2009年1月 2日 (金)

東郷神社に初詣

Ts2a0742 わが家では初詣に毎年異なるところにお参りに行っているのだが、今年は娘のリクエストで原宿に近いところということになった。そうなると真っ先に思い浮かぶのはもちろん明治神宮であるが、明治神宮に元旦に行くものではない。どうせ経由するのだから新宿か渋谷周辺の神社も考えたのだが、それならもう原宿に行ってしまおうと、僕の中では有名だがもろ原宿にありながら穴場の東郷神社にお参りすることにした。
 元旦の原宿なんて十九の頃以来だ。十二時ちょっと過ぎに着いた。願朝参りのピークは過ぎていたが、竹下通りはご覧のとおり。

Ts2a0743 東郷神社は、言わずと知れた元帥海軍大将・東郷平八郎を祀った神社である。福岡はじめ全国各地にあるそうだが、一番有名なのは原宿のそれだろう。
 これは何というのだろう、社殿の前に丸い注連縄が立て掛けてあり、これをくぐって拝殿に進むのだが、どうもくぐり方があるらしい。皆ふつうに跨いでいるだけなのだが、たまたま前に並んでいた家族が常連らしく教えてくれた。
 右から左へ8の字にぐるぐる二回まわって正面に進むというのが、本式の作法らしい。これで厄を落とすとのこと。その家族に続いてわが家も真似してみたが、そのあとは続かなかった。

Ts2a0744 娘に「勝札」、息子に「勝守」を求めた。勝札の「勝」の文字は東郷元帥の直筆だそうだ。勝守には、例のZ旗がかたどられている。
 かつて、「新嘗を祝ふ集ひ」の会場としてもお世話になった水交社前の庭園をそぞろ歩き、再び原宿の喧噪の中へ。
 娘と家内は、それが本来の目的とばかりに買い物へ。息子と僕はクレープだけ食べて、渋谷を経由しバスですぐに帰宅。帰宅後、キャッチボール始めをする。

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2008年7月 6日 (日)

大椎城址フィールドワーク(その二)

 竹藪をかき分けてけもの道を登攀。ほとんど探検隊の図。
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 それぞれ意味のある場所だが、手元に資料がないので省略。
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 「大椎城址」の石碑(表側と裏側)
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 このあたりが主郭への虎口(「こぐち」と読む。入口のこと)。
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 帯曲輪に降りていく。右は「椎台剣鏡碑」
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 このあたりが城の一番の南側で、最後の急坂を降りると、現在この山を所有している地元の素封家の庭に出る。探検も終わり、お礼の挨拶し、城下の集落を通り、大椎本村のバス停へ戻る。
 ほとんど予備知識もなく同行したのが、こちらも勉強になった。まさに考古学講座にふさわしい、そして楽しいフィールドワークであった。

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2008年7月 2日 (水)

大椎城址フィールドワーク(その一)

Ts2a0599 さて、いよいよ大椎城址の踏査開始。大椎本村でバスを降り、要害台の切通しから入って行く。

(※注意:現在、この城址はその山全体が麓のあるお宅の私有地になっている。従って、生涯学習講座のフィールドワークで訪れる旨、三十数年前からたびたび調査に訪れている講師が事前に許可を得て、僕ら一行は足を踏み入れたのであり、通常は勝手に入れないのでご注意!)

←切通しの横井戸

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Ts2a0602 切通しを登ると、少し開けた場所に出る。その約25メートル四方の平たい場所の中央に、馬頭観世音を祀った祠がある。腹が減っては戦はできぬとばかりに、そこでまずは腹ごしらえ。
 朝方は曇っていたが、このあたりで日が差してきて、暑いぐらいになった。本当に晴れてよかった。

Ts2a0603 城の北側は字「後沢」というところで、現在はその先にいわゆる「チバリーヒルズ」と俗称される高級住宅地があり、その調整池が造られた谷状の台地。かつては村田川の支流が流れており、谷状湿地帯の、いわば天然の堀となっていたそうな。
 このあたりだけは千葉県の所有になっているそうで、千葉県が建てた説明板もあったらしいのだが、発見できなかった。2002年にこの遺跡めぐりを行ったある団体のホームページを見ると、たしかにあるので、移設されたか、今は撤去された?
 上の写真のあたりで、流鏑馬が行われたそうである。
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 いよいよ本格的な探検に。藪をかき分けかき分け……。いざ、出陣!

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2008年6月30日 (月)

史跡見学に触発されて

Ts2a0598 昨日、月刊『短説』の年鑑特集号の校正を終え、今日は、一昨日の大椎城址フィールドワークにちなむ短説を書いた。
 その内容は、このブログの文章とは一緒に公開が憚られるものなので、ひっそりとML座会に投稿した。
 そのML座会だが、まったく停滞してしまっている。五月はついに一件の投稿もなし。旧システムを含め二〇〇〇年の四月に始まったML座会だが、そんなことは初めてだ。この六月も、かろうじて末日になって、ほとんどアリバイのように投稿した次第。

 写真は、いよいよ城跡探索開始の図。要害台の切通しを入って行ったところ。久しぶりに作業ズボンに安全靴を履いていったのだが、その判断は正しかった。日曜の雨も恨めしかったが、土曜に降られなくて本当によかった。

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2008年6月29日 (日)

雨・雨・雨の日曜日

Ts2a0597 まったく恨めしい雨である。二週続けて雨の日曜日。昨日降らなかったのは本当によかったが、二日は続かなかった。こういうことされると困るんだなあ。ソフトボールの大会日程が滅茶苦茶になってしまった。
 梅雨時とはいえ、今年はそれ以前から雨が多かった。疲れが溜まっているので、個人的にはちょっとありがたい面もあるのだが、これでは体が鈍ってしまう。
Ts2a0617 先週はほかにやらなければいけないこともせずに、完全休養してしまったが、さて今週は、短説の校正と編集をしなければいけない。恵みの雨と思うことにしよう。

(写真は、千葉県大椎本村のバス停近くの掘っ立て小屋と田んぼの風景)
 昨日のフィールドワーク、土気の駅からまずはここまでバスで来て、山の中へ分け入って行ったのだ。写真は時間的には出発時(11:48)と帰途時(14:50)。

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2008年6月28日 (土)

外房線「土気」駅

 ご無沙汰しておりました(と、誰にともなく言う)。
 昨日、短説の、今年の年鑑特集号のゲラが届いた。正直言って、久しぶりに短説を読む気になった。
 今日、芦原さんからメールがあり、さらに修正したのでゲラの第二版を送ったとのこと。編集のすださん、フィニッシャーの芦原さん以外では、僕が最初に目を通すことになる。他選集の結果はどうなったでしょうか。いましばらくのお楽しみということで、今は明かしません。

 さて、今日は、例によってまたある公開講座のフィールドワークに同行して、千葉の大椎城址に行った。
 最寄り駅は外房線の「土気」なのだが、初めて降りて驚いた。今では通勤圏とはいえ、ローカル線の小駅を想像していたら、とんでもなかった。ここは、いわゆる「チバリーヒルズ」に代表される高級住宅や新興住宅が広がる一大ニュータウンだったのだ。
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 もちろん僕らの一行は、それらを尻目に、大椎本村から山の中へ分け入り、城跡を踏査。そこはちょっとした秘境といってもいい所だった。それはまた明日以降に。

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2008年1月31日 (木)

信濃追分「油屋」旅館

 昨年七月、個人サイト「西向の山」の掲示板に、「追分、軽井沢、立原、堀・・・のファン」というある方より、

油屋旅館が4月から休業中です。
小川先生にお知らせください。いつ営業再開するかわからないそうです。

という書き込みをいただきました。
 それから半年経ち、今日たまたま検索してみたら、油屋さんのホームページはいきているようですが、
★ご予約・お問い合わせのお客様へ★
※誠に申し訳ございませんが、
設備の修繕、改装工事の為 休業中につき
一般のご予約を お受け出来ませんので
ご理解の程、 宜しくお願い致します。

Ts2a0472 となっていました。
 昨年七月初旬に宿の前を通り、中をちょっと覗いた感じでは、改修工事をしているように見えませんでした。もしかしたら、何か経営的な問題があるのかも……。

 今年もはや一月が終わります。
 写真は、信濃追分・泉洞寺の「日&月」です。

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2007年11月21日 (水)

江戸時代の村絵図を歩く

2007112101_2 いやー、今日は絶好のフィールドワーク日和でした。朝家を出た時は、天気は好いが風があり、山方面は寒いかもと懸念していましたが、歩くにはかえって丁度いいぐらいでした。“晴れ男”伝説?もこのところ怪しくなっていたのですが、これでまた一つ伝説が……。

 さて今日は、まさに「フィールドワーク」といえるものをしてきました。博物館の公開講座らしいものでした。江戸時代(文化11年)に描かれた村の絵図と現在の地図を携えて、実地に歩いて検分しようというもの。
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2007112107 中央本線「相模湖」駅を出発。まずはバスで旧小原宿本陣へ。甲州街道沿いに育ちながら、甲州道中にこんな宿場があったとは知りませんでした。内藤新宿から数えて14番目の宿場。布田五宿を一つ繋がりと数えると、10番目。隣り合う駒木野・小仏・与瀬とともに「片継ぎの宿」(説明省略)で、相模四宿と呼ばれたそうな。
2007112110 小原宿本陣(旧清水家)は、相州の甲州街道沿いにあった本陣では唯一現存するものだとかで、すぐ近くには「小原の郷」という郷土資料館も。
 そこからまたバスで赤馬(あこうま)へ。
 ここからが本題で、文化11年の村絵図を対照しながら、旧「相模国津久井県千木良村」を歩いてきました。
 以下の行程は、レジュメをそのまま写します。

・月読神社 (天明・文政の絵図に見られる水田跡を探索)
  ↓
・大通寺
  ↓
・市ヶ沢 (宝暦の絵図に見られる三本木御林を遠望)
  ↓  
・字「宿」 (高札場跡を探索)
  ↓
・牛鞍神社
  ↓
・善勝寺 (宝暦の絵図に見られる新御林を遠望)

※道々は、 (文化の絵図を用いて旧道を検証)
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 最高の天気に紅葉。江戸時代の絵図を実地に照らし合わせ、なるほどなと思いながら歩いてきました。はっきり言ってしまえば職務は高齢者のお守りみたいなものなのですが、楽しかったですね。

 僕らはのどかな農村風景を堪能し、日本人の原風景として郷愁を誘われたり、また憧れたりするわけですが、当たり前のことながら、ここにも現代の普通の生活があるのだということを思ってしまいました。
 暮らしている人にとってはどうなのか。でもここはもう通勤圏なんですよね。中央「本線」と言いながら、新宿や御茶ノ水を走っているのとまったく同じ通勤電車が走っていて。でもやっぱり田舎でした。東京からひと山越えたすぐお隣、でも山梨県ではなく、ここは横浜や川崎もある同じ神奈川県なんですがね。
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2007年11月 3日 (土)

小川和佑先生フィールドワーク

Ts2a0503 今日は(厳密には昨日ですが)、文芸評論家の小川和佑先生と、深川の芭蕉記念館から清澄庭園にかけてへ散策してきました。生憎の天候でしたが、晴れ男と呼ばれている自分を信じ祈っていた甲斐あって、途中パラパラと雨粒が落ちてくる場面もありましたが、最後までなんとか持ちました。

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Ts2a0506  例によって、先生が受け持っている明治大学の公開講座で、前期と後期に一度ずつ取り入れている野外授業に同行したのでした。リバティアカデミーでの講座は、平成十二年の秋からスタートしていますが、もう何回フィールドワークに出掛けたでしょう。
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 僕が同行しただけでも、2001年・高尾の森林科学園、2002年・日比谷公園の十月桜、2003年・浅草~向島、そして秋の軽井沢、ここまではプライベートでの参加で、昨年からは仕事を兼ねて(というのも変な表現ですが、僕にとっては仕事というよりゼミ合宿のミニチュア版みたいなもので)、臨時休業だった新宿御苑(急遽変更し皇居方面)、雑司ヶ谷・鬼子母神~椿山荘、飛鳥山~旧古河庭園、そして今回と、計八回。
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 ゼミ合宿に全十六回参加し、OB会で花見や文学散歩を八回行っている。ほかに結婚式で、兵庫の出石や山梨甲府にも行った。思えば先生と一緒に随分いろんな所へ行きました。今日訪ねたコースも、平成元年のゼミ合宿で歩いている。ただしこの時は、僕はすでに社会人になっていて、夜からの参加で、一日目の文学散歩には同行していない。先生は僕もいたような気でいますが。(代わりに家内が同行していた)


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 それもこれも、すべてはあの日光に行った第一回目の合宿が機縁。あれから二十四年。さすがに年月の経過を隠せなくなってきました。それは言いたくない、考えたくない、忘れていたいことなのですが。
 さて、実際どこをどう歩いたか。どんな話があったか。それは写真に語らせましょう。では、おやすみなさい。
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2007年5月18日 (金)

西向観世音(増上寺)

Ts2a0449 古寺社めぐり講座のフィールドワークに同行してきました。今回は芝の増上寺。十七、八年前、浜松町から大門を潜り、増上寺の前の大通りを毎日ルートバンを運転して走っていましたが、よくよく境内を散策するのは初めてでした。本堂のすぐ裏に東京タワーが聳えているというロケーションはなかなかだったのですが、うまく写真に撮れませんでした。境内の水子地蔵を祀っているのは「西向観世音」というのでした。「西向の山」の「西向」は、二つの苗字を合成したもので、宗教的・地勢的意味はありませんが、記念に大写しで撮ってきました。

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2007年5月 9日 (水)

別所沼と神保光太郎詩碑

 別所沼に行ったのは、立原道造の風信子荘〈ヒヤシンス・ハウス〉を見たかったからで、それを堪能し、食事後、沼を囲む公園をひと回りしてしまうと、これといってすることはない。もう一つの目的は別所沼会館の下見でしたが、連休中は休館で中の様子を見ることは出来ませんでした。妻と息子で行ったのだが(娘は留守番)、結局何をやったかというと、三人でキャッチボール。結構投げ込みました。
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↓別所沼弁天
Ts2a0423 この日は端午の節句。四時までいて、いったん帰宅し、娘も連れ、夕食は無性にラーメンを食べたくなったので、家族は行ったことがない地元でもちょっと離れたうまい店に行き、そして銭湯に。そうです、菖蒲湯。
 二年前にもこのブログに書きましたが、この日は銭湯に限る。休日、特にゴールデンウィーク中は日帰り温泉のようなところは大混雑。普通の銭湯なのだが、軟水を使ったつるつるのいい湯で、ちょっとした露天もあって、何よりさほど混んでいないのがいいのです。
 話は戻りますが、浦和といえば、画家が多く住んだところで、別所沼も立原道造というよりは、もともとは同じ『四季』の先輩詩人・神保光太郎ゆかりの地なのでした。神保光太郎は平成二年まで存命で、戦前からずっとこの地に住んでいました。
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《神保光太郎詩碑》
    神保光太郎
沼のほとりを
  めぐりながら
神をおもふ
水面に映る
  ひとひらの雲
羊の孤独
    冬日断章より

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2007年5月 8日 (火)

エベーカトル・ケッツアルコアトル

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 別所沼にこんなのがいました。河童かと思ったらそうではありませんでした。
 メキシコ・トルーカ盆地のカリストラワカで発掘されたもののレプリカで、「風の神」だそうです。健康・豊作・知恵を市民にもたらす恵みの神とか。
 1980年10月2日、浦和の友好都市の証としてメキシコ州から贈られたもの。

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2007年5月 5日 (土)

立原道造の風信子荘

 浦和の別所沼湖畔に再現された〈ヒヤシンスハウス〉を見に行ってきました。そうです、立原道造が設計した、あの〈風信子荘〉です。
  このゴールデンウィークはどこへも行く予定がなく、出掛けるつもりもなかったのですが、やはら一日ぐらいはどこかにドライブしようと思い、近場であまり混みそうにない所ということで、今朝起きてから思い付き、十一時頃に出発。思惑通り渋滞もなく、環八から笹目通りを一直線。実際には途中まで裏道をくねくねと行きましたが、幹線道路だけを通るなら、我が家から右折・左折・右折だけで着けます。
Ts2a0426 詩人立原道造は、いかにも詩人らしい詩人で、詩人以外の何物でもないように思えるのだが、職業としての本職は建築家で、東京帝大建築学科で何度も最優秀賞である辰野金吾賞を受賞するような、建築家としても優れた才能を有していた。
 そんな詩人が、自らのために小さな「週末住宅」を建てようと企図した。そして実際に、その建設候補地として、昭和十二年の冬から翌春にかけて、この別所沼湖畔を訪れている。夢は実現しなかったが、「詩人の夢の継承事業」ということで、さいたま市政令市記念市民事業として2004年11月6日に竣工したのがこの〈ヒヤシンスハウス〉。
 その設計図とスケッチを見、また、二十一年前、軽井沢のりんどう文庫にその模型が飾られていたのを見て以来、ずっと憧れていました。二年半前、ゆかりの地に再現されたというニュースは知っていましたが、遅ればせながら今回初めて訪問。 
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 左は、十字架をくり抜いた雨戸を閉めた所。写真を撮るためにわざわざ閉めてもらいました。右は、雨戸を開け、ガラス窓も開けたところ。窓ガラスの写真を撮り忘れましたが、旧丸ビルの古い手作りガラス(硝子と書いた方がふさわしい)を嵌め込んだそうです。(写真をクリックすると拡大されます)
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 外観もお洒落なのですが、中がまたいいのです。広くはありませんが、週末を一人で過ごすには非常に贅沢な空間。しかも窓を開ければ湖畔。こんなところで読書三昧できたら最高です。(いや、原稿を書くべきか)
 意外だったのは、ベッドが小さい(長さが短い)こと。長身の立原が寝たら相当窮屈そう。でも、立原は丸まって寝そうなイメージがありますが。しかし、昭和十年代に洋式ベッドですからね。一人用の別荘としては、今の感覚でも斬新で瀟洒。
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 開館は、水・土・日・祝祭日の10:00~16:00で、維持管理・運営のボランティアを募集していました。今日いた初老の女性もボランティアなのでしょう。近所だったら、ボランティアで案内や解説しながら一日中いてもいいですね。

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2007年4月 4日 (水)

日帰りで箱根へ

 おとといの夜中、月刊『短説』四月号の校正を芦原氏に入稿し、翌日つまりきのう、日帰りで箱根に行ってきました。娘は友達と遊びに行くというので、女房殿と息子の三人で。
 春休み中とはいえ平日なら、東名川崎-小田原厚木道路経由で一時間半で行ってしまうのだ。うちから神奈川方面は近いのだが、それにしても箱根がこんなに近かったかとちょっとびっくり。渋滞さえなければすぐなんですよね。
 ETCを初めて使ってみました。いやー、これはやっぱり楽ちん。
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 富士屋ホテルと宮ノ下・熊野神社。近くの宮ノ下町営駐車場が三十分無料、以後も三十分百円。富士屋ホテル前の写真館に、ホテルをバックにジョン・レノンとヨ-コ・オノ、そしてショ-ンと今はおばあさんのおそらく写真館の奥さんが写った記念写真が飾られていました。撮影は1978年。飾り窓越しに携帯のカメラで撮らせていただきましたが、結構よく撮れました。しかしこれは公開はできません。
 いつかここに泊まりたいと思って何年経ったことか。富士屋ホテルに泊まり、宮ノ下交差点斜向かいの旧御用邸・菊華荘でランチを食べてと。
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 昼は強羅で名物の餃子でも食べようかと思ったが停める場所がなく、うろうろしているうちに仙石原へ。星の王子様ミュージアムを見学。その前に、サン=テグジュペリゆかりの地‘プロヴァンス’をイメージしたというレストラン「ル・プチ・プランス」でランチ。
 ここに三時近くまでいて、いざ箱根小涌園ユネッサンへ。ここが今回のメインだったわけですが、八時過ぎまでいても帰宅は十時前。雨と霧で帰りの箱根の山道はスリル満点でしたが、久しぶりに楽しいドライブをしてきました。自宅の車庫に入れた時、トリップメーターはぴったり200.0Kmを指していました。

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2007年3月31日 (土)

神田駿河台下の桜

Ts2a0406 錦華小学校(現・お茶の水小学校)前の桜をメインに、明治大学のリバティタワーを見上げた図です。昨日の昼休みに写しました。すでに花吹雪状態でした。

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2007年1月 1日 (月)

高幡不動尊

Ts2a0388 初詣に行ってきました。数年前までは、世田谷の病院(or施設)に義母がいたので、六年間ずっと病院近くの松陰神社オンリーでした。ここ数年は毎年違う所に。昨年は杉並の大宮八幡宮、今年は東京日野市にある高幡不動尊へ。どこに行くか直前まで未定で、息子に東西南北どちらがいいと言うと、「西」というので決定。
 多摩地区の人間にはお馴染みの所で、僕などは小さい頃から何度も行ったことがありますが、初詣で行くのは実に久しぶり。ここはやっぱり“歳さん”でしょう。新撰組、鬼の副長・土方歳三の菩提寺。参拝、境内散策よりも、西山家の人々にとっては、「新撰組屯所」と称する新撰組グッツ売り場の方が面白かったようで。パソコンデスクのラックに掛けるのにちょうどよさそうだったので、僕は例の有名な土方歳三の肖像写真をプリントした状差しと、息子は刀を模したペーパーナイフ、向山葉子氏は「誠」のチェーン型ケータイストラップ、娘はガチャガチャで芹沢鴨のピンバッチを購入。何をしに行ったんだか……。
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2006年12月 5日 (火)

川越・蔵造りの町並み

 次にめぐったのは蓮馨寺。猫さんが呑気に日向ぼっこをしていました。そう十二月とは思えない温かい日和で、フィールドワークには最適でした。今年僕が同行した全六回のフィールドワークは、いずれも快晴で、職場では“晴れ男”と言われています。
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 茶室で休憩後、住職の“ありがたい”説法を聞いて、講座の公式プログラムはここで終了。先生をお見送りし、僕は“仕事”から放免。まだ午後四時半。ここまで来たら行くしかないということで、土蔵造りの各種店舗が並ぶかの有名な「蔵造り」の町並みを見るべく足を延ばしました。
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 一人のんびり気の向くままにぶらぶらしたためもあり、いやー、良かったです。着いて間もなく暗くなり始め、ほとんどの店がもう店終いの準備中でしたが、しばし旅情に浸りました。土蔵造りの家屋に豆電球のイルミネーションとはいささかちぐはぐな感もありましたが、暗くなってしまうと、その蔵造りもよく見えないので、まあ綺麗でいいかなと思いました。右の写真は、(残したい日本の音風景百選)にも選ばれた「時の鐘」
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 ここは子供を連れて来ても子供には大して面白くないだろうし、恋人同士で来るにはちょっと地味? それで四、五十代の夫婦で時には二人で小旅行するにはちょうどいい所なのではないかと思った次第。

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2006年12月 3日 (日)

川越大師・喜多院

 川越には、むかし仕事では行ったことがありましたが、よくよく行くのは初めて。小江戸と称される川越。蔵造りの町並みや名物の芋など、時々テレビの旅行番組で紹介されたりしていましたが、ついぞ行くことがありませんでした。今回初めて行って、ここは四十代以上の夫婦(つまり倦怠期を迎えた?)二人で行って、ぶらぶら歩くにはちょうどいいのではないかと思いました。
 さて、古寺社めぐりの方は、まずは喜多院に。春日局で有名ですが、徳川家ゆかりの天台宗のお寺で、川越大師とも称されます。詳しくは公式サイトで(→川越大師 喜多院
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(上左)「全国古寺社めぐり」講座のフィールドワークはこんな感じで行なわれています。今回は、先生がほかの大学で担当する同種の公開講座の受講生も合流しました(というより、うちが相乗りした形なのですが)
(上右)境内奥に位置する仙波東照宮
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(左)慈恵堂。比叡山延暦寺第18代座主・慈恵大師良源(元三大師)をまつる堂宇。現在は喜多院の本堂格で、大師堂として親しまれているそうです。入母屋造りの銅版葺。
(右)五百羅漢。見学できませんでしたが、ゆっくり見れたらここでの一番の見物でしょう。一体一体異なる実にさまざまな表情の羅漢様が集められているようです。

十大弟子、十六羅漢を含め、533体のほか、中央高座の大仏に釈迦如来、脇侍の文殊・普腎の両菩薩、左右高座の阿弥陀如来、地蔵菩薩を合わせ、全部で538体が鎮座しています。
とのことです。
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 境内に入ってすぐに目につくのが多宝塔。
総高13m、方三間の多宝塔で本瓦葺、上層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根がのります。江戸時代初期の多宝塔の特徴が表れています。
 喜多院から次の目的地、蓮馨寺までは、成田山別院を横目にまたてくてく歩いて行きました。

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2006年12月 1日 (金)

古寺社めぐりフィールドワーク

 また教養文化講座のフィールドワークに来ています。今度は小江戸・川越。長年東京に住んでいて、東武東上線に乗ったのは初めてかも。
 春日の局で有名な喜多院と蓮馨寺をめぐりました。解散後、個人的に「蔵造り」の町並みをぶらぶら。土蔵造りにクリスマス様の電飾は妙ですが、着いて間もなく真っ暗になってきたので、それなりにきれいだと思いました。ぶらぶらそぞろ歩くにはいい町ですね。駅周辺は典型的な地方都市そのものですが。

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2006年11月19日 (日)

大雄山最乗寺(その二)

 大雄山は山全体が聖域なわけですが、結界門からがさらに道了大薩の浄域とされています。その結界門の両脇に控える天狗さん。
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 その結界門をくぐり、77段あるという石段を登ると、御真殿(妙覚宝殿)に出ます。最乗寺で最も大事な修行道場。その脇には、天狗さんの高下駄がいっぱい。みな奉納されたもので、ドデカイのから小さいものまでさまざま。写真には写っていませんが、小学校などにある朝礼台二つ分ぐらいのまであります。
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 高下駄から奥の院とは逆の左手方面へ行くと、箱根明神・矢倉明神・飯沢明神の三明神が一体に刻まれたう三面大黒天を奉安した三面殿に出ますが、その前に、珍しい、仔犬に乳を飲ませている狛犬が安置されています。写真では仔犬が分かりにくいかもしれませんが、こんなの初めて見ました。

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2006年11月18日 (土)

大雄山最乗寺(その一)

Ts2a0349 伊豆箱根鉄道・大雄山線の大雄山駅(関本バスターミナル)から道了尊行きのバスに乗って約十分。山の中に入っていきます。講師の先生から詳しい資料をいただいていたにも拘らず、ほとんど予備知識なしに行ったので、びっくりしました。こんな所にこんな凄いお寺があったとは。
 とにかく気持ちのいい所でした。何がって空気が。マイナスイオンを思いっきり吸ってきました。例年ならちょうど今頃が紅葉の見頃だそうですが、今年は色づくのが遅く、まだまだという感じでした。ここは紫陽花が有名で、六月初旬頃に行くのもいいようです。
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 曹洞宗の総本山で、山岳信仰、修験道のお寺なので、自然の力だけでなく、そこにやはり何か霊気といったものが宿っていて、深く息をすると肺の中まできれいになっていくような感じでした。最乗寺について詳しくは、公式ホームページがあるのでそちらを参照ください。→曹洞宗 大雄山最乗寺道了尊
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 左が本堂(護国殿)。御本尊は釈迦牟尼仏。日夜「国土安穏」が祈念されているそうで、朝晩の勤行や修行僧への説法の場とのこと。右の写真奥に見えているのが僧堂(選仏場)。ある意味では本堂より大切な所で、「修行僧が日夜、坐禅弁道に励む根本道場」だそうです。

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2006年11月17日 (金)

大雄山駅と金太郎像

 本日のフィールドワークの集合場所は、伊豆箱根鉄道・大雄山線の終点「大雄山」駅。自宅を出て二時間半。ちょっとした旅行気分に浸りました。
 関東百名駅にも選出されている大雄山駅。小田原からここまでの単線の小さな小駅と打って変わって、駅前はそこそこ開けています。
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 小川和佑先生のゼミ合宿で足柄に泊まり、最後に蕎麦を食べ解散したのがこの場所でした。思えば、あれからもう七年。先生もまだ学部で教えており、僕も女房も三十代。子供二人を合宿に連れて行っても、ようやく手のかからなくなった頃でした。もはや懐かしい。
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 大雄山駅を出たすぐ右手に、まさかり担いでお馬の稽古の金太郎像があります。撮った時は気づかなかったのですが、家に帰り女房に見せたら、息子にそっくり! ということで大笑い。

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古寺社めぐりフィールドワーク

 今週もまた教養・文化講座のフィールドワークに同行し、小田原経由で大雄山に来ています。今、道了尊の名で信仰を集める最乗寺の広大な境内を、先生と若い修行僧の案内で散策しています。森林浴が気持ちいい。身も心も洗われる感じです。詳しくはのちほど。以上、現場より。

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2006年11月11日 (土)

小川和佑先生と文学散歩

Ts2a0325 昨日、文芸評論家の小川和佑先生と公開講座のフィールドワークに行ってきました。フィールドワークとは、本来、実地調査・研究のことですが、校外授業というより文学散歩ですね。
Ts2a0328 今日は一日雨模様でしたが、昨日は幸い良く晴れ、まさに小春日和。歩くにはちょうど良かったです。
 午後一時、目白駅を徒歩で出発。鬼子母神と椿山荘の庭園を巡ってきました。写真は樹齢六百年以上といわれる「鬼子母神の大公孫樹」
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↑・椿山荘の幽翠池と上池の滝
↓・椿山荘の庭園内にこじんまり鎮座おわす七福神。うち四福神しか写せませんでしたが、左から、弁財天、福禄寿、布袋和尚、寿老人。
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2006年10月17日 (火)

母校の小学校40周年

 ここ数年そうなのだが、今年はとりわけ、夏から秋にかけて地域の行事が目白押しだ。上の娘はすでに卒業したが、息子が最終学年となって通っている、僕にとっても母校である地元の小学校が、開校四十周年なのだ。毎年定番の行事に加えて、周年行事がある。ソフトボールも市民大会が六週間に渡り、その合間を縫ってPTA予選もあった。PTA副会長で、周年行事の担当者である女房も、企画や運営委員会で連日のように学校に詰めている。それが今週ピークを迎える。
 今日は午前中、開校四十周年児童集会で、「むかしの○○小学校を知る」というコーナーで、放送部の子供たちのリードにより、各年代の卒業生代表がスピーチした。僕はちょうど三十年前の卒業生代表というわけだ。どんなことを話したかはともかく、それより、子供たちの出し物、その一所懸命な演技に、久しぶりにジーンときてしまった。身障学級の子供たちの「和太鼓ドンドン」、四年生の「新撰組よさこいソーラン節」、五・六年生による「太鼓囃子」。そして校歌の大合掌。卒業生の話より、最後の六年生の挨拶、議長団・議長によるまとめのほうが感動的であった。
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 写真左は、在校生・先生・卒業生・父母・地域の人たちでリレー式に運んで積み上げた「四十歳バースデーケーキ」 
 右は、四十周年記念室に展示された歴代の卒業アルバムと文集。
 もちろんもっともっと古い歴史のある学校はたくさんあるわけだが、昭和四十年初頭に開発された東京の新興住宅団地に併設された学校として、一時は団地の高齢化・少子化で廃校寸前まで追い込まれた経緯があるので、親子二代の母校がともかく四十周年を迎えたのはめでたいことだ。
 今週金曜日には、本式の記念式典と祝賀会があり、その二日後には地域運動会。翌週は学校開放利用者団体による各種目別に「スポーツの集い」が行なわれる。まだまだ忙しい週末が続く。

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2006年8月28日 (月)

キャンプファイヤー&手作りミニ燈籠

 26~27日にかけての夏休み最後の土日、地元の小学校で、僕も委員を務める健全育成推進委員会主催による学校キャンプが行なわれました。健全委員はあくまでも裏方で、主役はリーダーと子供たちです。メインイベントのキャンプファイヤー。火は神聖なものです。トーチを掲げたリーダーが闇の中から静かに登場し、掛け声に合わせて点火。キャンプも佳境に。
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 日帰り組の一、二年生が作った紙コップとローソクの手作り燈籠。フャイヤーが落ち、リーダーがみなの目を瞑らせている間に、七十二個のミニ燈籠に火を入れる。そのタイミングと、果たしてうまくいくのか直前まで不安だったのだが、見事に成功。その成果は予想以上で、感動的であった。
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 この燈籠の花道を子供たちはいったん体育館に退場し、日帰りの子たちは、親に点呼後引き渡したのち、再びこの燈籠ロードを親と手を繋いで帰るという演出。うまくいって良かった!
 わが家の子供たちにとって、通算九回目の、そして最後のキャンプ。委員として参加して四回目。自分の子供はこれで卒業だが、来年以降もまた泊まり込みになるんだろうな。
 翌日は、朝からPTAのソフトボール大会二試合+審判をやって、さらに午後もクラブチームの練習試合&練習。そのあと飲み会にミーティング。さすがにへばったが、充実した二日間でした。

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2006年8月 8日 (火)

坂の名前・神田駿河台の石標(その四)

 この坂の名前、読めるでしょうか。-「皀角坂」-
 猿楽町二丁目と三崎町一丁目の間を南北に走る「小栗坂」を登り切った所から交差するように、西から東へちょうど神田川(というよりJR中央・総武線)に沿って御茶ノ水方面へ登る、なだらかなようでけっこう勾配のある長い坂。「さいかち坂」です。
 千代田区設置の案内板によると、『新編江戸志』に、「むかし皀角樹多くある故に、坂の名とす。今は只一本ならではなし」と書かれているそうです。「『サイカチ』とは野山にはえる落葉高木」とのこと。『新編江戸志』が上梓されたのがいつだかわかりませんが、おそらくこの辺りは江戸時代の後期にはすでに都市化が進んでいたのでしょうね。
 駿河台西町会が設置した石標は、ほとんど這いつくばって超ローアングルかれでないと碑面が撮れません。
 
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 右は、坂の途中にあるマンション?の植栽にぽつんと設置された坂の名前に因んだ句碑。
「皀角子の実はそのままの落葉哉」
 芭蕉の句とも言われていますが、定かではありません。

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2006年8月 1日 (火)

坂の名前・神田駿河台の石標(その三)

 男坂・女坂と呼ばれる坂は日本全国至る所にあるでしょうが、これは神田駿河台のそれ。どちらも坂道というより階段です。女坂のほうもけっこう急ですが、踊り場が一つ多く、途中で屈折させているため、ほとんど一直線に下る(登る)男坂よりは多少緩やか。東京では同じ千代田区内にある神田明神の男坂・女坂が有名ですね。
 通常、隣接あるいは平行する坂が二つある場合、急なほうを男坂、緩やかなほうを女坂と称するわけですが、ここは、西よりの女坂の先にはアテネフランセ(なんとなくハイカラな女子学生が多いというイメージ)が、坂下には神田女学園があり、男坂に平行して男子校の明大明治中・高があるからという説もある?
 この二つの坂は、「大正一三年(一九二四)八月政府による区画整理委員会の議決により作られたもの」(出典:『東京23区の坂道』)だそうですが、アテネフランセと明大明治は当時すでに現在と同じ(もしくは隣接する)場所にあったようです。神田女学園は昭和十年当地に移転。
 男坂はもちろん女坂にしても、ミニスカートの女性は登れませんね。いや、そのうしろについて登るのはよしておいたほうがいいでしょう。要らぬ誤解を招きそうです。
 
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2006年7月24日 (月)

花火か星雲か水母か

 昨夜は、小雨がぱらつく中、多摩川で調布市花火大会が行なわれました。打ち上げ場所から約五キロ離れた団地の広場で、地元の仲間と宴会をしながら観覧。雨に煙る花火。幻想的な写真が撮れました。
 
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2006年7月22日 (土)

坂の名前・神田駿河台の石標(その二)

 第二弾は一番のメインストリートと、その御茶ノ水-神保町間のほぼ真ん中から西へ直角に登る最も駿河台らしい坂。どちらも明治大学に因んだ名がついている。「吉郎坂」の「吉郎」とは、元明治大学総長で商学博士・佐々木吉郎先生のこと。昔は「胸突坂」と言った。現在でも結構な急坂で、登り切った頂上に「山の上ホテル」がある。
 
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 左の石標は、雨で光量が足りず碑面が暗くなってしまいました。クリックで拡大すれば文字もはっきり見えますが、左の女性二人のほうに目が行っちゃうかも?! (別に狙ったわけではありません)

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2006年7月21日 (金)

坂の名前・神田駿河台の石標(その一)

 僕が学生時代に通い、そして今また通勤している神田駿河台という所は、その名の通り台地で、坂が多い所である。坂が多いというより、坂だらけと言ったほうがいいでしょう。いや、街全体が坂と言ったほうがいいかもしれない。
 そしてその坂ごとに、坂の名前を刻んだ小さな石標が設置されています。どういういきさつがあるのかは知りませんが、昭和五十年一月に、「駿河台西町会」の人たちによって設置されたようです。気にして歩いていなければ見落とされてしまうような、ほんの小さな石ころで、表に坂の名が、裏に「昭和五十年一月 駿河台西町会 ○○○○」と刻まれているだけのものです。
 全部でいくつあるのか。長年この界隈を徘徊していながら、よくわかっていません。先日はじめて気づいたのですが、坂の名前を刻んだ文字は、坂ごとに別の書家が揮毫しているようです。「短説」とは関係ありませんが、時折思い立ったら探索して、「このブログにアップしようと思います。
 まずは二つ。坂の全体像や場所、由来などは省略します。石標だけでどの坂か分かる方は神田通ですね。
 
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2006年6月25日 (日)

河口湖バスツアー

 今日は、地元の健全育成推進地区委員会の研修バスツアーで、河口湖に行ってきました。
 最初に立ち寄ったのは、写真左の山梨県環境科学研究所。隣接する生物多様性センターのほうが見所があったのですが、どちらも建物が立派すぎるのにびっくり。これでもかという豪勢ぶり。基本的には研究施設であるから、研究資材にお金をかけるのにはとやかく言いませんが、ここまで必要なのか。典型的なバブルの頃の遺物ですね。
 後者は環境省、つまり国が設置。前者は地球規模の環境の研究、後者は「生物多様性条約」(そんな条約があったとは今調べて初めて知ったのですが)に基づいて設置されたわけで、趣旨や意義は分かるのだが、建物自体に説得力がないと言えなくもない。 
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 上の写真右は、昼食をとった「ふじ発見館」の入口前。積み木でツインタワーを作りました。(いや、誰かがすでに作っていたものに追加して増築したのですが)。昼食は、もちろん「ほうとう」定食でした。
 次に行ったのは、大石公園。自然生活館ではジャム作りができます。このあたりから雨がぱらぱら。やっぱり食べてしまいました、ラベンダーソフトクリームを。
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・富士山の集いモニュメント           ・ラベンダーと小雨に煙る河口湖
 最後は、子供たちはクラフトパークで「吹きガラス」を体験し、石ころ館やハーブ館に。男性陣はロイヤルホテル河口湖の「開運の湯」に浸かってきました。
 帰りの渋滞は、自分で運転していないのでほとんど気にならず、かえってルパン三世の「カリオストロの城」一本がちょうど見られて良かったぐらい。帰りは寝ていくつもりが、子供たちと一緒にけっこうはまって見入ってしまいました。

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2006年6月23日 (金)

“ヂーゼルカー”

 本日は、ある教養・文化講座のフィールドワークで、埼玉県日高市の高麗神社と聖天院を訪れました。本題はさておき、久しぶりに“ヂーゼルカー”に乗りました。高校生のころ、友人の家に遊びに行くのに拝島でよく乗り換えていたので、八高線の列車は見ていたわけですが、乗るのは初めてでした。
 八高線の八王子-高麗川間は電化されていて、八王子発の列車の半数以上は川越線直通のため「電車」なのですが、高崎方面行きは“ヂーゼルカー”。たまたまそれに当たったわけです。
 あのディーゼル特有の“いい匂い”はほとんどしませんでした。あの匂いは旅情を誘われるのだが……。
 
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キハ110系ディーゼル動車(高麗川駅)   DE10型ディーゼル機関車(八王子駅)

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2006年5月 5日 (金)

鎌倉の大仏

 本日は端午の節句ということで、銭湯の菖蒲湯に入ってきました。深大寺のそばにある普通の銭湯ですが、軟水を使っているのがウリです。晴れていれば富士山も見える露天風呂もあります。一年前にも行き、このブログにも記事をアップしました。連休中はどこへ行っても混雑で、日帰り温泉などとても入れたものではありません。地元の銭湯が一番。すっかり年中行事になりました。
 
 さて、一昨日の江ノ島~鎌倉ツアー。いよいよお大仏様の登場です。(※写真をクリックすると拡大します。右の写真はけっこう迫力満点に撮れました。デジカメも持っていきましたが、携帯電話のカメラでここまで撮れるなら、携帯で十分ですね)
 
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 このあと、大混雑で乗車制限もされた長谷駅から鎌倉駅へ。まずはお茶をし、小町通り、若宮大路をそぞろ歩き、鶴岡八幡宮へ。ここはもう言わずと知れたという感じで、以下は省略。
 鎌倉からまた江ノ電で江ノ島へ。小田急・片瀬江ノ島から各駅停車で帰途に就きました。家に着いたのは9時半ころ。日帰りのファミリー小旅行でした。

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長谷寺の文学碑

 極楽寺の駅に着いたとき、ここらで昼食をと思ったのですが、何もなさそうなので、参拝後てくてく歩いていく。星月井を経て、長谷寺方面へ。長谷駅を南北に貫くメインストリート(大仏通り?)に出たらびっくり。どこから沸いてきたのかという人、人、人。出足が早かったため、それまでさほど混んでいなかったのですが、昼近くになってどっと人が。さすがはゴールデンウイークなのでした。
 食事後、長谷寺へ。ここの史跡や見所を書き出したらキリがないので、文学碑のみを。
Ts2a0203久米正雄象
 久米正雄〈明治24年(1891)~昭和27年(1952)〉は、大正14年から鎌倉に住み、大町、雪ノ下、二階堂と居を移しながらも、鎌倉を終の住処としました。「鎌倉ペンクラブ」を結成したり、「鎌倉文庫」の重鎮として、いわゆる「鎌倉文士」の中心的存在でした。
 今では文学史に名を留めているだけで、一般には忘れられていますが、一時は流行作家でもあったんですよね。
 
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「高山樗牛 ここに住む」の碑
 31歳で亡くなった高山樗牛〈明治4年(1871)~明治35年(1902)〉は、転地療養のため、最初大磯、ついで鎌倉に転居。明治34年12月から亡くなるまでの1年ほどを、長谷寺の境内に居住。その葬儀も長谷寺で行なわれたとのこと。

 写真を取り損なってしまいましたが、樗牛とは逆に長生きした高浜虚子の句碑もあります。
 高浜虚子〈明治7年(1874)~昭和34年(1959)〉は、明治43年以来、その死まで50年近く鎌倉で過ごしたというとです。

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2006年5月 4日 (木)

極楽寺駅~星月井

昨日は鎌倉が目的であったので、江ノ島はちょろっと上陸しただけで、まずは極楽寺へ。江ノ電・極楽寺駅と門前。
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星月井(詳しくは「鎌倉史跡事典」を)※写真をクリックすると拡大します。

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咸臨丸図面発見の地(江ノ島)

060503_100601観光スポットの多い江ノ島ですが、あまり人が行かない児玉神社へ通ずる小径にありました。「エスカー」乗り場の脇をちょっと上がったところから山の中へ逸れて行った所。
 
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2006年5月 3日 (水)

江島神社(江ノ島)

Ts2a0193日本三大弁財天を奉る江島神社。
辺津宮、中津宮、奥津宮の三社からなり、芸能上達・財宝福徳・良縁成就の御利益があるそうです。
写真は、辺津宮(へつのみや)で、田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)が祀られています。
1206年に源実朝が創建したとのこと。
  
その下手に位置する八角形のお堂は、奉安殿といい、妙音弁財天御尊像・八臂弁財天御尊像を奉祀するために造営されたもの。
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龍神の銭洗い
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手前にザルがあり、お金を入れて洗うと殖えるそうです。でもお札は洗えませんね。

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江ノ電(藤沢~鎌倉)

 一年前の5月22日に、東葛座会で鎌倉探題会に行きました。妻と娘が参加。私と息子は不参加でした。息子はまだ鎌倉の大仏を見たことがないので、本日、家族で江ノ島~鎌倉へ行ってきました。
 自宅から自転車で狛江駅へ。小田急線と江ノ電が提携した「江ノ島-鎌倉フリーパス」はたいへんお得でした。小田急の各駅から、江ノ電を一日乗り放題。狛江からだと大人1,300円。
 朝7時過ぎに家を出て、そのまま小田急で片瀬江ノ島でもよかったのですが、藤沢で江ノ電に乗り換え、江ノ島へ。9時をちょっと回ったぐらいには着いていました。
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1000形(江ノ島駅にて)               レトロ調の10形と2000形(長谷駅)

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2006年4月 6日 (木)

山桜

多摩川べりのソメイヨシノ一色の並木に一本だけ咲くヤマザクラ
だからといって「不吉な桜」というわけではありません。Ts2a0169

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2006年4月 1日 (土)

仙台駅

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伊達政宗公騎馬像

 画像が大き過ぎるので、東京に戻ってきて再編集。つい先日「ココログ」がバージョンアップされ、携帯からだと原版がそのままアップされるようになったようです。以前はサイズが大きいと、ワイド350ないし450に自動で縮小されていたのですが。
 左は、三月十日、五時半に夜行バスで着いて撮ったもの。まだ外は真っ暗。人もいない。
 右は、本日新幹線で十時半頃着いて撮ったもの。恰好の待ち合わせ場所になっていて(渋谷のハチ公状態)、人がいっぱいいたのでアップでしか撮れなかった。
(JR仙台駅中央口)
 
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仙台着

仙台着

MAXやまびこ

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2006年3月28日 (火)

短説と写真のコラボレーション「桜」

   
 
            
西山 正義
 
 高樹朝子は、「はけ」の道を歩いていた。
 この「はけ」とは、古代多麻河が南下して
いった軌跡で、武蔵野台地に崖線をかたち造
っている。大岡昇平の『武蔵野夫人』で有名
になったあの「はけ」である。これには二系
統あって、ここ調布市にはこの二つがほぼ並
行して走っている。武蔵野夫人道子が悶々と
して過ごした旧家があった「はけ」は、国分
寺崖線の方で、いま朝子が歩いているのは、
南よりの府中崖線に属す。
 
Ts2a0150_1
 
 春である。桜が満開。この「はけ」下に沿
った道は、多摩川住宅という大きな団地の外
周道路でもあり、両側の歩道の街路樹はすべ
て桜である。樹齢四十年ほどになったソメイ
ヨシノは、今がまさに花の盛りで、この道を
桜のトンネルにする。
 
Ts2a0152
 
 朝子は胸を大きく反らし、満開の桜を見上
げた。午後の物憂い時間、人影も途切れた。
私はいま桜を独占している。
 息を深く吸い込む。薄いブラウスを透かし
て、そう豊かではないが形のいい乳房が隆起
する。官能が刺戟された。からだの内部から
火照ってくるのがわかった。
 
Ts2a0159
 
 桜の精がからだの中に入ってくる。朝子は
そう思った。あからさまに言えば、それは性
的な快感であったが、幼児がそれと知らずに
感じる快感に近かった。だが、子を二人産ん
で、子育て真っ最中の朝子にとって、それを
認めるのはやはりなんとなく躊躇われた。
 
Ts2a0155
 
 しかし朝子は、腰から砕けてしゃがみ込み
たいような感覚に襲われた。幹に手をつく。
それは色艶もよく、がっしりとしていた。さ
ながら中年女のように。私はこんなんじゃな
いわと言ってやりたかった。
 桜がまた匂う。ぶるっとからだが震えた。
思わず朝子はあたりを見回した。
 
Ts2a0156
 
*短説と写真「桜」完全版はこちら        

〔発表:平成12年(2000)5月第74回東葛座会 (千葉県松戸市・戸定が丘公園探題会)/第二稿:2000年6月ML座会/初出:2001年3月WEBサイト「水南の森」/再録:2001年5月号「短説」〈年鑑特集号〉/再録:「西向の山」upload:2003.3.29/2006.3.28〕
Copyright (C) 2000-2006 NISHIYAMA Masayoshi. All rights reserved.

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2006年3月17日 (金)

駿河台・錦華坂

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2006年3月15日 (水)

漱石母校の碑

「明治十一年 夏目漱石 錦華に学ぶ」の碑
・千代田区立錦華(現・お茶の水)小学校の猿楽町側フェンス沿い

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2006年2月 9日 (木)

深大寺と草田男・虚子の句碑

天台宗 別格本山 浮岳山 深大寺 (東京都調布市)
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中村草田男句碑
  萬緑の中や吾子の歯生え初むる

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高浜虚子 胸像と句碑
  遠山に日の当りたる枯野かな
      (明治33年11月25日虚子庵例会にて)
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2006年2月 3日 (金)

節分祭

氏子世話人になっている国領神社の節分祭に行ってきました。
御祓いしてもらい、豆まきを催行してきました。
この神社は甲州街道沿いのほんの小さな神社ですが、見事な藤棚で知られています。
「千年藤」と呼ばれ、調布の名所になっています。時季が来たらまた。
 
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2006年1月23日 (月)

万葉乙女

多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき
(万葉集巻十四)
以前写真をアップした多摩川の万葉歌碑。
歌の「この児」をイメージして彫られた乙女像です。万葉ロマンですな。
小田急線狛江駅のロータリー広場にかわいらしく鎮座しています。
実際には、武州多摩郡の乙女はもっと野卑だったのだと思う。
しかしその分、働き者で野性味に富んでいた。性的にも奔放で、と勝手な想像。
 
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2005年11月 2日 (水)

多摩川五本松

 その水神様と六郷用水取り入れ口から土手に登ると、「新東京百景」にも選定された多摩川五本松が見られます。僕の原風景の一つです。

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水神様(狛江市)

 横山とよ子さんの「川ぴたり」に出てくる勤行川の水神様ではありませんが、先にアップした玉川(多摩川)万葉歌碑のすぐ先にも「水神社」があります。
 ちょうど、かつて江戸の南を潤した「六郷用水」の取り入れ口跡のあたりに位置します。六郷用水とは、徳川家康の命により、代官小泉次大夫吉次によって造られた灌漑用水路で、多摩川中流域の、現在の調布市と狛江市の境あたりから分岐し、世田谷を経て大田区まで、全長23Kmにおよんだそうです。

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2005年10月24日 (月)

玉川(多摩川)万葉歌碑(3)

前回は碑面が暗くなってしまいましたので、アップ写真を撮り直しました。

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2005年10月15日 (土)

玉川(多摩川)万葉歌碑(2)

大きい画像で送るとどうなるか。

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玉川(多摩川)万葉歌碑

はじめてのモブログ、実験!
自宅から歩いて行かれる、一番近くの文学碑です。

『多麻河にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき』(万葉集巻十四)

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2005年5月19日 (木)

鎌倉探題会

■この度、〈短説の会〉では東葛座会を中心に「鎌倉探題会」を行なうことになりました。
日程は以下の通りです。
 
鎌倉探題会日程  5月22日(日)
 第一集合場所  日暮里駅常磐線ホーム上野寄り先頭
       時間  9時30分
 第二集合場所  鎌倉駅東口改札口
       時間  11時
コース・鶴岡八幡宮〜鎌倉文学館〜長谷寺〜鎌倉大仏
      
※座会は行ないません。従って飛び入り参加可能です。
奮ってご参加ください。
 
■5月22日、私は参加できませんでしたが、予定通り「鎌倉探題会」が行なわれました。
その模様を、あやべ楽園さんが写真で綴ってくれました。
「梅郷通信」「いざ、鎌倉へ……!」にgo!
 
■探題会から2週間、さっそく「鎌倉ネタ」の短説が生まれました。
水南森さんが「狐の嫁入り」を「水南の森−短説BLOG」にアップ。

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2005年2月 6日 (日)

四季派書庫(小久保実文庫)

 小淵沢に行ってきました。目的は別にあったのですが、思わぬ収穫が。
 八ヶ岳に「自在舎」という私設のギャラリーがあり、そこに『八ヶ岳詩游館』(小久保文庫)というのがあるのは、「自在舎」のホームページで知っていました。このホームページは現在「工事中」になっていますが、保存してあった案内文を写すと以下の通り。

【堀辰雄論】で知られる小久保実氏(文芸評論家・帝塚山学院大学名誉教授)寄贈による8万冊に及ぶ近代文学主体の蔵書・資料を収蔵。特に堀辰雄・立原道造・津村信夫・杉山平一など ”四季派”及び福永武彦・中村真一郎・遠藤周作などその周辺の詩人、作家、評論家の蔵書が多く、又雑誌収集の豊富さを特徴とする文庫であり、館内は堀辰雄の書籍・資料を中心に常設展示し、雑誌「四季」(1〜4期)など数多くあり、さながら《”四季派”詩人たちのギャラリー》の感がします。
・1995年4月開設
”四季派”詩人をテーマにしたポエティク・サロン、文学セミナー、読書会、朗読会などを通して言葉への認識を深め、自分さがしを楽しむ「仲間の会」があり、又、蔵書の閲覧、限定貸出しは勿論のこと「自在舎」宿泊施設など、会員特別料金による利用が出来ます。

 ということなので、以前から大いに気になっていたので、機会があれば是非訪ねてみたいと思っていましたが、今回の小淵沢行きに際しては念頭にありませんでした。八ヶ岳という名称から、清里や富士見高原よりもっと奥の、たとえば美しが原高原美術館のように山の上の方にあると思い込んでいたのです。それが、現地で地図を見ていたら、麓の小淵沢にあるというので訪ねてみたわけです。
 行ってみると、確かにそのような施設があることはあるのですが、何か様子が違うというか、紛らわしい状況になっていて、案内を請うた結果分かったことは、元「自在舎」だった建物はすでに売却され持ち主が替わっていて(紛らわしいのは、そこも「詩游館ギャラリー」となっている)、『八ヶ岳詩游館』の小久保文庫の資料は、「自在舎」を運営している詩人の桜井節氏を通して、長坂町に寄贈され、現在は長坂町郷土資料館に収蔵されているということでした。
 それで今度は、そこから車で10分ぐらいということなので、長坂町郷土資料館に行ってみました。斜向かいに清春白樺美術館があります。
 
 問題の「四季派書庫(小久保文庫)」は、展示されているのではなく、参考資料として、特別に閲覧できるようになっていました。時間的余裕がなくて実際に閲覧はしませんでしたが、一部の資料は、郷土資料館の一角で、期間を区切ってテーマ別に展示されています。現在の展示は、「堀辰雄−その作品の軌跡をたどる(6)−「四季」第三次と戦後の同人誌を中心に」でした。
 
■「四季派書庫(小久保文庫)」の利用方法は以下に通り。
〔開室日・閲覧時間〕9:00〜17:00(入館は16:30まで)
〔閲覧の方法〕原則として館内閲覧のみ。
*初めて閲覧する時は、身分証明書またはそれに代わるもの(運転免許証・学生証など)を提示。
〔資料館の観覧料〕大人200円/小人100円
〔特別閲覧使用料〕一人5点まで一回につき:200円
  一人3点まで一回追加ごとに:100円
  子供(小・中学生)は半額
〔休館日〕月曜日(休日の場合を除く)
  休日の翌日(日曜日または休日の場合を除く)
  年末年始(12月28日〜1月4日)
〔住所〕山梨県北杜市長坂町中丸1996
(中央自動車道・長坂ICより車で15分)
 
 思わぬところでいいところを発見してしまいました。今度は、最初からこれを目的に、朝から訪ねて閉館まで籠もってみたいものです。

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