旅行・地域

2016年2月25日 (木)

多摩湖

多摩湖
村山下貯水池

 何十年ぶりかに来ました。上の子がまだ小さいころ以来。下の子はまだ生まれていなかったかも?
 向こう側に写っているのは西武所沢ドーム。写真のほぼ直角ぐらいのところにある西武遊園地には、下の子の四歳か五歳の誕生日に来て(ちょうど同じ二月)、インフルエンザを貰って来たことがありました。それも十五年以上前の話です。
 私が通った中学校では、創立記念日に多摩湖一周(約11Km)マラソン大会をやるというのが恒例の行事でした。二年生の時、四位になり、トロフィーを貰いましたが、そんなことも、もう四十年前の話ですな。

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2016年1月 1日 (金)

謹賀新年/西向天神社より

謹賀新年
初詣
新宿の西向天神社

あけましておめでとうございます

今年も家内安全、無病息災で!

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2015年1月 1日 (木)

初詣/富岡八幡宮

初詣
下町の守り神さま、門前仲町の富岡八幡宮

今年は、息子の運転する車で初詣に来ました。
小学校時代にちょっと縁のあった門前仲町。
母も連れてきました。娘は現地で合流。
東京の下町の雰囲気を堪能しました。

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2014年6月12日 (木)

散歩の副産物

近所の団地の猫
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 たぶん飼い主はいるのだろうけど、半外猫で、昼間はよく団地の公園のベンチやテーブルの上で寝ていました。人懐っこく、よく撫でさせてくれました。
 福々した猫でしたが、ちょっと見ぬ間に、だいぶ年老いてしました。

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会議中

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もの別れ?

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なんか、ちょっと、シュールかも

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西河原公園の運動広場

 高齢者向けの簡易なストレッチ体操器具ですが、真剣にやると結構な運動になります。

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梅雨の晴れ間                 水かさが増えています。

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2014年4月 2日 (水)

新宿箱根山の桜


新宿箱根山の桜

 携帯電話(私はいまだに“ガラケー”です)の壁紙サイズで撮った写メをモブログで投稿したら、縦横が逆になってしまいました。ブログの編集画面で、写真を回転する方法が分かりませんでしたので、見にくいですがそのままにしておきます。


箱根山の山頂から新宿副都心方面を望む

 私が生まれ四歳まで育ったのは、新宿区喜久井町の夏目坂のちょうど真ん中あたりですから、現在では都立戸山公園の一角になっている箱根山は、非常に懐かしい場所です。都心のど真ん中にあるとは思えないちょっとした秘境です。まあ昔は、都の西北のド田舎だったわけですが……。

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2012年10月 3日 (水)

西山家之墓(龍珠院)

 一昨日、10月1日月曜、大安、五日市にある母方の菩提寺に行ってきた。
 ある事情により、わが西山家には墓があってない。そこで、母方の曾祖母と祖父母が眠る墓のほぼとなりに墓を建てることになった。
 そのお寺は、臨済宗建長寺派の禅寺で、天照山龍珠院という。
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 東京の西、あきる野市のさらに西、JR五日市線の終点・武蔵五日市からさらに奥、キャンプ場やマス釣り場などがある秋川渓谷の北岸の高台。墓はほとんど山と言っていいような斜面にある。
 戦時中、この龍珠院の近くに、母方一家が牛込喜久井町から疎開していた。この寺と現在「瀬音の湯」温泉が出来た中間あたり。
 終戦直前の昭和20年8月3日に母方の曾祖母が亡くなり、当地で葬儀を行い、祖父母もこの地を気に入り、のちに墓を建てた。
 それが昭和46年7月だったとは、今回あらためて認識したのだが、私がこの寺に来た最初の記憶がまさにその時だったわけだ。小学二年生だった。お寺に泊まり、秋川で釣りや川遊びをした記憶がある。このとき私は、川で溺れそうになったのだ。
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 この龍珠院、私の認識不足だったのだが、開創は貞治2年(1363)というから、もう650年の古刹というだけでなく、四季折々の花と紅葉がことに有名で、はとバスのツアーにも組み込まれるほどだという。「ONちゃんのPHOTO-Gallery」というホームページには、「龍珠院の四季」というコーナーがあり、四季折々の写真が大量にアップされている。
 うちの墓にはまだ誰も入っていないのだが、墓参りは二の次としても、これは季節ごとに来る価値があると思った。すぐ近くには日帰り温泉もあるし……。

(このわが家の墓にまつわる報告は何回かに分けてアップするつもり。第三者にはどうでもいいことでしょうが、龍珠院やその周辺の紹介も兼ねて)
 わが家の墓から見下ろした村落。うちの墓は絶壁のようなところにあります。墓自体はこれから建てるわけですが。
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2011年12月 5日 (月)

牛島神社の撫で牛とスカイツリー

 昨日、仕事中にそばを通ったので、向島の牛島神社に立ち寄った。師走にしては暖かい快晴の日曜日ということもあって、そこそこ賑わっていた。
 牛島神社の由来などはこちらに詳しいが、文学的に言えば、ここは何よりも堀辰雄なのであった。
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 ちょうどお昼すぎで、結婚式が行われていた。近くの浅草では人力車が走っていて、多くの観光客を乗せていたが、その人力車で新郎新婦と仲人もしくはご両親がパレード?してきて、本殿に参るところに遭遇した。
 ↓思わず、境内を掃き清める巫女さんを撮ってしまいました。Sn3n0204   Sn3n0207
 大鳥居の真っ正面に、でーんと東京スカイツリーが。↑(クリックで拡大)
 小川和佑先生の明大リバティアカデミーでの公開講座で、堀辰雄の幼年時代を訪ねる「隅田川畔フィールドワーク」でここを歩いたのは、もう八年前になるのでした。その時は、スカイツリーなど影も形もありませんでした。
 堀辰雄が愛した「撫で牛」↓
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 おばあさんは私の家にくると、いつも私のお守(も)りばかりしていた。そうしておばあさんは大抵私を数町先きの「牛の御前(ごぜん)」へ連れて行ってくれた。そこの神社の境内の奥まったところに、赤い涎(よだれ)かけをかけた石の牛が一ぴき臥(ね)ていた。私はそのどこかメランコリックな目(まな)ざしをした牛が大へん好きだった。「まあ何んて可愛(かわ)いい目んめをして!」なんぞと、幼い私はその牛に向って、いつもおとなの人が私に向って言ったり、したりするような事を、すっかり見よう見真似(みまね)で繰り返しながら、何度も何度もその冷い鼻を撫(な)でてやっていた。その石の鼻は子供たちが絶えずそうやって撫でるものだから、光ってつるつるとしていた。それがまた私に何んともいえない滑(なめ)らかな快い感触を与えたものらしかった。……
          ――堀辰雄「幼年時代」(「青空文庫より」)

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2011年9月12日 (月)

芥川龍之介文学碑と生育の地

Pap_0148 久しぶりに両国へ行ってきました。
 左の写真は、「両国三丁目二一番四号」付近。「芥川龍之介生育の地」の案内板があります。

 下は、京葉道路を挟んだ両国小学校前にある「芥川龍之介文学碑」。碑文には『杜子春』の一節が刻まれています。
 むかし仕事で両国を廻っていましたが、こんなのあったかしらと思ったら、これは、芥川の母校・両国小学校百十五周年記念事業として平成二年十月に建立されたものとのこと。どうりで記憶になかったはずです。
 ちょっと残念なのは、碑文の書体です。小学生にもわかるようにとの配慮なのでしょうが、丸ゴシック体様のもので、なんだかなあという感じではあるのですが……。
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2009年1月 2日 (金)

東郷神社に初詣

Ts2a0742 わが家では初詣に毎年異なるところにお参りに行っているのだが、今年は娘のリクエストで原宿に近いところということになった。そうなると真っ先に思い浮かぶのはもちろん明治神宮であるが、明治神宮に元旦に行くものではない。どうせ経由するのだから新宿か渋谷周辺の神社も考えたのだが、それならもう原宿に行ってしまおうと、僕の中では有名だがもろ原宿にありながら穴場の東郷神社にお参りすることにした。
 元旦の原宿なんて十九の頃以来だ。十二時ちょっと過ぎに着いた。願朝参りのピークは過ぎていたが、竹下通りはご覧のとおり。

Ts2a0743 東郷神社は、言わずと知れた元帥海軍大将・東郷平八郎を祀った神社である。福岡はじめ全国各地にあるそうだが、一番有名なのは原宿のそれだろう。
 これは何というのだろう、社殿の前に丸い注連縄が立て掛けてあり、これをくぐって拝殿に進むのだが、どうもくぐり方があるらしい。皆ふつうに跨いでいるだけなのだが、たまたま前に並んでいた家族が常連らしく教えてくれた。
 右から左へ8の字にぐるぐる二回まわって正面に進むというのが、本式の作法らしい。これで厄を落とすとのこと。その家族に続いてわが家も真似してみたが、そのあとは続かなかった。

Ts2a0744 娘に「勝札」、息子に「勝守」を求めた。勝札の「勝」の文字は東郷元帥の直筆だそうだ。勝守には、例のZ旗がかたどられている。
 かつて、「新嘗を祝ふ集ひ」の会場としてもお世話になった水交社前の庭園をそぞろ歩き、再び原宿の喧噪の中へ。
 娘と家内は、それが本来の目的とばかりに買い物へ。息子と僕はクレープだけ食べて、渋谷を経由しバスですぐに帰宅。帰宅後、キャッチボール始めをする。

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2008年7月 6日 (日)

大椎城址フィールドワーク(その二)

 竹藪をかき分けてけもの道を登攀。ほとんど探検隊の図。
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 それぞれ意味のある場所だが、手元に資料がないので省略。
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 「大椎城址」の石碑(表側と裏側)
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 このあたりが主郭への虎口(「こぐち」と読む。入口のこと)。
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 帯曲輪に降りていく。右は「椎台剣鏡碑」
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 このあたりが城の一番の南側で、最後の急坂を降りると、現在この山を所有している地元の素封家の庭に出る。探検も終わり、お礼の挨拶し、城下の集落を通り、大椎本村のバス停へ戻る。
 ほとんど予備知識もなく同行したのが、こちらも勉強になった。まさに考古学講座にふさわしい、そして楽しいフィールドワークであった。

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