のカットが入ります。
 その104頁に栞が挟んであって、それは単に以前の読み挿しを意味してあったのですが、そこに掲載されていた詩をあらためて読んで、心が打ち震えました。

    くずの花     田中冬二

  ぢぢいと ばばあが
  だまつて 湯にはひつてゐる
  山の湯のくずの花
  山の湯のくずの花

                    黒薙温泉

  何という詩情であろう。ただこれだけの言葉なのに。言ってみれば、ある情景をそのまま叙述しただけのようにもみえるが、なんと深い人生がそこにあることか。
「この無念無想の静寂境をとらえるため、省略を重ねて、この形にするまでには、作者は苦吟数年を要したという。けだし作者にとって会心の作」とは坂本越郎氏の鑑賞。
 初出は、昭和3年『パンテオン』第四号で、田中冬二の第一詩集『青い夜道』(昭和4年12月・第一書房)に初収録されました。
 はじめて読んだ二十歳そこそこのころは、その良さがたとえ分かったとしても頭で理性的にしか理解していなかったでしょうね。自分自身がまさにこの「ぢぢいと ばばあ」になって、しみじみと心に沁み込んできたというわけです。
 そんなことを書いているうちに、やはり雪が降ってきました。降り続けば積もりそうな気配の雪です。明日ソフトボールの練習があるのですが……。

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2019年1月30日 (水)

平成最後の年の最初の投稿

 このところ、何かにつけて「平成最後の」というフレーズが言われている。その平成最後の四か月のうち、もう一ト月が早くも終わろうとしている。月末になって、平成最後の年の最初の投稿をする。

 27日の日曜日、所属するソフトボール・チームの定期総会があった。メンバーの変動などにより、4~5年周期でチーム体制の変革を強いられるのだが、今年はその年に当たる。新しい体制について話し合って帰ってきたら、大学は異なるのだがともに小川和佑先生のゼミナールで学んだ後輩のM君からメールが入っていた。
 M君は国語の教師で、国語教育の実践を論文にまとめていて、今回は詩の創作指導をソネットで行い、そのモデルとして立原道造の「はじめてのものに」を使うそうなのだが、それで、〈注〉や〈参考文献〉の取り扱いで、今では入手困難な初出の表記の確認はどうすればいいのかということと、〈底本〉には何を使ったらいいのかという質問だった。
 彼は大学での専攻は近世だったので、近代文学の研究について教えてくださいということだった。昼間はソフトボールの練習で、久しぶりに若い人たち(それもまだ大学を卒業したばかりやまだ一年生の子もいて)が多く参加したこともあり、当初予定より時間も延長し、五十の人間には結構ハードな練習をし、そのまま市民センターの会議室で総会をたっぷり2時間かけて行い、その後居酒屋に飲みに行った。そして帰ってきて、そのメールを読み、野球の練習着のまま着替えもせず、風呂にも入らずに、長い返信を書いた。
 スポーツの世界からいきなり文学の世界へ。やっぱり文学に飢えているのか。僕だって本当の専門家ではないので、改めて調べながら、一所懸命返信を書いた。結局、返信のメールを送信したのは日付を跨いでいた。
 しかし、近代文学の研究方法のこと、立原道造のこと、改めて僕自身にとっても勉強になった。それで、ずっと気にかかっている懸案がまた浮上したわけだ。

 それは、ホームページ「西向の山」にアップしている「軽井沢文学散歩」の「信濃追分編」の続きである。昨年8月10日に堀辰雄文学記念館のところまで制作したのだが、その後、信濃追分の一番のメインである旧脇本陣の油屋旅館と分去れの常夜燈や石碑群がまだ未完成なのだ。未完成というより、まだ手が付けられていないのだ。
 M君から立原道造のこと、小川和佑先生のこと、いろいろ思い出させてくれたので、夏から止まっている作業を再開しようと思う。いきなりホームページに完成版をアップしようとすると、なかなか手が付けられないので、次回からこのブログにその素材となる写真や文章をまずはメモのような形でアップしようと思う。平成最後の「仕事」として、信濃追分文学散歩は完成させておきたいので。

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2018年12月 4日 (火)

12月の暖かい夜

風呂上がりに
夜の庭
出てみたら
夏の終わりの匂いがする
もう師走だというのに

(全国366地点で12月の最高気温を観測
一部では史上初の師走の夏日を記録)

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2018年11月25日 (日)

四十八年目の憂国忌に

 おはようございます。朝からブログを書くのは久しぶりです。
 本日はもちろん、三島由紀夫・森田必勝両烈士の義挙記念日であります。あれからもう四十八年です。この日を僕は一番大切にしていました。遺憾ながら、過去形です。いや、むろん今も大切にしていることには変わりはないのですが……。
 一昨日はこれも大切な日で、新嘗祭の日でした。この三日間、今年は金・土・日で、久しぶりに三連休を取りました。しかし、「新嘗を祝ふ集ひ」に出席するためでも、「憂国忌」に出席するためでもありませんでした。
 ソフトボールの大会に行くためでした。今年最後の大きな大会で、地区大会ではなく東京都の大会ですが、それゆえ、本来ならもういいおじさんの僕などが出る幕ではないのですが、若手のサポートのつもりで待機していました。
 祭日ではあっても日曜ではない一昨日は、メンバーの集まりが厳しく、守備だけのFPでしたが、レフトでフル出場しました。結果は、最後一点差まで詰め寄りましたが負けました。そんなわけで、今日は試合はなく、練習のみですが、今日もこれから地元のグラウンドに行きます。
 ジャン=ジャック・ルソーの『孤独な散歩者の夢想』を読みはじめたり、『戦後詩大系』や大手拓次、三好達治、谷川俊太郎の詩集を読み返したり、昨日も急に思い立ってヘミングウェイの最初の短編集『われらの時代(IN OUR TIME)』を再読し始めたりしてはいますが、まあ言ってみればそれまでで、三島さん・森田さん自決の日に、何とも情けない限りです。

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2018年9月 5日 (水)

四城亜儀という詩人・小説家

 私が作成している『小川和佑先生著書目録』に、本編の著書目録を一時休んで、昨年10月から「小川和佑先生の言葉」として、その著書からみなさんにぜひ読んでもらいたい文言を抜粋して転載していますが、4月29日の先生の生誕記念日から『わが一九四五年 ――青春の記録1』(昭和50年9月・現代教養文庫)を写していました。当初は抜粋の予定でしたが、ほぼ丸写しに書き出すことになりました。
 それで本日、最終章の「5 問うべき戦後とはなにか ――持続すべきもの」の後半をアップしました。そこでは四城亜儀というちょっと謎めいた作家の小説「帰ろう愛の天使たち」が取り上げられています。彼(または彼女)は、当時も今も全く無名の同人雑誌作家で、私も本書で初めて知ったのですが、やはり小川先生経由で別に知った芦原修二氏を通じて、芦原さんがかつて主宰していた同人誌『海とユリ』で別の作品を読み(いや、あるいはこちらを先に読んだのだったか)、さらに私が学生の時に芦原さんが創始し、私も参加した『短説』でも、四城亜儀さんは短説は書きませんでしたし積極的に参加したわけではありませんが、昔からの芦原さんとの関係から『短説』の機関紙にも少し関わっていました。
 私はもちろんこの小説に魅せられたことが第一ですが、面識は全くないのですが、少し近しい文学的機縁にいたことから、知り合いに対するような敬愛の念を、一方的に持っていました。
 私がホームページを始めた2002年とほぼ同じ頃に、四城亜儀さんもホームページを始め、その頃一回だけ個人的な交流もありました。その後、彼女(彼は実は彼ではなく、彼女なのでした)のサイトは、メインのホームページを中心にいくつものブログ(それぞれのテーマ別にブログが立ち上がっている)で構成された壮大な構想のサイトになっています。相当につぶさに閲覧している私でも全貌はとても読み切れていません。
 それで時々訪問していたわけですが、実は数年前から、もう末期の癌であることが告白されていました。2014年頃から入院、手術が繰り返され、2015年には相当悪化していたようです。それでもブログが更新されていました。しかし2016年4月以降、ブログも更新されなくなりました。
 そしていくつもあるブログの一つ『TEL QUEL JAPON』の2018/03/17(土) 21:32:56の記事のタイトルに「利用してください」とあり、「このサイトの主は他界しましたが、サイトの価値は永遠です。」とありました。
 四城亜儀さんについてはまた別に語りたいと思います。今はただただ故人の
ご冥福をお祈りするばかりです。――合掌

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2018年7月31日 (火)

「軽井沢文学散歩〈軽井沢編〉」の大幅増補が完結

 当サイト『西向の山』の「小川和佑先生と歩く軽井沢/小川ゼミの軽井沢文学散歩アルバム」の〈軽井沢編〉の大幅増補が完結しました。
6月29日 (金)に「軽井沢文学散歩〔5〕-二手橋~犀星文学碑~白鳥文学碑」、
7月6日 (金)に「軽井沢文学散歩〔6〕-水車の道~片山別荘~聖パウロ教会」、
7月9日 (月)に「軽井沢文学散歩〔7〕-テニスコート~万平ホテル~三笠ホテル」、
7月29日 (日)に「軽井沢文学散歩〔8〕-碓氷峠見晴台~万葉歌碑~御風歌碑」、
7月31日 (火)に「軽井沢文学散歩〔9〕-熊野皇大神社~吾妻はや~アリスの丘」を大幅に増補しました。
 平成15年10月17日のツアーから15年かかって一応の完成版が出来上がりました。まあ、見てやってくださいませ。

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2018年6月 5日 (火)

信濃追分文学散歩の2頁目&3頁目

 6月3日(日)に
「軽井沢文学散歩〔11〕信濃追分編-一里塚~郷土館~浅間神社」を新規に作成しアップロードしましたが、これを
 6月5日(火)にページを分割、増補し、
軽井沢文学散歩〔11〕信濃追分編-一里塚~追分宿郷土館~旧測候所
軽井沢文学散歩〔12〕信濃追分編-浅間神社~追分節発祥地~芭蕉句碑
 として新規に公開しました。

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2018年5月19日 (土)

「軽井沢文学散歩」〔2〕~〔4〕増補

 引き続き、
4月22日 (日)に「軽井沢文学散歩〔2〕-ささやきの小径~旧サナトリウム」、
4月29日 (日)に「軽井沢文学散歩〔3〕-旧軽銀座~観光会館~神宮寺の桜」、
5月19日 (土)に「軽井沢文学散歩〔4〕-近藤長屋~つるや旅館~ショー礼拝堂」を大幅に増補しました。

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2018年4月15日 (日)

結婚三十周年記念に信濃追分~軽井沢へ

 前記までの四日間の通り、4/9~4/12の毎日一枚、鉄道の駅と電車の写真のみをアップしてきましたが、これは現地からリアルアイムに投稿したもので、つまり長野県に旅行に行っていました。
 平成30年4月10日、この〈短説の会〉公式サイトならびに文藝サイト「西向の山」の編集長である私が、同じく短説の会同人でサイトの共同制作者である妻と結婚式を挙げて満三十年になりました。媒酌人は明治大学の恩師で文芸評論家の小川和佑先生と節子さんご夫妻です。桜満開の神田明神でのことでした。
 ブログで個人的なことを書くのもどうかと思いますが、ホームページ本編でも書いたので再録します。入籍したのは二日前の4月8日で、満開の桜に時ならぬ春の雪が降った日でもありますが、私の二十五歳の誕生日でした。それから三十年、つまり私も五十五歳になったわけです。
 
 結婚記念日を祝う風習はイギリスが発祥とのことですが、当初は結婚5年、15年、25年、50年、60年目の五回のみを祝っていたそうです。わが国でも明治27年(1894)に明治天皇・皇后両陛下が「大婚二十五年祝典」を執り行ったことから、一般に最も大きな節目としていわゆる「銀婚式」が著名になったようです。
 五年前、その銀婚式に、私の仕事が不安定で遺憾ながら何もできませんでした。恥かしいことを告白すれば、経済的に不如意だったわけです。その上での三十年であるし、何も結婚記念日に旅行しなければいけないわではありませんが、五十歳をはるかに越え子供も独立したので本来ならもっと余裕があるはずで、ここは豪勢に奢ってもいいところなのですが、如何せん私が不甲斐なく、国内のそれも比較的近い所に落ち着いてしまいました。
 ただ正直言って、私が行きたいと思う所は、やはり信濃追分と軽井沢しかありません。いやほかにも、熊野や出雲や高千穂には行ってみたいと思いますが、遠過ぎます。いや遠過ぎるというより、本当の目的は、このホームページの「軽井沢文学散歩」の〈信濃追分編〉を作りたいがためです。既存の〈軽井沢編〉も増補してもっと充実させたいし。
 
 そもそも本サイト「西向の山」は、私たちの結婚記念日を期して開設したのでした。それが本サイトのコンセプトであり、肝といえます。
 それで、三十年目の結婚記念日を挟んで、4月9日の月曜日から10日の火曜日にかけて、信濃追分~軽井沢に行ってきました。念願の万平ホテルにも泊まってきました。10日の夜は上田の別所温泉、11日は善光寺の宿坊に泊まり、こちらもことのほか良かったのですが、それはまた別の話として、長い間の懸案であった文学散歩の〈信濃追分編〉に取り掛かりたいと思います。
 
 それで、さっそくですが、その前に〈軽井沢編〉の増補改訂版に手が伸びてしまいました。一昨日にまずは、「軽井沢文学散歩〔1〕-序~新軽~矢ヶ崎大橋~りんどう文庫」を大幅に増補しました。
 そして本日、ようやくのことで、〈信濃追分編〉の1ページ目「軽井沢文学散歩〔10〕-序~信濃追分駅~停車場道~うとう坂」をアップロードしました。ご覧いただければ嬉しいです。

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2018年1月11日 (木)

平成30年の年頭に(「短説」復刊か?)

 新年最初の投稿。平成三十年が明けて、すでに十一日目である。年末年始にまとまった休みが取れなくなって七年になる。それ以前の五年間は、比較的長い休みがあった。今年は晦日と元日、三日、それに七草と仕事で、ほとんどお正月らしい気分は味わえなかった。やはりオンとオフは必要で、特に年末年始は一年のけじめとして、ゆっくりした時間がほしいものである。

 短説の会のすだとしおさんからの年賀状に、「『短説』の復刊を考えています」とあった。休刊からもう八年半が経つ。東京座会は今も変わらずに行われているようだ。藤代日曜や関西はどうだろう? しかし、日曜日の開催では私は参加できないのだ。たまたま開催日に雨が降らない限り。
 雑誌の復刊は望むところである。僕としては、何か手を差し伸べるべきであろう。だが、短説の会の同人みながインターネントでのやり取りに対応できないと、今やお手上げなのだ。藤代日曜座会のネット版も立ち上げたはいいがすぐに頓挫したのは、この「みな」が対応できないからだ。
 一括メール送信のシステムである「メーリングリスト」の機能も、もうとっくの昔に大手プロバイダをはじめYahoo!もサービスを打ち切り、今ではすっかり衰退してしまった。代わって現在ではLINEが普及し、メーリングリストとほぼ同じような機能を有しているわけだが、LINEは基本的にはスマートホン向けのアプリケーションであり、短いとはいえ短説のようなまとまった文章をやり取りするのには向かない。
 私はスマホを持っていないので、LINEもパソコンでやり取りするという変則的な使い方をしているので、LINEでもかつての「メーリングリスト座会」をできると思うのだが、おそらくスマホではやりにくいであろう。なら、私と同じようにパソコンでやればいいのだが、そうした使い方ひとつ、一から説明しても、結局のところ使いこなせないんだろうと思う。
 メールや掲示板などでなら、私も短説の座会に参加できるのに……。

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