日記・コラム・つぶやき

2023年1月26日 (木)

やっぱり猫はネズミがお好き

 先日、わが家の猫がネズミを捕ってきた。家にいたのではない(たぶん)。外から咥えてきたのである。生きたまま。鋭い牙で咥えても、器用に殺さずに。家に入ってきて、低姿勢で低く唸っているので、どうしたと覗き込んだらネズミを咥えていたのである。こんな冬に。
 夏には、セミはもちろんトノサマバッタやカマキリを捕まえてきては、食べるわけではなく、なぶりものにしていた。揚羽蝶の幼虫(あの大きな青いイモムシ)もよく捕ってきたが、一度ぺろりと食べてしまい、そのあとおなかを壊したことがあった。
 わが家に現在いる猫は、元は捨て猫で、ある伝手を経て保護したのだが、どうもノルウェージャンフォレストキャットの血が流れているようだ。一歳半ほどになるオス猫である。
 捕ってきたネズミは、家の中で逃げ、本棚の本と棚の隙間に逃げ込んだ。その後格闘がはじまり、まるでトムとジェリーのような展開になった。ネズミのキーキーという鳴き声を久しぶりに聞いた。いや、あんな間近でネズミの鳴き声を聞いたのは初めてかもしれない。本当に「キーキー(チューチュー)」と鳴くんだなあと妙な感心をした。

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2023年1月19日 (木)

15年目の車検

 2019年1月末(は平成31年)に、11年落ちで本体34万円で買った中古車を、初登録から15年の車検に出した。タイヤの側面に罅割れができていて、まだスリップサインは出ていないのだが、高速でバーストの危険があるため、やむなく交換することにした。四本まとめて。予定外の出費である。しかし、タイヤがなければ車は走れない。二年前にも換え時と言われていて、だましだましきたので仕方ない。
 走行距離は出ていない。11年落ちで、28,400kmしか走っていなかった。15年で50,900km。うちで乗り始めて4年で22,500km。息子が仕事で使っていた時はかなり走っていたが、その後はたいして走っていない。維持費がばかにならない。しかし、高齢の母を抱えているし、ソフトボールの道具運びもあるし、やはり自家用車は手放せない。
 車種はと言えば、むかしは自家用車と言えばこれだった、5ナンバーの4ドアセダンである。日産車なのだが、その後継車種はなくなり、トヨタのカローラも5ナンバーの旧モデルが併売されてはいるが主力車種は3ナンバーになったので、今や絶滅したカテゴリーの車である。新しい車など買えないというのが一番の理由だが、だから大事に乗ろうと思う。

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2023年1月12日 (木)

靖國神社と浅草寺へ

 元日と二日に、目の前まで行って参拝をあきらめた靖國神社にようやく詣でることができました。ちょうど正午に着いたのですが、外苑参拝者駐車場にもすんなり入れました。まずは拝殿にお参りし、国の安からんことをお祈り。

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 そして遊就館へ。「令和5年 奉納新春刀剣展」を鑑賞してきました。

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 お昼は、遊就館の茶寮「結」の海軍カレーにするか迷いましたが、外苑休憩所の「靖國八千代食堂」で海老かき揚げそば(女房は同うどん)をいただきました。
 そして、浅草へ。女房が新春浅草歌舞伎を観劇するため、浅草公会堂まで車で送りました。

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 時間があったので、浅草寺に参拝し、仲見世通りや浅草公会堂のあるオレンジ通りを散策しました。浅草一の目抜き通りである雷門通りのパーキングエリアに待つことなく駐車できたのはラッキーでした。浅草はさすがに賑わいを取り戻していました。

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2023年1月10日 (火)

息子のお嫁さんからの気遣い

 一月三日の記事(短説)に書いた息子の伴侶、すなわち私たち夫婦のお気に入りのお嫁さんから、またまた素晴らしいものが届いた。元日、うちの車を借りた際、私のETCカードで支払った高速代を清算せずに京都に帰ってしまったと、京都のお土産を送ってきてくれたのだ。

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 そんなのはいいのに。もともと息子夫婦に使わせるために、年末に洗車しガソリンを満タンにし、ETCカードも刺しっ放しにしておいたのだから。でもその気遣いが嬉しいじゃないの。おそらくお嫁さんからしたら、わが家と横浜の往復はいいとしても、高速を使ってお嫁さん側の親戚にも年始に行ったからというのが理由だと思われるが。

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 長岡京小倉山荘のおかきの詰め合わせとあられ&ショコラのセット。正月にも、「あられ十菓撰 カルタ百人一首」を手土産に持ってきてくれたのだが、小倉山荘といえばもちろん藤原定家が、京都嵯峨野に宇都宮蓮生が新しく建築した別荘の襖に、百人の歌人から一首を選んで色紙に揮毫して飾ったのが起こりとされる(諸説あり)あの「小倉百人一首」の小倉山荘である。
 平安文学を専攻するお嫁さんならではのチョイスであるが、私たち夫婦が文学を愛好するというのを知ってのことである。還暦に入る今年の正月、年の始めから雅やかに美味に過ごせています。

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2023年1月 5日 (木)

令和五年の三が日

 令和五年の元日は、ちょうど一年前に結婚した息子夫婦が京都から年始に来て、合わせて娘も呼び、五人でお雑煮とお節を囲んだ。最後には別棟に同居している私の母と妹も呼んで、コロナゆえ短時間であるが歓談した。
 五時には家を出、京都に帰る息子夫婦を車で東京駅へ送った。新幹線乗り場まで見送ったのは六時をまわっていた。八重洲の地下に駐車するのは初めてであった。駅はにぎわっていたが、店はほとんどやっていない。残った妻と私は、めったに来ない所なので少し見物しようかと思ったが、やはり人混みは避けたかったのですぐに駐車場を出た。
 東京駅から多摩地区の自宅へ向かって皇居の北から西側で初詣となれば、一番の候補は靖国神社である。大鳥居から参道には入れるようであったが、拝殿への門はすでに閉じられていた。それで、私の生まれ故郷である早稲田は牛込高田町鎮座の穴八幡宮に参詣した。結局よく知った道の方へ向かってしまうのだ。こちらも拝殿前の門は閉まっていた。それでもちらほら参拝客がやって来ていた。以前は元日くらいは終夜開いていたような気がするのだが、記憶違いだろうか。

 二日は朝からやはり箱根駅伝の中継を見てしまう。往路最終の五区に入った頃に妻と車で出かけた。目的も定めず、とりあえず都内へ向かった。意外に混んでいた。やはりコロナで東京に残っている人が多いのだろう。
 甲州街道を皇居に向かえば、また靖国神社である。車はとても停められないだろう。新宿御苑のトンネルを抜けようとしていたところで妻の一言があり、急遽外苑西通りを右折した。もちろん向かったのは明治神宮ではない。千駄ヶ谷の鳩森八幡神社である。
 この辺りはむかしから仕事でもしょっちゅう通っていて、境内に入ったこともあるが、よくよく参拝したことはなかった。問題は駐車場だが、最寄りの有料パーキングが空いていた。場所柄高いだろうが仕方ない。
 境内に入ればまず目に付くのだが、そうだった、富士塚で有名なのを思い出した。寛政元年(一七八九)の築造といわれ、都内に現存するものでは最も古く、都指定の有形民俗文化財になっているとのこと。まずは本殿に参拝し、富士塚を登頂する。

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鳩森八幡神社(拝殿に向かって)

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富士塚(登山口から)

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富士塚山頂(奥宮)

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富士塚山頂から本殿の眺め

 将棋堂というのがあるが、なぜと思ったら、日本将棋連盟の本部がすぐ近くにあるのだった。夏は紫陽花がよいらしい。

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 二時半をすぎた。近くの国立競技場前にあるホープ軒が正月もやっているようだ。雑煮やお節もいいけれど、やはり飽きるもので、無性にラーメンが食べたくなった。しかし考えることはみな同じで、長蛇の列であった。あきらめてまた車を走らせた。
 靖国神社は当然のことながら駐車場に入ろうとする車が長い列を作っていた。神楽坂は車輌進入禁止になっていた。それはそうだろう。そうやって走っていると、また早稲田方面に来てしまったが、高田馬場なら車が停められて食事できるところがあるだろうと目星を付けていた。高田馬場は、私たち夫婦にとって「青春」の場所なのであった。二人とも早稲田の学生ではないのだが……。
 正月の雰囲気とはまったく関係ないが、韓国料理のスンドゥブ(純豆腐)の店に入った。さすがは学生街で、ボリュームに比してリーズナブルな値段であった。スンドゥブのチゲ(鍋)は体がたいへん温まった。

 そして三日。妻は午後から歌舞伎の観劇はじめに銀座へ。私はソフトボールの投球はじめに、ウォーキングを兼ねて少し離れた団地の公園へ。

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 今年の三が日を「短説」にするつもりが倍の長さになった。あえて短説にするまでもないのだが、どうしようか。

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2022年12月24日 (土)

短説「令和四年、あるいはシニア」(草稿つづき)

 ――そして、上皇陛下八十九歳のお誕生日を経て、土曜日のクリスマスイブである。氏神様に行ってきた。樹齢四百年を超えているという御神木の藤が有名な神社なのだが、境内の片隅に柚子の木があり、やはり実がいっぱい落ちていた。六つほど分けてもらった。この柚子を風呂に入れるべきであった。
 新型コロナウイルスの感染拡大も三年目に入った西暦二〇二二年は、世界的に見れば、ロシアによるウクライナへの軍事侵略の一年だった。今年の漢字には「戦」が選ばれた。つい最近ではサッカーのワールドカップでの日本代表チームの活躍で盛り上がった。
 僕にとっては、今年は「シニア」がキーワードであった。ソフトボールを始めてもう二十二年になるが、満五十九歳になり、シニア大会に出場できるようになったのだ。この年齢で「最年少」とは恐れ入ったカテゴリーだが、そのタイミングでチームも移籍し、心機一転、新たな展開を見せ始めた。そして来年から、本格的に六十代に突入するのだ。

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2022年12月22日 (木)

短説「令和四年の冬至」(未完草稿)

 令和四年の冬至である。今年は二十二日木曜日。夜八時になって、あわてて柚子を買いに行った。今、風呂の湯を落している。そのあいだにこれを書いている。浴槽を洗ってきた。新しい湯を沸かしている。
 女房殿は銀座に歌舞伎を観に行っている。市川海老蔵改め十三代目市川團十郎白猿襲名披露公演である。
 キーボードの横で柚子が香っている。高知県産の食用で、一玉税抜き一五八円也。風呂に入れるには勿体ない。氏神様の神社に行けば、ごろごろ転がっているのを思い出した。新年の神札一式を授かりに行かなければならないのだった。
 風呂が沸いたようだ。女房も帰ってきた。

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2022年6月13日 (月)

久しぶりにホームページを更新

 久しぶりに更新します。七か月ぶりです。
 きのう、ソフトボールの夏季大会、今年チームを移籍して初参戦の某市三部で、春はチーム事情で優勝は目指しませんでしたが、夏は優勝を目指しました。しかし2回戦で敗退。1回戦はサヨナラ勝ち、2回戦はサヨナラ負けになりました。
 きょうは日月連休で、これまた久しぶりにホームページを更新しました。平成30年の信州紀行の軽井沢・信濃追分から先の報告。第二弾まで制作して、一年近く放置。旅してから四年二か月、
やっと第三弾「信州上田・別所温泉の文学碑〔3〕-八角三重塔の空穂、赤彦歌碑と石造多宝塔ほか」を作成しました。これで別所温泉編は完結です。

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2021年11月12日 (金)

娘が三十に

(「短説」のための草稿)
 きょうは令和三年十一月十二日、娘の誕生日。三十歳になった。自分の子供が三十になるなんて、かつて想像できたであろうか。
 平日の金曜日であるが、明け番なので十時半に起き、娘の郵便貯金口座に祝い金を預け入れるため出かけた。たまたま母も出てきたので、母を少し長めの散歩に連れ出すために、銀行と郵便局に寄ってから、駅前のファミリーレストランでランチをした。母からすれば、息子が五十八になるなんて信じられないだろう。ここ一、二年で、急激に老いた。眼を覆いたくなるほどだ。孫が三十になるのだから、それはそうだろうが……。
(以下――未完)

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2021年9月20日 (月)

小川和佑先生八回忌のご命日

本日はわれらが恩師小川和佑先生のご命日です。
あれから満七年。はや八回忌になります。
あの日一緒にお見舞いに行った娘も今度の誕生日で三十歳になります。
生後十ヶ月で連れて行った山中湖でのゼミ合宿は1992年の今頃でした。
著著目録の編集が滞っています。早急に再開させます。
先生、ゼミのみんなを見守りください。
(仕事中の車中より)

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