日記・コラム・つぶやき

2020年4月 5日 (日)

こんな時こそ家に閉じ籠ってホームページ作り

 新型コロナで週末の「不要不急の外出自粛」が要請された。それが二週連続になり、明日からは平日も基本的には「不要不急の外出自粛」ということである。先週はまだそれほどでもなかったが、今週はさずがに深刻さが増した。やはり、3月30日に報道されたあの志村けんさんがコロナ肺炎で急死したニュースの衝撃度の深さではないだろうか。
 本当なら、きょうはソフトボールの春季大会第1戦、第2戦がダブルヘッダーであるところが、3/29~4/12まで中止になった。それで、日程を変えて延期されるはずなのだが、どうやら、おそらく延期はなくこのまま大会すべて中止になりそうな気配だ。

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 これは金曜日に調布飛行場前の通りで撮った写真だが、先週とは異なり、今週はもう金曜日から人出がなかった。
 そんなわけで、週末まったく暇になったので、家から文字通り一歩も出ずに、ホームページ作りにいそしんだ。僕のホームページは、一番の目的は「短説」を紹介し、僕ら夫婦の自作を公開することと、明大文学部の恩師で文芸評論家の小川和佑先生のゼミのページを作ることにあるが、夫婦の別荘として文学とは関係のない個人的な記録のようなページも作っている。
 その最たるものが、「子供部屋」と「猫の部屋」で、どちらも2006年2月には更新を取りやめ、もはや増補するつもりはなかったのだが、突然思い立って、3月8日から14年ぶりに新規のページ作りを再開したのだった。
 3月8日の日曜は、本来なら僕が監督を務めている小学生のソフトボール大会がある日だったのだが、その前週から新型コロナで学校が「臨時休校」になり、もちろん大会は中止。試合も練習もできなくなったばかりでなく、「六年生を送る会」も中止。
それで、家に閉じこもり、ホームページつくりに没頭したのだった。
 そしてきょうも。約一ヶ月の間に7ページ作った。何十時間もかけて。誰も見ないようなページなのに……。

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2020年3月29日 (日)

外出自粛の週末に桜満開のうえ積雪!

 きのうは東京で最高気温24.9℃。おとといの金曜日も暖かく、このように桜満開。(地元の“アビー・ロード”? だいぶ白線が剥げてきました)

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 そしてきょう、新型コロナ・ウイルス感染症の予防対策で、東京に週末「不要不急の外出自粛」要請が出た、その二日目の日曜日、何もかも中止になった静かな一日に、時ならぬ大雪!
 三月下旬としては32年ぶりの積雪。気温も一月下旬並みの0.7℃まで下がっりました。前日との差は実に24℃。
 32年ぶりということは、僕が結婚した(婚姻届を出しに行った)日以来ということですな。

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2020年3月14日 (土)

開花宣言の日に雪!

 本日午後、東京の桜(ソメイヨシノ)が開花したと発表され、これは観測史上最も早い開花らしいのだが、その同じ日の今(夕方)、なぜ雪! 最初はみぞれだったのが、今は本格的な雪!である。きのう20℃近くまで上がって、今日この天候。新型コロナといい、なんじゃこれ。

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2020年1月 5日 (日)

年賀状

 やっと年賀状を書きました。
 今年はもうデザインは既成のものを利用しました。が、一人一人(一枚一枚)コメントは手書きしました。宛名も久しぶりに手書き。水に強いインクを手に入れたので、ボールペンやサインペンなどではなく万年筆で書きました。
 宛名はセーラー万年筆の顔料インク「極黒」、コメントはプラチナ万年筆の「クラシックインク」のフォレスト・ブラックを使用。後者は年月とともに色が変わっていく(酸化して黒ずんでいく)そうです。

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2020年1月 2日 (木)

あけましておめでとうございます

 まだ年賀状を作成していません。昨日は元旦から仕事で、今日は朝から箱根駅伝と大学ラグビー2試合を見ながら、だらだら過ごしてしまいました。


 いいニュースを一つ。
 すだとしおさんからの年賀状に、
  なんとか東京座会
  続けています。
 とありました。


 読んでくれている人がいるとすれば、こんなつたないブログですが、本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。今年は少しでも更新頻度を高めたいと思います。

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2019年12月29日 (日)

原稿用紙で手紙を

 久しぶりに原稿用紙に万年筆で文字を書いた。10行ほどで手が痛くなった。親指がつりそうになった。情けない。
 原稿を書いたのではない。手紙である。論文を送ってくれたことへの返礼である。フリーハンドで書いたのではない。パソコンのワープロ・ソフトで下書きし、それを清書したのである。ある意味ナンセンスな行為であるが、やはり手書きで書くべきだと思ったのである。
 その原稿用紙はただの原稿用紙ではない。大学は異なるが文学部の後輩のその論文にも関わる、共通の恩師の名入り原稿用紙である。インクはセーラー万年筆の顔料インク「極黒」を使った。
 体裁は20字×20行の標準的な四百字詰めで、ぴったり二枚。日付や名前を除けば「短説」と同じスタイルである。もちろん短説として書いたのではないが、手紙にちょうど合う分量である。

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2019年9月 7日 (土)

義父の命日にスマホデビュー

 きのう9月6日は義理の父の命日でした。亡くなったのは、義父から見れば初孫にあたる娘が生まれる直前でした。その知らせを私は盛岡駅の構内で聞いたのでした。小川和佑先生のゼミ合宿の帰り、現役の連中と打ち上げをするので遅くなると、滅多にしない連絡をしたのでした。当時は携帯電話などありません。

 その娘がまもなく28歳になります。そして、そろそろ彼氏を紹介したいと言ってきました。女房が結婚したのは28歳になる一ト月半ほど前。そういう齢になったわけです。

 そんなきのう、11時からお昼過ぎまで、女子チームのソフトボールの練習に参加してきました。久しぶりの猛暑でした。日陰のない河川敷は特に暑かったです。

 それで午後、近くのauショップに行ってきました。やっと(というか、ついにというか、遅すぎるだろうという感じですが)、折り畳み式のガラケー(3Gケータイ)から4G LTEのスマートフォンに機種変更しました。
 ほとんどLINEをやるためにスマホにしたようなものなのですが、その肝心のLINEが、すでにやっているパソコン版のアカウントがうまく引き継げずに、四苦八苦してしまいました。すったもんだの末、なんとかパソコン版と同期でき、胸をなでおろした次第です。

 そしてきょうは、そのスマホのケースやソフトボール用のストッキングを町まで買いに行きました。町まで買いに行ったというと田舎に住んでいるようですが、きょうは地元の花火大会があり、町がごった返していました。
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 遠くからですが、その新しく買ったスマホで取った花火の写真。

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 そしてあしたの日曜は、ソフトボールの秋の大会一回戦。無理くり仕事を休んだので、なんとか天気がもってくれるのを祈ります。

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2019年2月 9日 (土)

寒い土曜日の午後に詩を

 土曜日の午後、東京も大雪になるかもという予報でしたが、今のところなんとか雪にも雨にもならず持ちこたえているという空模様、一言、ただただ寒い。凍てつく寒さですな。家の掃除とか、書類整理とか、何もする気になりません。空は明るいので、今のうちに外で体操し、ウォーキングでもすればいいのでしょうが……。妻は、所属する朗読の会の先生が司会をするというある講演会に出かけていきました。
 そんなわけで、ストーブの前で猫と一緒に横になりながら、つれづれに開いた本が『日本の詩歌24』(昭和51年3月・中公文庫)でした。(BGMはビートルズに変更)
 この巻には、丸山薫・田中冬二・立原道造・田中克己・蔵原伸二郎が収録されています。私にとっては黄金の巻ですね。詩のアンソロジーはそれこそ枚挙に暇がないほどたくさんありますが、中央公論社の元は『日本の歴史』や『世界の歴史』などと同じ造本の箱入りの単行本で出たこのシリーズは、平成が終わろうとしている現在でも質・量ともに最良のアンソロジーといえますね。
 ついでに書き添えておくと、編集委員は伊藤信吉・伊藤整・井上靖・山本健吉。この巻の「詩人の肖像」は大岡信。「鑑賞」は坂本越郎。年譜付。立原道造と棟方志功のカットが入ります。
 その104頁に栞が挟んであって、それは単に以前の読み挿しを意味してあったのですが、そこに掲載されていた詩をあらためて読んで、心が打ち震えました。

    くずの花     田中冬二

  ぢぢいと ばばあが
  だまつて 湯にはひつてゐる
  山の湯のくずの花
  山の湯のくずの花

                    黒薙温泉

  何という詩情であろう。ただこれだけの言葉なのに。言ってみれば、ある情景をそのまま叙述しただけのようにもみえるが、なんと深い人生がそこにあることか。
「この無念無想の静寂境をとらえるため、省略を重ねて、この形にするまでには、作者は苦吟数年を要したという。けだし作者にとって会心の作」とは坂本越郎氏の鑑賞。
 初出は、昭和3年『パンテオン』第四号で、田中冬二の第一詩集『青い夜道』(昭和4年12月・第一書房)に初収録されました。
 はじめて読んだ二十歳そこそこのころは、その良さがたとえ分かったとしても頭で理性的にしか理解していなかったでしょうね。自分自身がまさにこの「ぢぢいと ばばあ」になって、しみじみと心に沁み込んできたというわけです。
 そんなことを書いているうちに、やはり雪が降ってきました。降り続けば積もりそうな気配の雪です。明日ソフトボールの練習があるのですが……。

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2019年1月30日 (水)

平成最後の年の最初の投稿

 このところ、何かにつけて「平成最後の」というフレーズが言われている。その平成最後の四か月のうち、もう一ト月が早くも終わろうとしている。月末になって、平成最後の年の最初の投稿をする。

 27日の日曜日、所属するソフトボール・チームの定期総会があった。メンバーの変動などにより、4~5年周期でチーム体制の変革を強いられるのだが、今年はその年に当たる。新しい体制について話し合って帰ってきたら、大学は異なるのだがともに小川和佑先生のゼミナールで学んだ後輩のM君からメールが入っていた。
 M君は国語の教師で、国語教育の実践を論文にまとめていて、今回は詩の創作指導をソネットで行い、そのモデルとして立原道造の「はじめてのものに」を使うそうなのだが、それで、〈注〉や〈参考文献〉の取り扱いで、今では入手困難な初出の表記の確認はどうすればいいのかということと、〈底本〉には何を使ったらいいのかという質問だった。
 彼は大学での専攻は近世だったので、近代文学の研究について教えてくださいということだった。昼間はソフトボールの練習で、久しぶりに若い人たち(それもまだ大学を卒業したばかりやまだ一年生の子もいて)が多く参加したこともあり、当初予定より時間も延長し、五十の人間には結構ハードな練習をし、そのまま市民センターの会議室で総会をたっぷり2時間かけて行い、その後居酒屋に飲みに行った。そして帰ってきて、そのメールを読み、野球の練習着のまま着替えもせず、風呂にも入らずに、長い返信を書いた。
 スポーツの世界からいきなり文学の世界へ。やっぱり文学に飢えているのか。僕だって本当の専門家ではないので、改めて調べながら、一所懸命返信を書いた。結局、返信のメールを送信したのは日付を跨いでいた。
 しかし、近代文学の研究方法のこと、立原道造のこと、改めて僕自身にとっても勉強になった。それで、ずっと気にかかっている懸案がまた浮上したわけだ。

 それは、ホームページ「西向の山」にアップしている「軽井沢文学散歩」の「信濃追分編」の続きである。昨年8月10日に堀辰雄文学記念館のところまで制作したのだが、その後、信濃追分の一番のメインである旧脇本陣の油屋旅館と分去れの常夜燈や石碑群がまだ未完成なのだ。未完成というより、まだ手が付けられていないのだ。
 M君から立原道造のこと、小川和佑先生のこと、いろいろ思い出させてくれたので、夏から止まっている作業を再開しようと思う。いきなりホームページに完成版をアップしようとすると、なかなか手が付けられないので、次回からこのブログにその素材となる写真や文章をまずはメモのような形でアップしようと思う。平成最後の「仕事」として、信濃追分文学散歩は完成させておきたいので。

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2018年12月 4日 (火)

12月の暖かい夜

風呂上がりに
夜の庭
出てみたら
夏の終わりの匂いがする
もう師走だというのに

(全国366地点で12月の最高気温を観測
一部では史上初の師走の夏日を記録)

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