旅行・地域

2024年11月26日 (火)

深大寺の文学碑(い/1)小松北溟歌碑

 きのうは11月25日、盾の会義挙の日で、三島由紀夫さんと森田必勝さんのご命日でした。あらためて手を合わせました。(多磨霊園の近くで)
 そのまえの23日と24日の土・日で、今年のソフトボールの大きなイベントがすべて終わりました。今年も充実のソフトボール・ライフでしたが、さすがに疲れました。
 が、そんなわけで、ホームページに「文学散歩」のページを継続させるべく、その下書きとして、ブログに思いつくまま断片的にアップしていきます。

 現在調布市では、「水木マンガの生まれた街 調布」ということで、水木しげるさんの命日11月30日を「ゲゲゲ忌」とし、11月22日~12月1日まで市内各所でさまざまなイベントが開かれています。
 そのゆかりの地の一つである深大寺。東日本最古の国宝佛「釈迦如来像」が安置され、厄除元三大師として名高いですが、武蔵野の面影を色濃く残す境内にはたくさんの句碑や歌碑があります。それを制覇してみようという企画。
 調布市観光協会発行の「深大寺散策マップ」に従って訪ねてみようと思います。このマップは、参道中央、京王バスの停留所近くにある深大寺観光案内所などで無料で配布されています。
(番号は、そのマップと、調布市立図書館の「市民の手による まちの資料情報館-深大寺の句碑・歌碑」に連動しています)

 まずは、山門を潜ったすぐ右手、梵鐘の手間にある小松北溟の歌碑。
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ひたすらに大杉の秀の指す空は武蔵のいぶき湛えて深し

小松北溟

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2022年8月16日 (火)

善光寺の迷子郵便供養塔

 善光寺に行くなら、某郵便局の局長をしている中学からの親友にここもお参りしてと言われていたのがこれ。善光寺の広い境内の一番奥まったところにあります。これは右の碑面の由来書きを横着せずに写しましょう。

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   縁  起

 わが国における郵便物の数は年間一一〇億通を超え米国英国についで世界第三位である
 このなかに受取人に配達することも差出人に返送することもできない郵便が一八〇万余通もある
 これら郵便として使命を果たすことのできない迷子郵便を供養するため郵便創業百年にあたり前島密先生出身の地に近いここ善光寺に全国有志諸君とともにこの塔を建てる
  昭和四十六年四月二十日
     郵政大臣 井出一太郎
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 あくまでも供養塔ですから、内部には“納骨室”があり、焼却処分せざるを得なかった迷子郵便の「遺灰」が収められているそうです。私はけっこう郵便物を出していますので、一通くらいはあるかも。それが届いていたら、もしかしたら人生が変わっていたかもしれないような大事な手紙もあったでしょうね。――合掌

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2022年8月14日 (日)

善光寺の文学碑〔2〕

(前回からのつづき)
 とはいえ、このようにホームページで公開するのに、画像をそのままアップしてしまえば説明不要(テキストに落とさなくてもよい)というわけで、以下四つの句碑の解説は省略します。(碑の位置は、西から東へ)
 しかし逆に言うと、案内板だけ読んで満足してしまう懸念があります。なにゆえ石碑なのか。立派な案内板があれば、本体がなくてもいいことになりはしないか……。

◆種田山頭火句碑
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◆小林一茶句碑
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◆夏目漱石句碑
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◆井上井月句碑
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 どうでしょう。簡潔に解説されていますね。由来など碑の裏や側面にまわらなくても分かります。通りすがりの観光客にはありがたい案内板ですが、これでいいのだろうかとも思います。しかし、それをそのまま利用させてもらいましたので……。
 ともかくきれいに整備されているのは確かです。 

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2022年8月13日 (土)

善光寺の文学碑〔1〕

◆良寛詩碑
 仁王門の西側の脇にあります。古いものではありません。黒御影石の碑面にはこう刻まれています。

   再游善光寺
  曾従先師游此地
  回首悠悠二十年
  門前流水屋後嶺
  風光猶似昔日妍
       良寛

【案内板】
 この漢詩は良寛さまが四十二歳
のころ帰郷の途時二回目の善光寺
参詣の折におつくりになられたものです
   再び善光寺に遊ぶ
  曾って先師に従って此の地に游ぶ
  首を回らせば悠々二十年
  門前の流水屋後の嶺
  風光猶似たり昔日の妍
   平成三年三月建之
         長野良寛会
         大本山善光寺大本願
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◆稲畑汀子句碑
 良寛詩碑の奥に稲畑汀子の句碑があるそうですが、見過ごしてしまいました。高濱虚子の孫、高濱年尾の次女で、『ホトトギス』の主宰を継承した稲畑汀子さんは、私たちがここを訪れた平成30年時点ではご健在で、このページを作成している半年前の令和4年(2022)2月27日に91歳でお亡くなりになっています。お生まれは昭和6年1月8日とのことですから、わが恩師文芸評論家の小川和佑先生と同学年ですね。

よべ星と語りし秋を惜しみ発つ
(昭和五十五年秋於善光寺)

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◆善光寺の句碑群
 本堂と山門の間くらいの東側エリアの庭園のようになっている一画に、善光寺ゆかりの文学者の句碑が建ち並んでいます。
 山頭火句碑の建立は平成8年(1996)のようですが、漱石句碑は平成23年(2011)、井月句碑は平成24年(2012)に建てられた新しい文学碑で、おそらくその際に並べて整備されたのでしょう。このようにきれいに整然と並んでいると、一見いいようなものですが、石碑としての趣や風情はありませんね。

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 案内板も統一的に整備されていて、確かにこれなら誰でも分かるのですが、肝心の石碑は見ずに、案内板だけをちらっと見てふーんと通り過ぎられてしまいそうです。いやまあ、この種の案内板に目を留める人はまだましといえますが。
 なにか教育委員会の文教政策的な感じがします。そうなると文学の面白みが減じるのですが、現代ではこうなるのも致し方ないのでしょうね。まったく足を止めようとしない人も多いのですから。別に意識高い系的な上から目線で言うわけではありませんが。

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2022年8月12日 (金)

四年前の春、初めての善光寺参り

◆“牛に引かれて善光寺”
 もうとっくに終わってしまいましたが、今年は七年に一度の善光寺御開帳の年で、4月3日から6月29日まで、善光寺の絶対秘仏である御本尊の御身代わりとして「前立本尊」の御開帳が行われていました。コロナ禍、無事に御開帳できたようです。
 もう四年前になります。初めて善光寺に詣でました。
 平成30年(2018)4月9日信濃追分から軽井沢、10日別所温泉を経て、11日(水)午後2時すぎに長野市の善光寺にやって来ました。私たち夫婦はともにお初で、結婚30周年記念に「一生に一度は善光寺参り」が実現したわけです。
 雨がぽつぽつ降ってきました。優しい雨です。傘を買って、長野駅からてくてく歩いてきました。泊まるのはもちろん宿坊です。
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◆宿坊・淵之坊(縁起堂)
 善光寺には39もの宿坊があるそうですが、宿坊も境内で、それぞれに御堂があり、ご住職がおります。私たちがお世話になったのは、その中でも南西エリアの手前(南から)二番目の「縁起堂・淵之坊」さんです。
 この日はたまたまイギリス人の夫婦と私たちだけで、その夫妻の希望があり、私たちが次の間付きの特別室を案内されました。割安の料金で予約したのに幸運でした。
 窓からは、仲見世通りをはさんで善光寺大本願の甍が正面やや右に見えます。頸を巡らせば仁王門(重要文化財)も見られます。
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◆写経と精進料理
 ひと息ついて、さっそく淵之坊(縁起堂)の内仏殿にお参りし、写経をしました。般若心経の深い意味はよく分かっていなくても、心を落ちつかせ筆で文字を一心に写していると、気持ちが洗われてきますね。
その写経は願い事とともに、翌朝の「お朝事」に善光寺へ奉納されます。
 そして精進料理。肉や魚だけでなく卵・乳製品などすべての動物性食品と、さらに煩悩を生ずるとされるネギ・ニラ・ニンニクなどを一切使わない仏教寺院としての正式な精進料理ということで、ひとつ先の部屋の外国人の舌に合うのか気になりましたが、現代ではむしろヨーロッパ人の方がベジタリアンも多いし、まあ知っていてあえて宿坊に来ているのでしょう。
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◆お数珠頂戴とお朝事
 翌日早朝、いよいよ参拝です。宿坊専属の善光寺公認案内人に引率され夜明け前に出発。
 日の出とともに本堂で始まる勤行「お朝事(あさじ)」は、善光寺の全ての僧侶が出仕して、一年毎日欠かさず行われる法要です。
 善光寺住職である大勧進の御貫主(おかんす)様と大本願の御上人(おしょうにん)様が導師として本堂に出仕される際、その往復の道中、手にされた数珠をひざまずく参拝者の頭に触れ、功徳を授けてくださるのが「お数珠頂戴」です。私たちも並んで頭を垂れました。(写真は山門とその奥に見えるのが本堂)
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◆びんずる尊者とお戒壇巡り
 国宝の本堂に入るとまずは「びんずる尊者」が出迎えてくれます。三百年以上撫でられ続け、ずるむけになっていてちょっと不気味。
 お朝事では、普段は閉ざされている戸帳が上げられ、善光寺の御本尊である一光三尊阿弥陀如来像(絶対秘仏)が納められた瑠璃壇と厨子が垣間見られます。
 勤行に参列したあとは、その瑠璃壇の真下を通る真っ暗な通路を巡ります。「お戒壇巡り」です。本当に真の暗闇です。その中を歩み、御本尊と結ばれた「極楽の錠前」を探ります。
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 ご導師退下のお数珠頂戴を受け、いったん宿坊に戻ります。精進料理の朝食をいただき、もう一度山門をくぐります。
 山門(重要文化財)の上層部は拝観でき、文殊菩薩騎獅像、四天王像、四国八十八ヶ所霊場ゆかりの仏像などが安置されています。
 写真は山門の上から見た本堂と表参道(長野市の中心街方面)です。
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2022年7月 2日 (土)

日原鍾乳洞ともえぎの湯

 あまりにも暑いので、東京奥多摩の秘境、日原鍾乳洞に行ってきました。
 行ったのは今日ではありません。二日前の木曜日です。今日は土曜ですので、この連日の暑さ、考えることはみな一緒で、たいへんな混雑になっているでしょうね。今日で八日連続の猛暑日になり、2015年の最長記録に並んだそうで……。

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 4/1~11/30は朝8時から営業。たぶん3組目ぐらいの入場。
 公式サイトで割引券が印刷できるので持参しましたが、奥多摩駅前のお土産物屋さんで朝食用の惣菜パンや土産用のみそぱんを買ったら、割引券をくれました。

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 小学生のころ、二十代のはじめころ、そして五十代の終わり、三度目の日原でした。
 奥多摩湖には何度か子供を連れて来たことがありますが、迂闊にも、日原鍾乳洞には連れて行ったことがありませんでした。子供にLINEしたら、東京に鍾乳洞なんてあったの!と言われ、はじめて気づきました。

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 もしかしたら、ここへ来るのも、生涯最後かもしれない、などと思ったりしました。

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いまさら縁結びでもありませんが……。

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虎徹(わが家のオス猫1歳)の顔のように見える岩を発見!

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 ゆっくり約1時間、気持ちのいい冷気と探検隊気分を味わい、出てきたら猛暑で、来たときは手前の駐車場には1台しか停まっていなかったのが、ほぼ満車になっていました。

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一石山神社の拝殿はるか上に伸びる樹々

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お昼はここで、虹鱒の塩焼き定食を食し、温泉へ。
(奥多摩温泉・もえぎの湯)
猫が待っているので、日が暮れないうちに帰宅。

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2021年7月 9日 (金)

温泉薬師瑠璃殿の芭蕉句碑と花柳章太郎供養碑

◆北向観音の芭蕉句碑
 北原白秋「春風の駒」歌碑の左となりに、芭蕉句碑があります。
 松尾芭蕉は日本のあちこちを旅し、その句碑は全国至る所にありますが、この句碑に刻まれた句をこちらで詠んだということではないようです。
(参照:同じ信州の「旧軽井沢の芭蕉句碑」/「追分宿浅間神社の芭蕉句碑」)

 この碑は、安永3年(1774)に建立されたもので、揮毫は門人四千人といわれる加舎白雄(かや・しらお/元文3年1738-寛政3年1791)
 俳人・加舎白雄は、地元・信濃国上田藩の江戸詰め藩士加舎忠兵衛吉亨の次男で、江戸深川の生まれ。天明8年(1788)に芭蕉百回忌句会を催しています。

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観音の いらか見やりつ はなの雲

 この句は、芭蕉43歳の貞亨3年(1686)、江戸深川の草庵で寝ころびながら詠まれたとも、病に伏せて床の中で詠んだ句とも伝えられています。したがって、「観音のいらか」とは本来は北向観音のことではなく、浅草観音(浅草寺)の大屋根(現在はチタン製の瓦)のことです。「はなの雲」はその高く聳えるいらかと競うように空に広がる満開の桜を現わしているのでしょう。
 芭蕉の『更科紀行』はその翌々年の貞亨5年からで、8月に善光寺からの帰途、坂本宿から追分宿に至る間に、上田宿も通過しています。だからまるで縁がないというわけではありません。

◆花柳章太郎供養碑
 白秋歌碑の右手奥、瑠璃殿向かって右側に、斜に構えるような感じで花柳章太郎氏の供養碑が建っています。花柳章太郎といわれても、私などは名前しか知りませんが、戦前から戦後、昭和40年に急死するまで活躍した新派を代表する女形です。「賞太郎」といわれるほどたくさんの賞を受賞した人間国宝。
 以前の案内板の写真を見たら、
「当山に健康祈願し
舞台に専念出来た」

 とありました。役者にとっては職業病である白粉中毒に悩まされていたそうです。なにしろ美貌が売りでしたので。別所温泉の温泉薬師に祈願し、湯治したわけですね。

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北向にかんのん在す 志ぐれかな 

 俳句もよくし、女形の肖像レリーフの脇に、こんな句も添えられています。これも白秋歌碑と同じ昭和37年の建立で、発起人代表のひとりに川口松太郎の名が刻まれています。
 北向観音ゆかりの『愛染カツラ』の作者である川口松太郎とは親しい交流があり、急死する二日前に出ていた舞台の夜の部(つまり最期の舞台)は、川口松太郎作の『寒菊寒牡丹』でした。今際の際まで舞台のことを案じていたということです。

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2021年7月 4日 (日)

北向観音の温泉薬師瑠璃殿と北原白秋歌碑

 信州上田の別所温泉紀行(平成30年4月11日)のつづきです。

 北向観音の本堂から愛染カツラの木を背に少し西側へ行くと、けっこう切り立った崖を背に温泉薬師を祀った瑠璃殿があります。
天台宗別格本山 北向観音・常楽寺』の公式サイトによると、
「寛保二年(1741)湯川の氾濫によって薬師堂は流され、寛保四年から湯本講中で再建を計画したようです。そして今の建物は文化六年(1809)に湯本講中の積立金により再建されました。」
 ということですが、ご覧の通り、崖に張り出して造られた懸造(かけづくり)の建築が素晴らしいです。その瑠璃殿の足元に石碑がたくさん建っています。ここ北向観音には古くから多くの文人墨客が訪れていた証左といえますね。

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 そのなかでも真ん中にでーんと建っているのが北原白秋の歌碑です。
 白秋長男の北原隆太郎氏作成の年譜(『日本の詩歌 9 北原白秋』昭和43年2月・中央公論社刊)によると、「大正十二年 一九二三年 三十九歳
この年、信州大屋の農民美術研究所開所式後、妻子と別所温泉、碓氷嶺に遊び、
……」とあります。
 この時の妻は、かの元人妻・松下俊子でも、二番目の詩人・江口章子(あやこ)でもなく、三番目の妻・佐藤菊子です。長男隆太郎氏が満一歳を過ぎたころのこと。

観音の この大前に 奉る 絵馬は信濃の 春風の駒

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 この歌は、白秋没後の昭和24年6月に刊行された歌集『海阪(うなさか)』に収められています。歌集『海阪』は、白秋亡きあと木俣修氏が編集したものですが、作品の制作年代的には白秋の第五歌集という位置づけがなされています。大正12年3月から昭和2年6月までに発表された作品のうち、旅の歌を集成したもの。版元は実弟・北原鉄雄が経営するアルス。
「七久里の蕗」の項に、
「四月中旬、妻子を率て、信州別所温泉、古名七久里の湯に遊ぶ。滞在数日。宿所たる柏屋本店は北向観音堂に隣接す。楼上より築地見え、境内見ゆ。遠くまた一望の平野みゆ。幽寂にしてよし。」
 とあります。現在、歌集『海阪』は青空文庫で全編読めます。この「滞在数日」のうちに、「北向観世音の絵馬を観て詠める歌七十五首」をはじめ、『海阪』に収録されているものだけでも(私の数え間違えでなければ)161首も詠んでいるのでした。

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2021年6月 8日 (火)

今戸神社のリアル招き猫さま

 もう二週間がたってしまいました。5月25日の妻の誕生日に、浅草の今戸神社に参詣してきました。
 今戸神社は江東区の隅田川西岸、台東リバーサイドスポーツセンタの向かい側に鎮座します。今戸焼発祥の地、招き猫発祥の地、沖田総司終焉の地として知られています。まあ、招き猫発祥の地、沖田総司終焉の地に関してはそのほかにも諸説ありますが。

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 最近は何かというとパワースポットということが言われますが、こちらは「東京下町八社」の一社で、縁結びのパワースポットとしてちょっとした人気がありますが、なんといってもお猫様です。(わが家的には沖田総司もなんですが)
 境内に「会えたらラッキーというリアル招き猫」が出没するという噂。近所の野良猫らしいのですが、白ねこの〈ナミちゃん〉と名前が付けられています。会えるとは限らないらしいのですが、鳥居の写真を撮り、境内に入ると、いきなり出迎えてくれました。こりゃあ、ラッキー!

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 この〈ナミちゃん〉、2019年9月1日にもすでに話題になっていました(「ねこのきもちNEWS」)。来る6月15日にも、かの有名な岩合光昭さんの「世界ネコ歩き」(NHK-BSプレミアム)に出演するそうです。宮司の奥様が教えてくれました。この奥様、ちゃきちゃきの江戸っ子っぽい。

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「今戸焼発祥之地」と「沖田総司終焉之地」の碑の前を、悠然と歩いていきます。ちょうど夕方の散歩の時間だったようです。

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 いい顔してますね。〈ナミちゃん〉の名前の由来は、今戸神社の御祭神の「伊弉冉尊(いざなみのみこと)」からとのこと。これも宮司の奥様が教えてくださいました。

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2021年6月 1日 (火)

杉並の大宮八幡宮

 今戸神社の前に、これはその三日前の5月22日(土)、保護猫を見に永福町に行ったので、帰りに大宮八幡宮を参拝しました。この日は妻に加えて、娘も一緒でした。平成18年(2006)の元旦に初詣に来て以来です。

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 通り雨が降った後で、濃い緑の中、たいへん清々しかったです。荘厳な、いい空気を吸い込むことができました。

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