文化・芸術

2013年11月29日 (金)

辻井喬氏が死去

 辻井喬氏が亡くなった。世間的には、堤清二氏が、と言った方がいいかもしれない。またひとつ「昭和」が消えたような感じだ。
 訃報が流れたのは昨日(11月28日)だが、実際に亡くなられたのは11月25日だという。僕は、反射的に小川和佑先生を思ってしまった。
 小川和佑先生より三つ年上の昭和2年生まれ。行年86歳。同世代であり、学生時代に多少接点がある。詩人としての出発もほぼ同じころで、一般には狭義の「戦後派」に属しているとは言われないが、その最も若い世代であり、系譜的には「戦後派」を引き継いでいる。
 しかし、あれだけの詩人・作家にもかかわらず、その作家論として一冊にまとまったものは、現在までに小川和佑先生の『辻井喬―創造と純化―』(2008年12月、アーツアンドクラフツ刊)ただ一冊しかない。
 同年生まれに吉村昭がいる。文学的位相では似通ったところがある。二つ上の三島由紀夫とは、思想的には相反するはずであるが、相互にシンパシーを抱いていた節がある。いやそれだけでなく、三島由紀夫の世間的には悪評に曝されていた「楯の会」の、その悪名高い制服を制作するにあたっては相当の便宜をはかったことは有名な話である。奇しくも命日が同じになった。
 1980年代に青春を送った者としては、なんといっても、パルコの戦略は鮮烈だった。詩人・小説家としてはもちろん、実業家としても、いま(まさに今この現在に)再び検証されるべき人物であろう。
 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。――合掌

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2011年9月 7日 (水)

草原の輝き……

 もう二ヶ月以上前の六月下旬のことだが、BSでサスペンス・ドラマの再放送を観た。西村京太郎の十津川警部シリーズだ。タイトルは忘れてしまった。
 テレビの十津川警部は、初代の三橋達也を皮切りに、単発物も含めると実に十六人の俳優が演じている(というのは今調べて知った)のだが、それは、私が一番馴染みのあるTBS系の十津川警部=渡瀬恒彦、亀さん=伊東四朗ではなく、テレビ朝日系の十津川=高橋英樹、亀さん=愛川欽也の方だ。
 もちろんトラベル物なのだが、どこが舞台だったかも忘れてしまった。ともかく、犯人は十津川警部の大学ボート部の友人なのだが、その友人が愛唱していたワーズワースの詩句が最後に効果的に使われている。
 ぶっちゃけ、それに泣けてしまった。ドラマ自体は、しごく常套的なサスペンスで、二時間枠のお決まりの作りなのだが、十津川が最後に犯人の友人に向かって言うその詩句にぐっときてしまったのだ。

草の輝くとき 花美しく咲くとき たとえそれが還らずとも 嘆くなかれ

 これは、イギリスの湖水地方をこよなく愛したロマン派の詩人、William Wordsworth (1770-1850)の有名な詩の一節だが、十津川警部とその大学時代の友人がこの詩を愛唱していたというのは、むしろ60年代初頭アメリカの青春映画の秀作『草原の輝き』の影響ではないだろうか。
 原題「Splendor in the Grass」は、そもそもワーズワーズのこの詩をモチーフにしたウィリアム・インジの原作をエリア・カザンが映画化したものである。主演はナタリー・ウッドとウォーレン・ビーティ。1961年11月封切り。
草原の輝き 花の栄光 ふたたび それは還らずとも 嘆くことなかれ
その奥に秘められし 力を見出すべし

Though nothing can bring back the hour of splendor in the grass, of glory in the flower, we will grieve not.
Rather find strength in what remains behind.


 この映画は、日本でも村上春樹をはじめある世代の人には相当な影響を与えたようである。またアメリカ人もこのイギリスの詩が好きなようで、ロバート・レッドフォード監督の「A river runs through it」(1992)でも、父と子がこの詩を交互に朗読する。
 この十津川警部ドラマでは、「その奥に秘められし 力を見出すべし」の部分は語られないのだが、私には十分だった。
「嘆くなかれ」と敢えて言っているのだがら、やはり嘆かずにはいられないということだ。「草の輝くとき、花美しく咲くとき」、嗚呼、それはやはり二度と還らないことなのだ。

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2008年1月14日 (月)

北斎を観に行く

Pa0_0003 今日は三島由紀夫の誕生日である。生誕八十三年。それとは関係ないのだが、江戸東京博物館に北斎展を観に行った。江戸博には、昨年の二月にも短説東京座会の探題会で来ている。その時は江戸城展。
 北斎の多彩な仕事ぶりをほぼ網羅した特別展のほかに、常設展でも「北斎漫画展」が開催されている。葛飾北斎といえば冨嶽三十六景などその作品を見たことがないという人はいないだろうが、今回、版画の制作過程なども窺い知ることができ興味深かった。
 絵師、彫師、刷り師の共同作業で作り上げていく版画。「チーム北斎」は今ならさしずめスタジオ・ジブリみたいなものであろう。しかしその作業はすべて手仕事。よくもまあ彫れると思う。浮世絵に限らず、常設展に江戸時代の木版本の制作過程が展示されているのだが、すごい技術である。今なら何でもコンピュータ。いにしえの日本人の細かい技術は、今でもそれなりに受け継がれているといえなくもない部分もあるが、生身の手を使った技術力という点では、やはり考え直さなければいけないものがあるだろう。

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2007年6月13日 (水)

三康図書館

こんな図書館があったのを今まで知らないでいました。
財団法人で運営されている、珍しい私立の図書館です。
場所は、芝・増上寺の真裏で、東京タワーの手前というか真下。
先日増上寺に行ったのですが、その時は知りませんでした。
今もネットの検索に引っかかってきたのでその存在を知ったので、
実際にはまだ行ったことはありません。

なにが驚いたかというと、同人雑誌が多数収蔵されているようなのです。
それも近代文学館にあるような、文学史上有名なものではなく、
現在発行中の、要するに僕らが出しているようなものを多く。
『短説』はもちろん、『日&月』や水南森さんの『夜の博物館』までありましたが、
抜けている巻もあり、僕はここには寄贈した覚えがないので、
一体誰がどこからどうやって集めたんだろうか。

蔵書を検索してみると

短説 短説の会 我孫子 短説の会
69号(H3(1991)-71号,73号,75号,81号-83号,85号-86号,88号-89号
93号(H5(1993)-99号,101号,106号-107号,115号-116号,118号-120号,122号,
124号(H7(1995).11)-125号,128号,130号,133号(H8(1996).8)-136号,
140号(H9(1997).3)-142号,146号-149号,151号-157号,160号,162号,164号-165号
168号(H11(1999).7),170号,174号,176号-178号,181号,186号,188号-189号,
191号(H13(2001).6),196号-201号,204号,206号-218号,221号-224号,243号-244号,
246号(H18(2005).3)-248号(H18(2005).5)
請求記号:3N-8-2
別誌名:The tansetsu

海とユリ 海とユリ社 東京 海とユリ社
10号(S51(1976).4)-12号(S53(1978).3)終刊
請求記号:3N-9-3
冠称:詩と短編小説

秘夢 グループ・ヒム 東京 グループ・ヒム
8(S47(1972).4)終刊
請求記号:3M-13-1
冠称:詩と散文

日&月 西山正義 水南森 調布 西山正義 水南森
2号(H8(1996).7)-3号(H9(1997).3),5号(H10(1998).5)
請求記号:3M-13-2
別誌名:Hi to Tsuki

夜の博物館 水南森 流山 水南森
2号(H8(1996).4)
請求記号:3M-13-2
別誌名:『日&月』別冊水南森幻想短説集2号

「堕天使」や「江南文学」などはありませんでした。
さすがに百花繚乱の詩誌はあまり揃っていないようですが、
一度行ってみる価値あり。

財団法人三康文化研究所附属 三康図書館 (さんこうとしょかん) 〒105-0011 東京都港区芝公園4-7-4 明照会館1F  TEL:03-3431-6073 FAX:03-3431-6082  開館時間:9:30~17:00 (入館、貸出、コピー受付:16:30まで)  休館日:土曜日、日曜日、祝祭日、年末年始、夏季図書整理期間  ◆ 入館資格 16才以上 ◆ 入館料 1回:100円 / 回数券(6枚綴:500円、13枚綴:1,000円) ◆ 座席数 34席

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2007年5月 5日 (土)

立原道造の風信子荘

 浦和の別所沼湖畔に再現された〈ヒヤシンスハウス〉を見に行ってきました。そうです、立原道造が設計した、あの〈風信子荘〉です。
  このゴールデンウィークはどこへも行く予定がなく、出掛けるつもりもなかったのですが、やはら一日ぐらいはどこかにドライブしようと思い、近場であまり混みそうにない所ということで、今朝起きてから思い付き、十一時頃に出発。思惑通り渋滞もなく、環八から笹目通りを一直線。実際には途中まで裏道をくねくねと行きましたが、幹線道路だけを通るなら、我が家から右折・左折・右折だけで着けます。
Ts2a0426 詩人立原道造は、いかにも詩人らしい詩人で、詩人以外の何物でもないように思えるのだが、職業としての本職は建築家で、東京帝大建築学科で何度も最優秀賞である辰野金吾賞を受賞するような、建築家としても優れた才能を有していた。
 そんな詩人が、自らのために小さな「週末住宅」を建てようと企図した。そして実際に、その建設候補地として、昭和十二年の冬から翌春にかけて、この別所沼湖畔を訪れている。夢は実現しなかったが、「詩人の夢の継承事業」ということで、さいたま市政令市記念市民事業として2004年11月6日に竣工したのがこの〈ヒヤシンスハウス〉。
 その設計図とスケッチを見、また、二十一年前、軽井沢のりんどう文庫にその模型が飾られていたのを見て以来、ずっと憧れていました。二年半前、ゆかりの地に再現されたというニュースは知っていましたが、遅ればせながら今回初めて訪問。 
Ts2a0424   Ts2a0427
 左は、十字架をくり抜いた雨戸を閉めた所。写真を撮るためにわざわざ閉めてもらいました。右は、雨戸を開け、ガラス窓も開けたところ。窓ガラスの写真を撮り忘れましたが、旧丸ビルの古い手作りガラス(硝子と書いた方がふさわしい)を嵌め込んだそうです。(写真をクリックすると拡大されます)
Ts2a0429   Ts2a0440
 外観もお洒落なのですが、中がまたいいのです。広くはありませんが、週末を一人で過ごすには非常に贅沢な空間。しかも窓を開ければ湖畔。こんなところで読書三昧できたら最高です。(いや、原稿を書くべきか)
 意外だったのは、ベッドが小さい(長さが短い)こと。長身の立原が寝たら相当窮屈そう。でも、立原は丸まって寝そうなイメージがありますが。しかし、昭和十年代に洋式ベッドですからね。一人用の別荘としては、今の感覚でも斬新で瀟洒。
Ts2a0430   Ts2a0432
 開館は、水・土・日・祝祭日の10:00~16:00で、維持管理・運営のボランティアを募集していました。今日いた初老の女性もボランティアなのでしょう。近所だったら、ボランティアで案内や解説しながら一日中いてもいいですね。

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2007年2月12日 (月)

評論「カエルの鳴き声から」芦原修二

-第五回藤代短説講座(平成三年一月)座会要約より-

茨城県北部の『艶笑小話』「カエルの鳴き声」から……
芦原 修二

 春の田んぼで、カエルが「ゲロゲロ、ゲロゲロ」と賑やかに鳴いています。あれはいったい、どんな会話をしているのでしょうか。これは茨城県北部の美和村に住む長岡正夫さんが父から伝え聞いたという話です。美和村のあたりでは裸のことをデンコというそうです。そして、
「田んぼの若いオスガエルは『デンコで来(こ)、デンコで来。裸で来、裸で来』と鳴いているそうです。それにメスガエルがこたえて『どこでやんの、どこでやんの、~~』。そこでオスガエルが『どこでもいい、どこでもいい、~~』。この騒ぎをきいて舅のカエルがつぶやきます。『バカバカシッ、バカバカシッ、~~』」
 話はこれだけです。きわめて短い。だいたい口承文芸はこんなふうに短いことが肝要で、短くなければ飽きられます。
 ここで気をつけてほしいのはなぜ「バカバカシイ」のか、舅の気持ちのよってきた理由が説明されていないことです。すなわち原葵さんのいう「ストーリーはあるがプロットがない」という言葉を思い返してほしいのです。つまり、舅のつぶやきの理由を書けば、それは説明です。説明文ほど読者を退屈させるものはありません。
 ところで、ここのところで舅の気持ちがよく解るという方がおられたら、その方はもう人生をだいぶやってこられた方に違いありません。
 子供にはわからないでしょう。子供はおそらく「デンコでこ」というあたりを理由なく面白がります。
 そして十八、九の若者なら「どこでもいい」という気持ちを心底理解するはずです。
 この話には『短説』に対するいくつかのサジェスチョンが含まれています。世間は、舅の「バカバカシイ」という気持ちもわかるようでなければ、小説は書けないとしています。それも事実です。が、さらに「どこでもいい」というような情熱も作者には必要で、それがなければ、書くという行為は持続できません。



〔発表:平成3年(1991)1月第5回藤代短説講座/初出:「短説」1991年3月号〕
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2006年4月 1日 (土)

小学生が書いた短説(短い物語)

   不吉な桜
 
       
西山 義人(小学六年生)
 
 桜の花びらがまた一枚舞い降りた。
 ふと、うしろを見るとカップルがわかれた。
 そう、この桜の花びらがおちると、カップ
ルがわかれる。
 不吉な桜である。
 だが、この花びらを三枚とると願いがかな
う、という伝説がある。
 それを使って、あいつと話すきかいを増や
そうとした。
 
 次の日、学校に行った。
 廊下を走った。
 そして六年プレイルームを通りかかった時、
偶然目にしたのは、あいつだった。
 耳をすますと、引越しの話だった。
 あいつは三日後引越すらしい。
 足どりが重くなった。
 
 三日後、あいつを乗せた車と引越しのトラ
ックが走り去った。
 その時、不吉な桜の花びらが目の前を通っ
た。
 それは、この初恋の終わりを、示している
のだろう。

〔執筆:平成18年(2006)4月1日・東北新幹線上りMAXやまびこ号車中にて(帰宅後補筆完成)/短説一歩手前〕
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2005年11月16日 (水)

映画『春の雪』

 映画「春の雪」を観てきた。最初、映画化が発表された時は、え?と思ったし、封切られてからも、見たいような見たくないような。「春の雪」は数ある三島作品の中でも、映画化してほしくない筆頭である。が、美輪明宏がこれなら三島さんもOKを出すだろうと言っていたのを聞いて、やはり見ておこうと思った。
 結果、良かった。期待半ばだったのだが、期待以上だった。僕は映画のことはよく分からないし、映画としてどうなのかは判断しかねるが、原作の解釈としては概ねいいだろう。原作が七百五十枚の長編小説であるから、大幅にはしょっているのはいた仕方ないことだし、そもそもそれは映画の仕事ではない。が、外せないところは外していなかった。
 まず第一に、画像が綺麗であった。時代背景や特殊な社会の風俗等、一応相当研究したようだ。しかし、それは今の技術ではどうにでもなるだろう。
 一番良かったのは、原作を周知しているという前提にたって作られている点だ。もちろん、原作を読んでいない人にもある程度理解できるようには作られているが、たとえば ナレーションとか字幕のキャプションとかで、余計な解説を一切交えず、分からない人には分からなくてもいいというような、潔い作りに好感がもてた。大手映画会社の興行映画なのだが、大衆に媚びていないところが気に入った。
 逆に言えば、あまり興行的には成功しないかもしれないと思ったが、実にタイミングよく(それを狙っていた?)、立場は異なれど、現代でも今まさに、紀宮様のご婚礼ということがあり、この「不可能な恋」というテーマは、事情がよく分からない若い人にも理解できたのではないか。
 ただ、「不可能な恋」と一口に言っても、これはもう「純愛」というようなレベルではなく、これ以上の禁忌はない、禁忌中の禁忌であり、およそあり得ないことなのだが、そのへんの重大さは、現在の大方の日本人にどこまで伝わるか。これがもし、雅子様や紀子様がご成婚する時期であったら、間違っても上演などできなかったであろう。
 また、これを映画のキャッチコピーのように、最近流行りの単なる純愛物として見たら、ストーリー的には馬鹿馬鹿しいと感じる人もいるかもしれないし、清顕の心理がまったく分からないという人も出てくるだろう。現代の感覚で見たら、いや時代背景を加味しても、一般庶民的な感覚で見たら理解できるようなものではない。あくまでも「三島美学」として観なければ、理解できない部分がある。
 二時間半という、それでも映画としてはやや長めであるから、これ以上詳しく描写することはできないだろう。だから、三島由紀夫をまったく読んだことのない人には、誤解を与えるかもしれない。原作に忠実であろうとすれば、「阿頼耶識」や「貴種流離」の問題、仏教の唯識論、思想、哲学、宗教、政治、法律論の問題がからむ。しかしそうしたものは、映画ではお手上げだ。またそれを十九歳の「高等学校生」が論じ合うかと思うと、現在の感覚では理解を超えたことだろう。さらに本に「雅び」ということ。しかし、そういう背景があっての「禁断の恋」なのだ。だがそれは、映画ではある程度(というより相当というか殆ど)カットせざるを得ない。が、そうしたニュアンスを何とか少しでも映像の中に入れようとしている努力は見える。
 芝居を引き締めているのは、やはり三島さん存命の頃から三島劇に数多く出ていた、松枝清顕の祖母役の岸田今日子と、月修寺門跡の若尾文子であろう。
 ただ、月修寺への道のり(車止めから門まで)がもっと長くなければいけないだろうと思った。車(人力車)で門前まで乗り付けてはいけない。あそこがクライマックスなのだから。が、それを忠実に表現すると、映画では間延びしてしまうか、あまりにも「くさく」なってしまうのかもしれないが。
 キャラクター的に大幅に変えられているのは、『豊饒の海』四巻で重要な役割をになうことになる本多繁邦であるが、これは本質的に「内面の人」であり、映像化は無理である。また、見かけ上はともかく、ほかの同級生に較べれば清顕側の人間であるから、主人公との対比上、どちらかというと朴訥な体育会系っぽくしたのだろう。これはまあ良しとする。冒頭で、理屈っぽい面も出しているので。
 問題のヒロイン、竹内結子の綾倉聡子は、原作で人それぞれにイメージを固めている人にとっては、おそらく誰がどう演じようが、ダメという人にはダメだろう。僕もそれが見たいところであり見たくないところであった。が、それなりに(いや、それほどイメージも崩れずに)良かったんじゃない、というのが感想である。同じように、妻夫木聡の清顕も、実年齢的には薹が立っているのだが、実年齢の役者では若さだけで、清顕のようなキャラクターをしかも風俗や時代背景もあり、演じられるのはいないだろう。
 それに、清顕は、作者・三島由紀夫自身とはおよそかけ離れた人物であるが、三島さんがこうありたかったという「在るべき姿」と考えられ、(それは「奔馬」の飯沼勲であろうというかもしれないが、本音では清顕こそそうではなかったのかと僕は見ている)、そう思って見ると、妻夫木聡の清顕は、僕や多くの三島読者が思い描く清顕像とは異なっているかもしれないが、作者・三島由紀夫の面影を宿している。横から見た、頬から揉み上げのあたりにかけて、ちょっと三島さんっぽいのだ。これはおそらく、制作者も意識していたのではないかと思われる。そういう意味では、よく作られていると思う。
 企画に、三島の長男・威一郎氏が噛んでいる(本名の平岡ではなく、三島威一郎として参画している)ということもあるのだろうが、生誕八十年、没後三十五年の企画として、下手な物は作れないだろう。美輪明宏が認めたのも納得いく出来映えだった。
 しかし原作映画の宿命であるが、それにつけても原作の素晴らしさが再確認された格好だ。映画も良かったが、原作はその何十倍も何百倍も素晴らしいぞ、と。
 最後にもう一つ付け加えると、僕はこの映画を「TOHOシネマズ 府中」で観たのだが、映画館自体もTOHOシネマズの観劇システムも良かった。

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2005年1月12日 (水)

短説への招待

短説への招待/芦原修二
 
 400字詰原稿用紙2枚の散文作品 ― これが『短説』の定義です。この2枚の中には、題名と作者名を書くスペース4行分も含まれていますから、実質上の本文の長さは、20字詰で36行になります。この範囲で小説を書こうという試みです。
 つまり『短説』は「極端に短い短篇小説」といってよいでしょう。しかし、一般的な概念からいえば、これを小説とするには、あまりにも短かすぎてなじみません。それゆえ私達は、これに『短説』という名を与えました。
 この分野に近いものに、「ショートショート」がありますが、それよりも『短説』はいっそう短く、かつ内容的にも、ショートショートの概念とは異質の性格を持つ文学です。
 『短説』の散文芸術における位置は、韻文芸術における『俳句』のようなものだとご理解いただければ、そののぞまれている姿が、鮮明に見えるように思われます。
 実際上も『短説』は俳句から多くのものを学びました。たとえば『短説』を発表する一つの場であり、また合評の場でもある「座会」は、俳句会に範をとったものです。異なるのは、俳句会における清記作業に対し、短説座会ではパソコン(ワープロ)やコピーを用いていることです。
 『短説』は、昭和60年(1985)に生れた、まったく新しいものですが、その本質は日本の伝統文学につらなっています。たとえばその原形は、古典なら『今昔物語』や『伊勢物語』。近、現代文学なら柳田國男の『遠野物語』や、稲垣足穂の『一千一秒物語』といった作品に見出すことができます。つまり『短説』は、いたずらに新奇をねらって始められた文芸ではなく、伝統を引き継ぎ、発展したものなのです。
 原稿用紙2枚というきわめて限られた長さ。日本文学の伝統を自ら背負いこんだ形式 ― いいかえれば、『短説』は、もっとも自由であることを謳歌してきた「小説」という散文芸術に、手かせ、足かせをはめた文学として出発しました。しかし、それゆえにこそ、この『短説』には大きなエネルーギーが集約でき、人間を、宇宙を包み込んで、無限に深く、重くなり得るのだとも予感されます。
 この予感に共感していただけるか否か。それは、『短説』をつくり、あるいは読まれて、そこに何を見いだせるかにかかっているように思われます。
 
 平成13年(2001)には、短説発足15周年を記念する全国大会を開催しました。
 この15年間に得たものはいろいろありますが、何よりも特記したいのは、小説のシステムを「私とは何か、私をとりまく世界とは何かを認識する方法」と考え、これを一部専門家の独占から「だれものもの」に奪還したことでしょう。
 この機会にあなたもこの新しい文学創造にご参加ください。

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パンフレット『短説への招待』(「短説」平成14年9月号再録)より転載。

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2005年1月11日 (火)

短説とは何か

 未知の読者のために、まずは短説の定義を。
 ホームページ「西向の山」でご案内している「短説とは何か」を、若干補筆の上、転載します。
 
 短説[tansetsu]は、1960年代から詩人・作家として活躍していた芦原修二氏の提唱により、昭和60年(1985)に生まれた文学運動です。
 その定義は、一口で言えば、400字詰原稿用紙2枚で書く散文作品−ということに尽きます。
 詳しくは、次回紹介する、芦原修二氏の「短説への招待」を参照していただきたいのですが、そこにはこう書かれています。
「この2枚の中には、題名と作者名を書くスペース4行分も含まれていますから、実質上の本文の長さは、20字詰で36行になります。この範囲で小説を書こうというのです」
 具体的には、
1行目に題名、
2行目は空欄、
(1行では収まらないタイトルや副題がある場合は2行に渡っても可)
3行目に作者名、
4行目は空欄にし、
5行目から本文を書き始めるということになります。
 
 短説の会の公式サイトや「西向の山」にアップされている作品を見ていただければ、原稿用紙のような枡目はついていませんが、その形が視覚的にもお分かりいただけるでしょう。
 特筆すべきことは、1文字でもオーバーしてはいけないということです。
 ただし、改行等の関係で、720文字フルに使わなければいけないということではありません。文字数というより、20字詰における行数が問題なのです。
 最終行まで書き込んで、過不足なく、そこでぴたっと終わっているのが望ましい形といえます。
 つまり、定型の散文なのです。
 
 小説は、特にその方法論において、20世紀に飛躍的に発展しました。それは、人間の認識方法と、人間とそれを取り巻く社会の理解を飛躍的に拡大したのでした。20世紀の芸術・文化は、小説がリードしたといえます。
 しかし、1950〜60年代のいわゆるヌーボー・ロマンを一方の極として、一方では、かつては斬新だった描写方法(つまり新しい認識方法)も、やがては末端まで広がり、通俗化してゆき、80年代に入った頃には行き詰まりつつありました。
 それは、作家や作品そのものだけの問題ではありませんでしたが、短説は、そんな閉塞した文学を取り巻く状況に新たな地平を拓くべく、21世紀を見据え、かつ日本文学の伝統を踏まえたものとして発案されました。
 
 なぜ、定型なのか。なぜ、2枚でなければいけないのか。
 また、2枚というその単位となる1枚が、20字×20行の書式でなければいけないのか。
 それにはまだまだ議論の余地があるかもしれませんが、少なくとも実作者の立場においては、多くの短説作家が、そこから抜き差しならぬ何物をかを得ているという事実があります。それは文学の営為そのものとしか言いようがないものです。
 
 昭和60年9月28日、東京神保町で第1回目の〈座会〉が開かれて以来、その運動は各地に広がり、平成6年度版の『現代用語の基礎知識』(自由国民社)以降、同書に「短説」という項目が立項されるまでになりました。
 
 現在、月1回定期的に開かれている座会が、東京、埼玉、千葉、大阪に各1つ、茨城に2つ、郵便による通信座会、メーリングリストを利用したML座会と、計8つあります。
 また、機関誌である月刊『短説』は、平成16年12月号で通巻231号を数え、単行本として、『年鑑短説集』が6冊、同人の短説集『短説双書』が8冊刊行されています。
 さらに、連説、英文短説、短説のフランス語訳、短説劇、短説絵本、マンガ短説等、さまざまな実験が試みられています。
 
 というわけで、あなたも書いてみませんか!

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