旅行・地域

2020年3月 7日 (土)

多摩川の万葉乙女

 前ページにアップした「狛江弁財天池特別緑地保全地区」は小田急線狛江駅の北口に隣接していますが、その区域の手前、駅ロータリーの滝を模した流水池横に、「万葉乙女」の像がちんまりと鎮座しています。

  多麻河泊爾左良須弖豆久利左良左良爾奈仁曽許能児能己許太可奈之伎
  多麻河にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき
  【万葉集巻十四・三三七三・東歌】

 そうです、『万葉集』の東歌で詠まれた「この児」をイメージして彫られた乙女像です。
 東京芸術大学教授・山本正道氏の作品で、平成8(1996)年3月に狛江市により設置されました。

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 すでにサイト本編の「文学散歩」の「多摩川の万葉歌碑と万葉乙女」にアップしてありますが、
「いかにも可憐に慎ましやかに鎮座していますが、万葉時代の実際の武州多摩郡の乙女は、こう言ってはなんだがもっと野卑だったのではと思います。
 野暮で泥臭く、しかし元気で、何より働き者で、野性味に溢れていた。仔犬のようにコロコロした、今や死語ですがトランジスターグラマー的で、性的にも奔放で……と勝手な想像でした。」
 と書いた気持ちは今も変わりません。

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2020年3月 5日 (木)

泉龍寺弁財天池(狛江)

 間に猫が挟まっていますが、2月13日に母を連れ出して行った狛江散歩の続き。続きというより、こちらが最初。狛江通りを調布方面から歩いてきて、まずは狛江の駅ビルでランチ。一服してから、駅北口隣接の「狛江弁財天池特別緑地保全地区」へ。いえ、こちらは柵で囲われていて、通常は立ち入り禁止になっていますので入れません。毎月第二日曜のみ開放されています。

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 開放されている散策路を少し行くと、泉龍寺弁財天池があります。こちらは常時開放されています。この辺りの地名を「和泉」といいますが、その名の由来となったとされる池です。

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 黒々とした大きな鯉が悠然と泳いでいます。亀もたくさんいます。が、これは捨てられた外来種が繁殖したものか?
 説明版の写真もアップしておきましょう。拡大する文字が読めると思います。

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 雲松山泉龍寺は曹洞宗のお寺。弁財天池を見守る聖観世音さま。たいへんに神々しくも美人におわします。

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2020年2月15日 (土)

玉川碑の梅が満開

 今度は妻とではなく母と散歩に行きました。まずは小田急線の狛江駅へ。駅ビルの喫茶店でランチして、駅近くの泉龍寺弁財天池の周辺を散策。
 それから狛江市立古民家園(通称「むいから民家園」)を見学して、西河原公園へは寄らずに、水神様から多摩川の五本松のところの河原だけ覗き、玉川碑(多摩川の万葉歌碑)へ。紅白の梅が満開でした。

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 桜もいいですが、梅は香りがいいですね。ほのかに匂うというようなものではなく、相当にいい香りが周辺に漂っていました。

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2020年2月 8日 (土)

つげ義春「散歩の日々」の野川をめぐって

 鉄は熱いうちに打てというわけで、感興が冷めぬうちに、1月29日から2月4日にかけてこのブログに書いた「『散歩の日々』の祇園寺~虎狛神社へ」を大幅に増補のうえ再構成して、まずは2月6日に、
つげ義春「散歩の日々」の野川をめぐって(その一)-國領神社~野川~祇園寺」、
 そして本日さきほど、
つげ義春「散歩の日々」の野川をめぐって(その二)-佐須神明宮~虎狛神社~野川」を
『西向の山』サイト本編にアップしました。
 長年地元に住んでいて今更ながらですが、よく晴れた暖かい冬の日の散歩を記憶にとどめておきたいと思った次第です。

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2020年2月 4日 (火)

『散歩の日々』の祇園寺~虎狛神社へ(4)

 さて、祇園寺通りから佐須街道に入り、三鷹通りを越えて、武蔵野市場の方へ進みます。佐須街道の南側、野川を渡る少し手前(東側)に、虎狛(こはく)神社があります。

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 崇峻天皇2年(西暦589年)8月に、大歳御祖神(オオトシミノヤノカミ)を勧請して創建されたという非常に古い由緒ある神社です。といっても地元のみぞ知るマイナーな神社です。大歳御祖神は農業の神様で、のちに穀物の神様である倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)が合祀されています。

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 つげ義春の「散歩の日々」に即していえば、祇園寺にしても虎狛神社にしても、ヒントにしたモデルではあっても、作中の絵は実際とは異なっています。おそらく意図的に構図や配置を変えているのだと思われます。虎狛神社のカットも鳥居や常夜燈、門柱の配置も縮尺も異なります。
 いやまあ、そんなことはどうでもいいので、

  神社では、労務者風の
  男が博奕をしていた。

  地面に線をひき、
  銭を投げ、その線に
  近い者が勝ちで、線を
  越えると失格のようだ。

 という雰囲気は、現在でも濃厚にあります。

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 実は、1月29日に一人で来た時に、二本の謎の線を引いておいたのです。誰かがそれを見つけて、「あっ、こらだ!」とびっくりする人がいたら、それは間違いなくつげ義春ファンですね。
 その三日後の2月1日に妻と散歩しにきたら、その線は残っていました。「あっ、これは!」とびっくりしたのは、つまり自作自演なんですが、妻と実際にこの遊びをしてみました。やってみると意外に難しいものでした。二勝二敗ということにしておきました。
 その線は残しておきました。誰か感動してくれないかしら?

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 神社の裏手は真冬でもこんなに樹々が鬱蒼と茂っています。あまり武蔵野ぽっくない木も生えています。

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 佐須街道の又住橋からの野川の眺め。向こうに跨っているのは中央フリーウェイです。左に見えるのが武蔵野市場。こうして再び野川に出て、土手の道を下流に向かって柴崎、国領方面に戻ります。

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2020年2月 1日 (土)

『散歩の日々』の祇園寺~虎狛神社へ(3)

 今日もよく晴れて、二月に入ったとは思えないような温かさでしたので、つげ義春の「散歩の日々」の散歩コースを辿ってきました。今回は妻も一緒です。もちろん藤原マキさんでも「モモちゃん」でもありませんが、雰囲気は似ているかも?
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 今日は国領神社には寄りませんので、品川通りから野川の道へ。京王線をくぐり、甲州街道の柴崎と国領の間ぐらい、調布警察署があるあたりにかかる馬橋から見た野川です。緑の網は「柴崎バッティングセンター」です。最近はあまり行っていませんね。今日は土曜なので少年たちでいっぱい。
 なかなか虎狛神社に辿り着けないのですが、祇園寺をもう一度デジカメで撮ってきました。Dscn4354_360
 境内入口の右左に安置された石仏。ちょっと大陸っぽい雰囲気ですね。

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 (伝)板垣退助植樹の松
 明治42年9月12日、祇園寺で当時住職だった中西悟玄によって、秩父事件など自由民権運動の犠牲者を弔う追悼集会が開かれたそうです。それに参列した「板垣死すとも、自由は死なず」の板垣退助が記念に植樹したと伝えられるアカマツです。

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 向かい側の佐須神明宮もデジカメで改めて。
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 その裏手の畑に流れる用水路です。
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(つづく)

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2020年1月31日 (金)

『散歩の日々』の祇園寺~虎狛神社へ(2)

 実のところ、この「散歩の日々」のG寺は、あくまでもG寺であり、深大寺でも祇園寺でもなく、実際マンガに描かれたお寺のカットはどちらでもありません。
 ただ、構図こそ違え、祇園寺境内の本堂に向かって右手にある「閻魔堂」によく似た御堂が右側に描かれています。まあ、モデルとしてはやはり祇園寺でしょう。「J」ではなく「G」だし。

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 祇園寺の向かい側(東側)に佐須神明宮があります。この一角だけは令和になった現在でも武蔵野の雑木林の風情を残しています。
 狐か狸が出てきそうですが、実際、調布・三鷹・小金井あたりから西の多摩地区には狸がけっこういて、夜中急に道路を横切ったりしてびっくりさせられます。民家の垣根から覗いている狸と目が遭ったこともあります。

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 左奥にちらっと見える畑をめぐって細い用水路が流れています。この近辺では信じられないようなきれいな水が流れていて、何年か前の夏に来たとき、おそらく天然と思われるヌマエビがいて感動しました。たしかメダカもいました。それも養殖品種のヒメダカではなく、天然もののいわゆる黒メダカが。
 昔は天然のメダカなんか日本全国どこでも見られたのですが、今では激減しています。しかしそのメダカよりさらにヌマエビは汚染に弱く、農薬などが流入するとメダカよりも先に死滅してしまうそうです。つまり、ヌマエビがいるということは相当にきれいな証拠なのでした。

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 佐須神明宮の解説は上記案内板をご参照ください。(クリックすると拡大されます)
 祇園寺通りは柏野小学校正門のところで佐須街道にぶつかります。それを西側に左折し、三鷹通りを越えて、武蔵野市場の方へ行くと虎狛(こはく)神社に出ます。例の三百円をスル所ですね。

(つづく)

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2020年1月29日 (水)

『散歩の日々』の祇園寺~虎狛神社へ(1)

 つげ義春の「散歩の日々」(『COMIC ばく』創刊号・昭和59年6月)を真似て、三百円だけポケットに入れて散歩に出ました。
 昨日は未明から雪まじりの雨で、一日を通じて冷たい雨が降り続け、深夜には風も強くなり荒れた天候でしたが、今日は一転、19℃近くまで気温が上がり四月中旬並みの陽気。ということで、午後からウォーキングを兼ねて散歩に出たのでした。
 まずは国領神社へ。近頃では「千年乃藤」で少しは知られるようになりましたが、地元の小さな神社です。ここへは用事があって来ました。つげ漫画とは関係ありません。

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 参拝し、社務所へ。氏子の世話人のひとりになっているので、節分祭の福豆の申込みを取りまとめて持ってきたのでした。
 国領神社は甲州街道の新道(国道20号線)に面していますが、その甲州街道を北側に渡ると調布市立八雲台小学校があり、その東側から北の方へ同柏野小学校まで続いている道が祇園寺通りです。

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 祇園寺通りの野川の橋を渡ります。上が上流(三鷹方面)、下が下流(世田谷方面)を望んだ図です。
 今はもちろん冬枯れていますが、季節には見事な桜並木になります。三月下旬か四月の頭に抜き打ちにライトアップのイベントが行われますが、この辺りがその中心(だったか折り返し点だったか)になります。

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 つげ義春の「散歩の日々」で、

  昨日はG寺までちょっと
  遠回りして、野川に沿って
  往復七キロも歩いてきた。

 というG寺ですが、東京調布市でG寺といえば誰もが深大寺を思い浮かべると思いますが、このG寺は祇園寺ではないかと思われます。
 湧き水を飲んだという描写や地理的には深大寺でもいいのですが、真冬の平日でも常に一人や二人は参拝者がおり、門前には有名な「深大寺そば」の店やみやげ物屋が何軒も並んで営業していて、この作品の主人公が行きそうな場所としては規模が大きくメジャーすぎる感があります。

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 天台宗のお寺。虎狛山 日光院 祇園寺。
 作者その人を思わせる主人公が、G寺の湧き水を飲み、ついでに参拝し、「どうかお金が儲かりますように」などと祈るのですが、「しかもお賽銭を上げなかったのだから虫がよすぎたかな……」と「ふっ ふふ ふ」と思い出し笑いなどします。そのG寺です。

(※この稿、散歩しながらスマホで撮ってきた写真も含めて再編集します。今日はここまで)

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2019年2月 2日 (土)

信濃追分文学散歩メモ(2)

 前の記事で、油屋は「この時はまだ旅館として営業していました」と書いたのは誤りでした。
 私のホームページの掲示板は滅多に書き込みなどないのですが、2007年7月27日に「追分油屋、休業中、心配」というタイトルで、(追分、軽井沢、立原、堀・・・ファンより。)というまったく未知の方から書き込みがあり、油屋はこの年2007年の4月から休業中とのことです。
 ですので、私が先輩の五十嵐正人さんご一家と行った2007年7月9日(つまり前の記事の写真を撮った日)の時点では、すでに休業中だったのですね。
 この年以降、私は軽井沢から遠ざかってしまいましたが、油屋のホームページはその後もしばらく生きていて、「設備の修繕、改装工事の為 休業中」ということになっていました。が、実際には経営破綻していたわけで、改修は行われず、そのまま旅館としては廃業になったのでした。
 しかし、2012年に「油やプロジェクト」というNPO法人が発足し、油屋旅館の建物保全と有効活用を目的に「信濃追分文化磁場 油や」として再生されました。
 その趣旨を記したパネル看板が、入口の石垣の脇に建てられています。(クリックすると拡大画像に飛びますので、ちょっと光が映り込んでいますが内容が読めると思います)。ホームページではテキスト化する予定。

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2019年2月 1日 (金)

信濃追分文学散歩メモ(1)

 ということで、ホームページ「西向の山」「軽井沢文学散歩」の〈信濃追分編〉の後半を作成するためのメモとして、その素材となるべく写真や草稿をアップします。

 いきなり個人的なことになりますが、信濃追分の旅館「油屋」は、私にとって神田神保町のカフェ「ラドリオ」とともに最も思い入れの深い青春の場所です。受験勉強や卒論を書くための避暑として長期滞在したことがあるというわけではありませんが。
 旧中山道追分宿の脇本陣であった油屋は、昭和12年(1937)11月18日に隣家からの火災により焼亡しています。翌年、小さな街道をはさんだ向かい側、すなわち現在の場所に移転のうえ新築し、営業を再開しました。

 それから約70年後の平成19年(2007)7月9日に訪問した時の写真がこちらです。

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 この時はまだ旅館として営業していましたが、一時期休業していた後、現在は、「信濃追分文化磁場 油や」として再生されています。下は平成30年4月9日撮影。

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