2009年9月22日 (火)

ビートルズとソフトボール

 09.09.09から二週間、平均すれば一日一枚のペースで新たに封を切り、BEATLESを聴きまくっている。
 十二歳の頃からもう何度も繰り返し繰り返し聴いてきた音源だが、ヘッドホンを大音量にして聴くと、今まで聴いたことがないような音まで聴こえてくる。本当に、それさえあればいいという気分になってくる。
 世間では19日から五連休。僕は土曜は休みではないが、それでも四連休。シルバーウイークだか何だか知らないが、どこにも出かけず、家ではただひたすらビートルズ三昧。
 あとは野球とソフトボール。20日は軟式野球の秋季大会三回戦に、ソフトの練習。今日もソフトの遠征での合同練習。明日もソフトのPTA大会の応援。この連休は僕にとってはソフトボール・ウイークだ。
 ビートルズが聴けて、ソフトボール・野球が毎週出来れば、それで幸せ、というのが僕の現状だ。しかし、ビートルズを聴いていると、僕のもうひとつの原点を思い出さずにはいられなくなってくる……。

 創作……

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2009年9月11日 (金)

他には何もいらない

ちょっといいヘッドホンを買った。
これでBEATLES三昧だ。
それだけで幸せって感じ。

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2009年9月 9日 (水)

半年ぶりに

 長い沈黙を破るには今日しかないだろう。THE BEATLESの公式アルバムのデジタル・リマスター版BOXセットが全世界同時発売された。
 そのカウントダウンはテレビでも報道されるほどだったらしいが、僕は当然の如く予約注文し、今か今かと待っていたのだが、発売前日に届いた。前日に届いていいのかと思ったが、考えてみれば、そうでなければ、9月9日午前零時に手にすることはできないのだ。
 マニアとしては当然「モノ・ボックス」をチョイスすべきなのだが、両方は同時に買えないので、迷った挙句、公式楽曲全213曲(217テイク)が網羅されたステレオ版を購入した。
 リマスターされてもやはり初期のものはモノ・ミックスの方が断然いい。音が一つの塊となって迫ってくるから。ただステレオは、個々の楽器の音が聞き分けやすいという利点はあるが。

 それはそうと、たしかに今日は記念すべき日ではあるが、しかしそれと「長い沈黙を破る」こととどう関係するのだろうか。それは僕個人の極めてパーソナルな思いで、傍からはどうでもいいことなのだが、“あの時”もやはりビートルズのまさかの新曲“Free as a Bird”がリリースされた年だったのだ。
 しかし、あれから14年は、やはりちょっと長過ぎた……。

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2009年2月18日 (水)

インターネット不通

 先々週の土曜から、インターネットに繋がらない状態が続いている。もう十日あまりになる。
 回線は、@niftyのADSLニュースタンダードコース(50M)、接続業者はアッカ・ネットワークス。「ADSL接続サービスは『ベストエフォート型』のサービスです。 NTT収容局からの距離や、ご利用になる場所の周辺環境などによって接続時の速度は変わります」ということは、否応もなく了解済みで、以前も時々回線が繋がらなくなることがあったが、こんなに長期で繋がらなくなったのは初めてだ。
 もともと我が家はNTT収容局からの距離が2Km近くあり、ADSLには微妙な環境で、普段からとうてい50Mの速度は出ておらず、ワンランクかツーランク下のコースと同じレベルであったのだが、ネットへの接続には不自由していなかった。それが先々週の土曜の夜から突然……。
 その日、春一番が吹いた。我が家の前の細い道を挟んだ向かいの空き地で、何の工事かわからないが、電気工事っぽい車輛が停まっていて、半日以上作業をしていた。うちの電話回線を引き込んでいる電柱に何か細工をしていた形跡は確認できないのだが、あれが原因ではないかと睨んでいる。
 ともかく、いらいらも限界を超えた。@niftyやアッカに問い合わせるにも平日の営業時間帯では時間が取れない。NTT収容局からの距離も、直線ではなく、先の工事が原因でなくても、途中の環境が変わりそれが障害になっているのであればどうすることもできない。
 ただし、我が家の離れに引き込んでいる回線では、同じADSLのしかもエントリーコース/イー・アクセス(960k)にもかかわらず、ちゃんと繋がっているので、まったく不可解なのだが……。
 それで、もうクレームを言うのも面倒なので、昨日、KDDIの@nifty ひかりone ホームタイプ ギガ得プランに申し込んだ。

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2009年1月20日 (火)

だらだらの一日

Ts2a0720 今日は定休日なので短説の公式サイトを更新しようと思っていたのですが、結局手つかずで一日が終わってしまいました。
 が、ML座会に二件投稿。丸二か月まったく投稿が途絶えていたMLですが、今年に入って僕の投稿を皮切りに四人が投稿。たとえぼちぼちでも、また有意義なやり取りが展開されればと思っています。

 写真は、中山法華経寺参道の茶店の縁台で仲良く寄り添って寝る町猫。名物の“きぬかつぎ”が実においしかったです。

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2008年12月 2日 (火)

短説校正とOASYSフロッピーと猫

Ts2a0716 平成20年もはや師走である。自分の作品のところで更新がストップしていたのは恐縮である。
 今日は月刊『短説』11月号の校正をした。この号の編集担当は私自身なのだが、かなり変則的な編集になっている。
 それは手に取ってからのお楽しみということにしても、12月に入って11月号の校正をしているようではいけないのである。
Ts2a0717 このところパソコンのバックアップだのフォルダやファイルの整理だの、そんなことばかりしている。一年前にVistaにしたら、内蔵のフロッピーディスクドライブでOASYSワープロのフロッピーが読み込めないことになっていて、パソコン用のOASYSを最新版にアップグレードしてドライバーをダウンロードしても、それは不可だとほざく。
 結局、OASYSに対応した外付けのUSBフロッピードライブを購入し、モバイル用に使っているXPにつなぎ、OASYSワープロの2DDフロッピーをXPパソコンに移植した。それをUSBフラッシュメモリでデスクトップのVistaパソコンに移管し、さらに外付けハードディスクにバックアップを取った。
Ts2a0718 もちろんフラッシュメモリにもパソコンの保存用データと一緒に残してある。一部はCDにも焼いている。そうまでして、それらが保存しておくに値するデータなのかというのは別にして、(大いに疑問があるわけなのだが)、どうも整理整頓保存が性分のようで、困ったものである。

 この秋も公開講座のフィールドワークであっちこっちに行った。写真は、下総中山の法華経寺にいた猫。
 小春日和の暖かい日で、日向ぼっこをしていたところを近寄って行くと、おもむろに歩き出し、ぴょんと卒塔婆に飛び乗り水を飲みだした。野良ちゃんであるが、「地域猫」として遇されているようである。ぴちゃぴちゃといつまでも水を飲んでいた。

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2008年1月 7日 (月)

新年一週間

 元旦から三日間出歩き、そのあと四日間家に引きこもっていた。今回は休みが待ち遠しかった。しかし、人より長い休みがありながら、結局何もできなかった。そしてはや七草。
 五日に自サイトを更新したのだが、現代詩のサイトをいろいろ見ていたら、サイト全体を根本的に作り変えたくなってきた。
 ところで、“詩”と称するものをアップしているサイト・ブログは、それこそ星の数ほどあるだろうが、ここで問題にしているのは、“戦後詩”以降のいわゆる“現代詩”のことで、インターネット上だけでハンドルネームで公開されているものではなく、紙媒体の何らかの同人詩誌に参加または運営している人達のことである。中央の詩壇でなくても、少なくとも地方の詩壇、あるいはそれ相当の圏内にちゃんと登録されている詩人。それらの詩人のサイトをリンクからリンクヘ辿っていくと、何となく見えてくるものがある。意外なネットワークがあったり。どうやら僕もその外縁にいるようなのだが、さて何ができるか。
 残念ながら、短説にはそうした視点が欠けている。

 
 景気付けに、季節はずれですが、花火でも。(山中湖の花火/撮影:娘)
P8010608

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2008年1月 1日 (火)

初詣

Nenga_H20_by_N.Maya 初詣に川越まで行ってきた。僕の初詣は二日、三日がメインのため、元旦は家族で毎年違うところに行っている。川越には神社仏閣がたくさんあるのだが、昼過ぎに家を出たので、お参りは喜多院を詣でただけ。
 成田山別院を横目に、名物の鰻の蒲焼きの匂いを嗅ぎながら、大正浪漫夢通りを経由して、蔵造りの町並みをそぞろ歩く。菓子屋横丁の店はさすがに一軒しか開いていなかったが、そこでちょこっと買い物をし、本川越に戻る。以上すべて徒歩。結構歩いた。
 妻と娘は西武ペペで福袋を購入。前回古寺社めぐりのフィールドワークで来た時は別のルートを使ったので、西武新宿線の始発から終点まで乗ったのは初めてだった。たまには乗りなれない電車に乗るのもいいものである。もっともほとんど眠っていたのだが。

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謹賀新年

 平成二十年が明けました。謹んで新しい年のお慶びを申し上げます。本年もどうぞ宜しくお願い致します。
Nenga2008_4
 実は昨日の大晦日、いろいろ書いたのだが、言い訳や能書きやマニフェストめいたことは一切やめようと思い、結局何もアップしなかった。旧年中のことは水に流し、また新たな気持ちに立ち返るしかない。そしてそれを示すのは、具体的な行動以外にあり得ない。だからそれ以上はもう言わない。
 
 昨年、短説の会を去っていった人もいたが、一方で、新たに同人に加わった人もいる。去る人来る人さまざまなのは世の常で、いちいち気にしてはいられない。今年はどんな展開になるか。いや、個人個人がどのように展開させるか。要はそれにかかっている。

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2007年11月20日 (火)

美術館フィールドワーク

Ts2a0517 今日は「ミュージアム講座」のフィールドワークで、東京八重洲のブリヂストン美術館に行ってきた。現在、「セザンヌ 4つの魅力」と題された特集展示が開催されている。初夏にも行ったのだが、セザンヌとあって、その時とは比べ物にならないぐらいの入りであった。
 ひと月前にも九段の山種美術館に同行した。やはり生の絵を観るのはいい。しかも館長じきじきの解説付きだ。僕は仕事で行っているわけなのだが、まったく役得である。
 館内を歩き、絵を観、人を見ていたら、「美術館で会った人だろう」という懐かしいフレーズがしきりと脳裡に浮かんだ。何か短説ができそうであったが、出てきそうで出てこなかった。
 美術館の喫茶室の珈琲はなぜ美味しく感じるのか。実際、美味しい珈琲を淹れてくれる美術館が多いのだが、喫茶室やカフェテリアにもセンスが感じられる美術館は嬉しい。多少高くてもリッチなひと時が過ごせるというものだ。
Ts2a0487  Ts2a0489
 明日もフィールドワークの付き添いに行く。いきなり趣向は変わって、昔の村落絵図をもとに江戸時代の村を考えるという講座。相模湖の旧千木良村へと飛ぶ。寒いかもしれないが、天気は好さそう。こちらも楽しみである。

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2007年11月 1日 (木)

三ヶ月半ぶりに更新

Ts2a0490 もう十一月である。このブログも三ヶ月半サボってしまった。制作管理している五つのサイトもまったく更新していない。個人サイトはともかく団体用のものは、更新しなければいけない記事があるのだが……。短説のML座会にもすっかりご無沙汰だ。メンバーが減ったので、盛り上げなければいけないのに。短説も書いていない。いや、それ以前に、ものを書いていない。というより、まったくやる気が起こらない。
Ts2a0491 前の記事は、軽井沢に行ったあと、ソフトボールの夏季大会の合間だった。七月から職場での立場が変わり、ずっと忙しかったのも確かだ。週五日のフルタイムで、当然残業もあり、要するに普通の会社勤めと何ら変わらない。それでいて正社員ではないのは、待遇面で理不尽な気もするが、ともかくそういう生活をするのは、振り返ってみれば約十年ぶりのことなのだった。
Ts2a0492 先週の日曜は仕事で、その前は地域運動会だったこともあり、このところソフトボールの方は小休止だが、秋の市民大会では他チームと合同のチームを組んだため、八月の打ち合わせ段階から、十月一週目の最終戦まで、毎週夜遅くまで一種の乱痴気騒ぎだった。
Ts2a0502
 さて、火急のこととして、月刊『短説』の十一月号を編集しなければいけないのだが、これが滞っている。作品の入力は八割がた済んだのだが、あと二作品足りない。今年に入ってから月刊『短説』は、その月の号がその月に発行されている。普通なら当たり前のことだが、いろいろな困難を乗り越え、やっと正常な発行ペースを数年ぶりに取り戻せたのだ。それを今回遅らせてしまいそうである。

※写真は、東京・春日の「こんにゃく閻魔」と「春日局像」
10月26日、「古寺社めぐり」のフィールドワークで伝通院に行ったのだが、その行き帰りの周辺で撮ったもの。

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2007年7月16日 (月)

雨の日曜と軽井沢

 台風が過ぎて、朝方、今年最初の蝉が鳴き始めた。土曜日からの雨は、僕にとっては恵みの雨だった。いや、決して僕が望むような「恵み」などはもたらされていないのだが、このところさすがに疲れがたまっていて、休養にはありがたかった。
Ts2a0261 七月から職場での立場が変わった。それでいきなり仕事量が増えたわけではないが、勤務時間のシフトが変則的で、少しずつ疲れが蓄積されていた。ソフトボールと野球も春以来毎日曜連戦が続いていた。そして先週の月・火と、これは遊びであり、優雅な旅だったのだが、五十嵐正人さんの小説『三人暮らし』の“三人”と軽井沢・信濃追分に文学旅行をしてきた。翌水曜から土曜までは普通に仕事があり、土曜の夜に、ソフトボール関係の懇親会があった。
 雨の日曜日。日曜が雨ばかりでも困るのだが、たまにはいい。そして、きのうは短説の東京座会がある日だ。こんなチャンスは滅多にない。しかも前日から確実に雨になることがわかっていた。ソフトボールの夏季大会、大事な最終戦、普段なら雨っぽくても一応準備するのだが、もう準備もしなかった。しかし、懇親会から帰ってきたらもうぐったりで、これから短説を書き、翌日座会に行こうという気はなくなっていた。
010shinkarueki それできのうは、一日中ごろごろしていた。ほとんど寝ていた。何もする気が起きない。本当は家でやる仕事(ある講演録の原稿整理・成形)もあるのだ。それ以上に、軽井沢旅行の記事をこのブログにアップしたいというのがあったのだが、まったく手がつけられなかった。きょうもすでに午後二時半をまわった。夕方からは、地元の健全育成委員の行事で、小学校の校舎に手作りのスクリーンを垂らし、小学生らに屋外映写会をやる。かき氷も配り、一学期の終わり、夏休みはじめを彩る、恒例の行事なのだ。(もう自分の子供は小学校を卒業してしまったのだが)
Ts2a0468 僕の個人サイト「西向の山」には、「軽井沢文学散歩」のページがあるが、いまだ未完で、本当は軽井沢以上に力を入れたい信濃追分についてはまったく手がつけられていない。それをこのブログで引き継ぎたいと思うので、これからしばらく断片的にでもアップしていこうと思う。
 今回は初めて新幹線で行った。そしてすぐに、しなの鉄道に乗り換え。写真はその様子。若い女の子のアテンダントが非常に親切であった。右に見えているのは、懐かしいEF機関車で、またもや行きそびれてしまったが、軽井沢駅構内にある鉄道博物館。旅のはじまりである。
 なお、この旅の様子は、すでに「裕子ねーんね」ブログにアップされています。まずはそちらでどうぞ。 

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2007年6月 6日 (水)

はや六月

 二週間更新していませんでした。意識が短説に行かない。MLにも復活した通信座会にもご無沙汰だ。仕事が忙しかったこともあるが、激務というのでは全然ない。それほど疲れているわけでもない。私生活はそれなりに充実している。相変わらず毎週日曜はソフトボールと野球漬けだ。ただ、文学だけに……。
 月刊『短説』の編集、あいだに〈年鑑〉を挟んでいるので、通常号の編集には余裕があった。が、逆に腰が重くなってしまった。六月号の〈年鑑特集号〉の校正は五月二十四日に終えている。発行ペースは完全に取り戻せた。七月号(三月座会分)の編集にようやく今日着手した。データがあるものはいいのだが、入力が面倒だ。
 その三月分を取りまとめたある座会の同人に、「いつもバイタリティに溢れるご様子、大変羨ましく思います」と言われたのだが、まったく内情は異なります。傍目にはそう見えるのでしょうが、それは空元気というもので、何か発言する時は、確信的にものを言い、強気でいるだけです。
 原因はわかっている。
 …… 
 話は突然変わるが、先月久しぶりに田山花袋の「蒲団」ほか「少女病」などを読み返した。「少女病」は、風俗はいかにも明治時代だが、そのまま現代にも通用する。同じ路線に通勤していて感じることは、男はみなそうなのではないかと思う。笑ってしまった。「視姦」したことがない男などいるのだろうか。

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2007年4月28日 (土)

月刊『短説』五月号の校正完了

 しばらくブログを更新していませんでした。自分の作品のところでストップしていたのには恐縮です。
 本日、月刊『短説』五月号の校正をしました。この2月・3月・4月でようやく発行ペースが取り戻せました。来月も大丈夫そうです。
 明日は春季大会が二つ。軟式野球の二回戦と、ソフトボールのリーグ戦の最終試合。女房のチームも別の大会があるので、わが家的には大会三つ。朝六時半から子供たちの指導があり、夜は打ち上げ。スポーツ三昧の、濃厚な日曜日になるでしょう。では、おやすみなさい。

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2007年2月28日 (水)

二月の終わりに

 二月は短いのでした。今年もはや六分の一が過ぎた計算に。確定申告の季節ですね。頭が痛い。それは毎年のことなのだが、今年は特別な申告もあり……。

 きのうトヨタが日本株式史上初めて発行済株式の時価総額が30兆円を超えたり、順調に株価が上がっていたが、きょうは一転、世界同時株安で大暴落。中国政府の株式市場への介入(違法行為を取り締まるという名目ではあるが)を嫌気しての大幅急落。
 なんて、僕が株の話などするようになったのだから、世の中変わるわけです。

Shoin_jinjya_ema
 もう何年も前から(思えば今年でちょうど十年になるかもしれない)、僕の机のZライトに吊るしてある「松陰神社の絵馬」です。座右の銘としているのですが、なかなか守れないですね。

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2007年1月31日 (水)

ソフトボールに野球

 早いもので今年も一年の十二分の一が過ぎた。春が待ち遠しいようでもあるが、比較的のんびり過ごせるこの時期は貴重でもある。
 2000年の秋からソフトボールを始め、思えばこれが僕の生活上の一大転機となるわけだが、さらに草野球チームにも入ることになった。四十も半ばに差し掛かって酔狂なことだと思うが、ほかの趣味に較べて健康にはいいことなのでまあいいだろう。
 ソフトボールと野球の違いはあるが、もともと発祥を同じくする地域の兄弟チームである。ともに今年ユニフォームを新調することになった。
Angels33 背番号は、ソフトボール・チームではずっと33をつけていた。これは入部当時一番お尻の番号で、要するに一番の新人を意味していただけで、希望したわけでも特別な番号でもないが、それなりに気に入っていた。しかし、今回チームの改変に伴って、6を背負うことになった。野球部の方は8。そんないい番号でなくてもと思ったのだが、部員が少ないのに大きな番号も変なのでということで、ありがたくもらうことにした。
 野球で6や8といったら大したものということになり、いささか身にそぐわないが、草野球のご愛嬌ということで許してもらおう。背番号6といえば、古くは中西、落合、最近では小久保、8といえば、今回全日本のコーチになった山本浩二、原辰徳、いずれにしろスラッガーのイメージで僕とはかけ離れているが、僕の中では、6は土井(元ジャイアンツの)や篠塚、現役では宮本、8は高田のイメージである。これならしっくりくる。
 ショートだから6ということもあるが、僕が最も得意とするのはレフトなので、レフト高田の8。それでいつも思い出す曲がある。グレープの「朝刊」。「高田の背番号も知らないくせに……」というフレーズ。今じゃ知らなくても不思議はないが、ジャイアンツV9時代の後半はフォークの時代でしたね。
 ※最終調整で、8番はやはり重いので12にしてもらう。あくまでもソフトが主で、野球は従ということもあるし、一応「新人」だし。(2月4日追記)
 
 それにしても頭が痛いのが各種会費や経費である。ソフトに野球、短説の同人費、それからとある実行委員会の供託費。しかもわが家の場合、ソフトと短説は夫婦二人分である。つい先日はクルマを車検に出した。この春は、娘が高校、息子が中学進学で、ただでさえ通年より出費が嵩むのだ。嗚呼!

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2006年12月31日 (日)

平成十八年の大晦日

 クリスマスのままでは恰好悪いので、とりあえず更新しておきます。そう、もう大晦日なんですね。紅白歌合戦も始まりました。今年もあと三時間半ほど。年々そういうことに無頓着になってきました。
 昨日の夜まで三、四日ずっと調子が悪く、なにもやる気が起こりませんでした。仕事納めが早く済んで、年の瀬まで余裕があったので、さて、いろいろ溜まっていることを片付けようと思っていたのですが。まったくやる気なし状態に。たしかに体調も悪く、身体がだるくてだるくてしようがなかったのですが。勿体ない日々を過ごしてしまいました。
 それでも、一つ原稿を書き、月刊「短説」12月号のゲラを校正し、毎年今頃慌てて書いている年賀状もすでに投函しました。いや、そこまでは良かったのだが、そのあと停滞。今日は早起きし、大掃除。身体を動かしているうちに、ようやく普通の調子に。昨日、今日と、息子とキャッチボール。キャッチボール納めというわけですが、やはり運動しないと、調子が出ない身体になってしまったようです。
 短説の会でもいろいろなことがありました。いや、僕にとっては、あったようだ、という方がふさわしい感じなのですが、本部にとっては本当に大変な一年だったようで、とにかく皆様お疲れさまでした。
 全然関係ありませんが、今年最後の写真をアップします。今日写したものではありません。ほのぼの系を二枚。では、どちら様もよいお年を!
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2006年12月24日 (日)

メリークリスマス

 娘(中三)の手作りケーキと、全然関係ないけど、僕の愛用のグラブ。自己流だが結構いい型がついています。しかしこれは外野用。目下、内野のセカンド・ショート用がほしくてほしくて堪らないのだ。それも既製品ではなく、オーダー仕様の。サンタさんオーダーしてくれないかな!
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2006年10月31日 (火)

この一世紀

 今朝、家内の祖母が亡くなった。満百歳である。施設でほとんど寝たきりに近い状態だったとはいえ、昨日も叔母(実の娘)の手を借りながらも、トイレにも行き、食事も普通に摂っていたという。そして朝方、まさに眠るようにというか、眠ったまま亡くなっていたらしい。まさに大往生である。
 明治三十九年、つまり一九〇六年の生まれ。「丙午」である。日露戦争終結の四か月後に生まれ、以来、明治・大正・昭和・平成と……。とんでもない一世紀である。一体、どんな感覚なのか、想像もつかない。
 若い頃は、養女に行った北海道から家出し、大正のモボ・モガ時代の浅草あたりに出没していたらしい。そこで、某私立大学の学生であった祖父と知り合ったらしいのだが、ついにその詳細は聞けなかった。死にそうになったら聞かせてやると家内(孫)に言っていたのだが。もしかしたらカフェの女給などもしていた、とんだ不良少女だったのではないかというのが想像である。
 つい最近までテレビなどもよく見ていた。さすがにパソコンや携帯電話は手にしなかったが、それにしてもこの一世紀の推移。日露戦争は純粋な記憶としてはないにしろ、その余韻は身辺に濃厚にあったろう。それから約一世紀、ニューヨークのツインタワーまで。本当にどういう感覚なのか。

 因みに、同じ年の生まれは、女優の杉村春子、作家や文学者では和田芳恵、吉行エイスケ、山室静、そして坂口安吾。ルキノ・ヴィスコンティ監督に、変わったところでは東洋のマタハリ・川島芳子など。
 ネットのフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、

丙午は干・支ともに火性である。火性が重なることから、この年は火災が多いとか、この年に生まれた女性は気が強いという迷信が生まれた。さらに、「八百屋お七」が丙午の生まれだと言われていた(実際には戊申の生まれ)こともあって、この迷信がさらに広まることとなった。
 とあるが、非常にせっかちで気が強かった。さらにこんなことも。
この年生まれの女性は、気性が激しく、夫を尻に敷き、夫の命を縮める(”ひのえうまの女は、男を食い殺す”)とまで言われる。 特に江戸時代中期に盛んに信じられており、1846年(弘化3年)の丙午には、女の嬰児が間引きされたという話が残っている。1906年(明治39年)の丙午では、この年生まれの女性の多くが、丙午生まれという理由で結婚できなかったと言われている。
 まさにこの年の生まれであり、祖母に関して言えば、満更当たっていなくもない。

 向こうには、あなたの夫も、同世代の僕の両方の祖父母も、そしてあなたの息子と嫁(双方とも会いたくないかもしれないが、まあそう言わずに)、大勢いますので、安心して川を渡って下さい。どの道みんな行きますから。――合掌

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2006年9月20日 (水)

フェンスの上の黒猫

 今日は僕にとってちょっとした記念日なのだが、もはや特別な感慨はない。あれから二十八年。娘が同い年になった。今日と同じような日本晴れの暑い日だった。一時は発奮の基として、創作の原点にしていた日なのだが……。黒猫でごまかしておく。
Ts2a0287 Ts2a0303 Ts2a0304
・わが家を根城にするボス黒一家の出戻り二世。通称「サンゴロウ」。フェンスの上がお気に入り。隣家から「猫がフェンスに引っ掛かって死んでいる」と通報される始末。

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2006年8月31日 (木)

夏の終りに

060831_122001_1 久しぶりに携帯から投稿してみる。いま昼休み。
 今年は梅雨が長く、夏らしい夏が遅く始まった分、残暑が長引くようだ。それでも夜になると秋の虫が鳴き、確実に季節は移り変わっている。
 季節の終わりに、妙に感傷的になるのは、やはり夏をおいてないだろう。「逝く春を惜しむ」という言葉があるが、春の場合は次に来る初夏という一年で最も美しい季節への予兆を孕んでいる。それに較べて夏は……。
  
 全然関係ないが、写真は、神田川に架かる御茶ノ水橋の袂にある御茶ノ水? 少しは涼しくなった?

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2006年8月11日 (金)

小川和佑先生への手紙(ニコライ堂前にて)

 明大文芸科の恩師・小川和佑先生に手紙を書きました。久しぶりに長い手紙を書きました。私信ではありますが、差し支えないと思いますので公開します。実際に今日の昼過ぎ、ニコライ堂の前で書いたのですが、実はペンで便箋にではなく、パソコンのメモ帳にでした。以下はいわば下書きであり、帰宅後先生にはちゃんと便箋に万年筆で書きましたが、ニコライ堂の前で書いたことにしてしまいました。
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 拝啓 長い梅雨が終わったと思ったら、いきなり夏になりました。最近はみなメールになってしまいましたので、たまにはペンをとろうと、お便りします。
Ts2a0281 今、ニコライ堂の前にいます。摩耶の夏休みの宿題に付き合って。水彩画を描くのです。昨年は“ラドリオ”を描きました。これは親父の趣味といったほうがいいのですが、神保町-御茶ノ水シリーズというわけです。葉子と義人は、昨日から甲子園に高校野球を見に行っています。父と娘はおばあちゃん同行で都内でスケッチ。
 ところで、ブログというのをご存じでしょうか。ホームページみたいなものですが、個々の記事に訪問者がコメントを寄せることができます。それで、ぼくは「短説ブログ」というのを制作・公開しているのですが、もう一年半前に、山梨県長坂町にある「四季派書庫(小久保実文庫)」についての記事を書きました。小淵沢に、五十嵐さんとゼミ合宿の下見に行った時の訪問記です。その記事に、つい先日、津村信夫のある詩を探しているという方からコメントが寄せられました。非常に懐かしい気分になり、久しぶりに“文学的夢飛行”をしてしまった次第です。
 その探している詩というのは、「四季創刊号に載っていたと記憶する」ということなので、さっそく探してみました。その経緯もブログに書きましたので省略しますが、該当の詩は「生涯の歌」でした。
Ts2a0171 その方は、のちのやりとりで、どうやらぼくと同じぐらいの年代の人らしいのですが、ぼくが興味をひかれたのは、今時、津村信夫の詩を探している人がいるということもそうですが、それが『四季』(第二次)創刊号に載っていたと“記憶する”という点でした。これは只者ではありませんよね。加えて、小久保実氏のことを「小久保先生」と呼んでいる。先生のゼミではなかったらしいのですが、ぼくの推測通り、帝塚山学院大学の卒業生とのこと。
 そして、「四季創刊号と第二号のコピーで2年間のゼミを行いました。先生が個人的に持っていらしたもののコピーでした。四季は復刻版か現物かは分かりませんが、載っていた広告にあった豪華版の装幀についてもどんな感じか学生に考えさせていました」とのこと。ぼくも近代文学館に行って、実際に現物や復刻版を手に取ってみたりしましたが、小川先生が常日頃おっしゃっていた、詩誌や詩集の研究には原典に当たる必要があるということを、ちょうどぼくらと同じ頃、それを実践している学生(それもお嬢様女子大の)が、関西にもいたのです。当然といえば当然ですが、妙な親近感を覚えました。
Ts2a0286 それで、ぼくも久しぶりに津村信夫の詩を読み返しました。さらに、詩ではなく散文ですが、遅まきながらこの度初めて『戸隠の絵本』を読み、たいへん心惹かれました。
 立原道造の散文もいいのですが、やはり詩人の散文という感じがします。津村のにしても、本人が言うように「抒情日誌」であり、エッセイというよりは詩文集に近いのですが、よほど散文であり、もっと素直ですね。津村も若くして死んでいますが、立原よりは十年長く生きている。実生活では、病気を乗り越え大恋愛をし、それを実らせ結婚もし、子ももうけている。三十半ばまで生きていれば、甘いだけではないそれ相当の成熟というものがある。そのあたりに違いがあるかもと思いました。
 それにしても、やっぱり、『四季』を代表する詩人、そして最も『四季』らしい詩人といったら、この二人に尽きますね。今更ながら改めて思いました。
Ts2a0283 そんなわけで、もう一度『四季』を読んでみたくなりました。先生にとってはもはやこそばゆい感じがあるかもしれませんが、『四季』をテキストにかつてのような合宿ができないものかと考えています。いやもう遠くに行かなくてもいい。泊まらなくてもいい。昭和の詩をもう一度先生と読んでみたい。
 中也でも静雄でも達治でも丸山薫にしても、『四季』とは離れますが伊藤整にしても、どうしてこの時代の詩は、半世紀以上のちの二十一世紀になった今でも心惹かれるのでしょうか。あるいは今だからこそなのか。
 先生が“新しき古典”と名付けた一九七〇年代初頭、それからちょうど三十年たって、また同じような状況になったということでしょうか。抒情詩、甘くて結構と言いたくなります。
 では、暑い盛りとなります。どうぞご自愛のほどを。   敬白

   平成十八年八月十日 ニコライ堂前にて
                        西山正義
小川和佑先生

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2006年8月 4日 (金)

津村信夫の詩を介して

 このブログに嬉しいコメントがありました。ホームページやブログをやっていると、ごくたまにですが、まったく未知の人と愉快な交流ができることがあります。スパムメールや迷惑投稿・トラックバック等、いろいろ不愉快なこともありますが、基本的には「性善説」によって成り立つインターネット。こういうことがあるからやめられないですね。通常の生活圏・交流圏では、とうてい出会えない出会いがあります。
 
 本日未明(というか昨日の深夜)、もう一年半前にアップした、昨年二月六日の記事にコメントがあったのです。その記事は、山梨の小淵沢にある「四季派書庫(小久保実文庫)」について書いたものですが、「津村信夫さんの詩について検索していて、たまたまこちらに辿り着きました」とのこと。“ナナ”さんというハンドルネームとフリーメールのアドレス以外何も知り得ない、まったく未知の方です。
 女性とは限らないかもしれませんが、「小久保先生」と仰っているところからすると、もしかしたら帝塚山学院大学で先生の教えを受けた方でしょうか。
 それはともかく、「最近、四季創刊号に載っていたと記憶する津村信夫さんの朝べりの歌(だったと思いますがうろ覚え)をもう一度読みたく思って検索していました」ということで、僕も気になって探してみたのです。うちにある近代詩の各種アンソロジーでは見つけられませんでした。それで僕もネットで検索。
 そして、たぶんこれではないかと思われる詩を見つけました。“ナナ”さんにはメールしたのですが、その経緯は以下の通りです。
 
 インターネット上には奇特な人がいるもので、『四季』の総目録を掲載しているサイトがあります。「四季・コギト・詩集ホームぺージ
 それで、第二次『四季』昭和9年10月創刊号を見ると、津村信夫が発表している詩は「生涯の歌」一篇です。
 この「四季・コギト・詩集ホームぺージ」は、岐阜女子大学図書館の中嶋康博さんという方が制作しているもので、その筋では有名なのですが、輪をかけて奇特な人がいて、津村信夫(だけでなく何人かの詩人)の主要詩集を丸ごとブログにアップしている方がいました。
あどけない詩~詩と詩人の紹介~」-それによると、「生涯の歌」はこの通りです。
 その冒頭だけを孫引きすると、
「海べりの街の朝まだきを、鴉の群は遠くよびかはしながら通りすぎる。」
 というもの。
“ナナ”さんがお探しの「朝べりの歌」というのは、実はこれではないか。つまり、「朝べり」ではなく、「海べりの街の朝まだき」。
 
 ということをメールしたのですが、何が愉快って、いろいろ調べていて、久しぶりに津村信夫の詩が読めたことです。そういう機会を、このブログのコメントは僕に与えてくれたわけです。
 今日は暑かったです。昨日今日と気をつかう仕事をし、疲れて帰ってきて、夜が更けてもまだ暑い。そんな時に、軽井沢や戸隠のさわやかな風を運んでくれる津村信夫の詩が読めたのです。そういう瞬間こそを、優雅で贅沢な時間というのではないでしょうか。
 
 津村信夫は大恋愛をしていますよね。三十六歳の若さで、アディスン氏病という難病で夭折してしまいますが、身分の違いや病気(本人のではなく相手の)を乗り越えて結婚した、その恋女房に看取られながら星になったのでした。
 因みに、こんなホームページもあります。「大分文学紀行(湯布院)/津村信夫「鄙の歌」-長野・善光寺で撮られた津村信夫・昌子夫妻の有名な写真が転載されていますが、詩人のハートを射止めた(一目惚れだったと言われている)だけあり、美人で清楚そうな奥様であります。

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2006年4月 1日 (土)

仙台へ日帰り

 今日から四月なので正確には月をまたいでいますが、今月二度目の仙台行き。三週間前にもとんぼ返りで行ってきました。前回は、行きは夜行バス、帰りは常磐線を、仙台-いわき-水戸-日暮里とすべて鈍行を乗り継いで、十時間かけて帰ってきました。交通費をけちったわけですが、さすがにしんどかったです。
 今回は時間の余裕がないので新幹線。東京8:08発、MAXやまびこ/つばさ105号。昨夜ネットで指定席を買いました。煙草の吸える一階席。再来週にもまた仙台へ行かなくてなりません。今度は荷物運びがあるのでクルマ。
 早い、もう宇都宮を過ぎました。昨日、宇都宮にお住まいの小川和佑先生にお電話しました。この三週間で、ここ数年来の僕にとっては画期的な生活上の変動がありました。転職というほどではありませんが、一部職場が変わりました。再び週四日は会社勤めに。その職場が先生とも大いに関わるところなので、ご報告。喜んでいただけました。
 だんだん景色が白っぽくなってきました。モバイルからではなかな繋がらないので、いったん携帯に転送し、携帯メールから再度アップ。
 そうこうしているうちに、はや郡山着。東北新幹線より。

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2006年2月 9日 (木)

深大寺動物霊園

“つばさ”ちゃんの葬儀を執り行ってきました。
午後一時、深大寺動物霊園にて火葬(立会い葬)
最後の見送りをし、骨を拾ってきました。
立派に納骨され、再び家に帰ってきたところです。

追悼:娘が小学四年のとき書いた短説「つばさ」

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2006年2月 8日 (水)

わが家の愛猫“つばさ”ちゃんが永眠

 このブログのちょうど百件目の記事に、プライベートなことで恐縮ですが、今朝六時十二分頃、わが家のお姫様・三毛猫の“つばさ”ちゃんが、息を引き取りました。本日はお通夜をします。
 昨夜も、息子と私とで一緒の布団で温め続けましたが、ついに力尽きました。すでに衰弱していたためもありますが、最期は苦しむこともなく静かに眠りに就きました。ほとんど鳴かない猫でしたが、最期の最期にひと声鳴いたようです。
 最近のわが家の合言葉は「生きてる?」でした。朝、最初に起きた妻が、私に抱き抱えられているつばさちゃんの異変に気づきました。もう死んでいるように見えましたが、しばらくさすっていると、口を開けピックと動きました。しかし、それが最期だったようです。
 起き抜けの息子は、動かなくなったつばさちゃんに頬ずりし、「冷たくなっちゃってる」「よく頑張ったね」と大泣き。
 動物好きの子供でも、死体は気味悪がるものです。たとえ自分の家で飼っていた動物でも。しかし、息子はまったく気にならないようです。生まれた時からそばに猫がいて、ハイハイする頃から猫に突進していたものですから。息子が猫の死を看取るのはこれで二度目。前回はもっと小さかったのですが、やはり頬ずりし大泣き。ちょっとびっくりしましたが、小学生ぐらいから身近に生物の死を体験するのはいいことでしょう。「命」とは何かを学ぶことになりますからね。
 娘も同じです。朝早く学校に出て行く娘にはまだ知らせていません。
 猫の難病とされる口内炎の持病がありました。歯を抜く手術もしました。薬も与え続け、それでも不足の時は点滴をしてもらったこともあります。わが家で一番医療費がかかっていました。
 もともとは捨て猫です。野良猫ではありません。明らかに人に飼われていた猫で、うちに来る以前さほど放浪していたような形跡はなく、おそらく、わが家が猫屋敷ということで、うちのそばに捨てられたのでしょう。
 しかし、まんまとわが家に入り込んでからは、五分と庭に出ることもなく、真夏の暑い時を除けば、ほとんど毎日誰かと一緒に寝ていました。何不自由なく過ごせたと思います。看護もできる限りのことはしました。それで良しとしておきましょう。
 つばさちゃん、安らかにお眠りください。  −合掌
 
ホームページ「西向の山」の「猫の部屋」にも生前の姿がアップされています。
下の写真は、昨年のクリスマス。まだ本が読めた(?)頃のつばさちゃん。
辞書を調べていたら、眠くなっちゃいました、の図。
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2006年1月 8日 (日)

短説ブログ二年目へ

 平成十八年が明け、二十一世紀も六年目。正確に言えばまだ松の内ですが、正月気分はきのうあたりで終わりですね。
 昨日は、昭和天皇の武蔵御陵を詣でてきました。私が生まれたのは終戦から十八年目ですが、昭和天皇が崩御されてから、すでにそれと同じ年月が経ってしまいました。
 帰宅後、七草粥をいただきました。せり(芹)、なずな(薺)、ごぎょう(母子草)、はこべら(繁縷)、ほとけのざ(仏の座)、すずな(菘)、すずしろ(清白)。本来はそこいらに生えている草なのですが、生協で取り寄せたりスーパーで買ってくるのでは、何だかなあと思います。
 我が家は東京の郊外といっても現在では都心に近いほうです。が、それでも近所に畠があったりしますので、身近に生えているものもあるでしょう。しかし、見分けられませんね。すぐ裏の畠と地続きの空き地には、大根(すずしろ)なども勝手に生えていたものですが、今は舗装されて駐車場になってしまいました。
 
 さて、この短説ブログも開設して一年。今までに九十一件の記事をアップしていますので、平均すれば四日に一度の頻度ということになりますが、もっと間遠だったような気がします。
 最初のころはともかく、後半は、同人・会員の作品アップに終始。もちろんそれが目的なのですが、すでに公式サイトに掲載されている作品です。個人的な「編集長のつぶやき」といったものでもいいのですが、もう少し短説や文学全般に関する話題を提供していきたいと思っています。
 携帯電話もカメラ付きに替えました。さらに昨年末、娘のクリスマスプレゼントにデジカメを買いました。(あくまでもサンタさんからの贈り物のつもりなのですが、もう中学二年の娘には通用しませんね。因みに、小学五年の息子のリクエストは、ドリフターズの「8時だヨ!全員集合」のDVDでした)
 ウェブにアップするなら携帯カメラの画像でも十分なのですが、せっかく600万画素のデジカメも手に入れましたので、折々の画像も取り入れたいと思っています。お楽しみに。
 
昭和天皇武蔵御陵(下手から)
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昭和天皇武蔵御陵(上手から)

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2005年5月 6日 (金)

銭湯の菖蒲湯

 ゴールデンウイーク後半の中日。東京は午後から雨になってしまいました。今年のゴールデンウイークはどこへも出かけず、ひたすら引越し作業。
 我が家は築三十八年のぼろ家で、ようやくリフォームに着手する運びに。むかし二階を貸していてアパートのような構造になっているので、住居は二階に移るだけなのですが、一階をすべて空けるため、日用品以外の荷物を倉庫に一時保管。三世帯、家族七人分の荷物。三十八年間一度も引越しをしたことがないので、異様なほどの量だ。倉庫は知り合いからビルの機械室を借りたのだが、中身だけで凄い山に。半分は本。よくこんなに収納されていたものだと思います。まだ家具の搬出が残っています。
 
 昨日は端午の節句。伝統的な年中行事は次代に繋ぐためにも大事にしたいと思っていながら、今年は鯉のぼりをあげ損なってしまいました。連日の引越し作業に疲れ、夜は外食に。連休中日帰り温泉ぐらいは行きたいと思っていたのですが、混んでるだろうからと断念。ふと思いつき、風呂道具持参で、市内のちょっと離れたファミリーレストランへ出かけました。
 食事後、一軒ビルを挟んだ隣の銭湯へ。その銭湯は、道路拡張でセットバックしたのを機に改装され、大型のスーパー銭湯とまではいかないまでも、露天風呂もあり、ちょっとしたスーパー銭湯風になっていました。以前からそうだったかどうか忘れましたが、何よりの特徴は、軟水を使っている点。もちろん温泉ではないのですが、温泉並みのつるつる感があり、思わぬいいところを発見してしまいました。
 端午の節句ということで、薬草の湯は菖蒲湯。引越し騒ぎで菖蒲を買い忘れていましたので、目論見通りちょうど良かったです。我が家ではよく日帰り温泉や銭湯に行きます。家庭風呂もそれはそれでいいのですが、やはり温泉や銭湯は気持ちいいですね。
 
 そんな風に僕が出かけている間に、短説のブログがまた一つ生まれていました。それについては項を改めて。

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2005年1月14日 (金)

二十一世紀も五年目

 今日は三島由紀夫の誕生日。生誕八十年。つまり、存命なら満八十歳。生きていても不思議ではありません。あれから三十五年。日本はどうなったでしょう。
 遥か遠い未来のことだと思われていた二十一世紀も、すでに五年目。私なんかが小学生の頃思い描いていた二十一世紀。結構とんでもない想像をしていたわけですが、さすがにそこまでは進歩(?)せずに、実現されなかったこともあるが、反面、当時はあまり想像していなかったようなことが実現されている。人間の想像力も、やはりその時代に影響されていて、限界があるということか。しかし同時代人として、時と一緒に歩んできた者には、さしたる驚きはない。一足飛びに飛び越してきたら驚くでしょうが。
 今日電車の中で見た親子。三歳ぐらいの娘が母親の携帯電話をいじり、「もしもし」などとやっている。この子は生まれた時からすでに携帯電話があるのだ。平成生まれのうちの娘だって、生まれた頃にはなかった。ただ音が鳴るだけのポケベル。重役クラスがようやく自動車電話。インターネットはすでに開発されていたのかもしれませんが、一般に普及するのはずっとあと。
 昨年末再放送され、相変わらずの高視聴率を挙げた「踊る大捜査線」などは、つい最近のドラマだと思っていたのに、その初回の放送時に流れていたCMは、なんと「最新式」のポケベル。まだ携帯電話の時代ではありませんでした!
 IT革命といいませが、インターネットと、特に携帯電話の普及が、私たちの生活を大きく変えた、というのは誰も異存はないでしょう。しかし、人間精神の根本は相変わらずで、日本は、世界は、ますます迷走するのみ。……

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